■旅日誌
[2006/8] 奄美、夏紀行
(記:2006/8/17 改:2009/3/14)
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連続して夏休みを取ることが難しそうだったので、振り返れば7月は無理して遠出してたように思います。とはいうものの、ちょっとだけお休みができそうだったので、どこかピンポイントで攻めてみることにしました。GWのときYS-11の離島便=種子島行きに乗りましたが、その後8月の多客期に期間限定で離島便に就くことを知り、JACのYS-11の原点ともいえる沖永良部島便に照準を合わせることにしました。といっても、いつものように気がつけば欲張ったスケジュールになってしまい、奄美諸島制覇に乗り出します。
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 1日目
ルート概略
【寄ったところ、乗ったもの】※詳細はこちら
奄美大島、喜界島
珍しいことに台風が3個同時発生していた。日本の南海は明らかに荒れ模様である。ひとつは台湾方面に逸れつつあるようだが、ひとつはゆっくりと本州に向かって北上している。なかでももうひとつは沖縄本島をめがけて、北は奄美、南は先島方面まで巻き込もうという勢いである。いやぁ、実にタイミングが悪すぎる。出発前日の沖縄便は、その前の日から軒並みキャンセルが決まってしまい、不安は募るばかりである。今回の目的地である奄美諸島はかろうじて強風域から外れており、どうにか飛行機は飛んでいるようだったが、時々刻々と変わる進路予想を見ながら、あとは順調に通り抜けてしまうことを祈るばかりだった。一方で迷走気味に本州に向かっていた台風もいつの間にか進む方向を東寄りに変えており、関東地方に向かってきている。おぉ、何たることよ…。
奄美空港
お天道様に祈りが通じたか、南の台風は沖縄を抜け大陸の方へと一直線に進んでいった。こちらに向かっていた台風も関東をかすめるような形でかろうじてパスしていった。この時期、南へ向かおうとすると台風の影響を受ける確率はどうしても高くなるが、まぁ今回も運がよかったということにしておこう。さて、許された時間はあまりない中、初日、タイミングよく午前の早い便で奄美大島へ渡ることにしている。その後、タイムテーブルを見ると、お隣の喜界島が往復できるので、思い切って予約を入れてしまった。今回はそんなノリでスケジュールを組んでしまい、実は明日2日目はもっとすごいことになっていた。(苦笑) それはそうと、夏休みだけあって朝の羽田は大混雑だった。一応指定された搭乗口へは定刻での出発案内がでており、どんな機種か気にしてみると、JAL EXPRESSのロゴの入ったMD-81が駐機されていた。う~ん、ちょっと微妙である。そんな妙な感想を持つようになったのも、最近とみに飛行機を利用する機会が増え、変なところに目が肥えてきたせいだろうか。時間にして朝8時半をまわったところ、羽田は朝の大渋滞のピークを迎えていた。JAL機とANA機が仲良く2方向から1つの滑走路に向かって合流している。前に控えてるのは9機、ドアクローズはほぼ定刻だったのに、あと15分は飛べないらしい。いらいらしても仕方ない。
あやまる岬
台風の吹き返しの影響はあったものの、そこそこ天気はよかった。しばらく東海道上空を行き、富士山の姿を確認する。走る新幹線や大井川の様子など目で追いながら、ついでに建設中の静岡空港なんかも分かった。ここらで本州を離れると、あとはひたすら太平洋上空を行くことになる。注意深く見ていると、外国のエアラインとすれ違うのも確認できる。奄美大島へはおおよそ2時間、それ程苦になる時間ではない。ある程度やって来ると、もうひとつの台風の影響を受けることになるが、雲が多く多少揺れるくらいでフライトには支障はなかった。島の上空で旋回し高度を下げ、もう一度同じ方向から奄美空港へのアプローチとなる。ひとことに青い海というが、藍色に近いマリンブルーと遠浅のサンゴ礁の部分のエメラルドグリーンのコントラストは上空からみても非常に美しかった。奄美空港は島の北端に位置し、内陸から移転した後はこうしてジェット機も楽に離着陸できるため、東京だけでなく、大阪へも直行便が出ている。そうか、JEXの機材は大阪に戻っていくんだな…。
奄美大島
とりあえず空港の建物の外へ出てみた。全身を包むむわっとした空気は南国にやってきたことをあらためて実感させてくれる。遠く眺め見ると、山々と大きな空が広がっており、普段とは違った別世界に足を踏み入れたことを感じる。当初はこれから1日かけて島内をまわってみるつもりだったが、喜界島往復を企んだこともありレンタカーの受取りを15時にしていた。ところが、喜界島に向かう便までに2時間近くあることから、前日になって受取りを早めることにしていた。空港の真向かいにある営業所へ直行し、早速手続きを済ませる。さて、よくガイドブックにも書かれてるように、あやまる岬へ行ってみることにしよう。空港へ着いてまず行くか、空港を発つ直前に寄ってみるのがいいといわれてるように、あやまる岬は車で10分もかからないところにある。先程、飛行機の中からも見えたが、どこかわくわくする気分を抑え切れなくなってきていた。
