■旅日誌
[2006/4] 黄金見聞録
(記:2006/5/21 改:2021/7/17)
(記:2006/5/21 改:2021/7/17)
仕事の方で一区切りついて鬼のように大変だったプロジェクトからひとまず卒業することになりました。しばらくは人間らしい生活を取り戻すことを考えたいと思いますが、とりあえずGWが目一杯とれそうだったのでちょっと珍しいところへお出掛けすることに…。ということで、今回は種子島と屋久島をまわってみることにしました。もちろん、オプションも考えてあります。
※下線部をクリックすると写真が表示されます
※下線部をクリックすると写真が表示されます
1日目
仕事の区切りがついたと同時に大きく変わることになった。この先どうなるか分からないが、あの嵐のような忙しさからはしばらく解放されることになるだろうか。気持ちも体もすっかりボロボロだったので、ちょっと非日常モードになることを考える。といってもそうも無理はできないので、まぁ4~5日といったあたりでスケジュールを練ってみることに…。ところで、先般のダイヤ改正後もふるさと銀河線の廃止といい、地方受難の厳しい状況は続いている。これまでそれ程興味がなかったので気がつかなかったが、神戸空港にはじまり新北九州空港の開港と華々しいニュースの影で、最近離島便の定期路線廃止が結構多いことを知った。
そんな中、新北九州空港のニュースに隠れて種子島空港が同じ日に新しくなって移転していた。最初は、頑張ってるな~くらいにしか思わなかったが、種子島空港絡みで、今年の9月にYS-11が役目を終えるということを知る。というよりまだYS-11が現役で飛んでいたんだ…というのが正直な感想だった。で、そのYS-11が4月末の種子島路線をもって離島便から退役するという。ラストフライトか…混むんだろうなぁ~と思って予約状況をみると、その便だけが満席だった。2、3日して何の気なしに様子をみると、なんと1席だけ鹿児島→種子島に残席が出ている。いつもの悪い癖で「残席1」という誘惑に負け、すかさず予約を入れる。というわけで、これを軸に急遽GWの予定を組むことにした。
去年の知床もそうだったように、屋久島も以前から一度でいいから足を踏み入れたいと思ってた場所だった。もちろん本格的な登山は遠慮しておきたいが、種子島とあわせて雰囲気だけでもいいから実際に体感しておきたいものだ。今回は思わぬところからそのきっかけがつかめたわけである。さて、4/30の午後一に鹿児島へ到着すればいいのでそれなりに余裕はあったが、羽田からひと飛びでは少々物足りない。ということでどこか寄ることを考えてみた。すると逆に日程がきつくなり、何かうまい手がないかもう一度悩んでみる。富山ライトレールの開業も頭を過ぎったが、神戸空港を経由するルートを選択する。ポートライナーの乗りつぶしにも都合がいいし、うまい具合に昼間の時間帯に神戸=鹿児島便があるので、午前中に新幹線で移動すればちょうどいいタイミングになりそうだ。
いつもよりやや早い時間に家を出てまずは新横浜へ向かう。忘れちゃいけない定期券の解約を済ませておく。GWの初日ということもあって新幹線の予約もいっぱい入ってるようだった。500系のぞみを見送って新大阪行きの増発便に乗り込む。これから1週間先は天気にも恵まれるだろうと言っていたが、もしかしたら今日は場所によっては雨にあうかもしれない。ついこの間の大阪行きで通ったところなど眺めながら新大阪駅へと到着した。ここからは寄り道の前の寄り道的な感じで赤川鉄橋へと向かうことにしていた。距離的にも時間的にも散歩するにちょうどいい感じである。
少々距離はあったが、崇禅寺駅と柴島駅を経由して淀川べりまで歩いてやってきた。脇の国道の交通量は多いものの広い景色は清々してとても気持ちがいい。目的の橋まではさらにもうちょっと距離がありそうだ。上空は伊丹空港へ降りる飛行機が頻繁に飛び交っていた。
毎度ながら(?)詳しい説明はできないが、正式には赤川仮橋といって単線の貨物線ともう一線のスペースが歩道という構造になっている。歩道の部分は木でできており、なんとも不思議な感じのするところだと聞いていた。それも淀川を渡るので結構な距離がある。実際目にしてなるほどと思った。歩道の方は頻繁に人の往来があり、自転車に乗ったまま渡る人の数が意外と多い。散歩がてら(サイクリングがてら?)やってきては記念撮影していく人もいるので、それなりに有名な場所でもあるらしい。日に何本か貨物列車が通過するようだが、時間も分からず今日はその姿を見ることはできなかった。もし赤いディーゼル機関車に出会えたら確かに嬉かったかもしれない。そう遠くない時期に貨物専用から旅客線に転換されるときくが、その前にもう一度くらいは来てみたいものだと思った。それとなく橋を一往復して今日は去ることにした。
