■旅日誌
[2011/4] さくら咲く、ふたたび
(記:2011/6/5 改:2021/8/14)
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年度末の3月から明けの4月までは、仕事で慌しくなることが予想されてましたが、そこへ来て3月の震災とどこか生活のペースも崩れてしまい悶々とした日々を過ごしていました。毎週のように土日も休めない状態が続いてましたが、どうにか落ち着いてきたところで思い切ってお出掛けすることにしました。本当は新青森開業後の東北新幹線に乗ってみたかったのですが、地震の影響を考え九州新幹線に変更、その前に名古屋へ寄って地下鉄・桜通線の延伸区間とリニア・鉄道館を目指します。
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 1日目
ルート概略
【寄ったところ、乗ったもの】※詳細はこちら
名古屋市交通局・桜通線、徳重、名古屋城、リニア・鉄道館
3月11日、それは突然やって来た。三陸沖でM9.0の巨大地震が発生し、1000年に一度とも言われる大津波が押し寄せ、特に東北地方の太平洋岸では壊滅的な被害が出てしまった。まずは亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに、被災された方々にお見舞い申し上げたい。自分は東京にいて仕事をしていたのだが、過去に経験した地震でこれほど揺れたものは記憶になく、言葉も出ないほどの恐怖というのはこういうことを言うのだな…と思った。もっとも、35階建のビルの18階にいたので公表される震度とはまた違った揺れだったのかもしれない。繰り返し襲ってくる余震のせいで建物はギシギシと音を立てて軋み、まるで嵐の中の船にでも乗っているような気分だった。ご近所のビルも明らかにゆっさゆっさと揺れてるのが分かり、首都高を走ってた車は一斉に停車、建物の外に避難してるところも少なくなかった。建物の中でも安心だというということは、頭の中では理解してるつもりでも変に気持ちは高ぶるばかりで、とりあえずワンセグのニュース速報で外の情報に目を向けるのが精一杯だったように思う。
リニア・鉄道館
結局その日の電車はマヒ状態で帰宅難民となってしまい、会社に泊まり込むことも覚悟せざるを得なくなった。当然、エレベータは使用停止、階段を使って外に出た人の話によるとコンビニも商品棚はすっからかん、非常食で凌ぎながら泊まり込むことを覚悟し始めていた。JRは早々終日運休となってしまったがそれでもどうにか動き出した地下鉄でできるところまで行ってみて、そこから歩いて帰宅することにした。結局、7、8キロを3時間以上かけて歩くことになったが、幹線道路はどこも大渋滞、歩道も歩いてる人で溢れており、変な言い方だがいま思えばそれもいい経験だったのかと思う。家に着いたのは日付が変わったあとのことで、帰宅するのとほぼ同時に停電は復旧、途中休憩がてら立ち寄ったお店で牛丼が食べられたのは幸いだったのかもしれない。その後の原発事故の影響で首都圏の電力事情は深刻な状況に陥ったことは言うまでもないが、そんなこと以上に被災された地域の1日も早い復興を祈るばかりである。
リニア・鉄道館
すっかり前置きが長くなってしまったが、ここから本題に戻すことにしよう。3、4月の忙しさを引きずっていたせいでもあるのだが、実はGWの予定を立てる余裕がまったくなかった。(後日談:それでも無理してお出掛けしました。そのときに旅日誌はこちらをご覧ください。)おまけに地震のおかげで気分的にもどこか吹っ切れずにいたところ、何週間ぶりかにお休みが取れることになり、すかさず遠出の予定を入れてみることにした。というわけで、今回は行き当たりばったりの遠征を決め込む。一刻も早く脱出したい…というわけではないが、新横浜6時始発のひかり493号に乗り込む。行先は名古屋に決定、この列車に乗るのも初めてのことではないが自由席はそこそこの着席率だった。