あやまる岬
毎度のリッターカーに乗り込み、あやまる岬へと向かう。道に迷うようなこともなく、本当に10分もしないで目的地へ着いてしまった。最後に路線バスとはちあわせになってしまいバックして道を譲ったあと、高台の駐車場に車を置き、早速海の見える方へと向かう。いやぁ、いきなりの絶景のお出迎えである。足早にもう少し先へ行ってみることにする。展望台から見る太平洋の景色はあまりにもスケールが大きく、どう表現していいのかまったく言葉にならなかった。もう少し海に近いところ>へ行ってみようか。人の姿もまばらで、どこかのんびりとした雰囲気がまたたまらない。
日本エアコミューター・JAC3833便・喜界島行き
突然スコールのような雨がやってきて、ふと我に返る。それこそ時間が経つのを忘れてしまいそうだったが、意を決して空港へ戻ることにした。雨は1分も降ってなかっただろうか。ちょっと身軽になるため、大きな荷物は車に置いておくことにする。喜界島へは、一応、奄美経由で乗り継ぎの扱いになるようで割引運賃が適用されていた。とりあえずもう少し時間がありそうなので、ここで昼食をとっておこう。最初は何でもいいくらいにしか考えてなかったが、何気なくたのんだ鶏飯丼というのが結構いけてる。こういうちょっとしたことが嬉しかったりするものだ。おっと、ちょっとのんびりし過ぎたか喜界島行きの出発時間が迫っている。急いで手続きを済まなければ…。
喜界空港
これから先利用する離島間のコミュータ便は、すべて同じフリート=SAAB340Bが運用に就いている。(余談:機体の塗装ですが、JACオリジナルカラー以外にも、新しいJALのデザインだったり、よく見ると但馬空港のステッカーが貼ってあったりと、何種類かバリエーションがあります。ちなみに但馬空港のステッカーが貼られてたのは、機体番号から先日但馬から利用したときと同じ機材でした。こんなところで再会するとは…。)座席の位置も予約状況を見ながら搭乗手続き時に決めてもらうパターンである。座席は8、9割埋まっており、荷物の積み込みに若干時間を要しているようだった。喜界島までのフライト時間は約5分、ちなみに獲得マイルはたったの16マイル、一応タイムテーブルはあるもののどことなくアバウトである。奄美空港を離陸し、先程見てきたあやまる岬を眼下に見下ろし、十分な高度にまで上がる間もなく着陸することになった。喜界空港へは、ドスンというような感じでランディングする。空港の建物の横にある大きな屋根のスペースは送迎デッキの役目を果たしてるようで、大勢の人たちがこちらを見ている。喜界島は、これまで寄ったことのあるどの島よりも小さく、本当の意味での離島へやってきた感じだった。今日はすぐさま戻らなければならないので、残念ながら十分にみてまわることはできない。が、帰りまでの1時間を使えば、空港近くなら歩いてまわれそうだ。真っ先に帰りの便のチェックインを済ませ、さっそく辺りを歩いてみることにした
喜界島
喜界島奄美大島の東二十数キロのところにあり、奄美側からも島影が分かる距離にある。サンゴ礁が隆起してできた島だが、島の中心は小高い山のようになっている。空港から少し離れ、日常の何気ない風景を目にする。垣根がわりの緑に平屋の建物は南の島の家のつくりであることが分かる。続いて空港の向こう側にある海水浴場へ向かってみることにした。いやぁ、この開放感がたまらない。もうしばらく歩いていくと、ちょっとした変化のある海岸が続き、見慣れないサンゴ礁と岩場の光景だった。先程乗ってきたSAAB機はどこかへ飛び立ち、別の飛行機が降りてきた。1時間ほどだったが一周して空港の建物に戻ってきたときは、汗は噴き出し、露出してた腕は強い日差しのおかげでヒリヒリしていた。空港の狭い建物は入りきらない程多くの人でごった返しており、隣の屋根のある場所も見送りの人で溢れんばかりである。往きとは別のSAAB機奄美へ戻ることになる。滑走路の端で一旦機を停止させ、その場でエンジン出力を全開にしブレーキをリリースして一気に加速していく。スタンディング・テイクオフとかいって、短い滑走路でも確実に離陸するための方法らしい。
SAAB340B
