■旅日誌
[2011/8] ソウル再び~DMZ&板門店・慶州
(記:2011/10/16 改:2021/7/4)
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今年も少々遠慮がちに夏休みをとることにしました。通常なら土日から平日を挟んで次の週末まで9日間は見込めるのですが、ここ何年かはまともにとることができず、今年も4日間だけの短い休みとなりました。そんなこんなで予定を立てる余裕もなく、急遽決めた行き先はソウル、ここ2年間で3回目ですが、往路で大韓航空が導入したばかりのA380を利用しています。ソウル滞在中はDMZ&第三トンネルと板門店へ、さらには少しだけ足を延ばして、歴史の街、慶州を往復しています。
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 1日目
ルート概略
【寄ったところ、乗ったもの】※詳細はこちら
成田空港、KE702便/A380、仁川空港、ソウル
実はソウルへ行く積極的な理由はなかったのだが、直前でも予約が取れたのがここくらいだったので思い切って来てしまった。というのも、大韓航空A380初号機が9月までの期間限定で東京=ソウル間に就航していたので、いい機会だと思って乗ってみようということにしていた。本当はシンガポール航空のA380に乗ってみたかったのだが、まぁ、そっちは機会があれば、ということにしておく。毎度毎度の旅の"目的"と"手段"が逆なパターンであって、さらに付け加えると何を思ったかビジネスクラスを奮発して購入、正規運賃なので決してお安いものでもなく衝動買い以外の何者でもない。冷静に考えるとアホらしくなるので、日常からの逃避行だから…と無理に自分を納得させる。(余談:別のところでA380に乗ったときの旅日誌はこちらをご覧ください。SQTGEKOZCZEYQRMH
大韓航空・KE702便・ソウル行き
ただソウルに向かうだけなら、羽田便の方がはるかに都合がよい。しかい今回はA380に乗るというミッション(苦笑)があるので出発地は成田でなくてはならない。今日はCクラスの搭乗券を持っているので、搭乗手続きもセキュリティチェックも荷物の受け渡しもプライオリティが上がる。そんな優越感にひたりながらも、いつものことですよーってな感じで顔には出さないよう意識してるところが悲しいところか、まぁ、たまにはこういうのもいいでしょう。すかさずKALラウンジへ向かい、暑かったせいか気がつけばグラスの生を一気に飲み干していた。お昼のことを多少頭にいれて、朝食を抜いていた分を補給する。
KE702便の機内の様子
あえて説明するまでもないが、A380は現時点で世界最大の旅客機で、オール2階建てのビッグサイズのシップである。今回乗った大韓航空は、大胆にも2階席は全てがプレステージクラス(ビジネスクラス)になっている。実際に乗ってみても、専用バーカウンターがあったりと確かにその様子は圧巻だった。午後13時半、KE702便はほぼ定刻での出発となった。大きいだけあってテイクオフもゆったりした感じで、エアボーンの瞬間はいままで経験したことのない印象を受けた。おまけに静音性は抜群、恐ろしいほど機内は静かで、フルフラットシートもなかなか居心地よかった。まぁビジネスクラスだったからかもしれないが、これならきっと長時間乗っていても全然苦にならないだろう。2時間弱のフライトを終え仁川へ到着、その後KALリムジンソウル市内へ向かい、そのまま宿にチェックインにした。バスは2+1シートのかなりゆったりとしたもので、KE便利用者にとってはちょっと嬉しいサービスかもしれない。今日は特にすることもなく南大門市場をウロウロして夕飯など食って時間を過ごすこにしよう。(後日談:その後、KE便のCクラスを利用する機会がありました。そのときの旅日誌はこちらこちらをご覧ください。)
KE702便(A380)
 2日目
ルート概略
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DMZ、第三トンネル、イムジン河公園、都羅山(トラサン)展望台、トラサン駅、JSA・板門店
さて、今日は少し趣向を変えてDMZ(非武装地帯)第三トンネル、そして板門店を見学するツアーに参加することにしている。機会があればぜひ見学したいと思っていた場所だったが、ツアーは火~金にしか実施されないので過去2回の訪韓ではスケジュールが合わず、今回はさすがにただ飛行機に乗るためだけに韓国往復はもったいないと思って、ツアーの開催日に曜日が合うようにスケジュールを考えていた。いま、朝鮮半島は2つの国が対峙した形になっているが、休戦状態にあるだけで戦争が終結したわけではない。最近も北が砲弾を撃ち込んだとかニュースになっていたが(そういえば、去年のヨンピョン島に砲撃されたときなぜか仁川空港にいましたが…)常に緊張状態にあることを忘れてはならない。このツアーに参加できるのは外国人だけで、さらに国籍や年齢などの条件もつく。実際、軍事的にも特別な場所に立ち入るわけで、何かとキャンセルになることも珍しくないらしい。以前は「命の保証はしない」といった趣旨の書類にも署名をしていたようだが、最近では多少緩くなっているとのことだ。