再び徒歩で移動し、阪急の淡路駅まで出てきた。地下鉄堺筋線との分岐駅でもあるので、頻繁に列車がやってくる。駅近辺の雰囲気や川べりであることなどは、関東でいったら墨田区や足立区の方に雰囲気が近いかもしれない。軽く昼飯を済ませて、ここから阪急電車を乗り継いで三宮を目指す。西宮までははっきり覚えていたが、朝早かったせいかうっつらうっつらしてしまい、気がつけばもう三宮に着くところだった。
三宮でポートライナーに乗り換えて一路神戸空港へ向かう。気がつけばここも開業してから二十年以上経ち、随分と風景も変わっていた。高速道路も整備され路線がこんなに妙にくねくねしてなかったようにも思うが、節操もないつくりに閉口する。今日はGWということもあり、時刻表に記載されたない増発便が出ていた。以前単線でぐるっとまわっていた区間は複線となり、そのうち一方が本線として神戸空港に向かって伸びていた。かつて遊園地だったところは閉鎖され、残った観覧車などちょっと不気味に見えた。空港自体は20分弱で三宮から来れてしまうので便利といえば便利かもしれない。
神戸空港は意外と小さかった。小洒落たお店もあり飛行機を利用する人以外の訪問者も多いと聞くが、セントレアのような本格的な国際空港に比べてしまうと単なる地方空港でしかない。搭乗手続きを済ませしばらく目的の便を待つ。ひっきりなしに関空に降りる飛行機がすぐ近くを低空で飛んでいるのもやはり気になる。搭乗した鹿児島便の機材=A320は地方幹線向けのスペックだが、着席率は30%といったところでGWの最盛期だというのに先行き不安を覚える。建物の展望台に目をやると、対照的に物凄い人の数である。鹿児島行きは定刻の出発となった。東に向かってぐんと滑走を始めたかと思ったら、離陸してまもなく加速を緩め、低い位置で急に右旋回を行う。進行方向は真逆になり右手にいま飛び立った空港と神戸の街並みが見えてきたが、関空へ降りる飛行機はまだこの機の上を飛んでいた。西にはすぐ近くに明石大橋があり、今日は着陸便がそちらからのアプローチを行っていたので本当に狭い空間を縫うようにして飛行機は飛んでいるようだ。しばらくして再び上昇・加速をやり直す格好になった。
九州山地を見ながら高度を下げ鹿児島空港へと着陸した。今日はとりあえずここまでであるが、明日午前中もてあそぶことになってしまうので、指宿まで足を延ばしてみることにした。バスで1時間半ほどの移動になる。しばらく高速道を行って、錦江湾沿いの国道を南下する。指宿へ到着したときはすっかり日も暮れていた。さて、今日は歩き疲れたことだし、今夜は温泉三昧といこうか。(後日談:その後、指宿を再訪する機会がありました。そのときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
2日目
昨日はスケジュールをうまく組んで効率よくまわれたが、今日は今日でまた欲を出してひねりを加えてみようと思う。行きがけに最南端の駅である西大山へ寄ってみることにする。いつものように早起きして指宿から7時過ぎの下り列車に乗り込む。枕崎までは一度乗りつぶしで来たことがあるのだが、天気も悪く素通りとなってしまったのであらためて訪問してみることにしていた。次の山川まで海沿いに進み、内陸へと入っていく。残念ながら今日の天気もいまひとつで、低い雲が立ち込めている。やがて姿を見せた開聞岳も頂の方は雲がかかっていた。自分だけかと思ったが、家族連れが下車してきて少々うざったい。静かにたたずむことしか考えてなかったのだが、どうしてくれよう…。(苦笑) 何もこんなところではしゃぐ話題でもないないのに、ガキどもはずーっと騒いでいる。おいおい、そういうことはよそでやってくれよ。雰囲気ぶち壊しのまま、次の上り列車で折り返すことになった。
再び指宿で鹿児島中央行きに乗換える。1時間ほど錦江湾沿いに行けば鹿児島中央へとたどり着く。そういえば朝起きてから何も口にしてなかったので軽く何か食べておくことにしよう。ここからは連絡バスで鹿児島空港へ直行する。まだまだ余裕があるのでラウンジで時間をつぶし、それから昼メシにする。いつもそうだが、特にやることがないときは食べることしか考えが及ばない。セキュリティエリアに入り右側に進むとJAC便への搭乗口がある。しばらく移動し外に目を向けると、プロペラ機が何機も停留していた。目的のYS-11も一番奥でスタンバっている。離島便のラストフライトということ自体がニュースになるようで、大きなVTRカメラを持ち込んでの取材も行われていた。もちろんそれを目的に集まって来ている人が多いのは、ぱっと見でよく分かった。チケット購入時はネットでの座席指定は受け付けていなかったが、西大山にいるとき携帯TELでチェックインすると座席指定が可能なステータスになっていたので、何気に窓側にしておいた。便利な世の中である。
