■旅日誌
[2003/4] 南九州を制覇するがね!?
(記:2003/5/22 改:2012/8/11)
(記:2003/5/22 改:2012/8/11)
お約束のゴールデンウィーク休みをフルに使って遠出をしてきました。最悪ともいえる4月の修羅場は何とか乗り切りましたが、例によって連休を休むためにまたてんてこ舞いな状態でした。でも、絶対休むぞ!という強い信念のもと(?)意地で仕事を片付けた感じです。ところで、気がつけば未乗路線も計算できるところまで減ったきた感がありますが、ここからが大変という説もあります。今回は前々から気になってた南九州をまずやっつけることが目標でしたが、なぜか帰りに中京地区をほっつき歩いてます。なんでだろう~~♪
※下線部をクリックすると写真が表示されます
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1日目
GWも近づきそわそわしながら日本地図をパラパラとめくり、気がつけば未乗箇所を目が追っていた。そのうち点が線となり、やがて5泊6日の行程が出来上がっていた。ということで脈略もなくあちこち歩きまわる旅の始まりである。いつものように余裕をもって予約など入れられるはずもなく、空いてる便を探していたらまた早朝便になってしまった。あまり深く考えずに羽田7時20分発と決めてしまったが、実はとても早い時間であることに後で気がつく。おまけに、前の日つまり連休前最終日に歓送迎会なんぞ急遽設定されてしまい、仕事とは違う疲労感が残っていた。(余談:いわゆる二日酔いではありませんが、仕事のしすぎか歳のせいか体力が落ちていたことは間違えありません。)普段も飲み会をやると誘われても時間どおりに行けたためしはなく、終了5分前とか10分前とかに滑り込むパターンばかりで、最初から参加できたのは100年に1度の奇跡かもね…などと周囲に冷やかされしまった。(余談:独り言ですが、いつも前金で何千円もとられて残り物だけで5分というのは悲しすぎます。)
始発とまでは行かないものの、5時台の列車にまずは乗り込むことになる。JRの蒲田駅から京急蒲田駅までカラス天下の商店街を歩いて抜ける。早朝羽田に向かうときはいつもこのルートだ。京急本線からの空港線直通列車は、これから飛行機に乗ろうと大荷物の人ばかりを運んでいた。自分もその中混じることになる。最近、宮崎、鹿児島へは大手以外の航空会社の参入もあり競争激化区間だと聞いていた。そうではあるのだが、「自分に都合のいい時間」を買うためには航空会社を選ぶ余地はない。ちなみにこの早朝便の着席率は4割程度といったところだった。地図も何も見たことがなかったので知らなかったが、宮崎空港は海に近いところに位置していて海側からアプローチは海に突っ込むような感じがする。ちょっとダサい表現だが、南国らしくトロピカルな雰囲気のする空港だった。(後日談:宮崎を再訪したときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
宮崎空港の脇へJRが乗り付けるようになったのがいつだか分からないが、高架で2面のホームからは空港の様子を見渡すことができる。宮崎駅までは特急列車も普通扱いになるので便利といえば便利だが、福岡などに比べれば利用客数そのもののポテンシャルは高いとは思えない。飛行機で一気に飛んできてしまったせいか、九州にいるという実感がいまひとつわいてこない。とりあえず宮崎駅まで移動しておく。当然のように朝食はまだだったので適当に物色することにする。駅寝や集会はダメ!という張り紙の文字を目で追いながらの朝食となった。1区間だけではあるがここまでで宮崎空港線が片付いていた。引続き今日は日南線を最後まで乗り通すことにしている。何年か前に九州を乗り回したことがあったが、ここ日南線と指宿枕崎線のふたつは日程的な制約を理由にずっと乗れずにいた。そこで今回はまとめて行ってしまおう!と決めたわけである。戸籍上、南宮崎が起点となっているようが、川を隔ててここ宮崎駅とのひと区間が単線になっており、何かとネックになりそうな感じもしないでもないが、こちらの宮崎駅の方は立派に立て替えられていたようだ。
目的の日南線の便はキハ単行で南宮崎から回送されてきた。今日は休日だけあって、こどもの国へ出向く家族連れなどで賑わっている。なので青島あたりを越えてしまえば、乗客の数はぐっと減ってきてしまう。もっと海沿いを行くのかと思ったが、ほとんどが山の中で、ふと気がつくと某お茶のCMで有名になったあの駅に着いていた。(後日談:日南線に再訪する機会がありましたが、そのときの旅日誌はこちらをご覧ください。)終点の志布志駅はかつては乗り換え駅であったが、今ではどれも廃止されている。日南線の先も1直線に道路が延びており、かつては列車が往来していたのであろう。駅舎は行く手を塞ぐように真横に立っていた。線路はここで途絶えているので来た道を引き返さなければならないところではあるが、抜け道ルートを調べてみたところ都城か桜島の近くまでバスで行けることが分かった。今回は錦江湾を横断するためにバスで垂水方面へ出ることにしている。バス停は駅から少々離れた国道沿いにあり、そちらへ向かってみると下調べした時刻の1本前の便が目の前で出発していった。10分ほど遅れていたようだが、まぁ乗り損なったというわけでもないし、次の便を予定していたのでその辺でも歩いて時間を潰してみる。おかげで、先程は気がつかなかったが駅近くの公園にSLが展示されているのが分かった。ついでにその横のスーパーで食料を調達することにする。今度のバスは時刻通りに来た。変化の少ないところとは聞いていたが、鹿屋など耳にした地名の場所を通りながらバスは垂水港までやってきた。桜島が噴煙を上げているのがきれいに見える。ここから湾をはさんだ向こう岸の鹿児島市街へフェリーで渡る。
