■旅日誌
[2006/7] 幸せの青い森
(記:2006/8/3 改:2021/12/26)
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気がつけば火が点いた感じの全国空港めぐりですが、バーゲンフェアの誘惑に負けて予約先行でスケジュールを組んでしまったため、天候に泣かされることに…。今年の梅雨は後半になって広域にわたり記録的な豪雨を記録し出発前はちょっと心配でしたが、そう影響も受けずに済んだなと安心し切ってたところ最後になってとんでもないハプニングが発生。久しぶりにドキドキしましたが、どうにかこうにかが事なきを得た感じです。
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 1日目
ルート概略
【寄ったところ、乗ったもの】※詳細はこちら
あさぎり、沼津、はこね(VSE)
ここ数年来のあの鬼のような忙しさはないものの、気がつけば三ヶ月近く休暇を取っていなかった。もちろんGWはきちんと休んでたし休出の回数も激減してたのでそれだけで天と地の差ではあるのだが、とりあえずここらで一日休暇を取ることにした。冒頭にも書いたようにJALのバーゲンフェアの誘惑に負けて、あまり目的意識もなく単に三連休にしてあらたな野望(?)=全国空港めぐりを意識してコマを進めることにした。前回書いた通り、利用した空港の数を数えるとちょうど半分を過ぎたところで、まぁ数だけみれば折り返しに差し掛かったともと言えなくもない。もちろん、離島の空港など困難を極めることは簡単に予想できるのだが、残ったところをみるとあることに気がついた。どういうわけか、東北地方の空港はほとんど全く利用したことがない。唯一あるのが無理して福島空港へ寄ったきりである。離島を除いた北海道、四国、九州のいわゆるは"三島"ほぼ制覇できているのだが、周遊きっぷの片道で航空機を利用することもひとつの要因かもしれない。できるだけ遠くまで行って一気に飛行機で帰ってくるということを考えれば、東北地方から戻ってくるのは陸路になる傾向が強いようだ。と、話の流れがそっちに行きながら、実は従来の目標であった乗りつぶしで一部こぼれていたものがあったので、そいつをケアするのがまずは本当の目的である。
はこね あさぎり
ということで、今回も脈略なくルートを決める。まずは一日もらった休暇の使い道だが、なぜか箱根方面に行きたくなりあさぎりと小田急の最新のロマンスカーを狙ってみることにした。思えばロマンスカーを利用する機会はほとんどまったくと言っていいほどない。全車指定ということもあり、当日のことを考えて前もって予約を入れておく。だが、最寄に小田急線の駅はないので、ちょっと面倒だが近くのびゅープラザで頼んでおくことにした。いまどき…ではあるがTELでしか予約を入れるしか術がなく、そんな面倒なリクエストにもイヤな顔ひとつせずに対応してもらった。券面を見ると、普通っぽい指定券にスタンプと手書きで座席番号が記入してある。これは後で記念にとっておきたい。
あさぎり
平日にもかかわらずあさぎりはかなりの予約が入っていた。あさぎりの歴史はわりと深く、長きに渡って"先代"が活躍していたが、数年前にリニューアルされたのは記憶に新しい。それを機に行き先が御殿場から沼津へ延長され、JR東海も一編成ながら新車を投入した。減少傾向にあるJRと私鉄との相互乗り入れだが脈々と続けられており、JR東海としても新幹線以外に都心へ直接乗り入れる貴重なルートであるという認識らしい。その車両も唯一の"虎の子"編成なので、定期点検時期には姿を見せなくなる。話は尽きないが、JR車両のあさぎり外観はどことなく新幹線を思い起こす雰囲気だった。ラッシュのピークは過ぎた後だが、過密ダイヤの中、あさぎりはノロノロと先へ向かっていた。
箱根登山鉄道
今からすると一昔も二昔も前のことだが、実は小田急線で通学していた時期があった。高架化も進み沿線の様子はすっかり変わってしまっている。それでも"完成"までの道のりはまだまだ遠いようだ。多摩川を渡り神奈川県に入ると少しはペースも上がってきただろうか。建物ばかりだった景色もどことなく田園風景へと変っていく。町田で大きく入れ替えはあったものの周囲に空席はほとんど見当たらない。松田の手前で徐行しJRへの渡り線を通過していくと、いよいよ山間の緑に囲まれた雰囲気になってきた。相変わらず雨は降り続いている。ここで乗務員が交代となり、あとは駅に着くたびに多くの人が降りていくことになった。残念ながら今日は富士山の姿を目にすることはできなかった。あさぎりはあっけなく沼津へ到着し、早速折り返しの準備へと取り掛かる。
