■旅日誌
[1990/7] 18切符周遊紀行
(記:2000/5/15 改:2022/1/3)
(記:2000/5/15 改:2022/1/3)

去年、2回続けて中国地方のローカル線をターゲットに乗り歩きをしてきましたが、まわり切れなかったところなどを中心にあらためて遠征してきました。と、それだけでは何なので、行きと帰りでかなりふらふら寄り道しています。それも18切符を使ってますので、かなり凝ったコース取りだったかもしれません。
0日目
最初にこの筋の列車を利用したのは、確か高校生のとき友人に誘われてのことだったように記憶している。日付が変わる頃、新宿駅を出発する中央線の下り普通列車は主に登山に行く人の足として重宝されている。東海道線の大垣夜行はもっと幅広い層の人に利用されいるのであまりにも有名だが、それに比べるとにこちらはややマイナーで影が薄い。が、貧乏旅行にもってこいなのは同じかもしれない。(余談:時代の流れとともに姿を消してしまいましたが、とても懐かしいですね。ん、歳がバレバレ??)中央線には夜行の急行もあるのだが、それとも微妙に雰囲気が違う。とにかく、夏休みの週末ということもあって、早めに列に並ぶことにした。それこそ席にあぶれたら大変なことになる。
とりあえず席は確保できた。だが、いわゆる近郊通勤型のボックスシートはとても狭く少々窮屈だ。立ったままの人や仕方なく地べたで過ごしている人もいるのでそこは我慢することにしよう。対面の人が「ちょっと楽をしましょう」と言って、足元に新聞紙を広げ靴を脱ぐことにした。減光されることもないし、こまめに停車を繰り返していくのでゆっくり眠ることはできない。途中甲府で時間調整のため1時間近い大停車をする。乗り慣れた人はホームに降りて夜食にしたり飲み物を補給したり、当たり前のようにくつろいでいた。
とりあえず席は確保できた。だが、いわゆる近郊通勤型のボックスシートはとても狭く少々窮屈だ。立ったままの人や仕方なく地べたで過ごしている人もいるのでそこは我慢することにしよう。対面の人が「ちょっと楽をしましょう」と言って、足元に新聞紙を広げ靴を脱ぐことにした。減光されることもないし、こまめに停車を繰り返していくのでゆっくり眠ることはできない。途中甲府で時間調整のため1時間近い大停車をする。乗り慣れた人はホームに降りて夜食にしたり飲み物を補給したり、当たり前のようにくつろいでいた。
1日目
今日一番のメインは飯田線といってもいい。時刻表を見ると分かるように、すごい距離のところにこれまたすごい数の駅が点在している。乗り通すための筋を探し時間を合わせるために上諏訪で1本あとの中央線に乗り換え、更に塩尻から辰野経由で一周してくることにした。上諏訪で出番を待っていたのはなぜか急行型の車両で、がらがらの車内でしばし体を伸ばす。塩尻駅で乗り換えを待ってる間、無人の駅で全身に朝日を浴びて気分をすっきりさせた。辰野行きのローカル便は荷電を改造したおかしな電車1両で、状態がいまいちな路盤の上を跳ねるように走っていった。辰野で軽く朝食をとり、ちょっと駅から離れてみた。気温はジリジリと上がってきているが、外の空気は実にすがすがしい。飯田線から入ってきた列車に乗り、再び上諏訪に戻ってきた。
飯田線の歴史をたどると4つの線区がつながってできた路線だと聞いたことがある。辰野を出てしばらくは駅間の距離も短く、律儀に停車を繰り返していた。遠くに南アルプスをみながら広々とした風景の中、伊奈路を抜けるとやがて山岳路線となる。日本でも屈指の急流、天竜川に沿って進んでいく。何ともたとえようがない山奥の秘境地帯を行く車窓は圧巻だ。中部天竜駅で別の列車で乗り換えだと思ったら、同じ車両画が列車番号を変更してそのまま豊橋行きになっていた。
本当に長い距離を乗り通した後も18切符の旅は続く。快速を乗り継いで東海地方を抜け、琵琶湖路の草津で草津線に乗り換える。西日が強く差し込むホームで柘植行きの普通電車を待つ。田園地帯を南進し、傾きかけた西日がより強烈に車内を照らし始めていた。柘植で関西線のキハに乗り換え亀山まで移動する。とりあえず適当な時間にもなってきたので亀山で晩飯をとり、今日は津へ移動して一泊することにしていた。