桜通線・徳重駅
ひかり493号は定刻に名古屋へ到着、何となく列車が走り去るのを見送る。さてと、、、まず手始めに地下鉄・桜通線の乗りつぶしから始めるか…。何の因果か新線が開業すると妙な義務感に囚われ、全線走破のタイトル防衛戦をしなければという強迫観念にかられていた。今日はまだ名古屋という都市部だからいいものの、これが地方ともなれば非常に厄介なことにもなる。まだ人通りもまばらなコンコースを抜けて桜通線のホームへと向かう。やって来た電車に乗り込み、早速、延伸区間となる野並-徳重間を往復しておくことにした。新しく開業した区間はどこも明るくまだピッカピカの駅だ。普段の節電のせいで、"地下鉄=暗い"のイメージが頭の中に染み付いてしまい、余計そう感じたのかもしれない。徳重を後にして、次は犬山方面にでもと思ったのだが、雨が止みそうもなかったので、何を思ったのか名古屋城を見学することにした。地下鉄を乗り継ぎ、市役所前駅からトボトボと歩いて名古屋城へ向かう。
名古屋城
どうも今日は一日中雨にたたられそうな雰囲気だった。外から天守閣を眺めたりしてみたものの、本陣の復原工事が大々的に行われていたりと、どうもテンションが上がってこない。(笑)まぁ、折角ここまで来たので、お城の見学だけはしておこう。階下に展示された史料など、ひと通り眺めみてから最後にお城の一番高いところまで上ってみる。名古屋城からの見晴らしは特段悪いというわけではないのだが、名古屋駅近辺の高層ビル群や高速道路など、どうしても近代的な建造物が目立ってしまい、正直なところお城にいるんだという気持ちとしてはどうもいまいちだった。ケチをつけるつもりは全くないけど、さほど長居する気分にもなれずここは早々と立ち去ることにした。さぁ、ここはあらためて気分を変えて次の目的地へ向かうことにしよう。
リニア・鉄道館
再び名古屋駅へ戻り、あおなみ線に乗り継ぐ。リニア・鉄道館はJR東海が開設した本格的な鉄道博物館で、特に高速鉄道に関する展示が充実しているという。東海道新幹線のお膝元であることが一番の理由だが、博物館の名前にもなっているリニアモーターカーについても大々的に扱われているのが特徴だ。まさにこれから具体的に建設が始まる超伝導リニアに目を向けてもらおうというのは、言われなくてもよく分かる。ちなみにこの博物館の事実上の前身は佐久間レールパークで、実は閉館前に参加した見学ツアーのお土産に新しい博物館の招待券が含まれていた。正確には博物館の開館が正式に決定したときに招待券が送られてくることになっていたのだが、オープン直前に入手できたので見学できそうな機会を探っていた。
リニア・鉄道館
あおなみ線の終点である金城ふ頭で下車、駅と隣接するようにリニア・鉄道館がある。建物の向こうには伊勢湾道の大きな橋と車の輸出の船が見える。以前、あおなみ線開業時に来たときとまったく風景は変わってなかった。入館手続きを済ませ早速見学に向かう。最初の部屋は暗くSL(C62)新幹線の試作車(300X)、そしてリニアモーターカーの試作車(MLX01)の展示がされており、大きなスクリーンに映像が映し出されていた。どれも日本の高速鉄道の礎となったものということだろうか。MLX01には車内にも入れるようになっている。
リニア・鉄道館
シンボル展示の先がメインの会場となっていて、向かって左側には歴代の新幹線が、右側には在来線の車両が展示されていた。在来線の車両には佐久間で見かけたものもあり、保存状態も非常に良好で車内に入って見学できる車両もあった。往年の特急列車近郊型の車両など、いまでも現役で走れそうなくらいである。年季の入った古い車両も非常によく手入れされていて最高のコンディションが保たれていた。さらに一番奥にもずらっと車両が並んでいて、ひとつひとつに目を向ける。新幹線の方も0系車両グランドひかり(2階建て車両)など、懐かしい車両が顔を揃えていた。ドクターイエローも"人気者"のようで、車両の中で保守の様子が紹介されていたのは非常に興味深かった。台車やモーターなどの足回り、またパンタグラフなど主要部品の展示の他に、マルスで切符の発券が体験できるコーナーにも人の列が出来ていた。
