■旅日誌
[2012/5] がんばろう!東北~青森・はやぶさ編
(記:2012/8/11 改:2016/10/10)
(記:2012/8/11 改:2016/10/10)
前週はGWで海外に行ってきたばかりでしたが、東北新幹線・E5系はやぶさのグランクラスで空席があるのを発見、思わず衝動買いしてしまいました。デビュー当時はプラチナチケットと言われるくらい入手が困難でしたが、その後、着実にE5系が増備され、徐々に手に入りやすくなってきているようです。今回は青森まで乗り通したあと、リゾートあすなろで下北半島を北上し、尻屋崎と恐山をまわってます。
※下線部をクリックすると写真が表示されます
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1日目
先週、海外に逃亡したばかりだったが、なぜか2週連続でのお出掛けになってしまった。今回のお目当てのE5系新幹線は、東北新幹線の新青森伸張に伴い、従来のはやてよりも最高速度を引き上げ速達性の向上を図ることが狙いで、あわせてグリーン車より上のランクを設定し、より高いサービスを提供することもひとつの目玉とされていた。グランクラスと名付けられた座席は航空機でいうファーストクラスに比較されるように、より高級感あるシートはもちろん、専任の客室乗務員がアテンドし飲み物や食事のサービスが提供されるという。それなりの料金は設定されるだろうけど、この手のホスピタリティに対するニーズは十分考えられる。夜行列車の斜陽化が進む中、"新幹線"というひとつのシステムの上にこういったサービスを融合させるのは、ある意味戦略的にも正しいと思う。まぁ、簡単に言ってしまえば、いいと聞かされれば試したくなる…というだけのことなのだが、とりあえず機会がめぐってきたので何はともあれ乗ってみることにした。
そんな新たなコンセプトのもと生まれた列車にははやぶさという愛称が与えられた。この名前を聞くとどうしても昔の列車のイメージが強く、異論を唱える人も少なくないが、九州新幹線のさくらともども、この先何十年かを見越して根付いて欲しいものだ。そんな鳴り物入りで登場したはやぶさだったが、残念なことに東日本大震災の発生で出鼻をくじかれる格好になってしまった。新幹線自体がかつて経験のないほど甚大な被害を受け、デビュー数日後の出来事としてはあまりにも不運だったが、関係者の並々ならぬ努力により驚異的な復旧を果たしたのは記憶に新しいところである。もし震災がなければ、新青森伸張区間の乗りつぶしをかねてもっと早い時期にはやぶさに乗ってた可能性も考えられ、ちょっと複雑な思いがする。(後日談:その後、北海道新幹線に乗る機会がありました。そのときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
今回、予約が取れたはやぶさ3号は9時半過ぎに東京駅を出発し、およそ3時間で新青森に到着する。時間的にも競合しそうな航空路線と比べて十分に勝算はあるように思う。東京駅にはちょっと早めに来てみたが、別のE5系の列車が出入りしていた。ロングノーズのグリーンの車体がひときわ目を引き、被写体としても人気があるようだ。さぁ、分単位で組まれたダイヤの中、はやぶさ3号が入線、早速乗り込むことにしよう。グランクラスがあるのは先頭1号車、車両形状の関係でキャビンとして使えるスペースが限られてしまうのだが、それを逆手にとって一般客から隔離して上級クラス専用の空間を確保している。絨毯敷きのシックな室内に配置された座席は、通路を挟み1-2配列×5列とわずか18席しかない。白を基調にした本革シートはデザイン的にも機能的にも申し分ない。はやぶさ3号は定刻に出発、上野駅を通過し一路、東北を目指す。次は大宮駅に停車、2、3人乗ってきたきたところで18の座席は満席となった。
早速、アテンダントが各席をまわり飲み物と食事のオーダーを聞いていく。食事といっても、内容的には軽いもので和軽食と洋軽食、2つのデリからの選択となる。今回は和軽食をオーダー、しばらくすると飲み物と食事にあわせてデザートが配られた。ちなみに飲み物はアルコール類も準備されており、いつでもオーダーを受けてくれるという。15席しかないとはいえアテンダントは慌しく傍目にも楽ではない印象を受けたが、終始そつなくこなしており、いつしかJR東日本のお得意分野のひとつになっているようにもみえる。近くの席からはリクライニングしたままでシートベルトも締めなくていいんだよね!なんて声が聞こえてきたが、確かにそんなことを感じてしまう。飛行機のように束縛されることなく自由に歩きまわるのもいい。"新幹線"という絶対的安心感のあるハードに特上のサービスというソフトを載せる、、、E5系グランクラスの完成度はそれなりに高く、JALのファーストクラスやANAのプレミアムクラスを意識してるようにも感じた。(後日談:その後、北陸新幹線のグランクラスを利用する機会がありました。そのときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