フェリーのニーズは高く、運賃は低く抑えてあるようだ。したがって、このフェリーを使って行き来する車は意外と多い。わずかばかりだが快適な船旅が終わると、鴨池へ到着する。海上からも目立っていたが、妙に立派な建物が県庁舎というのはあまりにもお決まりのパターンではないかい??さて、ここからバスに乗り継いで鹿児島の中心街へ出てしまうのが便利なことには違いないのだが、鹿児島の市電を乗っておきたかったので郡元という地名のところまで歩いて出てみることにした。決して近くはなかったが、日もまだ高かったし滅茶苦茶暑いわけでもなかったので、それほど苦になるものでもなかった。(後日談:このときはそうでもありませんでしたが、筆者は自分でも予想外の距離を歩き通してしまうことがあるので、もし参考にしてルート決めるようなことがあればその辺は注意してください。)郡元からは西駅前経由の系統に乗り込み繁華街に近いところまで行くことにした。
何年か前に鹿児島へ来たときは、確か鹿児島駅からここらへ出てきていた。そんなことを思い出しながら市電を降りようとしたとき携帯が鳴り出す。嫌な予感はしたが仕事の方で何かトラブってるらしい。自分も関係しているような、してないような微妙なところだったので仕方なくしばらく電話でやり取りすることにした。ちょっと路地を入ったところにベンチがあったので、そこに座り個人の携帯を切って仕事で使っているPHSに持ち替えてかけ直すことにした。意外とこのPHSというのが肝で、気がつくと圏外になっていることもあるのだが、繁華街の真っ只中なので問題はない。最悪の事態も考え今回はノートPCも持ち歩いていたが、どうにか出動はしなくて済んだ。ちなみに、他にも連絡した人間がいたらしいがそいつは京都で捕まったと聞いた。自分も先程まで桜島を眺めていたことを正直に白状した。(笑)
2日目
指宿枕崎線に合わせるため午前中の予定はほとんどフリーである。繁華街をかすめながらとぼとぼ歩いていたら市役所の近くまで来てしまった。空いた時間を利用して今日は市電の残りのもうひと系統に乗っておく。小学生の団体さんが市役所前の電停で大挙して降りてきた。社会科見学なのか、遠足なのかよく分からないが、とにかく当人たちは賑やかにはしゃいでいる。市電は頻繁にやってくるし人の入替えも多く、運賃もリーズナブルなので、やはりこういった地方の比較的大きな都市では有効な交通手段だといえよう。そんなことを思いながら座っていたら、ふと隣の人にいきなり話しかけられた。「整理券はいらんとですかね?電車はよう乗らんと分からんですよ…」とりあえず要らないですよ、と答えたが地元の人によそ者が教えてあげるというのも妙な話ではある。市街を抜けると道路との併用軌道から専用軌道へと変わった。JRと並走しているようだが、市街地の賑やかな風景から郊外のものへと変わっていた。やがて谷山に到着した。空模様がよろしくないのがちょっと心配だ。
しばらくその辺をうろうろしてJRの谷山駅で西鹿児島行きを待つことにした。時間も十分あるのでここで西駅へ戻ることにする。でないと一部が未乗になってしまうでそれはそれで気分がよろしくない。非電化なのだが、ここらは通勤圏内でもあり区間便を含め何種類の車両が運用にあたっているようだ。西鹿児島駅で一旦外へ出てあらためて駅を眺めていると新幹線の工事が着実に進んでいることが分かる。在来線とは直角に新幹線の線路は延びており、ホームもいまの駅の真上に作られている。開業を案内する大きな看板もあり、いよいよ開通という雰囲気が伝わってくる。次にここへ来るときは新幹線に乗ってやってくるのであろうか?(後日談:九州新幹線開業後にやって来たときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
前にも書いた通り区間便は頻繁に出ているのだが、一気に指宿枕崎線を終点まで乗り通せる筋はとても限られてしまう。早朝の非現実的な便の次は正午過ぎまでない。途中指宿か山川あたりで1泊すれば別かもしれないが、ここは自分にとってかなりの難関だともいえる。もちろんこれの次になってしまうと、今度は戻ってくるのが難しくなってくる。ということで今日は一点集中で指宿枕崎線を走破することに専念した感じだった。先程立ち寄った谷山を過ぎてしばらくすると、海沿いの区間が多くなってきた。小学校の社会科で習った(かな?)指宿の石油コンビナート備蓄基地が遠くに見えた。とてつもなく大きく思えたが、日本の需要の2、3日にはなると聞いたことがある。その持つ意味というものは、果たしてどこに答えがあるのだろうか?指宿、山川と過ぎ、いよいよ果てまで来たかな、という気持ちの高ぶりのようなものを感じてきた。言うまでもなく最南端の西大山を通過するからなのだが、ただ残念なのは厚く雲が垂れ込めおり、これでは開聞岳の美しい姿が拝めそうにもない。トンネルをいくつか越えると、雲の間から開聞岳がちらちらっと見えてきた。雲のせいでやっぱり山頂の位置が確かめられない。あのきれいな稜線が徐々に近づいてきた。数少ない乗客を乗せ西大山に到着する。ただのローカルの無人駅であり、言われなければここが日本の最南端の駅であることには気がつかない。ましてや終点の駅でもないのでなおさらだ。(後日談:ご承知の通り、沖縄にゆいレールが開通しましたので『本土最南端』と改称されとか。ちなみに、ゆいレールの最南端駅へ訪問したときの旅日誌はこちらをご覧ください。)本当ならここで降りてと思うところだが、時間がないので素通りとなった。もし次回があれば快晴を期待して訪れたいものだ。(後日談:その後、西大山へ再訪する機会がありました。そのときの旅日誌はこちらをご覧ください。)やがて列車は終着の枕崎駅へ到着した。稚内の逆の南の果てになる。もとは鹿児島交通の始発駅であり、どちらかというと乗り換えの駅であったようだがJRの職員は配置されていない。バス転換後も委託扱いのままなのだろう。