臨津江(イムジンガン)
朝早い時間に指定の場所でピックアップしてもらい集合場所であるロッテホテルへと向かう。このツアーには、いくつかの代理店を通じて申し込みが集まる仕組みになっているのだが、日本を発つ前にネットで手続きは済ませてあり、特に不都合はなかった。ここでバスの乗り換えを指示され、一旦移動して出発を待っていると、再びもとのバスに戻るよう案内があった。急に人数が増えたり減ったりするのは仕方ないにしろ、朝からバタバタして落ち着かない。どうも、業者の不手際というより、きっちり人数が管理されているため、それに見合ったサイズのバスを仕立てなければいけないらしい。気を取り直して、あらためて元のバスでソウル市内を後にする。今日の予定は、午前中にDMZ第三トンネルなどを見学して、お昼を挟んだあと板門店へ向かう段取りになっている。どうやら直前にアメリカからの団体さんがキャンセルになったためバスを行ったり来たりするハメになったようだが、結局、行きのバスはほとんど日本人だけとなった。ガイドさんも日本語が堪能な方が付いてくれて、最初の目的地までの約1時間、早速、車中で戦争に至る経緯や現在の情勢などについて説明があった。ある程度の知識は持ち合わせていたつもりだったが、あらためてこうして話を聞かされるとなかなか考えさせられるものである。特に印象的だったのは、この戦争は単なる2国間の争いではなく世界の覇権争いであって、2つの大きなイデオロギーが半島を舞台にぶつかり合い、そして泥沼の同族戦争に至ったのだ…という言葉だった。
臨津閣公園・自由の橋
漢江(ハンガン)を左手に高規格な道路を進んでいるうちに、車窓はソウルの都会の風景からいつしか人里離れた景色へと変わっていた。もうしばらくすると(イムジンガン)と合流する地点に差し掛かるとのことだが、ここからは北朝鮮との軍事境界線が間近であることを意味する。川沿いには一定の間隔で監視施設のようなものが見受けられる。万一、北が攻めてきた場合、少しでも戦車の侵攻を遅らせるためにコンクリートを爆破させる「戦車止め」という施設があるという。実際には派手な広告が描かれ、それなりの収入にもなってるというのだが、来てみないと分からない話しも少なくない。この時期のソウルは日本でいう梅雨のような天気が続き、今日も天気はよくなく残念ながら視界があまり利かないようだ。そしてバスは臨津閣へと到着した。ここは民間人統制区域の端にあたり、一般の韓国の民間人が立ち入れる境界になる。ここから先、ツアーは民間統制線をこえていくため専用のシャトルバスを利用しなければならず、ツアー客もバスを乗り換える必要がある。乗り換えの待ち時間を利用して、臨津閣を見学、ここ臨津閣は公園として整備されており、ぱっと見、ただの観光地のように思えてくるのだが、いろいろ見学してみると、これより先へ進めないということ示す閉ざさたモニュメントがあったり、朝鮮戦争で破壊された機関車があったりと、過去の悲劇を物語るものが展示されていた。また、臨津江の先まで見渡せる展望台に登ってみると分かるのだが、南北分断を肌で感じることができる場所である。
DMZ
バスを乗り換え、いよいよDMZへと向かう。ここから先は写真を撮るのも厳しく制限されるとのことで、徐々に緊張感も高まってくる。出入りできるシャトルバスの数にも制限があり、1台のバスに複数ツアーの団体が同乗して、まとまって行動しなければならないようだ。たまたま一緒になった中国人の団体はとても時間にルーズで、こちらのツアーガイドは少々イライラ感を募らしているのが分かった。先程やってきた立派な道路にもどり、これからイムジン川を渡って民間人統制区域へと入る。臨津江に架けられた統一大橋の手前には検問所があり、バスは一旦止められ韓国軍兵士が乗り込んで、ひとりひとり念入りにパスポートチェックが行われる。しばらくして許可が下りてバスは出発、こんなに立派な道路なのに直進できないようわざとジグザグにバリケードがあったりと、何とも割り切れないものを感じる。橋を渡りきったところは一見のどかな田園地帯なのだが、あちこち地雷原に散在しているという。赤いドクロのマークが出ていたらそこは特に危険な場所らしく、バスからも何回も目にすることになった。ただ不思議なのは、まったく人が住んでいないわけではなく、自由の村と称して元々この地域に住んでいた人がいまでも農業などを生業に生活をしているらしい。ただ、徴兵や納税の義務はなく、かなりの高収入を得ているとのことだが、行動できる時間も制限され、常に軍の監視下に置かれ相当窮屈な生活を強いられてるという。ここから先は勝手に写真を撮ることもできず、ツアーガイドの説明が頼りとなる。北朝鮮はもうすぐ目と鼻の先とのことだったが、人の出入りが制限されているため自然に近い環境で稲作や朝鮮人参の栽培行われ、品質もとてもよいのだという。皮肉にも手付かずの自然が多く残ってることから、ここを世界自然遺産に推す動きもあるのだとか…。一見して平和そうな農村風景だというのに、複雑過ぎる事情はすぐには頭で理解できなかった。