飯田線の歴史をたどると4つの線区がつながってできた路線だと聞いたことがある。辰野を出てしばらくは駅間の距離も短く、律儀に停車を繰り返していた。遠くに南アルプスをみながら広々とした風景の中、伊奈路を抜けるとやがて山岳路線となる。日本でも屈指の急流、天竜川に沿って進んでいく。何ともたとえようがない山奥の秘境地帯を行く車窓は圧巻だ。中部天竜駅で別の列車で乗り換えだと思ったら、同じ車両画が列車番号を変更してそのまま豊橋行きになっていた。
本当に長い距離を乗り通した後も18切符の旅は続く。快速を乗り継いで東海地方を抜け、琵琶湖路の草津で草津線に乗り換える。西日が強く差し込むホームで柘植行きの普通電車を待つ。田園地帯を南進し、傾きかけた西日がより強烈に車内を照らし始めていた。柘植で関西線のキハに乗り換え亀山まで移動する。とりあえず適当な時間にもなってきたので亀山で晩飯をとり、今日は津へ移動して一泊することにしていた。
2日目
津は三重県の県庁所在地でもあり大きな街ではあるが、どことなく地方にいる感じは拭えなかった。言うまでもなくJRよりも近鉄の方が便利で頻繁にやってくる。お盆時期ならともかく夏休みとはいえ今日は普通の平日なので、通勤通学の人の動きが見て取れる。そんな様子を脇に見ながらJRの関西線で昨日通ってきたところをそのまま戻ってきた。亀山で同じように乗り換えて木津駅まで移動する。名阪自動車とは寄らず離れずといった感じで、関西線は山間を縫っていく。意外と勾配はきつく、また単線でダイヤの制約もあって、なかなか列車は先へ進めない。木津川の緩やかな流れが見えてくるとやがて奈良の中心へと近づいてくる。一旦、奈良線に乗り換えて奈良駅を目指す。(後日談:関西線へ再訪したときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
奈良駅の構内は思ったより広く、ここで桜井線の電車に乗り換える。待っていたのは意外と長編成な非冷房車だった。だが、窓を開け放ちカタコトとレールの継ぎ目の音をBGMに外の空気を感じながら行くのもことさら悪くない。大和三山や大小いくつもの古墳など実際に目にしながら、列車はのんびりと大和路を進んでいった。高田駅で和歌山線と合流し王寺駅へ出る。再び戻る感じで和歌山線に乗り換え、和歌山方面へと向かっていく。先程までは比較的平坦なところが多かったが、今度は山間を行くことになる。今まで知らなかったが、途中にスイッチバック駅もあった。(後日談:和歌山線へ再訪したときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
和歌山で阪和線の快速に乗り換え、大阪の中心街を目指す。タイミングよく飛び乗ったものの席はほぼ埋まっていた。運よく空いていたところをキープし、少々空腹を感じていたので調達した食料に手をつける。あまり周囲の目はあまり気にしないように早速がっつくことにした。今日はここまでのんびりペースが続いていたが、かっ飛び感もまたいい。天王寺駅で快速を後にし環状線へと乗り換える。天王寺は暗い感じのする駅で、どことなく終着駅といった雰囲気をかもし出している。天王寺始発の区間便に乗り、しばし大阪の街を車窓から眺める。京橋で降りて短い距離だが片町駅を往復する。(余談:もちろん当時は東西線は走ってなく、片町線と呼ばれてました。)片町線の始発駅は京橋からすぐ目と鼻の先にあるのだが、どことなく懐かしさを覚える小さな駅だった。そのまま片町線を乗り通して再び木津駅へ戻ってきた。今度は奈良線で一気に北上する。昨日と同じように、行ったり来たりである。
あまり車窓を眺める余裕もなく京都駅へ出てきた。気がつけばそろそろ夕方のラッシュ時が近づいていた。新快速で西へ移動し、今日は加古川で一泊することにしている。駅前は都会っぽいのだが、やはりここもなんとなく地方都市といった感じだった。
奈良駅の構内は思ったより広く、ここで桜井線の電車に乗り換える。待っていたのは意外と長編成な非冷房車だった。だが、窓を開け放ちカタコトとレールの継ぎ目の音をBGMに外の空気を感じながら行くのもことさら悪くない。大和三山や大小いくつもの古墳など実際に目にしながら、列車はのんびりと大和路を進んでいった。高田駅で和歌山線と合流し王寺駅へ出る。再び戻る感じで和歌山線に乗り換え、和歌山方面へと向かっていく。先程までは比較的平坦なところが多かったが、今度は山間を行くことになる。今まで知らなかったが、途中にスイッチバック駅もあった。(後日談:和歌山線へ再訪したときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
