■旅日誌
[2009/1] 寂寞たるやも凛然として
(記:2009/2/7)
(記:2009/2/7)
年明け早々でしたが、折角の三連休でしたのでお出かけすることにしました。先月には思いつきで富士号で大分へ遠征したばかりですが、九州夜行最後の乗車との思いもあって、あらためてはやぶさ号を利用しました。連休とあって予約はいっぱい、東京駅も騒々しかったです。さらに今回ははやぶさ乗車前に、EF55引退記念の予約が取れたので、そちらにも出向いてきました。そして最後はJAL国内線ファーストクラスの初体験と今回も盛りだくさんでした。
※下線部をクリックすると写真が表示されます
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1日目
年末年始に風邪をこじらせて寝込んでいたせいもあってか、三連休を使ってどこか出掛けることにしていた…というのは言い訳がましいが、東京発着の九州夜行の廃止が正式に決まってしまい、どこかで記念に最後の乗車をしたいと思っていた。前振りの通り先月の富士号は思いつきのノリだったので、あらためてはやぶさ号に乗ることにしていた。にわかに騒々しくなってきており、連休ともあれば予約が取りづらい状況は十分に考えられ、1ヶ月前の10時叩きを段取っていたが、B寝台個室ソロはダメ、それどころか開放型のB寝台禁煙車の下段も取れない状況である。ただ、申し込み先で機転をきかしてもらったおかげで喫煙車は押さえることができていたが、その日のうちに全てのタイプが完売してしまったようである。ギリギリまでキャンセル待ちの照会はかけてみようとは思うが、今回ばかりは取れるような気がしなかった。
予想通り当日まで"空き"に出くわすことはなかった。まぁ、取れないよりはマシだと思ってそれ以上は考えないことにする。でもその分、運は残っていたようで前回同様、夕方出発前の昼間の時間を狙ってEF55の引退列車の予約を入れてみたところ、そちらは無事確保することができた。この手のイベントも競争率はとても高く、正直ゲットできるかどうか自分でも疑っていたが、楽しみがひとつ増えたのでそれでよしとする。そのEF55のさよなら運転だが、去年の12月あたりから何回か行われており、当初上野→水上というパターンの列車を狙ってみたが都合がつかず、今日に至ることになった。(余談:長時間乗ってられるのはもちろん、水上での転車台は見たかったですね。)この三連休は高崎から信越線の横川へ片道だけ運転される。後ろにDLが補機として付き、帰りはそいつに引っ張られて戻ってくる運用だという。EF55の本当の最後の運転は翌週にスケジュールされており、引退セレモニーも盛大に執り行われるようだったが、まぁ今日でも十分雰囲気は味わうことはできるので、そこは素直に喜びたいと思う。
話しは変わり、当日の朝のこと、いつかはやらかすのではないかと不安に感じていたが、とうとうやってしまった。目を覚ますと予定していた時間よりも2時間も過ぎており、目覚ましはまったく役を果たしてなかった。一瞬、折角のチャンスを棒に振ってしまったかと思ったが、まだ可能性がないわけでもない。当初、高崎線の普通列車で上野から高崎までチンタラいくつもりだったので、新幹線という救いの手が待ってるかもしれない。一途の望みを持ってとりあえず大急ぎで東京駅へ向かうことにした。こういうときこそ冷静さを失ってはいけない…と自分に言い聞かせながら頭の中で最短ルートを描き、どうにか東京へ到着、時刻表を見ると10分後に出るあさまを捕まえれば、高崎で追いつくことが分かった。はぁ~よかった、よかった、これでつながった。大丈夫だと分かればあとは安心、新幹線の分は予定外の出費だったが、昨日まではグリーン車を利用してやろう…と目論んでいたので、その分と朝飯をガマンして帳消しにすることにした。