はやぶさ3号は順調に走り続け、仙台、盛岡と停車し、いつしか八戸駅を通過、1分の狂いもなく新青森に到着した。前回はすぐに乗り換えなければならなかったが、今日は多少余裕があり駅の中をみてみることにした。その後はリゾートあすなろに乗り継ぎ、さらに先を目指すことにしている。リゾートあすなろ下北3号は新青森を出ると一旦青森駅に立ち寄ってから、新幹線の新青森伸張に伴い三セク化された青い森鉄道を経由し、野辺地から大湊線に入って下北半島を北上してく。リゾートあすなろに使われるハイブリッド車両は飯山線で乗る機会があったが、こちらも新車で導入され新幹線とのアクセスが図られている。今回はピーク期を外していたので空席が目立ったが、もっと積極的に売り込みをしてもいいのではないだろうか?大湊線に入ってようやく地元ボランティアの方が乗り込んで地産品の売込みをしていたが、何か物足りなさを感じてしまった。
陸奥湾を左手に見ながら北上し、リゾートあすなろ下北3号はやがて終点の大湊に到着する。この駅には何回か来たことがあるが、鉄路が途絶えるどんずまりの場所として独特の雰囲気がある。無理すれば日帰りできないこともなかったが、半ば確信犯的に日帰りを断念、今日はむつ市内で投宿することにしていた。大湊駅からJRバスを利用してとりあえず田名部へ移動、終点のバス停がある場所は、かつての下北交通の田名部駅があったところで、言われればそんな感じもしてくる。下北交通は乗りつぶしついでに往復したことがあったが、その後、残念ながら廃止されてしまい、既に記憶も怪しくなってきている。まだ少し日が高かったので少しだけ周辺を散策してみると、わずかばかりだったが廃線跡を見つけることができた。観光地でも何でもないので特に見てまわるものもなく、とりあえず明日の作戦を立てることにしよう。
2日目
昨日ははやぶさ3号でグランクラスの人となり、3時間ほどよいよい気分♪で青森まで来てしまったが、2日目はちょっと気分を変えて下北半島をまわってみたいと思う。帰りは空路、三沢から東京に戻ることだけは決めてあったが、それ以外は何も考えてない。といっても広いエリアを1日でまわるには限度があるし、そもそも移動の足がない。だったらレンタカーを借りればいいじゃん!という意見もあるが、ここはあえてチャレンジャー(?)に徹することにする。まずは漠然と霊場恐山に行くことを考え、下北交通バスの時刻を確認すると日に4便、、、いきなり手強いぞと…。大間、薬研温泉、脇野沢、仏ヶ浦、とりあえず思いつく地名を挙げてみたが、バスで往復するのはどこも厳しそうだ。
ここであらためて、まさかり型の下北半島の地図をながめると右上にある尻屋崎の地名が目に入ってきた。尻屋の集落かその手前までならバスは何本か出ているのだが、岬の先っぽまでいくとなると日に3便しかない。(余談:ちなみに冬季は運休です。)それも、日曜・休日は朝一の便が運休とさらにハードルが上がってしまう。恐山との両立はタイミング的に無理と諦めかけたが、リゾートあすなろの運転日には臨時の5便目というバスがあって、こいつから逆算すると、、、奇跡的にスジが通ることが判明。というわけで、9時半出発で1時間後に尻屋崎へ到着、30分強滞在の後、一旦ターミナルに戻り臨時5便を利用して恐山へ、1時間半ほど見学した後、下北駅へ戻るバスを利用しリゾートあすなろ下北4号に乗り継ぎ、、、この流れなら野辺地を経由して三沢からの帰りの便まで余裕で間に合うことになる。まるで2時間ドラマの謎解きをやってるような、妙な気分になってきた。
最初の尻屋崎に行くバスはほとんど貸切状態で、最果ての地へ向かう感じが気分を盛り立てる。(苦笑)しばらくはのどかな田園風景が続き、途中風力発電の大きな風車があったりと牧歌的な景色の中をバスは進む。やがて津軽海峡沿いに出てくると、終着地の尻屋はもう近い。バスは一旦集落に向かい、同じ道を岬の入り口まで引き返した後、尻屋崎の先端に向かって脇道へ入っていく。ゲート付近では寒立馬が放牧されていたが、先程の集落へ向かう途中とここの2ヶ所だけでしか姿をみることができなかった。そしていよいよ終点の尻屋崎に到着、バス停は灯台の手前にちょこんとあるだけ、他には本当にな~んにもない。ちょっと風は強いものの天気はよく、しばらく周囲を散策してみる。白亜の立派な灯台、津軽海峡から太平洋まで連続して広がる大海原、厳しい環境に晒されながらも力強く自生する草花、最果ての岬の雰囲気はまた格別だったが、こればかりはその場に行ってみないと分からない。