何事もなかったかのように奄美空港へ戻ってきた。時間は午後2時半をまわったところ、あとは時間の許す限り島内をまわってみようと思う。まずは名瀬に出て、先に宿でチェックインを済ませてしまおう。空港から名瀬の中心部までは二十キロほど、先程の喜界島とさほど変わらないのかと思うとちょっと不思議な感じもする。とりあえずこれで距離感をつかんでおくことにしよう。名瀬市街に入ると意外と交通量は多く、宿を探すのにちょっと迷ってしまったこともあって、チェックイン後、再出発するのに時間がかかってしまった。今日はこれから南に出て、できれば海岸に沿って一周してみたいが、戻ってくる頃には暗くなってしまうだろうか?まぁしかし、折角来たのだから、えーい、思い切って行ってしまおうか。
マングローブの森
島内唯一の国道である58号に沿って南下する。ここから先は山間の様子となるが、ところどころ新しいトンネルが開通しており、ペースよく先へ進むことができた。今回はどこを見てまわるか具体的に決めてなかったが、唯一考えていたマングローブの森の近くへと立寄る。一応、道の駅ということにもなっており、併設された有料の見学エリアやカヌーの体験コースなどもあるようだが、時間もないので本当にぷらっと立寄るだけだった。それでも手入れの行き届いた施設は居心地もよく、手作りアイスとやらを試しつつ少し休憩しておくことにした。国道に戻るとマングローブの森が見渡せるところがあったので、記念にワンショットおさえておく。引続きひたすら瀬戸内方面へと向かうことにした。
マングローブの森
国道を最後まで行ったところが瀬戸内と呼ばれる場所で、大島海峡を挟んで向こう側が加計呂麻島である。加計呂麻島もまた大きな島で、時間があれば見てまわりたい場所ではあるけども、さすがにそこまで余裕はないので遠くから眺めるだけにした。ここからしばらく西に向かっていくことになるのだが、複雑な形をした海岸に沿って道は続いており、これは予想以上に距離がありそうだ。まぁ深く考えても仕方ないので、先を急ぐことにしよう。山間の変化のある地形がそのまま海に続いているため、入り組んだ湾と山道ばかりとなる。静かな景色と青い海は延々と続き、気がつけばもうバスもやってこないような場所を走っていた。時折集落がある程度で、すれ違う車もほとんどない。道幅も狭くなってきてはいたが、頭の中を空っぽにしながらの快適なドライブはまだまだ続く。途中1、2ヶ所は名瀬方面に戻れる道もあったが、そんな中途半端なことはしないで、このまま海岸沿いを進んでいくことにした。
東シナ海
ひと山越えて東シナ海が見えてきたあとも入り組んだ海岸線と山道はずっと続いていた。徐々に日が傾いているのは確かに分かったが、日本の中でもかなり西に位置しているので時間のわりに日没は遅いはずだ。7時くらいまではライトをつけなくても十分走れると思う。西岸の県道にもショートカットするような形で新しいトンネルがいくつかあったが、まだ建設中のものもある。時折、地元の人の車に引っ掛かるものの、すぐに左ウィンカーを出して道を譲ってもらう。何だか心苦しい気もする。雲が多かったので絶海に沈む夕日というのも拝むことはなかったが、こうして初日は暮れようとしていた。ちょうど午後7時に名瀬港に差し掛かる。交通量が多い中、もうしばらくノロノロペースで宿の方へと向かう。さすがに二度目ともなれば迷うこともなかった。時間にして未だ7時半前か、、、計算通り?ちょうどいい時間である。さて、今夜も何か美味しいものでも探しに行くことにしよう。昼間とはまた違った意味での探索が待っている。
東シナ海
 2日目
ルート概略
【寄ったところ、乗ったもの】※詳細はこちら
徳之島、沖永良部島、与論島、YS-11
ニュースではイギリスでおきた航空機を狙ったテロ未遂事件のことを報道していた。今日はこれから飛行機にいっぱい乗るので、あまりいい気分ではない。明け方何時頃だったか、雨がざーっと来たような気がしたが、外に出てみて結構降っていたことが分かった。今日は手始めに朝一で徳之島を往復するため、少々早めの出発を考えている。相変わらず旅の朝は早い。昨晩もレンタカーは借りたままにしておいたので、そのまま奄美空港へと向かう。国道58号を昨日とは逆の方向に進み、途中空港に向かう県道にはまわらずしばらく国道を北上する。やや遠回りではあるが、何キロも余計にかかるわけでもない。笠利湾を左手に見ながらしばらく行き、国道の肩書きがなくなったところを右に曲がれば空港のちょっと先の方へ出てくることができる。小高い丘のようになったサトウキビ畑の中を朝日に照らされながら進むと、向こう側に太平洋が見えてきた。最後に空港近くのガソリンスタンドに寄って、朝8時の営業開始時間ぴったりにレンタカーを返すことにする。結局、自分が考えてたのよりも2倍近い二百二、三十キロは軽く走ってしまったようだ。TVニュースでもやっていたが、ここ奄美でのガソリン代の高騰ぶりは日本でも一、二を争うとのことで、まさかこんな感じで実感するとは思わなかった。