さすがに新幹線は速かった。高崎へ到着し、最後の悪あがきと思って今夜のはやぶさのB個室と禁煙車下段の照会をかけてみたが空席はなし、さすがにもう無理みたいだった。「快速EF55碓氷号」と案内された様子を写真に収めるてる人が多かったので、自分もつられて記念に撮っておくことにする。ホームには入線を待つ人で既に混沌とした状態だった。毎度ながらうんざりする光景だが、もちろん人のことは言えないのでそこはガマンする。そういえば奥利根号のときもこのホームで押し合いへし合いしてたな…。やがて列車は上野側からゆっくりと進入してきた。機関車が目の前に停車し一斉に撮影会となるものの、あまりの人の多さに身動きが取れない。ここで頑張るのは無理のようなので早々と退散することにした。
列車は定刻で高崎駅を出発した。この先横川までの区間を進むのだが、所要時間はわずか40分程度である。車内販売では記念グッズや記念のお弁当が売られていたようだが、大勢の人が押し寄せて大変な騒ぎのようである。記念のサボはとても気になったのだが、今朝の新幹線と引き換え…ということでガマンすることにした。(余談:記念グッズの販売は横川駅でも行われてましたが、十分に在庫が準備されていたようす。)今日のこの列車だが、先頭を行くのはムーミンことEF55、6両の客車が連結されており、その奥利根号のときのものと同じようだ。今日も天気にも恵まれ沿線には多くのカメラマンの姿があったが、いい絵は撮れただろうか。
流線形が印象的なEF55だが、製造されたのが昭和11年、人間のように年齢でいうと72歳。当時はやりのフォルムもどこか愛嬌があり、「ムーミン」の愛称で親しまれていた。そんな機関車もついに引退することになった。実は一度車籍を失っているのだが、なんと28年後に復活を遂げている。思ったより保存状態がよかったこともあり今でも営業運転に就くことができたのだが、それでもメンテナンスの限界がきたようでついに一線を退くことになった。それにしても高崎のスタッフの方々には頭の下がる思いである。ところでこの機関車、先頭が非対称のためSLのようにターンテーブルが必要で、使い勝手の悪さからわずか3両しか製造されなかった。が、しかし、その後のEF58以降の高性能機関車の礎になったことは紛れもない事実で、準鉄道記念物にも指定されている。また、戦争時中に機銃掃射を受け破損した跡も残っており、数奇な運命を物語っている。エピソードを書き出したら切りがないが、来週末は本当に最後の運転が控えている。
EF55碓氷号は終着の横川へ到着、本当にあっという間に着いてしまった感じだ。今日は折り返しの扱いはなく、プッシュプルで後ろに付いていたDEが今度は引っ張っていく。回送が出るまでには未だしばらく時間があるようで、しばし撮影会となった。長野新幹線が開業してから横川駅は静かな田舎の終着駅になってしまったが、こんなに大騒ぎになるのもそうはないだろうか。周囲の喧騒などまったく気にならない素振りで、どっかと腰を据えた様子はどこか余裕のようなものすら漂わせていた。
12時をまわりしばらくしてからEF55碓氷号は、高崎へ向けて帰ってしまった。ホームの外へ出て後姿を見送る。さてお昼にでもしようか…。駅の売店には横川名物峠の釜飯を目当てに大勢の人がまだ残っていた。そうだ、前に来たときのことを思い出し、国道沿いのドライブインへ向かうことにした。もちろん昼食は釜飯、それにしても、素朴でありながら何とも言えないホッとする味わいはどう表現したらいいのだろうか?やっぱり今日も一気に平らげてしまった。
帰路は湘南カラーの普通列車で高崎まで戻ることになった。わずか3両編成だったので、横川から引き上げる人で既に満員、そこへ来て学校帰りの学生さんが大挙して乗り込んできて超満員に…。といっても都会のラッシュに比べればまだ余裕はあったが、地元の高校生は、何でこんなに混んでるんだ…と不慣れな様子で困惑しているのが分かった。早めに高崎へ着いたので、高崎線は1本遅らせて次の列車に乗ることにしよう。もちろん帰りもグリーン車はお預け、、、朝から波乱含みだったが、お昼の部はこれで終わりにして、夜のはやぶさに備えることにする。
2日目
特にどこに寄るというわけでもなくそのまま東京駅まで戻ってきた。駅の地下に新しくできたGranSta(グランスタ)で今晩の夕食を物色する。それにしてもこの駅はどこまで進化していくのだろう?10番ホームに舞い戻り、列車の入線を待つことにする。やはり連休とあって、すごい人の数だ。単なる見物人も多そうだが、これでは満席になっても無理はないか。普段からこれだけ利用者がいれば…何てことを考えてみても虚しいばかり、毎度ながらの終焉前の大騒ぎには何とも複雑な思いがする。もちろん自分のことは棚に上げての話になってしまうが…。そうこうしてるうちに、品川方からはやぶさ・富士号が回送として入ってきた。