都羅山(トラサン)展望台
広い道路を離れしばらく進んだあと、DMZの見学施設へとやって来た。DMZと大きく書かれたモニュメントの前では自由に写真を撮ってもいいとのことなので、あまり時間をかけずにささっと済ませる。建物の中でざっと説明を受けたあと、いよいよ第三トンネルの見学となった。トンネルの入り口は別の建物にあり、ちょっと長い距離をあるくことなどが案内される。第三トンネルとは南進を目的に北が掘ったとされるトンネルのひとつで、完成前に韓国が発見したものである。過去に4つのトンネルが見つかったらしいのだが、まだ他にも20本くらい掘られてるという説もあるとか…。この第三トンネルソウルにもっとも近く、そして大規模なものらしい。ヘルメットを受け取り、斜めに掘られた坂道を400メートルほどひたすら降りていく。ようやくトンネルに出くわすと、ほとんど手掘りのような壁面が余計不気味さを感じさせた。ダイナマイトを打ち込んだとされる痕跡などからも、北から南へ向かって掘り進められたというのが韓国側の主張ならば、北朝鮮は石炭を掘った跡だと主張してきたとのことだ。実際、花崗岩質の壁面には、不自然に塗りつけられた石炭の跡もあったという。トンネルの高さは2メートルもなく、頭をぶつけないように腰をかがめて頭を低くして進んでいかなければならないくのだが、北が掘ったとされるトンネルを何百メートルか歩いてから折り返すことができるようになっていた。地底深くひっそりとこんな立派なトンネルを掘り続けていたかと思うと、余計に不気味さを感じずにはいられなかった。
都羅山駅
長い長い坂を、帰りはへぇーこら登っていかなければならない。足腰に自信のない人や妊娠している人、また心臓の弱い人や閉所恐怖症のような人も入らないようにとの注意があったが、確かにその通りだった。入り口のところまで戻ってきたときにはすっかり息も上がり、元の気温も余計暑く感じられた。再びバスに乗り込み、続いて次の見学地に向かう。バス狭い山道を登っていくのだが、冬の間は雪に閉ざされることもあるらく、積雪の中立ち往生したら地雷原の真ん中で孤立することになるので、冬場は見学がキャンセルされることが多いという。都羅山展望台は北の様子がもっともよく分かる場所だといわれている。展望できるエリアにはオレンジ色のラインが引かれ、その先は写真撮影ができないことになっている。そういった場所では、常に兵士の監視があることは言うまでもない。小高い山にある展望台からは北朝鮮の様子が見てととのことだったが、あいにくこの日は天気が悪く残念ながら、この様子はほとんど見えなかった。その代わりに室内ではビデオを使った説明があり、英語の他に中国語や日本語での説明も行われた。開城(ケソン)の工業団地ができた経緯、木々は伐採されはげ山のようになってしまってることなど、結局、映像での光景しか見ることができなかったが、それでもどこか異様な感じがして印象深いものだった。
都羅山駅
午前のツアーでは最後に都羅山(トラサン)駅に寄ることになっている。この都羅山駅は韓国側の最北駅になるのだが、民間人統制区域内にあり、一般の人は入ってくることができない。太陽政策のひとつとしてイムジン川を挟んで鉄道をつなげて、2つの地域(政治的配慮から"国"とは言わないらしい)を行き来する境界地としてさまざまな施設が建設されたのだという。駅舎もまた場違いなほど立派なもので、都会のターミナルと見間違うような規模だった。ブッシュ大統領も参加して行われた締結式の様子などからも、一時期は統一の機運が高まったとのことだが、その後ちょっとしたイザコザが絶えず現時点では事実上機能していないのが実態で、実際の統一までの道のりはまだまだ遠いことを印象づける。監視に当たる兵士を入れて記念写真を撮る光景や、献金した人の名前を示す記念碑などを見るととても複雑な感情を覚える。特に行き先を示すピョンヤンの文字がなんとも虚しく思えてならなかった。少々慌しい内容だったが午前の行程はここで終了、シャトルバスに乗って再び臨津閣へ戻ってきた。午前のガイドさんとはここで別れて午後は別のツアーと帯同するという案内があり、正午を少しまわったところで公園内にある食堂で昼食をとることなった。
板門店
お昼のプルコギ(焼肉)はまぁまぁといったところだろうか、この手のツアーに付いてくる食事にしては十分満足だった。午後の出発時刻までちょっとだけ間があったので、近くの建物にある展望台へ上ってみることにする。空は相変わらず曇っていたが、イムジン川の上流の方まで見渡すことができた。午前中も何回か説明を聞いてきた新しい鉄道橋や統一大橋もはっきりと見ることができる。何も説明を受けなければ、ただののどかな景色にしか見えないのだが、こうしていてもこの2つの橋の持つ意味を考えずにはいられない。集合時間になり、あらかじめ指示されていたバスを探し、早速乗り込む。この先の移動には午前とはまた別のツアーバスが用意されており、今度は座るべき座席番号も指定されていた。これから午後のメインである板門店(パンムンジョム)の見学へと向かう。
板門店