昨日も廃線に近いところをバスで長距離乗り通したが、今日も同じようにバスの長旅をすることになる。いま出発しようとしている鹿児島空港行きのバスにはそれなりに乗客がいたようだが、後を追う伊集院行きのバスにはほとんど利用客がいない。先程の指宿枕崎線の上りも折り返しで出て行ってしまったし、本当にこれでいいのか不安になってきた。廃線跡にそって道路があるわけではないのだが、ところどころは遺構のようなものがあると聞いたことがある。だが、予備知識も何もないのでよく分からない。それでも、昔は駅だったところがバスターミナルとして使われており、当時の車両が保存されているところもある。写真でしか見たことがなかったが、今でも走っていれば古きよき時代を実感できたであろう。廃線跡につくられたあの有名なサイクリングロードのあるあたりから、通学の高校生が乗り込んできて車内がざわついてきた。乗り継ぎ時間の余裕がなかったのでちょっと心配ではあったが、伊集院駅にはほぼ定刻に到着した。山間のこじんまりとした駅だが、特急が停車する駅でもありタイミングよく乗り換えることができた。これで鹿児島攻めは終わりとなる。もう一度西鹿児島に戻って来てきりしまに乗り継ぎ、今日は宮崎まで移動しておく。
3日目
くるっと回ってきて再び宮崎だった。次の目的地は高千穂である。南九州を横断するふたつの三セク路連がフォローできていなかったので、ここも今回の行程に組み入れた。高千穂鉄道は延岡から出ており、宮崎を早めに出ればそれなりの便に乗り継げる。こんど乗るにちりんも始発駅が宮崎の手前だったので、なんとなく南宮崎まで逆向きに移動してからのスタートとする。宮崎らしいというか、昨日に比べ日差しが強い。海岸沿いの風景やリニア実験線の跡などは以前来た記憶のままだった。
今年のGWは飛び石だということもあり、今日は一応平日ということになっている。高千穂のような観光地もめちゃ混みでなければいいと思った。延岡駅で高千穂鉄道のレールバスに乗り換える。いつかここへは来なくちゃいけないと思い続けていたので、念願かなったと言っていい。(後日談:その後、甚大な台風被害に遭い、残念ながら路線廃止が決定となりました。トロッコ列車として観光列車の運行も検討されましたが、実現はしていません。ですが、JR九州が日南線の観光特急海幸山幸として見事に復活させ活躍しています。そのときの旅日誌はこちらをご覧ください。)延岡を出て左に折れるとすぐに山々が迫ってくる。ワンボックスに1人、あるいはひと団体といった程度で席が埋まっていた。三セク転換後も観光路線として地道な努力を続けているということでエールを贈りたいが、やはり地理的な隔たりもありそう簡単に出向いて来れないのは寂しいところだ。ところどころで案内放送が入り徐行運転をしてくれる。うわさに聞く秘境駅や、渓谷美もまた素晴らしいものだった。とりこになるほどのファンが出るというのも納得できる。途中、地元の方が降り遅れて何十メートルもバックするというハプニングもあったが、最後の高千穂大橋での徐行サービスもきちんとやってくれてよかった。ちなみに、終着で発車を待っていたトロッコ列車は満員であった。
山々に阻まれ難工事にも悩まされ、結局は高森線と高千穂線がひとつにつながらなかったのは有名な話ではあるが、バスを乗り継いでそのルートをたどっていく。乗りつぶしを趣としている人には結構知れた移動手段であり、自分もうまいスジ探りあてるようにしながら先へ進ことにしていた。何もないところで何時間も待たされるのも何だが、見所いっぱいのところで1時間の乗り継ぎというのもある意味皮肉なことだった。ここまで来てどこにも行かないのはさすがにもったいないと思ったので、ギリギリまで時間を使って高千穂渓谷と神社だけは行ってみることにした。せめて3時間~半日できれば1日、もっと欲をいうと夜祭見物を考えてひと晩は、といきたいところではあるがそこは割り切って1時間の範囲内で頑張ってみることにした。歩いて回れないことはないが、まずは駅前でタクシーを捕まえる。道に迷ったりして時間をロスってはそれこそもったいない。(余談:写真に写っている女性の運転手さんにお世話になりました。案の定、強行スケジュールの話題になりましたけど。)とりあえず五ヶ瀬川の下流側の渓谷入り口近くへ着けてもらった。早速渓谷沿いの遊歩道をゆっくりと歩いてみることにする。歩きはじめてすぐに、旅行誌やパンフレットなどでもよくみる真名井の滝をなまで見ることができた。いやぁ、やっぱり素晴らしいですね。これなら何もしないでも2~3時間は居れそうだったが、後ろ髪引かれる思いでその場を後にした。タクシーの運転手さんも言っていたが、ボートに乗って下から眺めるのもまた素晴らしいようで、午前中のこの時間でも何そうもボートが出ていた。どこにぶつかっているのか、うわさ通りカンカン音が響いていた。600メートルほどあるという遊歩道はきちんと整備されていて、渓谷美を堪能しつつ適当な時間で歩き切ることができた。以前の橋と新しい国道のバイパスの橋がかかっている高低差を見ると、相当深く削りこまれた渓谷であることが分かる。あまり通る人はいないようだが、あららぎ茶屋近くから自然道を通って高千穂神社の裏手に抜けてみる。どうも高千穂神社から下りてくるのが正解のようだが、高千穂渓谷の奥手まで行って時間切れになったら目も当てられないので奥から手前に戻ってくることにしていた。山深い森の中を進んでいく。遠い昔から、神々が集まる場所と言われる所以が分かるような気がした。ただ、バイパスが通ったせいだろうか、遠くで車が通る音が聞こえてくる。それがなければ、恐いくらいの静寂の中にいれたかもしれない。上りがきつく感じはじめると沢の様子も見えなくなり、なおも傾斜の確度は急になってきた。体力不足の身には、やっぱり逆方向=下りが正しいと実感した。(余談:二日酔いや寝不足では絶対に無理です。)ふぅーふぅーを遥かに通り越して、ぜぇーぜぇーいいながら自然道の入口までやってきた。神社の裏手から表にまわり、お参りをして裏からやってきた失礼のお許しを乞うことにした。意外とこじんまりとした神社だったが、歴史を感じさせる雰囲気というか周囲の空気が違うのがよく分かった。上がった息を落ち着かせ、この由緒正しき神社を後にする。バスセンターまではまだもう少し距離があるのだが、このまま歩いていけばちょうどバスの時間に合いそうだ。