先月の富士号では思わぬサプライズがあったが、今日1列車を引っ張る機関車はEF66 48号機、記憶が正しければこの機関車のお世話になるのは3度目、数年前のさくらと2年前の2列車(富士・はやぶさ号)に続いて通算三回目となる。正直なところ、ややくたびれた感はあるが、勇ましい姿はこちらの気持ちも高ぶらせてくれてるようだ。今日もまた何となくあたりを少しうろついたあと乗り込むことにしよう。今回指定されたのは1号車で床下に発電装置を積んでいるだが、それほど騒音は気にはならなかった。
時計は18時をまわり、いつものように外の喧騒をよそに列車は東京駅を出発する。見慣れた都会の駅が次々と後ろに去っていく。外は普段の生活圏なのだが、車内はまったくの非日常であり、このギャップがたまらない。今日は本当に満席のようで、ざっとみた感じでも既にこの段階で上段の多くが埋まっていた。同じボックスの"住人"はこの先乗ってくるものと思われ、まだ空席のままだったが、そこかしこから談笑する声が聞こえてくる。そんな夜行列車独特の雰囲気を感じながら夜は更けていった。
なかなか寝付けず、何気なく携帯からネットに書き込みを行ったらこの列車に乗車されている方から反応があり、同じ時間を共有しているのが分かった。そういうのもまた嬉しいものである。どこで眠りについたか分からなかったが、次に気がついたときはいつものようにセノハチのカーブの中を列車は右へ左へと車体を揺らして走っていた。時折聞こえてくる機関車のホイッスルと、ゴーゴーと車輪がきしむ音が静かな車内に響きわたる。ふと窓の外に目をやると真ん丸の月が西の空に沈もうとしていた。しばらく時間が過ぎるにも忘れて幻想的な光景に思わず見入ってしまう。おはよう放送が入り周囲も起きはじめるともう間のなく徳山、車内販売が始まる時間である。今日の込み具合だと多くの人が殺到しそうなので、少し早めに並んでおくことにした。1号車に乗っていたのでその分楽だったが、予想通り長蛇の列ができていた。
やがて列車は下関へ到着、席に座っていて落ち着かないので、これまたいつものように機関車の付け替えの様子を見に行くことにする。それにしても今日はいつにも増してギャラリーの数が多いようだ。おちおち写真を撮ってるような余裕もない。関門トンネルを抜け、再び門司で機関車の交換を見届ける。ここで2つの列車に分割されはやぶさ号が先に出発することになった。先月はダイヤの遅れがあったが、今日はここまで定刻通りの運転である。博多を過ぎたあとも列車は順調に走り続け、何事もなかったかのように熊本に到着した。ここでも大勢の人が列車を取り囲んで記念撮影会となった。そんな様子をしばらく見守ったあと走り去る列車の後姿を見届けることになった。「最後まで見届けなくちゃね…」たまたま隣にいた人が話しかけてきた。あらためてそういわれると確かに寂しいものである。
熊本駅からは路面電車で繁華街の方へと向かうことする。白いおしゃれな低床車は2両編成で、2両目の車両には女性の車掌も乗務していた。通町筋で下車したあと、アーケード街を抜けて藤崎宮方面へ向かう。そういえばまだ初詣にも行ってなかったな…。折角なので藤崎八幡宮へ寄ってお参りをしておくことにする。正月が明けてしばらく経ったところなので人の数もそれほど多くなく、落ち着いて参拝することができた。その後、藤崎宮前駅へ戻り、熊本電鉄に乗り継いでいく。見覚えのある車体はもともと東京のど真ん中を地下鉄として走っていたものが、ここでは人家の軒先のようなところをゆっくりと進んでいく。いわゆる第二の人生ってやつだろうか?北熊本で乗換のために一旦下車すると、ここで待っているのは元東急の5000系、下ぶくれの姿形と緑色の車体から「あおがえる」の愛称で親しまれていたが、全国にちらばった仲間たちはすべて引退してしまっている。唯一最後まで残ったのがここ熊本で、最近、あらためてこの緑色に戻されたとも聞く。この先いつまで走っていられるのか分からないが、まだまだ元気な姿で活躍してもらいたいものである。車内には昭和32年製造を示す銘版をはじめ、東急時代のままのつり革、大昔はよく利用していた車両だけにとても懐かしく思った。特に非常ブレーキを操作させるための取っ手の説明に『非常時は赤玉をひっぱってください』とあるのを見つけたときは思わず笑ってしまいそうになった。