日本エアコミューター・JAC3841便・徳之島行き
空港の窓口も朝8時から開くようで、ちょうどいま開いたところだった。徳之島往復分の搭乗手続きを済ませ、出発の案内を待つ。この時間、徳之島へ向かう人は数名しかおらず、すぐの出発となった。右側の席に座ったので、奄美空港を離陸した後も島の様子がよく分かった。昔の空港だったところや、名瀬港、加計呂麻島など、雲の切れ間から確認することができた。徳之島までの飛行時間は20分ほど、島の上空で旋回して高度を下げてからの着陸となる。やっぱりあっという間の到着である。
徳之島空港
昨日の喜界島のような出迎えムードはなく、徳之島空港はとてもひっそりとしていた。空港の建物は外壁の工事など行っていたが、比較的立派な様子である。前振りの通り、今日は沖永良部島から鹿児島へ渡るのが目的だったので、徳之島に寄る理由はまったくないのだが、正直なところ空港めぐりの数稼ぎのような感じだった。徳之島といえば、闘牛やら特産品やらいろいろ見ておきたいものはあるのだが、すべて諦めてこのまま奄美へ戻ることにする。(余談:歳がバレてしまいますが、徳之島といえば泉重千代翁をおいて他にはないでしょう。銅像も建ってるとか…。)滞在時間は30分ほど、空港の周囲を何となく見ておくことくらいしかできなかった。外へ出ると1分もしないうちに汗が噴出し、思わず飲み物を購入する。徳之島へやって来た飛行機でそのまま奄美へ戻る。ここでもスタンディング・テイクオフとなり、離陸後上空を旋回し、瓢箪のような形をした島を後にする。やや高台になってるところもあったが、島全体としてはほとんど畑で占められてるようだった。それはサトウキビ畑なのだろうか。今日も天気はよく、青い海がとても印象的だった。
徳之島
再び振り出しに戻った感じで、今度は沖永良部島に向かう手続きを済ませる。当初は沖永良部島に3時間くらい留まるつもりだったのだが、数字のいたずらか、その間に与論島を往復できることが分かってしまい、勢いでそっちまで足を延ばすことにしてしまった。というわけで、目的地は与論空港沖永良部空港は経由地という扱いになる。一気にチェックインを済ませ、ついでなので帰路にあたる与論沖永良部→鹿児島のチケットも発券してもらうことにした。「エラブ経由で行き先はヨロン、日帰りでやはりエラブ経由の鹿児島行きですね。帰りの手続きはそれぞれの空港で行ってください。」そっか、、、地元じゃ"エラブ"って略すわけね…。
沖永良部空港
三度目となる奄美出発もこれが最後である。今度は左側へ座らされたので島の様子はよく分からなかった。指定された座席番号をみると非常口のところだけど、、、確か2、3日前に、非常扉が内側に脱落したトラブルがあった席じゃなかったっけ??ま、いっか…。沖永良部島は、位置的には先程立寄った徳之島を通り越したそのお隣にあたる。沖永良部島は航空機の通過ポイントになっているので、上空を沖縄やその先の東南アジアを目指す飛行機が頻繁に飛んでいく。それだけでなく、東西に伸びる飛行機雲の跡もあるので、大陸へ向かう航路もここら上空を通っているらしい。沖永良部島もサンゴ礁が隆起してできた島であり、徳之島より面積は狭く斜めに長い細い形をしている。とりあえず帰りにもう一度寄るので、外へは出ずにそのまま乗り継ぎを待つことにした。この時間、広くもない空港はガランとしていた。カウンターの職員も地元の人とみえ、顔見知りのお客さんとしきりに談笑していた。何とものんびりしたものである。
与論空港
一旦降りたものの、与論行きは先程と同じ機材になる。更に与論から戻ってくるのも同じ機になりそうなので、同じクルーに三回お世話になるのかな?沖永良部島から与論島までもさほど距離はなく飛行時間は15分、ここも上がったらすぐ降りてしまう。沖永良部島を出発し、まもなく与論島の島影が見えてきた。与論島もまたサンゴ礁が隆起してできた島で、沖永良部島に比べると更に小さな島である。もうここまで来ると沖縄の方が近く、RACが沖縄-与論間の便を飛ばしている。島の形は円形に近く、サンゴ礁が島を取り囲んでいることが上空からもはっきりと分かった。空港は島の北西部に位置し、海に向かって突き出ているような形をしている。空港の建物といっても本当に小さく、まさに別天地へ連れて来られた感じだった。思い切ってここでスケジュールを切ってしまうことも考えたが、もともと寄る予定もなかったし日程の都合でそれは実現不可能なことだった。未練は残るがトンボ帰りしなければならない。
与論島