特にセレモニーは行われなかったが、搭乗案内時に種子島へのラストフライトであることがアナウンスされた。取材の撮影が入るのもあまり気分のいいものではない。それほど距離はないがバスに乗っての搭乗となる。タラップから乗り込む前に機体の姿を写しておく。「ありがとう日本の翼 YS-11」と大きく描かれたこの機材は現役4機の中で一番古いものである。(後日談:このときは残り4機でしたが、この後すぐに1機が退くことになりました。)遠目には分からなかったが、リベットむき出しに塗り重ねられた塗装が独特の雰囲気をかもし出していた。機内に乗り込み指定された席に着席する。座席のテーブルも頭上の荷物入れもないのはご愛嬌か、古さは否めないが国産機ということもあって日本語の表示類に親近感を覚える。YS-11の定員は60名程で1200mの滑走で飛び立つことができるため、離島便など地方のローカル線には今でも持ってこいというわけだ。それにしてもこのフリートが40年間も飛び続けていたことを考えると驚きだ。事情も分からず頑丈に作りすぎたといわれるように実はまだまだ飛び続けることはできるらしいが、民間機への自動衝突防止の搭載が義務付けられたことにより一線から退くことになったという。すべてが合理的に考えられる今の世の中からすると、何とも隔世の感を覚える。満席の状態でドアロックされ、やがてエンジンが起動された。あのブーンという独特のエンジン音が機内に響き渡る。わずか30分あまりのフライトだが、実際にどんなあんばいか確かめたい。
滑走ポイントについてエンジンが本始動する。YS-11は、なぁにいつも通り…と言ってるかのように平然と加速し、ふわっと離陸した。その後もふわん、ふわん、といった感じでやさしく上昇していく。低い雲を抜けるまでは揺れが気になったが、ベルト着用サインが消え水平飛行に入った後は恐ろしく安定していた。今日は特別な日ということもあって、CAから記念の搭乗証明書が配られた。封筒の中身を取り出すと『YS-11』という文字が立体的に浮かびあがるなかなか凝ったデザインになっており、今日が種子島最後の日であることもきちんと記してあった。こういうものを手にすると妙にうれしいものだ。もう乗れないものと諦めてたYS-11に、それもこんな記念すべき便に乗れたのはとてもラッキーなことだと正直思った。(後日談:退役間際にもう一度YS-11に乗る機会がありました。そのときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
水平飛行の時間はほとんどなくあっという間に高度を下げることになってしまう。いったん種子島の上空を過ぎて南側の海上を旋回したあと、島の東側から種子島空港へアプローチすることとなった。台地の上に真新しい滑走路が見える。古い機種だけあってキャプテンは体全体と全神経を使って操縦しなければならないといわれているが、ランディングの瞬間の衝撃も少なくYS-11はその滑走路を持て余すようにして新種子島空港へ着陸した。
う~ん、あまりにも名残惜しい。タラップを降りた後も比較的自由に写真を撮ったりすることができる。都会の空港にはない妙にのんびりとした感じがまたいい。折り返しの鹿児島行きが本当のラストフライトになるのだが、それに合わせてセレモニーが行われるようだ。何度か振り返り、"彼女"の晴れの姿を記憶にとどめることにして、この場を後にした。オープンしたての新種子島空港は打ち放しのコンクリートデザインが目立つとても垢抜けた感じのする建物だった。手配していたレンタカーを受け取り、今日はこれから種子島の南側を回ってみることにする。丸一日あれば全島まわれたかもしれないが、ちょっと時間的に厳しいので、ある程度めぼしをつけておいた。いきなり空港を出てみたものの右も左も分からない。何となく道を進んでいくとやがて自分が走っているところが分かってきた。唯一の国道に入りしばらくして看板を頼りに、宇宙センターのある方を目指す。普段乗ってる車が贅沢過ぎるのか、この非力な車にも徐々に慣れてきた。途中、景色のいい海岸に出くわすものの、人の姿はどこにもない。普段とはまったく違う時間がそこには流れていた。
宇宙センターの敷地を示す看板はあるものの、道はまだ先まで続いている。ロケットが発射されるときはここらから立ち入り禁止になるのだろうか。大崎射場の近くを通りしばらく走ると、展望台のようなところがあった。遠くに発射台などの施設が見える。実際こうして自分の目で見るのもちょっと感動ものだった。「うわぁ~すげぇや!」と思わず声を出してしまう。とりあえずこのまま宇宙科学技術館まで行ってみることにしよう。
宇宙科学技術館に到着してしばらく中を見学する。外に出てみると周囲はきれいに整地され、遠くまで緑が際立っていた。時間がもったいないので、ここからさらに南下し門倉岬を目指すことにした。見かける車の数は少なく、忘れたころにすれ違うくらいだった。程なくして島の最南端である門倉岬へと到着した。ここ種子島は鉄砲伝来の地であることは小学校で習ったとおりで、その記念碑も建っている。遠く海岸線に目をやりながら一休みする。温暖な気候であることは周囲の生い茂るソテツを見ればよく分かる。本当に遠くまでやってきたな…という実感がじわじわとわいてきた。