箱根登山鉄道
沼津に居座って時間を過ごす選択肢もあったが、今日は箱根方面へ向かうことにしていた。熱海では会社が変わるため乗り換えが必要となるが多い。東海道線小田原まで進み、小田原からは小田急を乗り継いで箱根湯本へと向かう。どこも数分の乗り換えでちょっと慌しい。軌道幅が違うため三線レールが敷かれてのはよく知られた話だが、どういうわけか、いまは箱根登山鉄道の電車が小田原へ乗り入れることはなくなったらしい。
箱根登山鉄道
箱根湯本駅で到着を待ってた電車に乗り換える。運がいいのか悪いのか、旧式の車両にしばらく揺られてくことになる。本格的な登山列車ということでは、日本でも珍しい部類に入る。途中スイッチバックを繰り返していくのも、半ば名物のようなものである。"あじさい電車"などと呼ばれるように、この時期は沿線に群生するあじさいをバックにとても絵になる光景が見られる。ここばかりは梅雨空も悪者扱いされない。ところで、箱根は四季がはっきりと分かる場所だとも言われている。春の桜、初夏の梅雨空、秋の紅葉、冬の雪景色と一年を通じて自然に触れることができる。また、避暑地として、別荘地としても有名であることは言うまでもなく、美術館が多いことや、険しい地形からどこかヨーロッパ風の香りがする場所でもある。こうして突然ぷらっとやってきても、西欧系の人だけでなく多くの外国人観光客の姿を見ることができる。そんな素晴らしい場所が地元神奈川にあったことをしばらく忘れていた。
箱根登山鉄道・ケーブルカー
強羅で折り返してもよかったが、少し時間がありそうなのでケーブルカー早雲山まで登ってみることにした。確かにここも何度か来たはずだが、最後にやって来たのはいつのことだかはっきりしない。早雲山から先はロープウェイで芦ノ湖方面へ抜けるのがメインルートであるが、中途半端だが今日はここで戻ることにした。大涌谷越えはこのルートのクライマックスでもあり、怖いくらい素晴らしいパノラマが期待できる場所で有名だが、ロープウェイの架け替え工事を行っていることもあり、それは次回…ということにしよう。もっとも、一段と激しくなったこの雨ではそんな気分にもなれないのだが。
箱根登山鉄道
往きと同じルート箱根湯元まで戻る。次は一番新しいロマンスカーで一気に新宿へ向かうことにする。白いボディーの斬新なデザインは独特の雰囲気を漂わせていた。小田急ロマンスカーは伝統的にハイ・センスだと言われてるように、この電車もまた例外ではない。普段利用する機会が少ないのもちょっと惜しいかもしれないと思った。
小田急ロマンスカー・VSE
ほとんど日帰り往復モードで一日をつぶした形になるが、いつものように深くは考えないことにして次の目的地へと向かう。もしかしたら能登号の間合い運用のホームライナーに時間が合うような気がしたが、これも数日前についつい寄り道ついでに出向いてしまったため、今日はその必要もなくなった。話は逸れるが、グリーン車も開放されているため500円のライナー券であの独特のシートに着席することができるので、迷わずそれを目指してしまった。さすがに車両はくたびれており、いつまでこの形で運用されるのかちょっと心配になった。順当に考えれば北陸新幹線が日本海へ"貫けた"時期がターニングポイントになるような気がする。
北陸
全国的にここ1週間くらい続いた豪雨の影響で夜行列車が運休になることが多く、特に羽越線で発生した土砂災害の影響で日本海トワイライトエクスプレスあけぼのは長期運休を余儀なくされていた。今日はこれから北陸号を利用することにしているが、とりあえず運休してないことを確かめておく。一応安心できたところで、最近品川駅の"えきなか"で見つけたインド料理のお店へ向かう。去年インドへ行ったせいではまった…ということでもないが、あれから時間が経って何となく気になっていたのは事実である。辛いとか辛くないとかではなく、使ってる香辛料に現地のものが多く含まれているようで、そのフレーバーから向こうで食べた記憶がかすかによみがえったような気がした。もちろん、日本向けにアレンジされてるので"パンチの効き方"は全然違うのだが、ナンではなくロティーに変更できるというのもちょっとうれしかったりする。(余談:旅日誌・番外編をみていただければ分かると思いますが、インドでいうパンにあたるものは、日本人でよく見かけるもちもちっとした大きなナンではなく、粗くひかれた粉を使ったロティーを指すことが多いようです。)食後のマサラティーも、もっと思いっきりマサラを効かせて欲しかったが、これ以上欲をかいても仕方ない。