計算通りというかちょうどぴったり1時間の観光を終え、熊本方面の急行バスの到着を待つ。バスは定刻に入ってきた。乗り込んでみると、結構な着席率である。到着したのは定刻だったが、なかなか発車しようとしない。時刻表の時間より10分ほど過ぎただろうか、ようやく運転手がやってきて発車となった。バイパス経由なので神社の前は通らないが、先程見上げた一番上の橋を渡る。さっきまでいた森や渓谷が眼下に見えた。気がつけば3日続けてのバスでのロングランだが、乗り心地も車窓の景色も一番ランクが上だったか?むか~しラジオのCMで聞いた「♪そば焼酎、、、」の工場を見つけ思わず笑いそうになったが、まさに九州の屋根をいくコースだといってもいい。そろそろ高森に着く頃かなと思い始め、九十九折の坂道を抜けると目の前に阿蘇山の雄大な姿が見えてきた。以前きたときは最悪の空模様で阿蘇山が全く見えなかったこともあり、何かとても嬉しい。10分遅れだったはずのバスは定刻通りに高森中央へ到着した。
定刻通りということは、次は慌しく乗り換えなければならない。10分後くらいに南阿蘇鉄道の便がある。高森駅はここからちょっと距離があるはずだが、どうもバス停の位置が下調べした場所とは違っている。国道沿いの役場前からの道のりは調べてあったが、いまいち様子が違うことにはすぐに気がついた。迷っててもしかたないので、その辺の人に駅までの行き方を聞いてしまう。距離はさほどなかったが、方角がつかみきれてなかったので危なかった。失礼な言い方だが、高森駅は思いのほか立派でとても手入れが行き届いており、地元の人に愛されていることがよく分かった。小振りのレールバスはすぐに発車となり、右手に阿蘇山を眺めながらのんびりと進んでいく。立野まではだらだらとした下り坂なのだろうか、発車するとすぐに加速を止めてしまい、まるでトロッコ列車のようなスピードでの惰性運転だった。(後日談:その後、南阿蘇鉄道にはトロッコ列車ゆうすげ号に乗るために再訪する機会がありました。そのときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
南阿蘇鉄道を乗り終え、立野で豊肥線に乗り換え熊本方面を目指す。乗り継ぎよく普通列車がスイッチバックを下りてきた。(後日談:その後、肥後大津に訪れる機会がありましたが、旅日誌はこちらをご覧ください。)途中から豊肥本線も電化区間となり、赤い気動車から近郊型の赤い電車に乗り替える。前回通ったときはまだ電化が完成していなかったが、一度通っているので未乗区間の心配もせずに途中で降りた。水前寺近くから市電を利用してみることにした。まずは健軍町まで行って、折り返しで上熊本を目指す。ここも頻繁に電車はやってくるようで、人の乗り降りも多いようだ。効率を考えて一律料金のところが一般的かと思っていたが、整理券式で料金が変わっていくのは珍しいかもしれない。
以前来たときにはわりと時間があったにも関わらず、なぜか熊本電鉄を乗り通してなかった。今回ついでということもあり往復しておくことにする。前も元東急の青ガエルが現役だったのにはびっくりしたが、まだ走っていることに今回も驚かされてしまった。(後日談:その後もする機会がありましたが、旅日誌はこちらをご覧ください。)昭和の風景と例えられる沿線を抜け、北熊本で御代志方面へ乗り換える。元三田線の車両であることはすぐに分かった。話が逸れるが、三田線は私鉄との乗り入れを前提として設計されていて、この車両も主力車種としてずっと活躍していた。結局乗り入れは実現せず、それでもようやく目黒線との直通が決まったところでこんどは新鋭のバリバリの車種に置換えられてしまった。そしていま一部がここ熊本へ送られてきている。終点の御代志は終着駅のような感じがしない。もともとは菊池電車とまで言われてたように、もっと先まで路線が延びていたのだが、ホームとしての囲いもなくそのままバス停になっていて、電車が停留してなければここが駅だとは気付かないかもしれない。特に何もすることはないので、国道沿いの1本道を引き返すことにした。
藤崎宮前駅から賑やかなアーケード街を抜け通町筋の電停に出る。再び市電でもうひと系統の熊本駅前方面を目指す。終点の田崎橋は熊本駅より数百メートル先のところにあったが、そこから歩いて駅まで戻ってきた。明日は長崎と決めていたので、1泊するのはどこでもよかったのだが、とりあえず今日は博多へ出ることにしていた。博多-熊本間は有明とつばめで20分ヘッドで完璧にカバーされており、JR九州の気合(?)が分かるところのひとつだ。ということで次くるやつに乗ればいいのだが、ふと見ると水前寺始発である。ちょうどあそが出発するところだったので何も考えずに飛び乗った。それにしても回送列車のように人がいない。(笑) 水前寺駅では同じホームから有明が出発を待っているところだったので、ふたたび慌しく乗り換える。こちらも人の姿がまばらだったが、行ったり来たりして熊本に入るとそれなりに人が乗り込んできた。気がつけばもう夕方といった時間帯に差し掛かっており帰宅しようとする人も多いだろう。ちょっと慌しかったが今日も変化に富んだ1日だった。西側に夕日が落ちるのを確認し、まったりしかけてきたところ鳥栖の手前で不自然な停まり方をする。ちょうど踏み切りに差し掛かっていたため外の視線を感じる。しばらくして、運転手が異音を感じたので停車したとのアナウンスがあった。続いて現場を見に行きます、ときてしまう。ホントだ、外を見ると運転手が走ってきた。どうも置石がされてたようで、安全確認をしてから発車となるようだ。実に迷惑な話である。結局何事もなく15分遅れでその場を離れることができたが、あまり気分のいいものではなかった。(余談:それにしても、置石による妨害は後を絶たないようですね。)博多に着くと次に乗り換える人はみな一斉に走りだしていた。