門倉岬を後にし、しばらく北上する。台地状の地形に道は一直線にのびており、両側は農地として開拓されていた。これが離島の辺境地の雰囲気といってもいいのだろうか。思い切って途中で左折し、島の西岸へ出てみることにした。農道というより山道といった感じのさびしい道を下りていくと、やがて海が見えてきた。その向こうにはうっすらと屋久島の姿も見てとれる。海岸沿いを北上し島間港を通ってさらにその先まで行ってみることにした。開けた景色の中、誰も通ることのないいい道が続く。快調に飛ばしていくとあるところから急に道幅が狭くなり、くねくねとした山道になってきた。そうこうしているうちに、元の種子島空港の近くへやってきたようだった。時間も押してきてたので、再び国道に出たところで南下する。しばらく進み、南種子の中心部へやってきた。車を返す前に寄るべきガソリンスタンドを確認し、残り時間をみながら最後に宇宙ヶ丘へ寄ってみることにした。ここもあまり人の姿はなく、展望台に立って周囲を見回したりする。遠くにロケットの発射台が見えるのだが、実際に打ち上げられる姿を想像すると本当に見たい気持ちが強くなってきた。
都合110キロくらい走ったようだが、最後にガソリンを満タンにして車を返す。ついでにここで明日の朝のタクシーを手配する。それほど離れてはないが今夜の宿まで送ってもらう。半日走ってみて地理的にも感触がつかめたところで、さぁこれからという気もしないでもないが、いろいろあった1日もこれでおしまいとなった。宿に着いて不意に携帯が鳴り、まさか仕事?と思いきや、明日泊まる予定にしていた宿からである。手違いとやらで準備できる部屋のタイプがちょっと違ってしまうとのことでとても恐縮してる様子だったが、全然問題はないと伝えておいた。
3日目
今日はこれから屋久島へ渡る。以前は西之表からしか船が出ていなかったらしいが、いまは南種子近くの島間港からも高速船が出ている。今回はそいつを利用する。ちょうどうまい具合に10時に屋久島へ向かうトッピーがあり、そいつに乗ると10時半頃に宮之浦へ着くことができる。翌朝屋久島を発つとして、ほぼ1日使うことができる。昨日話をしておいた通り、タクシーを利用して島間港へ移動する。待合所で乗船券を受取り座席の指定を受ける。ちょっと早過ぎたか、まだ誰も来ていない。やがて某有名ホテルの貸し切りバスが到着すると一気に賑やかになった。10時をまわったところで、湾の外側からトッピーが入ってきた。水しぶきを上げてまだ浮かんだ状態である。減速して接岸し乗り込むと、飛行機のようにシートベルト着用サインが出ていた。島間を出航し外海へ出るとこれから浮上するとのアナウンスが入る。ぐんぐん加速しいつの間にか浮き上がっていたようだ。時速70~80キロは出ると聞いていたが、飛んでいるように滑らかで揺れは少ない。つい最近大きな事故を起こしたのはまだ記憶に新しいが、妙に納得した。
あまり天気はよくなく屋久島の島影がかすに見える程度だった。距離にしてどの程度離れているのか分からないが、所要時間は約30分、あっという間の到着だ。減速・着水して宮之浦港へ入港し、トッピーを後にした。外へ出て、名前が書れたプラカードを持ったレンタカー屋の人のお出迎えを受ける。こんな感じで待たれるのもちょっと小恥ずかしい。営業所はすぐ近くにあるのだが、一応車での送迎ということらしい。早速手続きを済ませ、まずは白谷雲水峡へ向かうことにした。今日も小ぶりのリッターカーで島内を"攻める"ことにする。対向2車線のいい道も途中までで、そのうちすれ違いも困難な山道になった。まぁ想定の範囲内なのでさほど気にもせず先へ進む。しばらくするとノロノロ運転の車にはまる。自分のことで手一杯とみえて、なかなか追抜きもさせてもらえない。前を行くタクシーとともにようやく前へ出ることができた。自分の運転がうまいか?と聞かれてもそれほど自慢できるようなものでもないが、それなりにペースよく走れば不思議とすれ違いもうまくいくものである。小さく非力な車だが、左右にハンドルを切りながらスルスルと山道を行くのも何となく楽しくなってきた。
ふもとから15キロくらい上ってきただろうか、目的の白谷雲水峡へと到着する。最後の方は路駐の列がひどくなったが、奥まできちんと来れば駐車スペースは用意されていた。本格的な登山をするつもりはさらさらないが、早速散策に向かうことにしよう。入場料代わりといっては何だが、供託金を一応お納めする。散策コースとはいえアップダウンがきつく、日ごろの運動不足解消のレベルより上をいってるような気がする。弥生杉など見ながら、それほど深いところへは来ていないつもりでも、あまりすれ違う人はなく、存分に森の雰囲気にひたることができた。