北陸
まったりとしたインド時間(笑)を過ごした後、上野へ移動し北陸号の入線を待つ。金沢まで乗り通したとしてもおよそ6時間半、時間調整のための運転停車も含まれているので夜行列車としては乗ってる時間は短い部類である。そのわりにA寝台個室あり、シャワー設備あり、B寝台個室も3両連結するなど結構力が入っている。各種割引切符が使えたり、能登号との補完関係も含め、夜行バスに対抗していることがよくわかる。確かに需要も高く、Bソロは早めに予約を入れないと取れなくなることも少なくないという。前にも書いたように、長野から先の北陸新幹線が本格開業したときには様子がガラッと変わってしまうだろうが、とりあえず今回は富山まで利用する。予約が取れたのはB寝台ソロの上段、階段を上がった部屋は立ち上がるスペースもなく窓側の天井が丸くなってるので狭苦しく思えるが、そんなことはすぐに慣れてしまい不思議とくつろげるものである。明日はまた早いので今日はおとなしく寝ることに専念しようと思うが、シャワー室とサロンがある車両だったので人の声がうるさい。予約するときにリクエストしておけばよかったかもしれない。(後日談:その後、北陸、能登ともに引退することになりました。そのときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
能登
 2日目
ルート概略
【寄ったところ、乗ったもの】※詳細はこちら
北陸、富山ライトレール、福井鉄道、小浜線、コウノトリ但馬空港
ようやくあのうるさい団体も去って、次に気がついたとき列車は止まっていた。窓のカーテンの向こうが妙に明るく、あれ?と思ったら長岡に停車してるところだった。時計は午前3時ちょうどを指している。通常なら何本か夜行列車同士が顔を合わせるタイミングだが、羽越線の土砂災害の影響もあって今日はそういった光景に出会うことはない。列車は逆方向へ動きだし、もう一眠りすることを考える。無事寝過ごすこともなく富山で降りて、お見送り代わりに付け替えられた機関車の顔だけでも見ておく。更にすぐ後を追ってくる能登号の姿も確認しておくことにした。週末だというのに、こっちの利用者の数はちょっと寂しいようだった。(後日談:その後、北陸新幹線の開通を機に北陸号、能登号の運行は終了しました。北陸新幹線に乗ったときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
北陸
この時間の富山駅北口は営業時間前ということで開いていなかった。面倒だが正面南口から連絡通路を回って行かなければならない。駅北口はきれいに整地され、あたらしい駅舎の工事をしている。そうか、新幹線乗り入れで高架化するんだな…。しばらくして、今回の目的のライトレールが向こうからやってきた。最後に信号待ちしてから停留場へ入ってくる。富山港線の時代に何となく寄り道したことはあるが、ライトレールとして生まれ変わったことで一部路線が変更になったので、気持ちよく乗りつぶしをしておくことにしていた。
ライトレール
ローカル線がLRT化されるという事例としては、ここ富山は先駆的な存在である。お洒落な車両も小さいながら効率よく空間デザインされており、運転席を埋め尽くす先進的な設備は省力化に一役買っている。駅は低床用にすべて作り変えられ、広告スペースの一部は外部から出資を募ってできている。統一感もあってセンスがいい印象を受ける。新駅を設置して駅間距離を短くしたり、運転本数を増やして運行間隔を短縮したりと、より生活に密着した存在としてやっていこうとする姿勢が垣間見える。何よりも料金設定ではかなり努力をしており、平日の昼間と休日の終日の運賃を半額=100円ワンコインにするという処置をこの先1年ほど続けるという。専用軌道に入ったあとは意外とスピードを出しており、20分ちょいで終点の岩瀬浜へ着いてしまった。思いのほかあっけない。岩瀬浜というよりもバス停の脇に電車が止まってるようなイメージである。今日はこのまま富山駅北へと戻ることにした。(後日談:市内線が環状運転を始めたときの旅日誌はこちらを、富山地鉄と直通運転を開始したときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