午前と同様、統一大橋を渡る前の検問所でツアーバスに兵士が乗り込んできてパスポートチェックが行わた。あらためて、今日2回目の民間人統制区域への立ち入りとなる。橋を渡り切り、場違いなくらい立派な道路をさらに先へと進んでいく。写真撮影については既に厳しく禁じられていて、時折、北朝鮮の国旗掲揚台がちらっと見えたりしている。ツアーに申し込むにあたり、国籍や年齢に制限があること(10歳以下はNG)、服装に気をつけること、パスポートの携行は必須など、事前に注意事項が示されていたが、特に禁止されてる事項については繰り返し説明があった。肌の露出が多い服装はダメ、ジーンズも基本的にダメ、むやみに指をさしたり(拳銃を構える姿に間違えられるとか)ピースサインもNG、列を乱したり不意に振り返るのは危険な行為で(亡命者と勘違いされる可能性がある、撃たれても責任が持てないのだとか)、その他にも雨が降っていても傘はダメ(武器と間違われるため)、昼食時のアルコールは控えるように…といろいろ注文が付いていた。ウソのような笑い話にも聞こえるが、アメリカを連想させるもの、例えば地名の入ったTシャツ、あるいはジーンズやピースサインなどは、アメリカによるプロパガンダと見なされるので特にご法度なのだとか…。そんな感じで午前にも増してさらに緊張感が高まってきた。そして国連軍のキャンプボニパスへと到着、いよいよ国境が間近となってきたところで、またバスを乗り換えなければならない。境界線を挟んでおよそ2キロ、南北双方に設けられた地帯がいわゆるDMZ(非武装地帯)で、その名の通り休戦協定にしたがいお互い武装しないと取り決めたゾーンを意味する。ちなみに休戦協定を結んでいるのは北の朝鮮人民軍と国連軍の間のことなので、そのため南側のDMZの管理は取り決めの当事者である国連軍が担当することなる。厳密にいえば韓国軍は国連軍に参加する1メンバーという立場で参画している。いまでも韓国では徴兵制が義務付けらているが、やはりDMZの警備に就くことのは一番恐れられているらしい。
板門店
この先、手荷物は一切持ち込めないのですべてのものをツアーバスに置いておくように指示があった。唯一持ち込めるのがデジカメで、それもカバーを外した状態にしておくようにとのことだ。一旦ツアーバスを降りて国連軍の施設に入り、ここでブリーフィングが行われる。ビデオ映像とツアーガイドの話を通じてあらためて南北分断の歴史が紹介される。最後にこの先の注意事項について、再び詳しい説明があった。そして国連軍のバスに乗り換え、この先はさらに厳しい監視下に置かれることになる。もちろん座席の番号は指定されており、あらためてパスポートチェックが行われる。ガタイのいい若い兵士が乗り込んできて、手元のリストに目を通しながら、氏名、国籍、パスポート番号、顔写真、、、と本人照合を入念にチェックしていた。確認が終わると武器を持たない民間人であることを示すプレートが配られ、できるだけ目立つ場所=襟元の高い位置につけるよう指示を受ける。なぜかというと、北朝鮮の兵士はこのプレート目標に民間人を見分けるのだという。さて、ようやく準備が整い、いよいよ板門店(JSA)へ向かうことになった。先程の若い兵士もバスに同乗したままで、見学が終わるまで監視を続けるようだ。
板門店
いわゆる板門店はお互いで共同警備する特別な地域=JSA(Joint Security Area)と呼ばれ、映画『JSA』でも取り上げられえた場所である。昔は本当に中立的な地域だったらしいが、ポプラ事件以来、板門店の中を複雑に二分するよう軍事境界線が引かれるようになったという。二重の鉄条網で仕切られた境界線を越え、バスはゆっくりと進み遂に板門店の中へと到着した。ここでバスを降りて、指示通り2列になってまずは国連軍の建物に向かって歩いていく。その中を抜けると、写真などで見たあの青い建物がすぐ目の前にあった。さらにその向こうには北朝鮮の建物外があり、北朝鮮の兵士の姿も見えている。それぞれ配置についてる兵士は微動だにせず、妙に静かな雰囲気がより緊張感を高める。あらためてOKが出て、いよいよ会談施設の中へと入ることになった。
板門店
部屋の中で警備にあたる韓国軍の兵士(厳密には国連軍に参加している韓国の兵士)は2名、黒いサングラスをかけたあの姿は写真でみるのと同じでだった。表情を読み取られないためだとか、視線を合わせないようにするためだとか言われているが、腕を軽く曲げ体の横に揃えているのはテコンドーの基本姿勢で、何かあったらすぐに反応できる体勢なのだという。ちなみに相手に見劣りしないように身長は175センチ以上、武道の心得があるのはもちろん、国連軍に所属するため英語は堪能でなければならないという。(余談:身元調査はもちろん、呼び戻されるといけないから病弱なおじいさんやおばあさんがいてもいけないのだとか…。)南北双方が向かい合うが部屋の真ん中にあり、備え付けられたマイクのコードが軍事境界線とほぼ一致する。窓から建物の外に目を移すと、幅15センチほどコンクリートのラインがあり、手前の塗装されたところが韓国側、向こうの砂利が北朝鮮側と分かれていることを指している。室内なら軍事境界線を越えて北朝鮮側へ入ってもいいし、どこを写してもいいという許可が出たのでみな一斉に写真を撮り始めた。さらには、兵士と並んで記念撮影してもよし、先程のラインについても窓からなら撮ってもいいとのことだ。一種異様な緊張感の中、逆に案内役からは遠慮なくバシバシ写真は撮っちゃってください!と促される。部屋にいられたのは時間にして2、3分程度だっただろうか、これで会談施設を後にする。再び2列になってゆっくり歩いて退室するよう指示があった。そう、ここで列を乱したり、むやみに走ったり、後ろを振り返ったりしてはいけないわけだ…。(冷汗)