4日目
今日は観光モードで長崎へ向かうことにしている。前々から気になっていた白いかもめというのにも乗ってみたかった。博多始発の適当な便を探して早速乗り込む。まだ新車の雰囲気が残っていて、洗練されたアコモは評判通りセンスのよさを感じる。あの手この手で出してくる九州の特急はどれもこれも個性的で感心するばかりだ。車内の白に革張りのシートが際立っている。妙な言い方だが、日本にこんなハイセンスなものがあってもいいのかとさえ思ってしまう。地元の人が話をしているのが聞こえたが、当然のように人気が集まっているらしい。鹿児島本線を外れ佐賀を過ぎると一気に人が減ったような気がした。やがて海岸沿いに出てその後もしばらく海沿いを走ることになる。最初は気がつかなかったが、トンネルに入ると微妙な照明の色具合もなかなかよい。天気もよく諫早湾の向こうに普賢の山影を見ながらの長崎入りとなった。
早速荷物をコインロッカーに押し込み、身軽になってから市電の1日乗車券を購入する。まだお昼前だったが、まずは中心街とは逆の方向を往復した。前回九州へきたときはおしるし程度に長崎に寄っただけなので、今回はちょっとウロウロしてみることにした。最初に平和公園の近くで下りてひと通り近くを回ってみることにした。花がきれいに咲きそろった階段を上ると噴水の向こうに平和像が視界に入ってきた。GWということなのだろう、この時間でも人出が多い。団体さんがあちこちで記念撮影をしている。言うまでもないが、手入れが行き届いたこの公園は単なる観光地ではない。世界に向けて日本が伝えるべきものは伝えなければならない大事な発信地のひとつでもある。公園を離れ浦上天主堂、原爆爆心地と歩いてまわってみた。初夏を思わせる陽気の中、街角でアイスクリーム売りの姿が目にとまった。長崎の街は山を瀬にして海岸近くの狭いところにひしめき合っているような感じであり、海から離れるとすぐに坂道にあたることになる。そんなところを長崎の市電も小回りをきかせ市民の足としてワンコインで人々を運んでいる。端から攻めていって大浦天主堂の近くまで来たところで遅めのお昼にした。まぁ気分の問題だから…ということで、ちゃんぽんと餃子のお決まりメニューで小休止したあとオランダ坂へ向かうことにする。もう少し時間があれば大浦天主堂やグラバー庭などを覗いてもよかったのだが、入口の前を素通りするだけになった。ところで、ここでもうひとつのいつものお決まりでもある「シャッターお願いします」攻撃に遭遇することになる。(笑) 別に面倒だとかイヤだとかいうわけでもないのだが、「はい、いいですよ」と快諾し、案の定来たかと思い心の中でひとり苦笑していた。(後日談:大浦天主堂とグラバー園にはあらためて訪問する機会がありました。そのときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
裏道を抜けてオランダ坂を通ってみた。有名な観光地もいいがこういう何気ないところもまたいい。再び市電で逆戻りして、アーケード街をうろつきながら次は眼鏡橋を見に行く。撮影スポットということで人が集まっていたが、ご多分に漏れず自分も同じ行動をとる。いわゆる観光タクシーというやつであろうか、愛想のよさそうな運転手が老夫婦を案内していた。すぐ近くの中華街を抜けてみるがちょうど昼と夜の間の中途半端な時間帯だったようでどこの店も準備中の看板が出ている。別に用はないのだが、人がいなければそれはそれでちょっと寂しい。そろそろ駅にもどろうと考え始めた頃ではあったが、すぐ近くの唐人屋敷街まで足を延ばしてみることにした。他人の私生活空間に足を踏み入れるようで何だが気が引けたが、そこには日本とは思えない空間が広がっていた。ちょっと感動に近いようなものも覚えたので、失礼ながら写真を撮らさせていただいた。もし長崎へ行く機会があれば、そっと近寄ってみることをおすすめしたい。そうこうしてるうちにタイムリミットが近づいていた。適当なところで市電の電停に出てみると、下校途中の高校生とかで人が溢れかえっている。ありゃ、これじゃ乗り切れないぞ、と思いひとつ手前の電停へ移動するが、こちらも混雑していて更に1本見送るハメになる。最後に出島あたりに立ち寄ることを考えていたが、それは諦めて食料調達の時間に充てることにした。まぁ、ここまででも十分満足してたので、今回の長崎訪問はこの辺で引き上げることにした。
今夜の宿でもある寝台特急は夕日に照らされ出発を待っていた。飛び乗るという程でもないが、もう間もなくの発車になる。ひとむかし前はさくらといえば、寝台列車の中でも"いの一番"の存在だったが、寝台リストラのあおりをくらっている。(後日談:残念ながら悪い予想が当たってしまいました。)他の列車も同様で、何しろ昔のエリート同士が併結してようやく運用されてるような時代だ。とはいえ大型連休ということもあり、本日は満員御礼の様子だった。実はGW休みが確定する前に、イチかバチかでこの日のさくらのソロを早々と押さえていた。ダメなら払い戻しすればいいくらいの気持ちでいたが、めでたく今日はさくらの人となれたわけである。既に長崎からでもかなり寝台は埋まっているようで、子供連れの団体などは通路まで出て賑やかに始めてしまっている。寝台のこの雰囲気もなかなかいい。勝手な言い分だが、安易になくしては欲しくないと思った。