リニア・鉄道館
気がつけば早朝から歩きっぱなしだったので、休憩も兼ねて適当なところでお昼をとることにした。埼玉の鉄道博物館と同じように、弁当を買って屋外に展示されてる車両に持ち込みいただくことにする。これといって選り好みするわけでもなく、何となく特選名古屋弁当というのを選択してみた。外はまだ雨が降り続けており、急いで117系車両に乗り込む。どことなく旅行気分で弁当のふたを空けてみると名古屋名物といわれてるものがひと通り入っていた。午後は車両展示以外のものを中心に見てまわってみたが、この博物館の目玉にもなっているN700系新幹線の運転シミュレータは傍から見てるだけでも臨場感は抜群だった。抽選制ということもあり実際に運転席に座ることはなかったが、前面のスクリーンは圧巻で、乗り物酔いする人は注意してください、、、といったような注意書きまで出されいるくらいだ。それから、鉄道模型のジオラマをちらっと眺めたり、リニア体験ゾーンを見学していると、偶然にも会社の上司に遭遇。どうして東京からこんなに離れた名古屋などという場所でばったり出会うのか、もし仮に建物にいるのとが分かったとしてもこれだけ多くの人がいる中で見つけることの方が難しいと思うのだが…。相変わらず不思議な体質には我ながら呆れるばかりだった。(後日談:その後、京都鉄道博物館に訪れる機会がありました。そのときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
リニア・鉄道館
 2日目
ルート概略
【寄ったところ、乗ったもの】※詳細はこちら
山陽・九州新幹線/さくら、鹿児島中央、指宿枕崎線/指宿のたまて箱
2日目の今日は九州新幹線の新たに開業した区間を目指すことにしている。昨日乗って来たひかり493号を見送り、のぞみを1本挟んでその後を行くひかり495号新大阪まで移動する。昨日と同様、ひかり号でありながら、早朝の間合い運用のためかN700系が使われている。細かいことを言うと、こちらはJR西日本車なので車内放送のメロディー音が違ったりするのだが(♪いい日旅立ち…)まぁ、そんなことはどうでもいい。岐阜羽島、米原、京都と各駅に停まったのち新大阪で下車、ここで目的の列車を待つ。この3月のダイヤ改正で新たに加わった九州新幹線へ直通する列車はすべては20番線ホームからの出発となる。16両編成以外の列車は東海道新幹線には乗り入れられないという縛りがあるので、レールはつながっているものの東京から鹿児島まで走破する列車ない。仮にそんな列車があっても、どれだけの人が利用するのか微妙なところはある。理屈っぽい話はそれくらいにして、まずは隣のホームからさくら547号が入線する姿を見ておくことにしよう。
山陽・九州新幹線/さくら
この角度で新幹線を見るとあらためて思い出すのは0系新幹線のラストラン、そういえば、もう2年以上も経っているのか…。そんな感傷的な気分を吹っ切るかのようにやって来た真新しいN700系はとてもまぶしく見えた。そういえば九州新幹線乗り入れ用のN700系の700番台を初めてみたのもその0系新幹線に乗ったときのことだった。おっと、いけない、出発までそんなに時間はなかったんだ、、、まごまごしてると乗り遅れてしまうぞ!と、すぐさま20番線ホームに移動し、指定された1号車へと乗り込む。九州新幹線の全通に伴い新造された車両はかなり内装も凝っているという。さくらの普通指定席車はまるでグリーン車のようだった。実際に2-2シートに座ってみると、ひとりあたりの空間がゆったりしているのが分かる。説明しきれないのでここでは省略するが、座席まわりも細かな気遣いが感じられる。今度は新800系に乗ってみたいものだ。