とはいっても、ただ黙って座ってても30分は過ぎてしまうので、とりあえず空港の敷地の外へ出てみることにした。すぐ先は兼母海岸と呼ばれるビーチになってるはずだ。一軒だけだがちょっとしたお店もあり、その先でを見ておくことくらいならできそうである。そんな小さな期待を寄せながら、ヒリヒリ照りつける日差しを受けつつ先を目指すと、5分も歩かないで海岸にたどり着くことができた。白い砂浜に広がるサンゴ礁、押し寄せる波、人の姿はまったくない。ほんの数十メートルかもしれないが、砂浜を歩いてみることにしよう。サンセットビーチとも呼ばれるこの場所は、海がめの産卵場所にもなってるらしく、白い砂はサンゴ礁が砕けてできたものだろうか、気持ちキュッキュっと鳴いてるようにも思える。うゎぁ~こんな景色見たことないぞ、、、着てるものを脱いで泳ぎ出したい気分になってしまったが、そこはこらえなければならない。(笑) 時間にして10分くらいしかいられなかったろうか、確かにそこには時間が止まったかのような世界があった。大慌てで空港に戻る途中、30秒ほどのスコールの洗礼を受ける。だが、あっという間に強い日差しが再び照りつける。もう一度ここにやってくることはできないだろうか?本当に名残惜しい。
与論島
ここから沖永良部島に向かう人もそれ程いないようで、大半は仕事で島の間を移動するような雰囲気である。滑走路の端についてやはりスタンディング・テイクオフで一気に加速し上空へ上がる。果たして来てみてよかったのか、それとも見ないことにしておいた方がよかったのか、複雑な心境である。遠ざかる与論島の様子を眼下に見ながら、そんなことを考えていた。島を取り巻くサンゴ礁のエメラルドグリーンは怪しいまでも人を魅了し、後ろ髪を引かれる…とはまさにこのことだと思った。
与論島
沖永良部島に戻ったものの、フリーな時間は1時間半程度とこれまた中途半端である。まぁそこは割り切って、行けそうなところを考えてみることにしよう。沖永良部島は産業基盤が比較的はっきりしており、観光一辺倒というわけでもないという。確かにそういう意味では与論島と比較してみると対照的であることが分かる。洞窟探検も気になったが、そういった観光名所みたいなところは諦めて、何もない風景を求めて近くの海岸の方角を目指すことにした。道なりに1キロほど行くと灯台があるようだが、その辺でに出られないか、とりあえず行ってみようと思う。沖永良部島へ降り立つのも二度あったので、上空から道の様子など方向的なめぼしもつけておいたが、あとは迷わず進んでみることにした。照りつける日差しはいっそう強くなり、かなりの高湿度のお陰で一気に汗が噴き出す。だが、不思議とそれも心地よい。滑走路沿いにしばらく道を下り、ひたすら大海原の方へと歩いていく。吹き抜ける風と遠く海の方から聞こえる波音以外何も聞こえない。今まで経験のしたことのない感覚を覚える。どうにかうまく勘をはたらかせ海岸まで出てくることができた。ゴツゴツとした岩の間を縫って、更に波が寄せる方へと向かう。与論島でみた砂浜とは違うが、手付かずの自然が織り成す景色に心惹かれないわけがない。本当に今日帰らなければいけないんだっけ?そんなことを考えるとやっぱり惜しい気がしてならなかった。
与論島
遠回りにはなるが灯台の近くを通って一周してこられそうだったので、もうしばらく歩き続けることにした。もちろんそんな物好きは他にいるはずもない。ふうふういいながら滝のように流れる汗を拭い、ふと遠くを見上げるとセスナ機がこちらに近づいてくる。遊覧飛行だろうか、それも悪くないかもしれない。空港に戻って時計を確かめるとまだ午後1時半前だった。空に、海に、これだけいろんなところをほっつき歩いたというのに意外と余裕がある。時間がもったいないので最初から昼食は諦めかけてたが、軽く食事をとっておくことにした。ほどよく空調が効いた建物の中で、水分とエネルギーを補給して元気を取り戻す。そうこうしてるうちに、鹿児島からYS-11が到着し、乾いた甲高いエンジン音を周囲に響かせながらやってきた。建物の上はテラス状になっており、目の前で様子を見ることができる。機体に記された番号を見ると、種子島のときとは違った機材だったが『ありがとう日本の翼』の文字がペイントされていた。
沖永良部島
JACとしてYS-11が最初に就航したのが、鹿児島とここ沖永良部島を結ぶ路線だったという。ちなみに沖永良部空港のレストランの名前もそのものずばり"YS-11"。敬意を表して9月30日の本当のラストフライトも鹿児島-沖永良部島線と発表されており、惜しまれながらの退役も少々複雑なものを感じる。前にも書いた通り、夏休みの中でも今日11日から20日までの多客期限定で、YS-11がこの沖永良部島線に就くというのが、今回、奄美諸島訪問を思いついたきっかけだった。実際には1日3往復あるうちの1往復SAAB機が担当する便の代役ということになるのだが、おかげでこんな素晴らしい旅にすることができた。あらためて感謝したい。語呂合わせ的に毎月11日は何やら特別な日とされており、ちょうどうまい具合に頑張って取れた休みの日とタイミングが合ったのも、本当に何かの縁だったのだろうか?