ライトレール
続いて富山始発のしらさぎで福井へ向かう。福井駅もまた新幹線の開業をにらんでか、高架の新しい駅へとすっかり姿を変えていた。何だかとても久しぶりのような気がする。さて、その福井に寄る理由だが、どうもまたここも"取りこぼし"をしてたような気がしてならない。ちょうど今回、通過途中にあたるので寄り道していくことにした。本当にわずかばかりだが、福井鉄道の福井駅前と目と鼻の先にあるお隣の市役所前電停間が未乗のような気がして落ち着かなかったので、今回ケアしておく。このひと区間だけ本線から外れて変則的な運行をしており、まぁとにかく、これが最後の"記憶が定かでない場所"だと信じて、気持ちよくやっつけておくことにした。
福井鉄道
このまま武生へ向かってもよかったが、何となく気分で途中下車してしまう。地図を見ると花堂駅北陸線越前花堂駅が近くあるので、歩いて移動してみることにした。花堂駅は何もないちっぽけな駅で、よそ者にとっては降りるのにちょっと勇気がいる雰囲気があった。まぁしかし、特に道に迷うようなこともなく越前花堂駅へは出られた。時間的にちょっと余裕があるが、素直に次の普通列車に乗り継ぐことにしよう。
花堂駅
この食パンのような面構えはいつみても妙だなと思う。東北地方のようにいずれは味気ない電車の揃い踏みになってしまうのだろうか?その普通列車の終点が次の乗り換え駅になる敦賀である。ここで1時間程の待ちとなるが、長いなら長い、短いなら短いと、どっちつかずで何となく中途半端な感じだった。一時的にもあの梅雨空から開放され、強い日差しの中ようやくコトコトとやってきた小浜線のローカル線へと乗り換える。いつの間か電化されていたが、1両でのんびり走るローカルの姿は沿線の風景にマッチしている。安上がりにするため車両の性能をわざと落としたというらしいが、確かに加速がまったくよくない。まぁそんなことくらいで文句をいう気はないのだが…。妙に優先席が目立つ車内はそれなりに座席数はあるものの、何せ1両編成ということで午後の時間にしてはとても混雑していた。う~ん、こればかりは改善の余地ありかな?
小浜線
終始混雑していたせいか、突然怒鳴りだすオヤジなどいたりして、あまり落ち着いた感じがしなかった。終点の東舞鶴で次の舞鶴線に乗り換える。その先も少し乗っては数分で乗り継ぎということを繰り返していく。綾部、福知山と経由して手持ちの切符の行き先になってる豊岡を目指す。結局最後まで電化区間をやってきたことに初めて気がつく。出雲号で山陰線を通ったのは最近のことだが、あのときとは時間帯が違っていた。
山陰線
豊岡でもちょっとだけ時間があるので、街歩きなどしながら時間をつぶす。駅前のバス乗り場でコウノトリ但馬空港へ向かうバスを待つ。歩きまわったせいで少々汗ばんでしまい、体が冷たい物を欲している。もしかしたら、豊岡でなく城崎まで行ってしまっても同じバスに乗ることになったのだろうか?途中上空をプロペラ機が飛んでいるを見ながら山の中を進み、やがてコウノトリ但馬空港へと到着する。
コウノトリ但馬空港
空港の建物の横にはなぜかYS-11が展示されていた。"コウノトリ但馬空港"という一見して妙な名前も、何とかして存在感をアピールしたいのだろうが、どうも空回りしてるのような何とも冷めた印象しか持てない。当然のように地元では東京直行便を望む声はあるだろうが、実際のところ小型のコミュータ便が朝と夕に大阪から往復してるだけである。使用される機材はJACの小型機:SAAB、鹿児島から広島西へ飛んだものと同じである。定員は30名ほど、東京直行というにはあまりにもギャップがある。大阪までの所要時間はおよそ40分。霧対策を行って欠航率も低く抑えたというが、冷めた見方をすれば、これから劇的に利用者が増えていくようなことはまずないだろう。今日は大阪空港近くで投宿することにしていた。
日本エアコミューター・JAC2324便・伊丹行き
 3日目
ルート概略
【寄ったところ、乗ったもの】※詳細はこちら
いわて花巻空港、IGR銀河鉄道、青い森鉄道、八戸線、蕪島