山陽・九州新幹線/さくら
定刻通りさくら547号鹿児島中央へ向けて出発、スムーズな出だしで新大阪を後にした。第一印象で良好だった贅沢な座席だが、背もたれが硬すぎるのか特に3つに分かれた直方体のカドっこがモロに背骨に突き刺さり、最初のうちは違和感程度だったのも10分しないうちに強い苦痛へと変わってきた。う~ん、これはJR九州らしからぬ失敗作だと思うのだが、座ればすぐに分かるようなことをなぜ見過ごしてしまったのだろう?それとも異常なのは自分の方なのだろうか?途中下車しようにもそれもできないし、自由席車に移れば少しは楽になるかなど、終始余計なことに気を取られることになってしまった。
山陽・九州新幹線/さくら
新関門トンネルを抜け九州へ上陸、小倉駅を出たあと列車は博多駅へ滑り込む。かつての終着駅もこの列車にとってはひとつの中間駅の扱いだ。とはいえ、乗ってる人の多くが入れ替わり、この駅を境に車内の雰囲気ががらった変わる。かなり前のことだが博多南までは1度だけ乗ったことがあり、既設区間は若干スピードを抑えたまま走ることになる。その後、伸張された区間に差し掛かり、列車の速度が上がる。ただ、路盤が新しいせいか、さほどスピード感が感じられない。山陽新幹線に比べ駅間距離が短いところが多く、どういう基準で駅の位置が決まったのだろう。そうこうしてるうちに熊本まで来てしまった。やはり新幹線の速達性は絶大だ。暫定始発駅だった新八代駅もすっかり様子が変わってしまいそのまま通過、最後の停車駅である川内駅を出たあと20分程で終点鹿児島中央駅へ到着した。結局、背中に体重がかからないよう姿勢を保つがとても難儀だったが、ようやく辛い思いから開放された瞬間だった。やっぱ、九州の移動は飛行機にすべきだな、、、残念ながらこの車両にはもう二度と乗ることはないだろう。
指宿枕崎線/指宿のたまて箱
とりあえず目的だった九州新幹線の初乗を果たしあとは帰るだけなのだが、もう少しだけ足を延ばすことにしている。九州新幹線鹿児島ルートの全通にタイミングをあわせて、指宿枕崎線に新しい観光特急がデビューした。その名も指宿のたまて箱(通称、いぶたま)、浦島太郎の龍宮伝説にちなんで名前が付けられたとか…。指宿枕崎線には、かつてなのはなDXという列車が走っていたが、指宿のたまて箱はそれを置き換えるように導入され、鹿児島中央指宿の間を1日3往復する。車体のカラー半々海側山側でがらっと印象が違う大胆なデザインになっている。車内の装飾もおもちゃ箱をひっくり返したような賑やかさで、水戸岡ワールド炸裂といったところだろうか。錦江湾の景色が楽しめるように、海側の座席が横向きに配置されているのも面白いところだが、残念ながら今日は黄砂の影響で桜島の姿を拝むことができなかった。
指宿枕崎線/指宿のたまて箱
終点の指宿駅に到着すると、ドアの上部からミスト状の霧が出てくる演出があった。玉手箱を開けたときの煙を模してつくられて仕掛けだという。乗ってたのは1時間ほどだったのであまりにもあっけなかったが、それにしてもタネ車がキハ47だというのが信じられないくらいの変身ぶりだった。指宿のたまて箱は慌ただしく折り返して行き、改札を出るとカメ駅長のお出迎えがあった。指宿枕崎駅で降りるのは2度目のことになるが、どこか南国ムード漂う雰囲気が感じられる。誰が言ったか東洋のハワイとも呼ばれてるらしいのだが、ちょっとだけを離れてビーチ(?)の方へ行ってみることにした。指宿の街並みやから見える魚見岳の景観がダイヤモンドヘッドに似てるからハワイだといういうのだが、まぁそういうことにしておこう。
指宿
軽い街歩きを終え、に戻り空港行きのバスを待つ。帰りもまた錦江湾沿いを戻って行くことになった。新幹線がつながったおかげで鹿児島がぐんと近くなった感じがしたが、弾丸の締めくくりはやっぱり空路、、、こればっかりは仕方ないか。(苦笑)
指宿