それでも一時間くらいウロウロしただろうか、駐車場まで戻ってきてそのままふもとへ引き返すことにした。往きと同様、帰りもすれ違いで気をつかう場面はあったが、山道を楽しむようにして下ってきた。地のものでも探してそこらでのんびりお昼にでもしよう。元気を取り戻してから島を一周してみようと思う。地図をたよりに左回りで島の北側を進み、まず最初に屋久島灯台を目指す。海岸沿いの一本道は他に迷いようがない。やがて灯台への入り口へやってきたが、鬱蒼とした木々の中にこの先600mという看板が立っている。先ほどの山道より狭く多少勇気がいるが、ここは覚悟を決めて一気に入り込んでしまおう。
ちょっとドキドキしながら灯台のところまでやってきた。外洋に突き出た地形になっており、風がとても強い。澄み切った晴れとはいかないものの、遠くまで見渡すことができて、この風景もまたとてもすがすがしい。知ってか知らずしてか、訪れる人の数は意外と多い。灯台をあとにすると、再び外周する県道に戻りさらに西へ向かう。遠く口永良部島の島影もみることができた。道幅が極端に狭くなったあたりからは西部林道と呼ばれ、看板にもあるように世界遺産に指定された地域を通っていくことになる。もう既に生活道路ではなく、人間の方が"よそ様"で、途中鹿や猿に出会う場面もあった。なかなかいい場所だと聞いていたが、サファリパークのようにいかにもつくられたという場所とはまったく違う。
そんな自然の雰囲気を感じながらしばらくいくと、やがて大川の滝へと出てくる。ここからは道幅も広がり時折集落らしきものもぽつぽつと現れてきた。ちょっと意識してすれ違う車を気にしてみると、自分が乗ってるのと同じ車種の「わ」ナンバーが多いことに気がつく。時折右手に見える海岸線は荒々しく、東シナ海に浮かぶこの島の環境がおのずと知れる。左手に聳え立つ山肌が一段と美しいく思える場所にきたら、ちょうどそこには例の某有名ホテルの入り口だった。今日は最後にヤクスギランドへ行ってみようと思う。交通量が増え、安房の町中へ入ったあたりでヤクスギランドへ通じる道の入り口がある。午前中と同様、しばらくはセンターラインのある広い道が続くが、途中からまた狭い山道となった。
とりあえず頑張ってヤクスギランドまで登ってきた。もしかしたらもっと先まで道はあるようだが、駐車場に車を止めいったん降りる。屋久島は月に35日は雨が降ると例えられるように、雨が多いところである。足元の状態から、今日もつい先ほどまで雨が降っていたようだが今はうまい具合に落ち着いている。ここでも供託金を払って、もらったパンフレットを見ながらコースの説明を受けた。30分、50分、2~3時間コースとあるうち、とりあえず弱気モードで30分コースにしておいた。縄文杉など奥深くまで行こうものなら、5~6時間のトレッキング、いや"登山"の覚悟が必要だ。もちろん興味がないわけではないが、気軽にやって来た身なのでおのずと答えは決まってくる。それでも、千年杉やくぐり杉など、見るべきポイントはいくつかあるし、そんな有名な場所でなくても、森の中を歩いているだけで十分だった。いやぁ、本当に来てよかったと思う。
帰りの山道を下ってる途中、あまりにもペースの悪い車に捕まってしまったので、行きがけに気になってた風景が開けた場所で一呼吸おくことにした。う~~ん、それにしても絶景である。このまま何時間でも見ていられそうである。非常に名残惜しいが、あまり遅くなるのもいやなのでここらで去ることにした。安房まで戻り、再び周回する県道で先へ向かうことにした。屋久島空港の前を通過し宮之浦へ戻ってきたときは何となくあっけなくも思えた。1周すると大体100キロになるらしいが、時間的にも気持ち的にも今日一日もまた十分満足できるものだった。
レンタカーを借りたときに大体の場所を聞いてたので、迷うことなく宿へ着くことができた。いま車を返しても明日にしても料金的には変わらないので、今晩は借りたままにして明日の朝、空港近くの営業所で乗り捨てることにする。チェックインをしていると何やら紙袋を渡され昨日のTELの件のお詫びということで、お土産までいただいてしまった。案内された部屋は十分広く海も山も眺められ、こっちは気ままな一人旅なのでかえって恐縮だった。しばらくゴロゴロしたあと、食事が準備された部屋へ向かう。大広間には部屋ごとに料理が並んでおり、すでに食事を始めてる人もいる。早速箸をつけることにしよう。過度な期待はしてなかったが、うんうん、悪くないんじゃない?!何だ、天つゆがないな、、、と思ったら、どうやら添えてある粗塩でいただくようだ。何気に周囲を気にするとどうもメニューが2種類あるらしい。自分のところには丸々姿を残した飛び魚の天ぷらがついており、盛られた刺身の種類も全然違う。天つゆバージョンじゃない方=目の前のご膳の方が明らかにアッパークラス(?)で、貧乏性の身にとってはこんなことでもちょっと嬉しいものだった。いやぁ、満足、満足!!