ポプラ事件の碑
外へ出た後、国連軍側の建物の傍まで戻り、最後にあらためて施設の様子を眺めることになった。例によって、指を差したりせず一列に整列するよう指示される。ここで、向こうの建物に目をやると北朝鮮側の兵士がこちらを監視しているのがはっきり分かった。不要な接触を避けるためにも、お互いツアー途中では、あまり外には姿を見せないのだということだが、北側のゲストを案内してる様子が見えたり、上の階から2、3人兵士がベランダに出てきたりと、普段とは少々違う光景だという説明もあった。この位置からも写真を撮っていいとの許可が出たので、遠目に北朝鮮側の様子を収めておくことにした。一連の見学を終えてバスに戻り板門店を出る途中、もう一度会談施設の前を通り抜ける場面があり、写真撮影の許可が下りたのでバスの中からここの様子を収めてから離れることになった。その後、JSAの敷地を抜ける途中に、ポプラ事件があった場所と、映画『JSA』でも有名になった「帰らざる橋」をバスの中から見学、ほんの数十秒だったがバスが停まってる間ならOKとのことであわただしく写真を撮っておく。再びバスは動き出した後「手前の木々は韓国側で、その十数メートル先の高い木はもう北朝鮮です」という説明に、とんでもないところまで来てるかも?と認識する。そうして一番緊張感のあったエリアを出てくると、同乗してた兵士もひと安心したのか幾分表情も緩み、ツアー案内役の方とも言葉を交わすようになっていた。
帰らざる橋
有刺鉄線のあるゲートを通過しDMZを抜け、最後に監視役と運転担当の兵士の方にお礼の意味をこめて拍手を送ることになる。何事もなく帰還…というのも少々大げさに聞こえるかもしれないが、こうして無事に板門店(JSA)の見学を終えることができた。(後日談:もし何かトラブルがあったりしたら、ツアーガイドとアテンドした兵士には厳しいペナルティが待ってるようです。)キャンプボニパスに到着し国連のバスを降りたあとは、しばらくお土産品を売ってるところで時間をつぶすことになる。先程の監視役の兵士もしばらくここに留まっていて、リラックスしながらツアー参加者との記念撮影にも応えていた。緊張が解けたせいか、バスの中で見せた表情と随分と印象が違っている。再びツアーバスに戻り、あとは出発地だったソウルのロッテホテルへ直行するだけとなった。天気も悪く、また終始慌しい1日ではあったが、正直なところ非常に貴重な経験をしたように思う。東西冷戦のぶつかり合いをこのような形で今に残しているのは世界的にも珍しく、まさに近くて遠い国、、、真の統一はいつの日のことになるか分からないが、こんなツアーが昔話になることを祈りたい。そうそう何回も体験できることではないので、ぜひこのツアーは参加をすすめたい。
ソウル・夕食
 3日目
ルート概略
【寄ったところ、乗ったもの】※詳細はこちら
KTX、慶州、仏国寺、石窟庵、慶州古墳公園(大陸苑)、天馬塚、瞻星台
昨日は緊張の1日だったが、今日はソウルからちょっと離れて慶州(キョンジュ)まで往復することにしている。慶州は「新羅千年の都」と言われるように歴史の街として有名な土地だが、日本で言ったら奈良のようなところと言えばいいだろうか。街中に何気なく古墳群があったりして、屋根のない博物館と例えられることもある。そんな慶州だが、ここも機会があれば一度は訪れたいと思ってた場所だった。
KTX・新慶州
出発は朝の8時、今日はソウル駅からKTX(韓国版新幹線)を利用する。KTXに乗るのは去年の釜山→ソウル以来2回目のことになるが、海外からも予約ができるのでとても便利である。チケットの受け取りはKORAILの主要駅なら全国どこでもできて、日本でいうみどりの窓口と同じ仕組みと言っていい。予約時に登録したパスポートを提示するだけで、チケットが発券されてくる。ただ少し様子が違うのは、カウンターではほぼ100%英語が通じることだろうか。KTXに乗ってたのは2時間少々、新ルート開業に伴い新しくできた新慶州駅で下車した。ホームに降り立つと、遠くには緑の山々が見える。ここからは700番のバスに乗れば主要な場所には行くことができるのだが、まずは仏国寺を目指すことにしている。さほど待たずして目的のバスはやって来た。高速ターミナル、慶州駅、新羅ミレニアムパークなど経由し、1時間ほどして終点の仏国寺に到着した。バス停のある駐車場で周囲の様子を確かめていると、もう間もなく石窟庵へ向かうシャトルバスがやって来る時間なので、そこでを待つことにした。12番のバスはくねくねとした山道をひたすら登り、約20分ほどで石窟庵に到着、多少心配だったバスの乗り継ぎも迷うことなく、思いのほか順調に石窟庵まで着くことができた。