沖永良部島
鹿児島からやってきたのは満席の様子だったが、ここから鹿児島へ戻る便は若干の空席があるようである。まぁこれからお盆の前後が本当のピークだろうが、単に往復するのを目的とした"物好き組"も少なくない。夏休みらしく、子供だけの冒険旅行(?)みたいな姿もちらほら見受けられる。そんな感じで、午前中あれほど静かだった空港もさすがに騒がしくなってきていた。搭乗口へ向かう列の後ろにはさっき与論島を往復したクルーも並んでおり、当番から外れてこれから鹿児島へ戻るような様子である。空港の敷地の外にもこちらにカメラを向けている人の姿がポツリポツリと見えていた。結局、出発したのは定刻から10分ほど遅れてのことだったが、もちろんそんなことはどうでもいい。
沖永良部空港・YS-11
短い滞在だったが、これで今回の離島訪問もすべて終わりとなった。鹿児島までの飛行時間はおよそ1時間半、ジェット機なら大阪まで行けてしまう時間かもしれない。YS-11沖永良部空港を離陸し、やはり島の上空を旋回しながら高度を上げていった。スピードという点ではジェット機と比較するのも意味がないが、プロペラ機も悪いことばかりではない。相対的に低い位置を低速で飛ぶので、眼下の様子がよく分かる。小さな島をいくつか見かけることがあったが、そんな眺めも悪くはない。このYS-11だが、気のせいか座席数のわりにキャビンアテンダントの数が多いようだった。今日は「11日」で「YS-11」の日ということなので、以前ももらった特別の搭乗証明書が配られていた。飲み物サービスも行われ、あの肘掛から引き出す小さなカップフォルダーを利用することになった。先程与論便を担当していたCAは前の方に普通に着席していたが、スタッフの一人が気を利かせ一人旅の女の子をその非番のCAさんの横に移動させ座らせていた。マニュアルにそういう細かな記述があるかどうか分からないが、心憎い連携プレーに関心したりもする。(後日談:例のCAさんですが、ちょっと気になったので後でググってみたら、JACの中でも人気のある方だったようです。で、そんなこと調べてどうするんだい?>自分)
日本エアコミューター・JAC3804便・鹿児島行き
西側から日が差し込むようになり、気がつけば薩摩半島の上空に差し掛かっていた。錦江湾に面した指宿の石油コンビナート基地から、大体の方角をつかむ。最後に桜島の雄姿を間近に見ることができたのはちょっと嬉しかったかもしれない。定刻より多少遅れたものの、沖永良部空港からやってきたYS-11は無事鹿児島空港へ到着した。暗くなるまでにはまだ時間はあるが、あとは鹿児島市街へ出て投宿するだけである。いやぁ、それにしても今日もまたかなり密度の濃い一日だった。そりゃぁ~そうだろ、船にも乗らないで全部飛行機でまわったんだから…。
YS-11から見た風景
 3~4日目
ルート概略
【寄ったところ、乗ったもの】※詳細はこちら
鹿児島、日豊本線、にちりん、富士
今回は日程の制約から、帰りに寄り道するということをあまり考えないようにしていた。とはいうものの、少しは変化をつけたい。ということで、時間がないと言いながらも、陸路東京へ戻ることにしてみた。更にどうせなら…ということで新幹線は利用しないという条件をつけてみる。それは夜行を利用することを意味するが、悲しいことに鹿児島から東京へ直接向かうすべはない。選択肢も大分か熊本を経由する2つの寝台特急しかない。細かいことを言うと大阪まで行くのもあるが、新幹線は乗らないと決めたので、それも選択肢から外す。おっと待てよ、熊本(八代)-鹿児島間も新幹線が走ってるではないか…。肥薩線か肥薩おれんじ鉄道という手もあるが、そんなわけであまり根拠はないが日豊線まわりで大分から富士号を利用することにした。昨日鹿児島に戻ってきたときはもうすでに夕方に近かったので、今日あらためて大分へ移動することを考える。正直なところ一日もてあそんでしまうかなと思ったが意外とそんなこともない。とりあえず午前9時の宮崎行きの普通列車で乗り、南宮崎にちりんに乗り継ぐと大分には15時過ぎの到着となる。富士の出発は16時台なので、思ったほど間が開いてるというわけでもない。