上熊本へ到着し、名残惜しいが最後に小さなプラットフォームからあおがえるを見送る。ふと思い起こすと、どこか雰囲気のあるかつてのJR上熊本駅はもうそこにはなく、新幹線の工事の影響もあって簡素な駅になっていた。あらためて切符を買いなおし、鹿児島本線の普通列車で大牟田へ向かう。車窓からも新幹線の工事現場が確認できたが、着実に工事は進んでおり、いつか新幹線が開通したあかつきにはまた乗りにこなければならない。コミュータ便といえど足回りはとても軽やかで、ほどなくして大牟田へ到着、今日はここから西鉄特急に乗り継いで天神まで向かうつもりでいる。
1時間ほどして福岡天神に到着した。外は弱い雨が降り出している。思ったより時間は過ぎており、気温も随分と下がってきている。何かおいしいもので食べて暖まることにしようと思う。冬だから寒いのは当たり前だが、九州だから暖かいというのは少し乱暴すぎる。明日はもしかしたら雪になるかもしれないな…。
3日目
朝起きると外は雪がちらついていた。ちょうど成人式ということもあって大宰府からテレビの中継が行われていたが、映像からも激しく雪が舞っているのが分かる。残念ながら天気予報は当たってしまったらしい。まさか飛行機が飛ばないということはないとは思うが、これでは外へ出る気も失せてくる。と思ったところで仕方ないので、気を取り直して行動を起こすことにした。とりあえず今日は午後早めの便で羽田へ戻ることだけしか決めていない。大宰府は遠そうだし、あの天気じゃなぁ…。まぁ何とかなるか、と自分に言い聞かせて小雪の舞う博多の町へ飛び出すことにした。乾いた雪が北風に吹きつけられ着衣にまとわりつく。何てこった…などとつぶやきながらそれでもしばらく歩いていくと気持ち雪は弱くなってきてるようだった。ここからいつものように晴れたりすると凄いんだけどなぁ…。
10分、15分ほど歩いただろうか、櫛田神社にたどり着き、しばらくあたりの様子を見ておくことにする。櫛田神社は地元では「お櫛田さん」の愛称で親しまれ、祇園山笠祭りで有名なところである。もちろん、いまはまったくの季節外れなので見る影もないが、それでも舁き山と呼ばれる山車が飾られていたりして、多少は雰囲気を感じることができる。そほど広くもない敷地を行ったり来たりしてるうちにいつの間にか雪は止み、雲間からは薄日も差してきていた。言葉ではうまく表現できないが、不思議なパワーのようなものを感じずにはいられなかった。
閑散としたアーケード街を抜け、さらに歩いていき中洲を越えるともう間もなく天神エリアである。このまま雪は上がってくれると嬉しいのだが、上空にはどんよりとした雪雲が季節風に流されていた。朝起きたときは、これからどうなってしまうか心配したものだったが、これなら何とかなりそうである。天神に着いたところでバスに乗り継ぎ少し西の方角を目指すことにする。バスは途中で都市高速に入り、海寄りのところをショートカットしていく。高速道路を降りたあたりはいかにも新しく作られたという感じの風景だった。確かここらはシーサイドももちとかいう名前が付けられていたような気がするが、東京で言ったら幕張なんかの雰囲気に近いかもしれない。(余談:幕張は東京じゃないって?確かにそうですけど。)やがてバスはヤフードームのすぐ脇を通り、終着の福岡タワーに到着した。
降り立ったバス停は折り返し地点となっていた。ビル風だろうか、風がとても強い。まだ営業時間ではなかったので、しばらく周囲の様子をうかがうことにしよう。南側のプロムナードから見上げた姿はなかなか迫力があっていい。タワーの北側にまわるとそこは人口海岸の砂浜が続いていた。寒稽古でも行われるのだろうか、胴衣らしきものを身にまとった人の姿を多く見掛ける。さすがに冬のこの時期、こんなところでのんびり観光する気はしないが、夏場はかなり賑わいそうな場所である。海の向こうは海の中道だろうか、定期的に往復する船も出ているようだ。