石窟庵(ソックラム)
石窟庵(ソックラム)でバスを降りると大きな梵鐘が視界に飛び込んできた。日差しは強いもののここまで登ってくると日陰はひんやりしてとても心地よい。そんな気分で眺める遠くの景色もまた格別だった。日本とは違って半島の寺院は山深いところに建てられることが多く、ここ仏国寺も山岳様式のお寺とも言える。山門を越え、山中の歩道をとぼとぼと15分ほど歩いていていくと、石仏を保護するために囲われた建物の下へとたどり着く。仏国寺と同様、石窟庵もまた長い間荒廃し存在すら忘れ去られてた時代があった。山越えの途中、雨宿りした郵便配達員が偶然発見し、その後本格的に再建されたという。さらに上へと進み建物の中に入り、いよいよ石窟とのご対面となった。石像が収められた部屋はガラスで仕切られていて間近に見ることはできなかったが、特にご本尊である釈迦如来坐像はとても美しい姿をしており、本当に時間を忘れるくらい引き込まれるものがあった。残念ながら写真撮影はNGだったが、深く記憶にとどめておくことにした。
石窟庵(ソックラム)
再びシャトルバスで山道を降りてきて、あらためて仏国寺(プルグクサ)を見学する。バス停のある駐車場から、露天らしきお店のならぶ坂道を上っていくと仏国寺の入り口があった。仏国寺石窟庵とともに世界遺産に登録された史跡であり、今日も多くの人で賑わっていた。このお寺も新羅時代のものとされているが、その後の李氏朝鮮時代の仏教弾圧や日本による半島統治になど数奇な運命をたどり今に至るという。少し歩いたせいか思いのほか汗が噴出してくるのが分かる。の脇を進み、天王門四天王姿を見ていく。その先にある青雲橋・白雲橋の手前で一旦歩みを止め、さらに上の方にある本殿へと向かう。大雄殿の手前には多宝塔釈迦塔の2つの宝塔が立っていた。伽藍の配置は日本の薬師寺などとも近いことが分かる。境内の奥手には、右手に観音堂、左手に毘盧殿があり順にお参りしてしておくことにしよう。毘盧殿に収められた毘盧遮那仏とこうして対面すると、中国の杭州で見てきた霊隠寺や奈良の東大寺の大仏などを思い起こさせ大陸や日本の仏教とどこか通じるものを感じる。しかしながら、若干違った印象を受ける点もありなかなか興味深い。元来の姿ではなく、近代になって復元された建物であることを差し引いても、国を越えて出向くだけの価値は十分あったと思う。その後、極楽殿の黄金の豚大きな梵鐘を見た後、最後にあらためて仏国寺の境内を振り返ってみた。とりあえずこれで目的のパワースポット2ヶ所を訪問することができたので、再び慶州の街へ戻ることにした。
仏国寺(プルグクサ)
慶州路線バスはよそ者の観光客にも馴染みやすく、意外と敷居は高くなかった。いわゆる観光バスタイプの座席車が1500ウォンで普通の一般車なら1300ウォン(余談:最近、1000ウォンから値上げしたみたいですが…。)いずれも前払いで運賃はどこまで行っても同じ、ICカードを持っていなくても運転手さんがおつりを出してくれる。日本円にしておよそ100円くらいなので、路線番号さえ押さえおけば気軽に利用ができる移動手段だ。ハングルが読めないのでそこは苦労するが、降りるときもブザーボタンで知らせればいいので、停留所を知らせるアナウンスを聞き分けるコツさえつかめれば十分使える。仏国寺からは10番か11番に乗れば慶州駅まで戻れることは調べてあったのでそいつを待っていると、すぐに11番の普通車がやって来た。車内は地元の人たちでかなり混雑しており、頻繁に乗り降りがあったが、30、40分して慶州駅前へ到着、バス停はから少し離れた場所にあった。バス停の目の前は城東市場というアーケード街があったので、少しだけのぞいてみることにする。どう見ても観光客相手ではない雰囲気だったが、何だか複雑なにおいが鼻を突く。いやぁこの怪しい感じが非日常でいいではないか…。(苦笑)と言っても、ここで長居しても仕方ないので、すぐに次の移動を考える。
仏国寺(プルグクサ)
昼食のことはあまり考えてなかったところへきて、思のほか時間的余裕がなくなってきたので、コンビニで何か適当に調達することにした。地方都市でありながら、この辺りの事情は日本とそう変わらない。少し歩いてみると、車が頻繁に行き交うすぐ脇にこんもりした古墳が見えている。そんな感じで慶州古墳公園(大陸苑)は、何の気なしに街中にあり、まるで街の風景を構成するひとつのようでもある。古墳群公園になってしまうというのもちょっと妙だが、きれいに整備された公園の中に入ると古墳の数は二基や三基ではないことが分かった。しばらく歩きっぱなしだったので休憩を兼ねて、木陰を探して先程買ってきたもので軽くお昼にする。ふと我に返ると、こんなところでまったりしてるのも不思議にも思えてくるが、もうしばらく公園内をぷらぷらしてみよう。この古墳公園の見ものひとつである天馬塚では、実際に古墳の中に入って発掘跡の様子を見学することができる。ミニ博物館といった趣で展示物も並んでいて、なかなか面白い。
慶州古墳公園(大陸苑)