心満たされ(?)再びバスターミナルへ戻ってきたところで軽くお昼を済ませ、あらためて午後の部に臨むとしよう。恐山は日本三大霊場にも数えられる場所で、いまさらここで説明する必要もないだろう。ここ何年か、パワースポットめぐりがプチ・マイブームになっていたが、いつかは来てみたい思ってた場所のひとつで今回は初めての訪問となった。幸運にもスケジュールをつなぐことのできた臨時便のバスに乗り山道を進んでいく。普通の路線バスではあったが、運転手さんの好意で途中の冷水(ひやみず)で止めてもらい、促されるままに口に含んでみた。やがて宇曽利湖が視界に入り、"三途の川"にかかる赤い橋を渡って終着の恐山・菩提寺の前へと到着した。ここに来る前は何となくおどろおどろしい雰囲気を想像していたが、広大な景色と荒涼感は逆に清々しくも思えてしまう。とはいえ、あたりは硫黄の匂いが漂い、ごつごつした岩、積み上げられた石、カラカラとまわる風車は地獄を想像するに値する。湖のほとりを極楽と例えて地獄と対比してみるのも妙に納得するところがある。地元の恐山信仰に対する思いのようなものをあらためて実感できたような気がする。
天気がよかったせいもあるが、いずれにせよ、やはり来てみてよかったと思う場所だった。帰りのバスの時間に合わせるように恐山めぐりを切り上げたが、時間のわりにはゆっくりまわれたようにも思う。さて、帰りも弾丸よろしく戻ることにしよう。往路と同じバスで下北駅まで移動し、数分でリゾートあすなろ下北4号に接続、昨日同様、陸奥湾沿いをこんどは野辺地へ向かって南下する。野辺地駅でリゾートあすなろ下北4号を見送り、新生青い森鉄道で三沢駅まで一気に移動して来た。
三沢駅といえば、先月、十和田観光電鉄が廃止となったばかりで、ホームも線路もまだ手付かずのまま虚しい姿をさらけ出していた。古い駅舎だけはそのまま使われているようだが、今後どうなってしまうのだろう?さて、三沢駅から空港までは5キロほどあり、歩くには少々辛いものがある。しかしながら、適当な路線バスはほとんどない。正確には、飛行機の時間に合わせて八戸から来るリムジンバスが迂回して三沢駅を経由してくれるのだが、このタイミングだと中途半端に時間が空いてしまう。あとはタクシーを利用するくらいしか手がないく、そんな中、たまたま日曜ダイヤで近くを通るバスを見つけることができたのでそいつを利用してみた。空港に一番近いと思われる三沢空港通りというバス停から、ターミナルビルまでは数百メートルほどあっただろうか?大きな荷物があるとしんどいが、まぁ歩けない距離ではない。そういえば三沢の航空祭以来の訪問になるけど、果たして次はあるのだろうか?
三沢から羽田までの所要時間は1時間20分ほどなのだが、先日のシンガポール往復7時間でビジネスクラスを使い、昨日はE5系のグランクラスと、今日はもうクラスJ以外考えられないっしょ!というわけで、まぁ、すっかり勘違いの連続になっていた。おかげで、そのクラスJもしょぼく思えてしまい、これはどこかで軌道修正しないといけない。最後にこれから降下という頃になって足止めをくらい、、、といっても空の上なので止まることはありえないのだが、機長からのアナウンスによると羽田で他社機がエマージェンシーを出したとかで、南風のときに使うBランとDランのどちらかが一時的に閉鎖され着陸待ちのため上空待機の指示が出てるという。そんなマニア向けのような説明に一般の方がついて来れたのかは疑問だったが、場所的には茨城の上空あたりで、窓の外を見るとぐるぐると何機かで同じところを旋回してるのが見えた。フライトマップを見ても、機首を示す方向だけが変わるだけで前にも後ろにも移動してないのが分かり、あまり気分がいいものではない。結局、かごめかごめ♪から抜け出せたのは3周後のことだったが、羽田到着は20分の遅れ、ニュースでも話題にはなってなかったので、どうやら大事には至らなかった様子だ。着陸したのはD滑走路だったが、同時にB滑走路に1機、千葉上空ですぐ真上をすれ違った便(エンジン音が聞こえたような気がした!)はお台場上空を旋回、隙をつくようにしてA滑走路に降りたようだ。ほぼ同時に3機進入とは恐れ入ったが、本当に混み合っていたとみられ、相変わらずすごい運用だと感心してしまった。