高いところを見つけると、つい登りたくなる習性があるのは自分でもよく分かっている。ここ福岡タワーにもいつかは寄ってみたいと考えてた場所である。さて、あまり時間もないので営業時間前から並んでおくことにした。Webサイトを見たときは割引券のことしか気がつかなかったが、窓口の案内をみると誕生日の前後三日間は入場料が無料になるらしい。幸か不幸か、ちょうどその条件に合うのでここは遠慮なく特典を受けておくことにしよう。エレベータを待つホームからは上が見上げられるようになっていて、このタワーの大きさが実感できる。エレベータで一気に展望階まで上がると、そこは360度の大パノラマが開けていた。玄界灘から博多の中心部、さらにその先の筑豊の山々まで見渡すことができる。どうにか天気は持ちこたえてくれてるようで、視界もまずまずといったところだった。どういう仕組みなっているのか分からないが、強風にもかかわらずタワーは揺れを感じない。毎度ながら同じ感想になってしまうが、何時間でもボーっとできそうな場所だった。
何もしないでこのままボケーっとしていたい気持ちを抑えつつ、そろそろこの場を後にすることを考えなければならない。ひとつ下の階から下りのエレベータに乗り一気に降りていく。これでタワー見物はおしまい、あとは空港へと向かうことなる。先程タワーを見上げたあたりを歩いて行き、さらに住宅街を進めば地下鉄の駅に出られるはずだ。ふと振り返るとタワーが聳え立っている。ただの素人の感想かもしれないが、自然美とは違った人口建築物の美しさというものもいいものだなと思った。大きな道にぶち当たり、元寇防塁跡と書かれた碑が立つ交差点を渡ると西新商店街に突き当たる。最近では地方の商店街というと元気のない話題ばかりが聞こえてくるが、ここの商店街はいつも賑わっているという。しかし、まだ休日の午前中だったのでそれほのど人出ではなかった。
西新の駅からは地下鉄で一路空港を目指す。少し歩き疲れたかなと感じる。やがて終点の福岡空港駅へ到着、0系新幹線のとき以来なので、まだ来たばっかりのような気がする。ここまで来てしまえば、あとは帰るばかりなのだが、今日はもうネタを仕込んである。実はJAL便のファーストクラスを予約してあり、最後の楽しみにとってあった。明らかにANAのスーパーシートプレミアムに対抗したものだが、あちらもなかなか人気があり、満を侍しての登場といったところだろうか。国際線のサービスと比べてもそん色がないというのがウリ文句だが、一度でいいのでて実際に確かめておきたかった。当初は羽田-伊丹間からスタートしたサービスだが、その後札幌便と福岡便に拡大され、さらにこの1月から便数も増えたということなので、今回予約を入れてみた。羽田-伊丹じゃ空の上にいるのは1時間にも満たないし、ベルト着用サインが消えてる時間を考えると本当にあっという間なのであまりにももったいない気がしていたが、福岡便ならそれなりに時間はあると思う、、、と考えてしまうあたりは、まだファーストクラス常連になる資格はないのかもしれない。(笑)
ファーストクラス専用のカウンターでチェックイン手続きを済ませ、その脇にある専用通路を進むといきなりセキュリティゲートがあった。もちろんファーストクラス専用なので並ぶ必要はないが、これだけの客のために常設するのだから贅沢といえば贅沢な話である。さて、ゲートの先は専用ラウンジになっているのだが、もともとあったサクララウンジを2フロアに改造しただけらしい。サクララウンジといえば、本当の上級会員だけの空間であったはずだが、今回の自分のように冷やかしの一見さんでもお金さえ出せば入れてしまうので、どこか戦略が間違ってるような気がしないでもない。まぁ、サクララウンジに入る資格のない人間がそんなところで文句を垂れるのも思いっきり矛盾してるのだが…。(苦笑)とりあえず、食事に影響がない程度のに飲み物を1、2杯だけいただくことにした。