公園を抜けると、"慶州パン"という名物らしきものを売ってるお店が並んでおり、お土産に買っておくことにした。ぱっと見、パンというよりアンコの入ったお菓子というか饅頭のようにも見える。公園内の古墳だけでなく、ここら一帯の町並みも保存対象区域として指定されているらしい。周囲の落ち着いた家並みもまた風情があってよい。時が経つのは早いもので、最後に残された時間で東洋一古い天文台と言われてる瞻星台(チョムソンデ)を見学しておくことにした。瞻星台も新羅王朝時代に造られたものともいわれ、国宝にも指定された建造物は確かに不思議な形をしていた。今日もソウルは雨模様だったようだが、釜山に程近い慶州は天気もよく、気がつけば軽く日焼けしてしまっていた。他にも慶州博物館など行ってみたい場所はいくつかあったが、さすがに時間切れで断念、、、もしかしたら、レンタサイクルを利用すればもう少し効率はよかったかもしれない。名残惜しいところではあるが、ここらでまで戻ることにした。
瞻星台(チョムソンデ)
に着くと、予約してあった列車の出発時刻が近づいていた。慶州駅は朝鮮様式を模したこじんまりとした駅で、どこか懐かしい印象を受ける。雰囲気いい感じは日本の地方にもありそうだが、今朝の新慶州とのギャップを例えるなら、水上駅と上毛高原駅と言ったところだろうか。(少し無理がある?)折角の遠出だし、普段からの悪いクセも手伝って帰りはちょっとひねりを入れて鉄分補給(?)を狙ってみる。慶州駅からは在来線急行列車ムグンファ号)に乗り、東大邱(トンテグ駅)でKTXに乗り継いでソウルへ戻ることにしていた。都会の駅でないためか、慶州駅に改札はなく勝手にホームに入れてしまう。と言っても慶州駅はちょっとしたターミナル駅でもり、いくつも側線があり停留する列車が控えていた。少し低くつくられたホーム列車を待っていると、先に貨物列車が入線してきた。上下交換のためしばらく停車するようだ。半ば予想はしていたが、列車は時間通りにはやって来そうにはない。結局、ディーゼル機関車に引かれてムグンファ号が入ってきたのは、定刻から10分ほど遅れてのことだった。
ムグンファ号・慶州駅
車内はどこか懐かしい感じがした。そりゃそうか、日本じゃこのクラスの客車を見かけるのことはほとんどないもんな…。のんびりとした車窓の風景、一定のリズムを刻むジョイント音、昼間の疲れも手伝ってか、ボーっとしながら流れる時間が何とも心地よい。高速鉄道もよいが、この列車をアレンジしておいたのも正解かな?やがて列車は終点の東大邱駅へ到着した。東大邱駅は韓国内でも屈指のターミナル駅で、この駅を経由するすべてKTXが停車する。今日は往復ともファーストクラス(日本でいうグリーン車)を予約、アッパークラスらしく座席の配置は1+2でかなりゆったりしている。また、お茶菓子や新聞のサービスがあったり、ミネラルウォータの自販機も無料だったりと、ハード面、ソフト面で差別化が図られていた。予約するときはあまり深いことは考えていなかったが、たまたまやって来たのは新型の山川号(サンチョン号)で従来のKTXともまた少し雰囲気が違っていた。普通車との差額は思ったほどなく、もし再びKTXを利用する機会があれば迷わずこっちになってしまいそうだ。そうこうしてるうちにワンデートリップは終了、ソウルに到着したときはすっかり暗くなっていた。
KTX・山川号
 4日目
ルート概略
【寄ったところ、乗ったもの】※詳細はこちら
義王、鉄道博物館、金浦空港、KE2709、羽田空港
帰りは夕方の便を予約してあったので、それまでの間ちょっとだけ時間的余裕がある。というわけで、折角なのでどこか行ってみようと思う。特にここ!という場所があったわけではなかったが、去年GWのときに車窓から見た鉄道博物館のことを思い出し、午前中を使って往復することにした。ソウル駅からなら、確か1時間もあれば行くことができるはずだ。ひとつ気になった荷物については、チェックアウト後もホテルで預かってくれるとのことなので、とりあえず身軽でいることができる。相変わらず空模様が気なるところではあるが、とりあえず傘は携えて出発することする。
鉄道博物館
昨日とは違って今朝は地下鉄のソウル駅から1号線の電車に乗る。やはりハングルが読めないので行き先を認識するのに苦労する。ソウルを発つ1号線の電車は大半が仁川行きなので、それには乗らないようにして何本か見送る。去年、水原に行ったときもこの路線は利用しているので、行き先さえ間違えなければ何とかなるはずだ。駅番号をたよりに目的の義王駅(ウィワン)で下車、特に間違えることもなく無事に到着することができたが、恐ろしく冷房の効いたのですっかり体が冷え切ってしまった。からは線路沿いに水原方面へいいはずなので、道なりに歩いていくとやがて鉄道博物館という看板が見えてくる。入場料はわずか500ウォン、日本円にして40円にもならない。開館時間がいつなのか分からなかったが、既に見学に訪れてる人もいる。
鉄道博物館