4日目
本当なら2、3日はかけるべきかもしれなかいが、突然思い立った屋久島訪問も、慌しくも十分満足できるものだった。朝食を済ませ、最後に10キロほど車を走らせ屋久島空港へと向かう。ガソリンを満タンにして車を返すと、ここでも目と鼻の先なのだが空港の建物までこの車で送ってもらった。朝一の便は9時半頃で、今日も効率重視でいくことを考えている。おとといの種子島へはYS-11の感動的(?)なラストフライトだったが、GW期間中の臨時便としてここ屋久島にも5月の数日間だけそのYS-11が密かに就航している。目的の便は違ったが、まぁよしとしよう。鹿児島からやってきた機材は最近トラブル続きで一躍有名になったQ400である。ダッシュエイトとも言われるように、ジェット機にも引けをとらない性能と静音性が売りなのだが、こうトラブルが頻発するとやっぱりちょっと気になるものだ。
屋久島空港はこじんまりとした建物で、中の雰囲気もどことなくのんびりとした感じがする。離島の空港とはこんなものなのだろう。ネットでのチェックインができなかったため、窓口で発券と搭乗手続きを済ませる。簡単な扉ひとつ向こうは、セキュリティエリアというより田舎の駅の待合室といった感じで、もうしばらくここで待つ。係りの案内で鹿児島行きのQ400へ向かう。どことなくすらっとしたデザインはJACでもこれからの地方路線の主力機種になるという。荒々しい山々を右手に見ながらダッシュエイトは屋久島を後にした。
鹿児島に戻るフライトも30分とあっけない。久方ぶりの鹿児島空港で次の便の乗り継ぎ待ちとなる。JACカラーのプロペラ機が何機も駐機してある光景もこう見ると懐かしい気さえしてきた。その中にあのYS-11の姿もあり、今日は福岡便の運用に就いていた。本当のラストフライトまで残り数ヶ月、無事役目を果たすことを願いたい。(後日談:再度YS-11に乗ったときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
ここから東京行きに乗ってしまえばお昼には帰れてしまうが、もちろんそんなことはしない。(笑) どうせなら…ということで、今日はなぜか広島西飛行場へ向かうことにしていた。何年も前に広島には立派な空港ができていたが、昔の空港が今も細々と使われているのが妙に気になり、うまい具合に今日の行程に組み入れることができたというわけである。トランジットは1時間、何とも絶妙なタイミングである。なんだか妙に気になったマンゴージュースを飲みながら、離着陸する飛行機をしばらくボーっと眺めてるうちに搭乗時間となった。最後はまた普段お目にかからない機種であるSAABである。JACで使われているフリートでも小ぶりのもので、東京で見かけることはまずない。定員は30名ほど、一気に大量輸送することよりもサイズを小さくしてフリークエンシーを高めることが狙いであるが、SAAB社はもう生産をしてないらしい。他社でもニーズはあるようだが、この機種が増えることはもうない。
バスで移動し中に乗り込む。機内はとても狭く1+2席が10列ほど並んでいた。後方の指定された座席に着席すると、すぐにエンジンが始動する。先ほどのQ400には比較にならないほど正直かなりうるさい。それでも座席の2/3は埋まっているだろうか。小型のコミュータ便は鹿児島空港を飛び立った。パワーは知れたもので、巡航速度も飛行高度もジェット機とは勝手が違い、地上の景色もよく見える。九州を抜けしばらく海の上を行き、その先に陸地が見えてくると広島は近い。左手に見えた立派な滑走路は岩国基地のようだ。宮島上空を通過し高度を下げ、そのまま突っ込む形で広島西飛行場へのアプローチとなった。
広島西飛行場も不思議なくらいひっそりと営業している感じだった。地理的には広島の中心街から近いのだが、これ以上滑走路を延ばすこともできず、中国地方最大都市のニーズに見合うだけの設備を整えることはできない。寂しい雰囲気の中、しばらく中心街へ行くバスを待つ。移動途中、なぜ飛行場を撤去しないのか!といったようなニュアンスの看板が目に入る。よそ者には分からない何か深い事情がありそうだ。(後日談:結局、広島西飛行場はJALの大幅リストラのために定期便の運航がなくなり、2012年11月に飛行場としての役割を終えることになりました。)