出発時刻が迫りラウンジを後にする。扉の先はすぐに搭乗口となっており、そのまま優先搭乗で機内へ乗り込む。そうあるチャンスでもなく悪い気はしない。担当CAさんの挨拶を受けたところで上着を預け、白の革張りのシートに腰を下ろす。座席ピッチに余裕があっていいのだが、以前ANAの国際線機材のプレミアクラスに乗ったときはこんなもんじゃなかったような気もする。続いて、サービスできる時間に限りがあるので、離陸前にまず飲み物と食事の注文を聞かる。12時を少しまわったところなのでお昼にするにはちょうどいいタイミングである。ところでこのファーストクラスだが、普通運賃+8000円という価格設定がなされている。8000円という値段については、人それぞれ価値観が違うので一概にどうとは言えないが、運賃の方は多少割引が効くので、うまくすればそれなりの値段で利用することができる。もともと大阪や札幌、福岡といったドル箱路線は割引率もそれなりによく、また今回はお昼ちょうどという一日でも中途半端な時間だったので割引率が高く設定されている。結果、2万円強でFクラスが利用できてしまい、まったく手が届かないような値付けではないと思う。さて、定刻からわずかばかり過ぎたところでドアクローズ、東京へ向けて出発することになった。
水平飛行に入ったあとベルト着用サインが消え、すぐに食事と飲み物サービスが始まった。といっても、カートで一度に運んでくるわけでもなく、また飲み物も個別に準備してから一緒に運んでいたので意外と手間がかかる作業のように見受けられた。それともうひとつ小さく楽しみにしていたのが森伊蔵で、根が貧乏性なので思わず注文してしまったが、聞くところによるとファーストクラスのひとつのウリでもあるらしい。食事全体の印象としては、そこそこうまくまとまっていてよかった。夕食以外は軽食扱いなので量は多少もの足りないが、追加でおにぎりやうどんなどが頼めるので注文するとよい。実際、かた焼きそばを追加してみたが、これは正解だった。多少慌しくも空の食事を満喫し、お茶とコーヒーをいただいたあたりでもう間もなく着陸態勢に入る時間である。西日本とは違ってこちらの天気はまずますだろうか、丸い形をした利島を見送ったあたりでベルト着用サインが点灯された。
いつものように房総沖をまわりこみ左旋回すると羽田へ向けて徐々に高度が落とされる。あれ、右側に座ったはずなのにアクアラインと海ほたるが見えないな。この時期なら西から北寄りの風が強いので通常なら南側からのアプローチのはずなのに、、、それとも横風判断でBランに降りるのだろうか。やがて陸地が近づき大きく機体を傾け13号地上空で左旋回して滑走路を目指す。この降り方は一番ダイナミックなパターンだ。でも、何となく違和感を感じる。右正面には新幹線の車庫がありドクターイエローの姿がはっきりと見えた。沖合い側のC滑走路へ向かっているのは確かだが、少し高度が高いのか16Rで離陸を待つ飛行機が横ではなくやや下の方に見える。すると、大きなエンジン音とともに機体は再び急上昇、あっという間のゴーアラウンドだった。機内は静まり返り、何ともいえない不穏な空気が漂う。
しばらくしてCAからアナウンスが入る。「ただいま機長の判断により着陸のやり直しを行うことになりました」以前、大島空港で緊迫感のあるゴーアラウンドを経験したが、羽田では初めてのことだ。「お急ぎのところお客様には大変ご迷惑をお掛けいたしますが…」別に急いでないので問題はないが…。「詳しいことにつきましては情報が入り次第…」おいおい、理由は分からんのかい。後ろを振り返るとこの機を追うようにして2機ほどCランの上をローパスしたようだが、滑走路には異常はないように見える。ようやく機長から、風向きが急変したため着陸をやり直すことを決めたとのアナウンスが入った。前後で何機か同様にやり直しをすることになったようなので、あまり心配することはないようだ。まぁ、こっちとしてはファーストクラスに座ったまま30~40分余計に遊覧飛行してくれるので、逆にありがたいくらいなのだが。(笑)この後、東京湾を南下し館山沖で折り返して、木更津上空を通ってあらためて羽田へ向かう進路をとる。新D滑走路の工事が進む上を通過し無事にA滑走路へランディング、最後に予想外の出来事が起きてしまったが、お陰で記憶に残るファーストクラス初フライトとなった。