空調が入っていなかったこともあり個室の空気は淀んでいたのでしばらく通路のイスに腰掛け海を眺めていた。そういえばサロンカーはこっちの編成への連結ではないし、食堂も車内販売もない。そう思うとちょっと寂しい気もしたが、今回はこれで九州を後にすることになった。長時間の停車で上下交換の他に後ろから白い特急が足早に追い抜いていった。今回はあまり時刻表を確認してなかったので見落としていたが、長崎をあとに出たかもめが博多には早着となっていた。もう少し長崎に粘っていても、あるいは何かのはずみで乗り遅れたとしても間に合ってしまうわけか。ミステリー小説のネタのような話だが、わざわざ冒険をする必要もない。だんだん外も暗くなり個室に戻り晩飯にすることした。ちょうど山間に夕日が沈むところだったので、うまく撮れるとは思っていなかったがデジカメのシャッターを切ってみた。鳥栖に到着手前でおかしな放送が入る。「一旦3番線に入りますが1番線に引き上げます、お買い物をされる方は1番線でお待ちください」んん??そうか、熊本からは1番線で待っているのか。前進して駅を通り越してから後ろ下がって併結するというのがようやく分かった。なかなか経験できることではないので乗ったままでいることにした。平日ということもあってか、慢性的に遅れのでる区間をここまで10分遅れくらいで走っているようだった。長距離を行く寝台列車にとっては、そんなのは誤差のうちかもしれない。会社帰りのサラリーマンの姿などを横目に自己満足的な優越感にひたりながらそんなことを考えていた。関門トンネルを確認して今日は早めの就寝を決め込む。
5日目
ガ、ガ、ガ、ガッーという音で薄らいでた意識が少しずつ戻ってきた。大きな橋を渡ってるということは、多分ここは…と思い外を見ると大阪駅へ入るところだった。やっぱりさっきのは淀川で正解だった。それにしても計ったかのように体が反応しているのには我ながら驚いてしまう。うっつら、うっつら、といった感じだったが、睡眠はそれなりにとれたようだ。大阪あたりで起きて30分で仕度すればちょうど京都だな…と計算していたが、目覚ましに頼るようなこともなくぴったりその通りになっていた。去年乗ったサンライズに比べれば新しさということでは劣るかもしれないが、個室寝台の乗り心地はまんざら悪くもない。ここまでお世話になった列車に心の中でお礼を言うような気持ちで送り出し、日が昇る前の薄暗い京都駅に降り立った。京都で降りなければならない理由は実はどこにもない。何となく思いつきで乗りつぶしの路線をひとつふたつ増やしておきたい程度のものだった。なので、京都観光は今回の予定にはない。(笑)
もうすぐ地下鉄の始発の時間なのだがシャッターは下りたままだった。既に先客もいたが、しばらくして改札が開かれた。迷うことなく去年余計に買ってしまったスルッと…の消化にあてる。あのときに京都以南は乗っておくことができたが北側には行ってなかった。正確には1度だけ2、3駅程先まで乗ったことがあるのだがまったく覚えていない。なので気持ちよくここから終点の国際会館まで乗り通しておくことにしていた。始発というと大抵、用あって早い人と夜通し遊んだ人とを運んでいる。東京よりも数は少ないが、明らかに後者と思われ人もちらほらいる。ちなみに自分は前者でも後者でもない。意味もなく乗り通して地上に出てみることにした。ここから少し歩けば適当な叡山電車の駅に出るはずだ。すっかり明るくなった中を通りに沿って東に向かって歩き始めた。体も目覚めてきたようで意識がはっきりしてくるつれ空腹を感じ始めていた。世の中便利なもので、人の住んでいるところならどこにいてもコンビニのひとつやふたつはあるものだ。ぶらつき途中で青い看板のコンビニを見つけ、朝食を調達した。
叡山電車には比叡山方面へは行ったことがあるのだが、鞍馬方面は乗った記憶がない。まぁ、はっきりしないところは乗っておくことにしよう。ほどなく八幡前駅にたどりついたので次の列車を待つことにした。静まりかえった無人駅でしばらく待つことになる。もちろん他に人はいるわけもない…と思ったら、上り方面にひとりだけやってきて出町柳方面の列車が先に出て行った。すぐに1両だけの下り電車がやってきた。おもちゃのような電車に揺られやがて登り坂に差し掛かる。新緑が朝日に照らされてキラキラ光っている。こんな時間なので乗ってる人は少ないと思ったが、途中で主婦の観光客の団体さんが乗り込んできた。朝早くからご苦労なことで、、、って人のことは言えない。(笑) 昼間は大勢の人で賑やかなのだろうが、終点の鞍馬駅は静まり返っていた。期待通りというか、天狗の大きなお面が駅前に鎮座している。ここから私設のケーブルカーがあると聞いたことがあるが、とりあえず今日はとんぼ返りということにする。(後日談:GW明けに分かったことなのですが、ちょうどこの時期知り合いが鞍馬、貴船のあたりをうろついていたようでした。ちなみに鞍馬、貴船を再訪する機会がありましたが、旅日誌はこちらをご覧ください。)同じ列車に乗って折り返すことになるのだが、行きがけに見かけた人を途中で拾った。「何もないんだよ、だから、、、」などとブツブツ言い合いをしている。それなりに人々も始動し始める時間とあって、上りは結構な混みようになった。出町柳まで出てから、もう少し未乗路線の片付けにまわる。京阪に乗り換え三条から地下鉄で醍醐方面へ向かう。どうも醍醐から先にも路線が延びそうな感じはするのだが、今日はあまり深く考えないことにしておこう。とりあえず折り返して山科から京都へ戻ることにする。これだけのために早朝京都へ下り立ったのだが奇行(?)はまだまだ続く。どこも数分程度の乗り継ぎだったのだが、一番危ないと思ってた京都での新幹線への乗り換えも無事こなすことができた。というのも、新幹線の特急券を持っていなかったのでどこかで買わなければならなかったが、山科駅に新幹線の自販機があったので事なきを得た。(大げさ?)