和歌山で阪和線の快速に乗り換え、大阪の中心街を目指す。タイミングよく飛び乗ったものの席はほぼ埋まっていた。運よく空いていたところをキープし、少々空腹を感じていたので調達した食料に手をつける。あまり周囲の目はあまり気にしないように早速がっつくことにした。今日はここまでのんびりペースが続いていたが、かっ飛び感もまたいい。天王寺駅で快速を後にし環状線へと乗り換える。天王寺は暗い感じのする駅で、どことなく終着駅といった雰囲気をかもし出している。天王寺始発の区間便に乗り、しばし大阪の街を車窓から眺める。京橋で降りて短い距離だが片町駅を往復する。(余談:もちろん当時は東西線は走ってなく、片町線と呼ばれてました。)片町線の始発駅は京橋からすぐ目と鼻の先にあるのだが、どことなく懐かしさを覚える小さな駅だった。そのまま片町線を乗り通して再び木津駅へ戻ってきた。今度は奈良線で一気に北上する。昨日と同じように、行ったり来たりである。
あまり車窓を眺める余裕もなく京都駅へ出てきた。気がつけばそろそろ夕方のラッシュ時が近づいていた。新快速で西へ移動し、今日は加古川で一泊することにしている。駅前は都会っぽいのだが、やはりここもなんとなく地方都市といった感じだった。
3日目
今回、加古川へ足を延ばしたのは割と単純な理由で、前回、前々回の中国地方遠征で寄ることができなかった加古川線に乗るためである。加古川駅で始発のキハを待つ。昨日とはうって変わって、今日はこれからどこか出掛ける家族連れなどが多い。車内は蒸し暑く窓を開け放し出発を待つ。見るからに非力な扇風機が申し訳程度に回っている。列車は市街を抜けると徐々に緑が多くなってくる。すると、どこからかミツバチが車内に飛び込んできて、騒然という程ではないがちょっと近所がざわつく。とっさに対面にいた人の帽子をお借りし、うまく窓から外へ放つことができた。周囲は安堵な空気が流れ、帽子の主からも思わずお礼を言われる。西脇市で一旦降りて、すぐに接続する谷川行きに乗り換える。以前は確か野村駅とかいう名前で、ついこの間鍛冶屋線が廃止になったところである。
谷川駅から福知山線に乗り換え山間のルートを数駅ほど移動する。何となく電化されているのが不思議にも思える。引続き福知山からも、中継ぎのような感じで山陰線の普通列車に乗り込み小浜線へと入っていく。西舞鶴で次の列車待ちを利用して一旦下車してみる。何となく中途半端にあった時間をつぶし、次の小浜線の列車を待つ。今度の敦賀行きはこの駅まで急行でやって来てこの先普通列車になるので、18切符利用者にとっては非常に都合がよい。思ったほど混んではいなかったので、進行方向左側海沿いの座席を確保する。西舞鶴の待ち時間で何となく引かれて買った弁当を広げ、車窓を眺めながらゆっくりとお昼にする。入り組んだ海岸線に沿って路線は右に左にカーブが続いていた。車窓の眺めからはあまり人の生活感が感じられず、美しい砂浜や緑濃い山々が続く。ということもあってだろう、視界に入ってくるだけでも原発関連施設が多いことが分かる。このミスマッチは今まで目にしたことはない。(後日談:その後、小浜線を利用する機会がありました。そのときの旅日誌はこちらをの旅日誌をご覧ください。)
敦賀で北陸線の普通列車に乗り換える。北陸トンネルを越えるころはガラガラで冷房の効きも強く感じたが、そのうち混雑度も増し西日が強く差込むにつれ車内の温度も上がってきた。今日も律儀に普通列車を乗り継いできたが、今晩は金沢で投宿する。
谷川駅から福知山線に乗り換え山間のルートを数駅ほど移動する。何となく電化されているのが不思議にも思える。引続き福知山からも、中継ぎのような感じで山陰線の普通列車に乗り込み小浜線へと入っていく。西舞鶴で次の列車待ちを利用して一旦下車してみる。何となく中途半端にあった時間をつぶし、次の小浜線の列車を待つ。今度の敦賀行きはこの駅まで急行でやって来てこの先普通列車になるので、18切符利用者にとっては非常に都合がよい。思ったほど混んではいなかったので、進行方向左側海沿いの座席を確保する。西舞鶴の待ち時間で何となく引かれて買った弁当を広げ、車窓を眺めながらゆっくりとお昼にする。入り組んだ海岸線に沿って路線は右に左にカーブが続いていた。車窓の眺めからはあまり人の生活感が感じられず、美しい砂浜や緑濃い山々が続く。ということもあってだろう、視界に入ってくるだけでも原発関連施設が多いことが分かる。このミスマッチは今まで目にしたことはない。(後日談:その後、小浜線を利用する機会がありました。そのときの旅日誌はこちらをの旅日誌をご覧ください。)