紙屋町でバスを降りて、とりあえず食事にする。今度はここから今治へ向かう長距離バスを使うことになる。バスセンターというところから長距離バスは出ており、出発の時間までもう少しあるので、あちこち見ながらそこらでダラダラと時間をつぶしていた。今治行きは満席の様子で、早めに予約をしておいて正解だったみたいだ。実はその予約がなかなか取れなかったのだが、どうも2、3日前に全通したしまなみ海道のおかげでバスの運行ルートの決定に時間がかかったらしい。結局、今治までの所要時間は20分ほど短縮されたようである。バスはほぼ満席で出発し、途中さらに人を乗せたため補助席を使うほど混雑していた。長距離路線でこれほど込んだバスには乗ったことがない。広島ICから山陽道に入り尾道まで東に進み、いよいよしまなみ海道へと入っていく。天気もよく眺めは最高だったが途中寄り道するわけにもいかず、今度は自分の車で来たいものだと思った。
ぽつりぽつりと途中で客を降ろしながら今治へと到着した。四国に渡って今治に立ち寄る理由はまったくないが、とりあえず高松へ移動する。ここで東京までの乗車券と、経路からはみ出る多度津-高松間の往復分を買っておく。ついでに特急券も購入しておこう。次の上り特急まであまり時間がなかったので、急いでホームに上がる。松山からやってきた特急はGWの多客期間中は全車岡山行きになってしまうため、高松行きは多度津で乗換えが必要とのことだ。ちょっと面倒である。運よく窓際の席に着けたので、しばらく夕景を眺め見て行くことにしよう。JR四国のこの特急に乗るのも初めてではないが、走りっぷり、乗り心地は抜群によい。夕日に照らされた石鎚山の姿と瀬戸内海の景色もまた素晴らしいものだった。
多度津に到着したときはすっかり日も暮れてしまっていた。ここで高松行きの特急に乗り換える。こちらはあまり混雑していなかった。暗くなってしまったので外の様子はもう分からない。瀬戸大橋を渡るのはいつ以来だろうか、ちょっと記憶が怪しいが、もうライトアップはしてないのだろうか?四国方式(?)で、車内で特急券が回収される。ふと見ると東京までの乗車券が新幹線経由になっているではないか、今治で「新幹線経由か?」と聞かれたのではっきりと「違う」と答えたはずなのに…。念のため高松の改札で確認すると、料金も変わらないので構わない、途中下車も問題ないということだった。
高松駅の外に出ると風が強く肌寒かった。今回の旅は行く先々で寒かったり暑かったりと、何となく落ち着かない。実はYS-11の残席を押さえたときに、ざっと計算して今日のサンライズ瀬戸を先に予約してしまっていた。連休後半の頭だったので無理かなと思ったが、シングルDXが空いていたので思い切ってそいつを買っておいた。なかなか設備が素晴らしいとのことなので、いい機会になりそうだ。屋久島もそうだが、帰り道に広島西飛行場としまなみ海道を経由するというのは実は後づけで、不思議とぴったりはまったのは我ながら関心していた。まだ時間があるのでその辺で晩御飯を済ませ、サンライズがやってくるのを待つ。この高松駅も立派になってしまったが、ホームで行き交う列車など見ながらしばらく時間を潰していた。
5日目
カレンダー的には今日から"GW本番"かもしれないが、自分的にはもう満足して帰路についていた。しかし、順調にいけば東京駅には3日の早朝に着くことになるので、なんとなくまだもったいないような気もする。トラブルが起きて長時間かかっても構わないのではないか?と不謹慎なことを考えてはみたものの、定刻ぴったりに東京駅へ到着した。やはり車両が新しいだけあってサンライズのシングルDXは非常に快適だった。というか、他の列車の車両の老朽化が目立ってしまい格差が生まれてしまってるといった方がいいかもしれない。
あっけなく東京駅へ着いたあと、隣のホームは特急東海が折り返しで出て行くところだった。ヘッドマークがくるくると変わるので1枚1枚写真に収める熱心やからもいる。確かに東京駅で「セントラルライナー」なんてのを見ると、不思議な気にもなる。今日5/3はGWに出張してくる伊豆急のリゾート号の出発式がここ9・10番ホームで行われ、既に賑やかな雰囲気だった。個人的には式典もテープカットもあまり興味はないが、折角なので列車だけでも見ておこう。黒光りした「黒船号」が10番線へ入ってくると一段と騒がしくなる。この華やかな雰囲気も悪くない。全車指定かと思いきや、自由席もあったのでこのまま乗っちゃいそうになったが、もちろんそこは自粛(?)する。(後日談:リゾート踊り子には別な機会で乗車する機会がありました。旅日誌はこちらをご覧ください。)