乗ったばかりの新幹線ではあるが、すぐに岐阜羽島で降りてしまう。大昔からこの駅の存在意義については議論のやり玉にされることが多いが、実際に何があるの?といいたくなるような駅だった。密かに名鉄が近くまで擦り寄ってきていており、今回の旅の後半はここから後半戦となる。新羽島駅で2日間のフリー券を購入する。駅員に不思議な顔をされたが、まぁいい。タイミングよく新岐阜行きの急行に乗り換え、まずは羽島線が片付いた。いつの間にか大須までの区間が廃止されてしまっていたが、他にも廃止になった区間がいくつかある。乗りつぶしなんていうのは自己満足の世界なので、もちろん細かいことは構ってられない。その割には妙に律儀なところがあって、これからたどる区間は変な意味で神経質になっていたのかもしれない。新岐阜駅前から岐阜市内線で徹明町までやってきた。わずかばかりだが、なぜかここも未乗だった。徹明町の交差点に差し掛かったあたりで気がついたのだが、何か様子が変である。カメラを手にそわそわした人があまりに多い。黒野方面へは一度行ったことがあるので、今回はパスし関方面の便に乗り換える。するとどうだろう。人が多いというものではなく、カメラ小僧があちこちで鈴なりになっている。競輪場前まで来てその答えが分かった。510系列車の記念運行が行われるということで、みなそれがお目当てだったのだ。すぐ脇に交換のために510系が停まっていた。下調べも何もしてなかったが、自分にはあまり関係がないと思い込むことにしてこの人波から遠ざかることにした。ここから先の区間は何となくもう一度来てみたいと感じてたところでもあり、今回は半分取ってつけたような言い訳のもと再来することとなった。前回は関から先の美濃町線が廃止されてしまう寸前の訪問であった。廃止後、新関から長良川鉄道の関駅まで渡り線が通されていたのでそのひと区間が未乗となっていた。(後日談:ご承知のように、岐阜市内線、美濃町線など、名鉄600V路線は廃止になってしまいました。古きよき時代がまたひとつ失われてしまってようにも思います。)代替手段としては長良川鉄道がその役目を果たすことになったのだが、300メートルほどのところを1時間に1本しか通らないのだから実用的なのかどうかは疑わしい。おまけに、その1本が長良川鉄道とまったく接続のタイミングが取られておらず、どれもこれも4、5分前に出た後で1時間近く待たされるダイヤになっていた。野一色で先行する関行きの便に乗り換え、荒れ気味の路盤の上を恐いくらい揺れながら更に先へ進んでいく。新関駅から道路を交差してあっという間に関駅へ到着した。最初は1時間待たされるのもひどい話と思っていたが、ここへきてその1時間のおかげで510系が入ってくるのも間近でみることができた。到着するやいなや満員の人がどやどやと出てきた。
なぜ南九州からいきなり名古屋にやってきて乗りつぶしをしなければならないか自分でもよく分からなくなってきたが、とにかく今日は一気に片付きそうだ。征服感といっては大げさかもしれないが、とにかく端から攻めていくことにしていた。長良川鉄道の次の便は上下線とも10分近く遅れてやってきた。そんなのあり?とも思ったが、結果的に名鉄から絶妙な接続タイミングになっていた。どうも精算機についてる両替機が故障してしまったようで、乗り降りがスムースに行ってない。これが遅れの原因だったのだろうか。前もここを通ったときは遅れが出ていたが、美濃太田で接続するはずのJRの列車が目の前で出て行ってしまったようで、車内であ~あぁと言ったような声が聞こえてきた。今回は自分にとって影響がなかったのであまり気にしないでおく。太多線で可児まで移動し御嵩間を往復した。途中廃線が残っていたが、その道の方は訪問してみると楽しいかもしれない。
そうそうはないだろうという気持ちも手伝い、犬山まで戻りモノレールを試しておくことにした。GWということもあってか多くの人でごったがえしている。雰囲気としては、向ヶ丘遊園を走ってた小田急のモノレールを思い起こしたが、それに比べればしっかりしているようにも見えた。寄り道から戻って犬山線をしばらく南下する。小牧で途中下車して桃花台新交通を往復してみることにした。日本一の赤字線といわれて久しいが、中途半端に開けたニュータウンの足としてだけでは苦しいのかもしれない。大幅値下げしました!などという触れ込みも見られたが余計もの悲しいような気もした。再び犬山線を南下し新しく引き直された区間を通って平安通まで乗り通した。地下鉄に直通・直結することになったのでネットワーク的には便利になったように思う。大曽根まで行き、更にこの先が未乗だった瀬戸線を往復する。ここで大曽根からちょっと寄り道をしてみる。ゆとりーとラインと名付けられた新交通システムのことはそれとなく知っていたが、うつわが「バス」ということでどんなものか一度みておきたかった。砂田橋までの区間ではあるが、さわり程度に乗ってみた。軌道にそって結構勢いよく加速、減速するバスの乗り心地は妙なものを感じた。やっぱり名古屋は変わってると思った。再び地下鉄に潜り乗りつぶしを続けることにした。ちょうど名古屋ドームでデーゲームが終わったところにあたってしまい、とんでもなく混んでしまった。それでも名城線、鶴舞線と未乗のところを乗り継いで一旦名古屋まで戻ってきた。効率は悪いが最後に尾西線まで出向いて玉ノ井まで往復し、今日の分と考えたところはすべてまわることができた。宿はいつもの金山であとは時間の許す限り地下鉄をまわる。これからも新線の開通があるに違いないが、今日1日で見事にやっつけることができた。