敦賀で北陸線の普通列車に乗り換える。北陸トンネルを越えるころはガラガラで冷房の効きも強く感じたが、そのうち混雑度も増し西日が強く差込むにつれ車内の温度も上がってきた。今日も律儀に普通列車を乗り継いできたが、今晩は金沢で投宿する。
4日目
乗り歩き強行軍は今日も続く。まず最初に北陸線の普通列車で富山へ向かう。金沢駅でちょっと一息ついてのからの移動なので、朝の通勤時間帯は過ぎているようだった。今日のメインとしては高山線を乗り通すことで、やはり18切符利用であることから普通列車を乗り継いでの行程となる。一気には行けないのでまずは高山まで移動する。ここも険しい山岳路線であり、車窓には渓谷美が続く。乗り合わせた外人さんもカメラを持って右に左にシャッターを切っていた。
俗化されてるとはいえ、飛騨高山は有名な観光地でもあり見所も多いはずである。時間の関係というか「乗り」を優先させた結果というか、今日は乗り継ぎのために1時間ほどとどまるだけであった。(後日談:その後、高山を再訪する機会がありました。そのときの旅日誌は、こちらとこちらをの旅日誌をご覧ください。)乗り継ぎをしていくとはいえ、ここで乗り換えるのは岐阜まで行ける便であり、結構な距離を行くことになる。2両編成のキハはなぜか前1両が冷房車でおのずとそちらから席が埋まっていった。たまたま座ったボックスも賑やかな3人組に占領され、ちょっといづらい感じがしないでもないが、一人旅に慣れた身にとってはどうでもいいことだった。(笑) 高山線は単線で線形も厳しく、駅間距離もある上に特急のなどの優等列車もそれなりに走っているので結構無理な筋が引いてある。今日乗った普通列車も高山を出ていきなり交換待ちで長時間停車となり、その後もたびたび列車待ちを繰り返していた。
山岳地域を抜けやがて緩やかな地形になると岐阜は間近である。岐阜駅の高山線折り返しホームに到着したところで、長い距離を移動してきたキハに別れを告げる。ここで東海道線に乗り換え美濃赤坂を往復する。歴史的にどういう経緯があるのか分からないが、大垣から先の美濃赤坂駅の間は東海道線の支線になっている。大垣駅を出てしばらく快調に走ったあといきなり減速して脇に逸れ引込み線に入ったようなところに荒尾駅があった。簡素なホームに東海道線の列車は不釣合いで、ちょっと不思議な感じがする。あとはだらだらと進み、貨物線が幾重にも重なった先に美濃赤坂駅はあった。はっきり言って、どんずまりの古臭い駅であるが、見方によっては雰囲気があっていい、とも言えなくもない。
どうしてこんな盲腸線が残っているのか不思議に思えるが、ここからは来た道を逆に戻るしかない。荒尾駅を出て本線に戻ると、何ごともなかったかのように飛ばし始める。岐阜駅から再び高山線に乗り換え、今日は美濃太田駅に程近いところに宿をとっていたので、そこまで移動する。建物は古かったが部屋の広さは信じられないほどで、なぜか印象に残るところだった。
俗化されてるとはいえ、飛騨高山は有名な観光地でもあり見所も多いはずである。時間の関係というか「乗り」を優先させた結果というか、今日は乗り継ぎのために1時間ほどとどまるだけであった。(後日談:その後、高山を再訪する機会がありました。そのときの旅日誌は、こちらとこちらをの旅日誌をご覧ください。)乗り継ぎをしていくとはいえ、ここで乗り換えるのは岐阜まで行ける便であり、結構な距離を行くことになる。2両編成のキハはなぜか前1両が冷房車でおのずとそちらから席が埋まっていった。たまたま座ったボックスも賑やかな3人組に占領され、ちょっといづらい感じがしないでもないが、一人旅に慣れた身にとってはどうでもいいことだった。(笑) 高山線は単線で線形も厳しく、駅間距離もある上に特急のなどの優等列車もそれなりに走っているので結構無理な筋が引いてある。今日乗った普通列車も高山を出ていきなり交換待ちで長時間停車となり、その後もたびたび列車待ちを繰り返していた。
