■旅日誌
[2009/7] 会津ひとふで書き
(記:2009/7/20 改:2025/1/1)
(記:2009/7/20 改:2025/1/1)
今回もほんの思いつきでしたが、特急あいづが国鉄色の車両を使って運転されるので乗り行ってきました。あかべえ編成を使って上野まで季節運転で遠征することはありますが、このようにリバイバル運転の形で運転されるのは珍しいことのようです。ちなみに往路は東武線まわりで鬼怒川へ出て、AIZUマウントエクスプレスに乗り継いで会津鉄道を利用しています。
※下線部をクリックすると写真が表示されます
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日帰り
たまたま、あるサイトをみていたところ、ツアーもので特急あいづに乗れる…というものを見つけ、締め切り間際だったが申し込みをしてみたところ、運よく座席が取れてしまった。となれば、何はともあれもったいないので、今日は日帰りで大回りの旅を決行する。今回選択したルートは、新宿から東武線に直通する特急を利用し、途中下今市から鬼怒川温泉まで普通列車を挟んで、AIZUマウントエクスプレスに乗り継ぎ会津若松へ出て、そこから特急あいづで上野まで戻ってくるというものになっている。
日光1号の出発時間は朝7時半、新宿までの切符はツアーに含まれていないので、別に用立てしなければならない。そういえば銚子に行ったときも、この時間にホームにいたような気がするけど、日帰りの大まわりともなれば、出発時間が早いのは仕方ないか…。JR-東武の直通運転が始まってからもうどれくらい経つだろうか?最初は物珍しさも手伝ってスペーシアに乗ってみたこともあったが、今日はJRの改造車の利用となる。リニューアル車といっても、種車は相当使い込まれており、シートまわりに改善はみられるものの正直なところ全体的な新鮮味は感じられない。まぁ、文句を言う場面でもないか…。ダイヤを見てみると、今日は日光81号(彩野編成でしょうか?)まで設定されていたので、それなりに需要はあるのだろう、、、きっと。(後日談:その後、485系車両は置き換えられることになりました。253系リニューアル車両のきぬがわに乗車したときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
車内は意外と混雑していた、、、と思ったのだが、どうやらツアー客が端っこの方にぎゅっと集められたらしい。列車は東京から埼玉へ入り、栗橋で乗務員が交代、その後ゆっくりとデットセクションを渡って東武線へ入っていく。車窓の様子はいつしか郊外の住宅街からのどかな農村風景へと変わっていた。下今市で普通列車に乗り継ぎ鬼怒川温泉へ向かう。この区間便は快速列車として浅草まで乗り入れてはいるものの、ちょっとくたびれたクロスシートやドクドクドク…と響き渡るコンプレッサーの音はどことなくローカル線の雰囲気をかもし出している。鬼怒川を渡り、ところどころくねくねとした路線をキーキーと軋んだ音を上げて進んでいく。やがて鬼怒川温泉駅へ到着、あらためてここで次の列車へ乗り換えなければならない。
会津鬼怒川線については、乗りつぶしの中で一度来たことがあったが、天気がよくなかったせいかあまりいい記憶がない。今日も素通りなので大きなことは言えないが、いろいろと見所もありそうなので、もっと時間をかけてまわりたい場所でもある。まぁ、その点は割り切って考えることにするか…。ここからはAIZUマウントエクスプレスに乗り替えて会津若松を目指すことになる。この列車はもともと名鉄に所属していたもので、高山線に乗り入れていた急行北アルプスの置換えとしてデビュー、装備も見直され特急に昇格したが、その後の情勢変化により活躍の場を失い、ここ会津鉄道に引き取られ今に至っている。優等列車として十二分に活躍できる列車だったので、いい転属先が見つかったと記憶している。ちょっとヘたれ込んできてるのは気がかりだが、一度は活躍している姿を見ておきたいと思っていたので、今回はいい機会になった。
列車は浅草からの特急に連絡してから出発となった。新藤原からしばらくは新しくできたところなので、トンネルと橋梁で直線的な路線が続く。やがて車窓の風景は山間の渓谷美と田園風景を繰り返しながら列車は会津地方を東へ向かって進んでいた。厳密にいうと、野岩鉄道、会津鉄道、JR只見線、JR磐越西線と3社4線区を行くのだが、特急料金など追加の運賃は必要としないので、なかなか乗り得感のある列車だといっていい。車内では途中地元ボランティアの方が利用者アンケートをとっていたが、全線に渡って着席率はそこそこ成績よく、これならもっと売込み活動など活発にやってもいいかもしれない。これからもぜひ頑張って欲しいものである。
会津若松へ到着し列車を降りる。少し間をおいて列車は喜多方へ向けて出発していった。このツアーには昼食一食分が含まれていて、駅売店でお弁当と引き換えられるように案内されていた。もう少し帰りの時間が遅くなっても構わないから街歩きするくらいの余裕は欲しかったが、乗り継ぎの待ち時間は40分程と中途半端で、結局のところ駅を離れることはできそうもない。しょうがないので、大きなあかべこを見てみたり、行き交う列車を眺たりすることくらいしかやることがないのだが、おととしの秋にSLでやって来たときのことが懐かしく思えた。さて、これから乗る列車が今日のメインイベンター、間もなくすると喜多方からやってきて会津若松でしばらく停車した後、進行方向を変えて上野へ向けて出発することになっている。そうこうしてるうちに国鉄色の車両が入線してきた。よくよく見ると、つい最近までムーンライトえちごとして活躍していたものらしい。(後日談:あとで家に帰って調べたら、やはりそうでした。二ツ目ライトが特徴らしいですね。)なので、新潟車ということでヘッドマークも行き先表示も「あいづ」用には準備されておらず、急ごしらえのハリボテだったが、まぁ遠目にはこれでもいいのだろうか。
特急あいづは会津若松を定刻に出発、磐梯山を右に左にと見ながら先を進んでいた。沿線には列車の様子を写真に収めようという人の姿がパラパラと見られる。よし、とりあえず、さっきのお弁当でも開けてみるか…。本当に最近はどこに行っても当たり外れが少ないが、地の素材をうまく組み合わせて、なかなかよくできていると思う。列車で食べる駅弁、カックンとしか倒れないリクライニングシート、いまどきではないモーター音にカラカラカラ…と鳴ってるコンプレッサー、どれもどこか時代を感じさせてくれる。まぁ、そんなタイムスリップしたような雰囲気も悪くない。郡山でタイミングをあわせるためしばらく停車し、あとは上野へ向け東北本線をひたすら走りるだけとなった。それでも新幹線と違って変化があり、特に黒磯のデッドセクションを通過するとき空調と車内灯が消えるのが印象的だった。臨時列車の宿命なので仕方ないが、飛ばしていけるところと、ゆっくり走るしかないところとが入り混じっていて、苦労してダイヤが引かれていたことは簡単に想像できる。最後になって赤羽からその筋の方がどっと人が乗り込んできて、パチパチ写真を撮ったり、乗車証明書をおねだりしたり、車販から記念グッズを買いあさったりしている姿はちょっといただけないかな??当然の権利だろうと主張されるとそうなのかもしれないが、追っかけならもっと追っかけらしく腹を据えて欲しいなかな。(苦笑)列車は無事に上野へ到着、うまく言えないが、旅行(りょこう)のはじまりは羽田でも東京でも別にどうでもいいけど、旅(たび)の終わりは上野が似合ってますね。