鹿児島中央
今朝はゆっくりと朝食をとる。もう随分と時間が経ったような気もするが、思えばまだ二泊目である。変な席に座りたくはないので、余裕をもって鹿児島中央駅へ向かうと目的の普通列車は既に入線していた。先に出発する宮崎行きのきりしまに乗ったとしても時間的メリットはないのでそいつは見送る。その出発前に何気なく目にしたスリーショットを収めておく。今日も日差しが強かったので、南側の海寄りの席を避けるか迷ったが、結局あの桜島の姿を見たかったので海側に座ることに決めた。先に特急が出て行った後も、乗り込んでくる人はどんどん増え、2両編成の普通列車はかなり混雑してきた。半分までブラインドを下げ、出発を待つ。
鹿児島中央
対面に座ったおじさんもブラインドの下から仕切りに外を眺めていたので、窓の景色がとても気になっていたらしい。錦江湾沿いに出ると、朝日に照らされた桜島が姿を見せてくれた。隼人、国分と主要な駅に着くたびに乗客は降りていき、やがて車内はがらんとしてきた。霧島神宮で更に人の数が減り、ワンボックス占有を決め込む。列車は霧島高原の難所越えに挑む。しばらく行った都城あたりから、徐々にではあるが再び人の数は増えてきた。宮崎空港へ降り立つ飛行機の姿が見えたところで、一旦列車を降りる。南宮崎駅は日南線との分岐駅だが、空港を結ぶ列車が行き交うところでもあり、多くの列車がここを通り過ぎていく。こんど乗り継ぐ特急電車がやって来るのはおよそ30分後、乗り換えのタイミングとしてはまぁいい方である。今日もじっとしてるだけで汗が噴出してきそうだ。ようやくやって来た列車はハイパーサルーンタイプで、ARIAKEのロゴが残ったままだった。車両中央にある出入り口から乗り込み、空いてる方のキャビンへと進む。
桜島
特に指定を取っておくような必要もなく窓側が埋まる程度で、それ程混雑してるというわけでもなかった。それにしても空調の効きがあまりよろしくない。最近ちらっと聞いたところによると、担当する会社が手を引いたことにより、九州を走る特急から軒並み車内販売の姿が消えたらしい。どうやらこの区間を走るにちりんも例外ではないみたいだ。ちょっと気が早かったが、鹿児島で食料を調達しておいて正解だったようだ。出発したのは正午ちょうど、早速お昼にしよう。その後も日向灘や、リニア実験線の名残りなどを見ながら、まったりとした時間を過ごす。延岡に着くと休止に追い込まれた高千穂鉄道の車両が寂しく停泊しているのがすぐに分かった。1回だけやって来たことがあったが、いま思えばあのとき思い立っておいて正解だったようだ。
にちりん
この先で、日豊本線の山場ともいえる宗太郎越えに差し掛かる。あまり目立たない存在かもしれないが、九州に点在する難所のひとつである。確かこの区間は過去に一度通過したことがあり、そのときは雨に見舞われた記憶がある。今日は天気もよく、移りゆく車窓の眺めもまた清々しい。宗太郎駅で交換待ちをするあたりから、下り列車の遅れの影響を受け出し、大分到着は定刻から数分ずれ込んでいた。慢性的な遅れは相変わらずのようだ。大分で降りたところで、早速今晩と明日の朝の食料を調達する。長距離をいく夜行列車だというのに、食料と飲み物を事前に用意しておかなければならないというのも、よくよく考えれば理不尽な話である。もう一本あとのにちりんでも乗り継ぎには間に合うのだが、そんなわけで大分へは早めに着いておきたかった。駅を離れて食料だけ調達して戻ってきたときには、ゴロゴロと雷が鳴っていた。そのうち雨も降り出し、やっぱり早めに行動しておいて正解だったようである。
富士