中へ入るとまずはKTXの車両が鎮座している。モックアップなのか本物なのかよく分からなかったが、どこか安っぽい感じがしないでもない。こちらは素通りして、まずは屋外展示から見ていくことにしよう。こちらは年季ものの車両を中心に展示されていているのだが、日本製のSLキハはどこか懐かしい感じのする。かつて京釜線を走っていた通勤型電車も日本の国電に似た雰囲気があり、車内の様子もまたそっくりだった。それともうひとつ優等列車用電車特急車両もまた日本の特急電車のどことなく通じるものがあった。他にも特急列車に連結された展望車やかつての大統領専用車なども展示されていたので、中の様子を見ておく。
鉄道博物館
その他にも大型のディーゼル機関車や地方を走ったナローゲージのSL大型の事業用車両などの展示を見たあとで、続いて建物の方にも足をむけてみることにする。こちらの屋内展示もなかなか充実していたが、一番人気とうわさされる列車のシミュレータはちょっと残念感あり?だったか…。それでも、半島の鉄道建設歴史に関する展示高速鉄道の変遷、日本の鉄道に関するものなど興味を覚えるものもいくつかあった。時間の関係でジオラマ(模型)を見ることができなかったが、全般的に展示されてるもの多岐に渡たり、それなりに楽しめるのではないだろうか?ただ、屋外展示の状態はお世辞にも良好とはいないのが残念だったが、逆にひなびた感もあってそれはそれでいい雰囲気だったとでも言っておこうか…。ケチをつけるような感想になってしまったが、まぁそれなりに見るものもあったし時間つぶしにはちょうどよかったように思う。最後に余計なこというと、博物館のすぐ目の前を京釜線の列車が頻繁に行き交うので、そっちの方が気になったりするのだが…。(苦笑)
鉄道博物館
残りの滞在時間を気にしながら、適当なところで鉄道博物館を立ち去ることにした。行きに歩いてきた道は殺風景だったので、帰りはちょっと道順を変えて町中を抜けていくことにしよう。義王の駅からは京釜線の電車で素直にソウルまで戻る。地下鉄1号線と直通する電車はごくごく普通の通勤電車なのであまり面白みはないのだが、4日間の滞在を惜しみながら何となくボーっとしながら外を眺めていた。先程よりも視界は悪くなってきており、ところどころで雨が降ってるようにも見える。漢江を渡り、もう間もなくするとソウル駅へ到着する。地下鉄四号線に乗り換えひと駅だけ乗って会賢(フェヒョン)駅で下車してホテルに戻ってきた。預けてあった荷物を受け取り、この4日間で歩き慣れたダラダラ坂に別れを告げ、今にも雨になりそうな空模様の中、あらためてソウル駅へ向かう。へ着くなり、ザーッと雨が降ってきた。
鉄道博物館
帰路は金浦空港から羽田空港へ向かう便を予約してあった。ソウル駅からは去年開通したばかりのA’REXに乗ってみることにする。乗り場はの西側にあってあまり目立っていなかった。肝心のプラットフォームにもエスカレータで何階も降りていかなければならない。コストがかかってるとは聞いていたが、確かに無理なつくりをしてるようにも思える。仁川出発の便だとここでチェックインと出国手続きができてしまうのだが、残念ながら金浦空港の便はそうではない。区間便でひたすら地下区間を行き、あっという間に金浦空港駅へ到着する。あえてここで説明することでもないが、仁川と金浦の関係は成田と羽田の関係と近いものがある。そういえば上海の浦東と虹橋にも同じことが言える。を降りたあと空港までは相当距離があり、だらだらと歩いていかなければならなかった。ようやくカウンターまでたどり着き荷物を預けて身軽になることができた。金浦空港の建物は使い込んだ感じがした。隣接したショッピングセンターも確かに賑やかだったが、街中のスーパーにでもいるようで空港にいる感じがしない。
KORAIL
帰りの便も往路同様、大韓航空プレステージ(ビジネス)クラスを予約してあったので、KALラウンジで立ち寄ることにした。帰りの食事のことも考えながら、少々遅めのお昼を軽くとっておく。あ、しまった!行きの便の機内食で出たビビンバの写真を撮っておくのを忘れてしまったではないか、、、と、ここでなぜか妙なことを思い出す。仁川に比べ金浦空港コンパクトにできているので移動には困らなかったが、ひとつ不満をあげるとするとラウンジの場所が出国手続きする手前にあることだろうか?時間のことを気にしなければならいので、こいつはちょっと落ち着かない。というわけで、出発前ギリギリになって出国手続きを済ませセキュリティエリアに入る。ちょうど上海行きの便が出る時間帯と重なったらしく、あちこちから大声で話す中国語が耳につく。免税店もいくつかあったが、全般的にこじんまりとしていた。帰りの足となるKE2709便B747グアム以来のジャンボだった。2階席にあるCクラスはパーソナルモニタもないやや古めの座席だったが、それでもやっぱりアッパークラスは段違いに快適!!2時間弱なのでややもったいない感はあったが、食事も差別化されててゆったりと過ごすことができた。帰りも太平洋側に抜けるルートかと予想していたが、日本海を東に進み富山上空を経て、栃木から茨城に差し掛かるあたりで南に向きを変え、江戸川~千葉の上空を通って最後はD滑走路へのアプローチとなった。国際便の到着では初めての羽田だったが、この先自宅へ戻ることを考えると成田より断然楽だった。(後日談:この後にも、KEのジャンボに乗る機会がありました。そのときの旅日誌はこちらこちらをご覧ください。)
大韓航空・KE2709便・羽田行き