山岳地域を抜けやがて緩やかな地形になると岐阜は間近である。岐阜駅の高山線折り返しホームに到着したところで、長い距離を移動してきたキハに別れを告げる。ここで東海道線に乗り換え美濃赤坂を往復する。歴史的にどういう経緯があるのか分からないが、大垣から先の美濃赤坂駅の間は東海道線の支線になっている。大垣駅を出てしばらく快調に走ったあといきなり減速して脇に逸れ引込み線に入ったようなところに荒尾駅があった。簡素なホームに東海道線の列車は不釣合いで、ちょっと不思議な感じがする。あとはだらだらと進み、貨物線が幾重にも重なった先に美濃赤坂駅はあった。はっきり言って、どんずまりの古臭い駅であるが、見方によっては雰囲気があっていい、とも言えなくもない。
どうしてこんな盲腸線が残っているのか不思議に思えるが、ここからは来た道を逆に戻るしかない。荒尾駅を出て本線に戻ると、何ごともなかったかのように飛ばし始める。岐阜駅から再び高山線に乗り換え、今日は美濃太田駅に程近いところに宿をとっていたので、そこまで移動する。建物は古かったが部屋の広さは信じられないほどで、なぜか印象に残るところだった。
5日目
長かった乗り歩きもいよいよ最終日となった。美濃太田始発の太多線で多治見まで移動する。通勤時間帯ということもあり何両編成になっているのかよく分からないが、気動車はフレキシブルな運用ができるものである。疲れのせいか、ちょっとボーっとしていたら終点多治見に到着するところだった。多治見で朝食を調達し、ホリデー快速で塩尻方面を目指す。が、ひとつ問題があって、なぜかこの臨時列車は塩尻駅へ乗り入れず、ひとつ手前の洗馬駅どまりとなっていた。どう考えても不思議に思えてならないが、誰もがそう思うらしく車掌が回ってきたときのやりとりによると、JR東海とJR東日本の取り決めでそう簡単に臨時列車は乗り入れができないらしい。何だか縦割り行政のような感じがして納得がいかない。この臨時快速で木曽福島まで移動し、やむなく特急に乗り換えることにした。当然18切符では特急に乗る権利がないので、この区間だけ別料金ということになってしまう。(後日談:その後、こんな列車に乗る機会がありました。旅日誌はこちらをご覧ください。)
そういえば、この旅の出だしも塩尻駅だったが、そこを戻る感じでしばらく東に移動する。もう満腹感を感じていたが、最後にデザート感覚(?)で寄り道をすることにした。甲府駅へ中央線を後にし、身延線で富士山の西側を南下する。甲府駅を出て1、2駅と小駅に寄りながらやがって列車は富士川沿いを行くことになる。それでも富士川に近づいたり離れたりするのだが、木が生い茂った場所では、バシバシと列車に木がぶつかる音を立てながら進んでいく。今日も強い西日を受けながら、富士駅へ到着した。(後日談:随分経って2度目の身延線については、こちらの旅日誌をご覧ください。)
更にデザートの寄り道は続く。東海道線で沼津駅へ出たところで御殿場線を回っていくことにしている。過去に乗ったことがあったかまったく覚えてないので、とりあえず全線乗り通すことにした。出庫直後の車両は冷房も効かず、かなり蒸し暑かった。その後も冷房の効きは悪く少々苦労する。国府津駅までやってくればあとは東京方面へ向かってもどるだけになる。いやぁ、本当に長い旅であった。
そういえば、この旅の出だしも塩尻駅だったが、そこを戻る感じでしばらく東に移動する。もう満腹感を感じていたが、最後にデザート感覚(?)で寄り道をすることにした。甲府駅へ中央線を後にし、身延線で富士山の西側を南下する。甲府駅を出て1、2駅と小駅に寄りながらやがって列車は富士川沿いを行くことになる。それでも富士川に近づいたり離れたりするのだが、木が生い茂った場所では、バシバシと列車に木がぶつかる音を立てながら進んでいく。今日も強い西日を受けながら、富士駅へ到着した。(後日談:随分経って2度目の身延線については、こちらの旅日誌をご覧ください。)
更にデザートの寄り道は続く。東海道線で沼津駅へ出たところで御殿場線を回っていくことにしている。過去に乗ったことがあったかまったく覚えてないので、とりあえず全線乗り通すことにした。出庫直後の車両は冷房も効かず、かなり蒸し暑かった。その後も冷房の効きは悪く少々苦労する。国府津駅までやってくればあとは東京方面へ向かってもどるだけになる。いやぁ、本当に長い旅であった。