意外とぎりぎりになって、富士は入線してきた。その名にふさわしくかつては日本一の距離を走り抜けた列車だが、いまはどんな状況にあるのだろうか。実は、いくつかある正統派の九州ブルートレインにも、最初から最後まできちんと乗ったことがなく、今回も思い切って奮発してシングルDXを予約していた。出発まで時間がないので、いつものように機関車の姿を納めておき、指定された部屋に向かうことにした。この車両はもとから個室寝台として作られていたため、同じA寝台個室でも他の種類のものと比べるとやや狭いつくりになってしまっている。「独房」なんて言い方をする人もいるが、さくらが引退したあとはやぶさとの併結が決まったタイミングで内装に一部手が入り、明るく落ち着いた感じで新しくなっていた。(後日談:2009年3月のダイヤ改正で富士とはやぶさが引退することになりました。惜別乗車の旅日誌はこちら
富士
大分を出発すると、すぐに別府湾が見えてくる。案内によると今日は満席の予約が入ってるとのこと。車内検札を済ませ、あとはゆっくりと流れに身を任せるだけだった。途中、中津駅で後続のソニックに抜かれる筋が引かれているが、もちろんそんな細かいことは気にしない。それでも長距離列車の遅れを広げないために、普通列車の方に遠慮してもらってるようで、時刻表では先に出発してるはずの普通列車を待つ客がこちらを恨めしそうに見ている姿も分かった。門司に到着したときは定刻から4分程遅れ、これから道中ともにするはやぶさ号もお隣で待機している。そのはやぶさ号の方が、先の待避線に一旦引き上げ、こちらの富士号に向かってバックで近づいてくる。そういえば、むかしさくら号で同じ場面に遭遇したことがあったが、あのときは列車の中に留まっていたっけ…。ここからははやぶさ・富士号として、12両編成で東を目指すことなる。今日は何となく下関でも機関車の付け替えを見ておきたかったので、部屋には戻らずデッキで関門海峡を抜けることにした。下関駅での停車時間は5分、手早く作業は行われ定刻から3分遅れでの出発となった。まぁ、この先余裕はあるのでいくらでも挽回は効くだろう。さて、ここらで食事にでもするか。夜の帳はそこまでやって来ていた。(後日談:その機関車ですが、あとで写真を確かめるとあのときさくら号を引いていたのと同じEF66-48号機でした。)
はやぶさ
あとはもう本当にやることがない。外を見ようにも、窓に映った自分の顔が見えるだけである。そこで部屋の明かりを消してみると、意外と流れる風景が見えるではないか。おお、これはいいぞと思い、しばらくそのままでいることにした。満月ではないが、昇ったばかりの月は赤くあたりを照らしている。徳山、下松、柳井と過ぎていき車内放送の案内は一旦休止となる。ここら辺りから瀬戸内海沿いを行くことになるが、この月明かりでぼんやりと向こうの島影も見える。海面に反射する月の光が何とも幻想的だ。こんな景色が見られるとは思いもよらなかったが、あまりにも美しかったのでダメ元でデジカメのシャッターを切ってみた。果たして何か写っただろうか?
富士・はやぶさ
広島を出たあとセノハチの辺りで眠りにつき、翌朝気がついたら名古屋に到着するところだった。次の浜松到着から車内放送が再開され、車内販売も開始された。予想通り遅れは挽回しており、列車は定刻で走っている。浜名湖を過ぎたあと、ちょっと早いが身支度を整え始めることにした。掛川、菊川、金谷と車窓はお茶畑が目立つようになり、静岡を出たところで朝食にする。由比海岸に出ると太平洋の大きな景色が見えてくるのだが、曇よりとした空のせいか、いまいち感動が薄い。いや、そうじゃないかも、、、あれだけ青い海を見てきてしまったからかぁ?(苦笑) 沼津、熱海とその後も列車は順調に進んでいく。(後日談:実はこの旅日誌の原稿をこの辺で書いてました。旅行途中に書きとめるというのも初めてのことです。)一気に飛行機で飛んだ距離をあらためて確かめたいとの思いもあったので帰りは陸路にしたが、結局どうだったのか自分でもよく分からなかった。17時間かけて東京駅に到着、計ったかように定刻での到着となった。時間はまだ午前10時だが、今回はおとなしく帰ることにしよう。それにしても、本当にたった三泊、、、実質二泊だったとは思えないくらい中身は濃かった。スケジュールの妙というか、これだけはまると気持ちのいいものである。だがしかし、東京の蒸し暑さは気持ち悪いだけで何ひとついいことはなかった。数字的には似たような温度、湿度かもしれないのに、この違いは何だろう?
富士・はやぶさ