6日目
昨日はわりとラフにスケジュールを考えていたが、今日はどちらかというと綿密に計画を練っていた。今日のために残していた名城線の名古屋港方面からスタートする。終点の名古屋港駅から市バスを利用して名鉄の東名古屋港駅近くまでショートカットする。最初は港新橋を歩いて渡ろうかとも思ったのだが、意外と距離がありそうなのでバスの時間を下調べしておいた。特に休日は、事前に情報をつかんでないとこのつなぎは危ない。でもって名鉄築港線も朝夕の通勤専用路線であり、休日に至っては大きくダイヤが間引かれている。大江町というバス停が最寄であることもメボシがついていたので迷うことはなかったが、大きな工場街を徒歩でやって来るのはやはり不安かもしれない。大江町のバス停は交差点を通り越して東名古屋港駅のちょっと先にあったが、んん?!と思わせるものがそこにあった。下調べが大事!などと豪語してるわりにはまったく気がつかなかったのだが、リニアモータカーの実験線が築港線の上を通っているではないか。そういえば万博だかなんだかで実用化を目指していると聞いたことがあるが、まさかここに実験線があるとは思いもよらなかった。何はともあれ、難関をひとつ突破して乗りつぶし路線をひとつ積み上げる。
ここからはボチボチと南下して最後にわずかばかり残っていた河和線の未乗区間を乗り通した。終点の河和駅はいかにも観光拠点といった感じの駅だった。来る人来る人みなレジャー目的だということはひと目でわかる。折角なので今回は知多半島から船を利用して渥美半島へ渡ることにしていた。この先の師崎まで行くと伊良湖方面へ渡るフェリーが出いてるのだが、ここ河和からも高速船が出ている。割高でもありちょっと迷ったが、今回は高速船とやらに乗ってみることにした。多客期の処置らしく、日間賀島行きと篠島経由の伊良湖行きとで2艘に分けての同時出航となったが、日間賀島に向かう船は定員オーバーとなってしまい乗り切れない乗客を救済するために、結局のところ伊良湖行きも日間賀島を経由することになってしまった。薄曇の中、やや遅れて河和を後にすると、ギアをシフトアップするかのように徐々に加速していきトップスピードに達する。確かにこの速さの船に乗った記憶はない。海上は荒れてなかったので船はあまり揺れないが、時折他の船の残り波を越えるあたりでゆっさゆっさと揺れることがあった。しばらくすると、イルカが近くを泳ぎまわっているとの案内があった。右や左をみんな目で追っているが、何回か水面の上を跳ね上がる姿を見ることができた。わぁーと歓声が上がったりするが、確かにこれは楽しいかもしれない。
船自体の速度は申し分なく速かったのだが、途中日間賀島に臨時停車(?)したときに桟橋が空くのを待ってたりしたこともあって伊良湖には定刻から15分以上遅れていた。ということで、伊良湖でぴったりに接続するはずのバスに乗り継ぐことができなかった。まぁ30分後には次がやってくるので何となくそこらをぶらぶらしながら待つことにしよう。伊勢志摩方面の便もかなり多く設定されてるようで、近くの小島へ渡る漁船のようなたぐいから大型フェリーまでいろんな種類の船が引っ切りなしに行き来している。今回、何度目のバス移動になるか分からないが、ここから豊橋鉄道のバスに乗り込む。1本落とした便は豊橋駅行きだったが、田原駅前で降りることにした。以前も思いつきのような感じでここへは来たことがあったが、確かあまり状態のいい車両ではなかった。その後東急から払い下げられた車両で置き換えられたことを知ったこともあり、何となく寄ってみたくなっていた。おお、いたいた。(追記:そう、筆者は長年の東急利用者なので人がなんと言おうと愛着があるんです。)足回りも内装もバリバリに改造されて居残って活躍してるものあり、こうして地方へ来て第一線で活躍してるものあり、なぜが擬人化して見てしまうのだから不思議だ。
旅も終わりに近づいてきたが、最後に豊橋近辺をひとまわりする。以前、何となく素通りしてした豊橋鉄道の軌道線を往復する。九州の市電に比べると人の出入りが全然少ない。もしかしたら、市民の足というよりも、競輪客相手の足という方があってるのかもしれない。一旦赤岩口まで行って、もうひと系統の終点の運動公園まで歩いて出てみた。予想以上に距離があったがちょうど折り返しの便をキャッチすることができた。2系統とも競輪場前から先が閉塞区間のような感じになっており、本数もあまり多くなくこの便に乗れたということで見込みからの30分遅れは挽回できたようだ。豊橋行きもそれほど人の出入りはなく程なく駅前まで戻ってくることとなった。さてと、最後に残った1区間に取り掛かる。名鉄のフリー券は2日間有効なのでここでも利用させてもらう。飯田線と共有なのは有名だが、手元のフリー券で自動改札もパスすることができた。ちょうど次のパノラマは国府駅にも停まり都合がよい。わずかばかりではあるがこいつで移動する。反対側にまわり、豊川行きに乗り換える。少し前までは強者に思えた名鉄もこれですべて片付いた。豊川稲荷駅とJRの駅は隣接していたが、JRの駅の方がモダン過ぎてあまり風情を感じるような印象はなかった。勝手な言い分かもしれないけど、、、豊川からは飯田線の区間便で豊橋まで戻ってきた。あとは新幹線で帰京するのみだ。連休後半ということもあり混雑が予想されたが、普段の休日程度の混みようと言ってもいいかもしれない。前半の九州と後半の名古屋と一粒で二度…みたいな旅もこれで終わりとなった。さて、次はどこへ行こうか、、、帰りの新幹線では無意識のうちに次の行程をプランし始めていた。