リゾート踊り子を見送ったあと"えきなか"で朝食を済ませる。ところどころぷらぷらしながら、新宿駅へとやってきた。連休の頭で特急が頻繁に出ている。なぜ新宿へやってきたかというと、ひとつおまけに考えてたネタがあり、3月のダイヤ改正で東武とJRが手を結びスペーシアの新宿乗り入れが実現して、今日そいつに乗ってみようと企んでいた。偶然にも今日5/3限定でスペーシア日光が運転されるのでそいつに狙いを付けていた。普段日光行きを担当するのはJRの車両なので、東武の車両が日光行きとして運用されるのは珍しい出来事のようだ。(後日談:とはいうものの、開業直後の車両トラブルで早速スペーシア日光が登場していたのは、知る人ぞ知る事実ではあるのですが。)それにしても湘南新宿ラインと埼京線はひっきりになしにやって来る。あらかじめ筋を埋め込んでおかないとこの合間をぬう臨時列車なんて走らすのは、まず無理だと思う。
そんな慌しい合間にスペーシアが入線してきた。これも白状すると最初からこの列車を狙ってたわけではなく、本当に偶然見つけてのことだった。結果的に空席があって予約を入れたら珍しい列車だったというわけだ。当日は満席の予約になっておりスペーシアの人気の高さがうかがえる。もの珍しさも手伝ってか、写真に収める人も少なくない。そんな中、着いたら直ぐの発車となった。ここで解説するつもりはないが、東武とJRが手を組んだというのは歴史的な出来事だという人までいる。日光への輸送をめぐっては長い間ライバル関係にあったのは事実だが、こうして東武の看板列車がJRへ乗り入れて新宿に姿を見せるというのも興味深い話である。中に入ると、東武方式の座席表示の下にJR流の座席番号を示すプレートが貼られていた。隣は外人さんの団体で、終始大声で話していた。聞きたくなくても中途半端に話の内容が耳に入ってしまい、ちょっと気になる。(後日談:JR車に乗車したときの旅日誌はこちらです。)
過密ダイヤにしては快調にスペーシアは飛ばしていた。東武への渡り線がある栗橋で一旦停車し、ここで乗務員が交代となる。同じ直流1500V同士にもかかわらずデッドセクションがあり、徐行しながら東武線の路線へ入る。信号の混信を避けるためというが、万一止まってしまっても東武側から通電ができるらしい。鬼怒川方面へ向かうのだろうか、下今市でかなりの人が降りていった。日光連山を遠くに見ながら、スペーシアは終点東武日光駅へと到着した。
スペーシアの運用はことのほか厳しく、JRへ乗り入れるためにATS-P対応した編成に余裕はまったくない。今日こうして臨時列車を出してしまえば予備車はまったくないという。もともとスペーシア自体が過密運用らしいのだが、こういった話がうまくいけば増備されるだろうか。今度はJR特急の姿も見てみたいものだ。折り返し引き上げまでの間、ひとしきり見てまわりスペーシアを後にした。
駅前はこれから各地へ向かう人でごった返していた。青空に映える日光連山も垣間見ることができるが、乗ることだけが目的だったので今日はこれで帰ることにする。どうせなのでJRで帰ることにしよう。JR日光駅まではさほど離れてないが、ぱっと見の賑やかさではちょっとこちらは寂しい感じがする。とはいうものの、日光駅もまた歴史的に由緒ある駅で、そのつくりは立派なものである。落ち着いた雰囲気のする待合室で、先ほど買ってきたお弁当を開くことにした。
日光駅はSUICAエリア外で、乱暴な言い方をすれば単なるローカル線の終着駅である。乗りつぶし的な見方をすると、実は小学校の修学旅行で一度だけ通ったきりで、それ以来ということになる。もう何十年も前のことなので、もちろん記憶は怪しい。ほどなくして2両編成の折り返しの宇都宮行きが入ってきた。ロングシートの味気ないものだが、先の方にはGW期間中の臨時列車が停留されており、そちらにカメラを向ける人もいた。(後日談:日光線にはまた別の機会に来ることがありました。そのときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
田舎の風景が続く中、このローカル線の普通列車は宇都宮駅へとやってきた。今日の行程は食後のデザート的に考えてたが、最後は湘南新宿ラインで横浜へ戻ることにしている。今の時間帯なら新幹線を利用しなくても十分日の高いうちに帰宅できるかな?今回もいろいろ凝縮してしまったが、なかでも離島訪問はちょっとしたクセになりそうだ。