今日は一転して東北地方を目指す。そういえば、伊丹空港から出発するは初めてのことになる。今日の行き先はいわて花巻空港、その後三沢空港へ移動して帰京する予定だ。どちらもそれほど便数があるわけでもないので、うまくタイミングを合わせて2つの空港をまわっておこうと企む。大阪から花巻へ向かう機材は旧JAS機のMD90、このクラスでは比較的新しい部類である。一昔前はスマートなボディーにレインボーカラーが印象的だったやつである。地方ローカル線にしてはそこそこの着席があり、他人事ながら少し安心する。乗ってる人が少ない飛行機というのも少々心配になってくるので…。
いわて花巻空港
茶褐色の山肌に残雪を残した北アルプスを越えると日本海が見えてくる。新潟付近で再び内陸へと進路を変える。上流から大量に運ばれてきた土砂のせいで信濃川の河口は大きく扇形に濁っていた。山形上空を通過した後、いわて花巻空港へのアプローチとなる。最後は低い雲に阻まれ外の景色があまりよく見えなかった。雲というより霧といった方がいいかもしれないが、視界が開けたのはランディング直前のことで滑走路がもうそこまで迫っていた。この先この霧に痛い目に遭うことなど、このときは未だ知る由もなかったのだが…。正直なところ、いわて花巻空港は印象が薄い空港だった。盛岡や北上・花巻へ向かうリムジンバスには乗らず、いつものようにヘソ曲がり根性を出して東北線の花巻空港駅へと向かうことにしていた。
東北線
駅名こそ花巻空港駅とあるが、空港アクセス駅として扱われてる気配はまったくない。地元系の路線バスで数分ほどの距離なのだが、それも他に乗る人もなく空気を運んでやってきた。空港で客を拾ったことに一番驚いてたのが運転手本人だったところをみると、地元でも全く認知されてないらしい。東北本線といいながら列車の運転間隔は非常に長く、通過する貨物列車がなければひどい田舎のローカル線である。何か悪いことを言ってしまったのだろうか、窓口で切符を買おうとすると困った顔をされてしまう。どうもIGRと青い森の2社を経由して前後通しのJRの切符をつくることはできない…と。じゃぁ北斗星なんてどうするの?と素朴な疑問を感じるが、すべては新幹線ありきということなのだろうか。ホームに出て通過する列車を見送って時間をつぶしていると、貨物列車とは違う雰囲気の列車が上り方面に近づいてきた。なんと夢空間を連結しているではないか。偶然とはいえ、よりによってこんなところで随分と珍しいものに出会うことになるとは…。
IGRいわて銀河鉄道東北線
ようやくやってきた普通列車に乗り込む。この4両編成を仕切っているのは若い女性の車掌で、小柄ながら凛とした動作が印象的だった。他の人も同じように感じてるようで、車内を行き来する後姿を目で追いながら正面の親娘連れが小声で「格好いいね…」と言っていたのがかすかに聞こえた。味気ないロングシート電車には長時間乗る気にならないので、この程度の時間で済んでよかったのかもしれない。盛岡では一旦改札の外へ出なければならなかった。あらためて切符を買い直すことになるのだが、こちらはIGR・青い森からJRへと3社通しで買うことができる。ここから先は新幹線の開業後、いわゆる並行在来線ということでJRから経営が切り離された区間になる。地元の足として第三セクターのIGRいわて銀河鉄道、青い森鉄道が運行・管理にあたる。通勤通学とは関係のない昼間のこの時間、IGRのロゴの入った電車には10人ほどしか乗っておらず、ことの深刻さをあらためて感じる。貨物列車や夜行列車の通過も貴重な収入源として充てにせざるを得ないほど状況はかなり厳しい。千鳥状に配置されたボックス席を占有し、しばらく車窓を眺めながら行くことになった。そんな心配はよそに快速列車は停車駅を間引きながら淡々と飛ばしていく。途中駅でも数人降りて数人乗ってくるといった程度で、何とも寂しい限りである。新幹線が来れば未来が開ける!なんて大風呂敷を広げてたお偉いさん、現実は残酷なまでに厳しいですけど…。
八戸線
八戸駅八戸線へ乗り換える。今回初のディーゼル車で、とても遠くへ来た感じがした。新幹線のおかげですっかり垢抜けた駅をあとにして、その先ものんびりと進む。最後の目的地である鮫駅までは「うみねこライン八戸市内線」などと愛称が付けられており、この部分の区間便はそれなりに出ているが、この先久慈方面まで行ってくれる便は極端に少ない。
鮫駅
こじんまりとしたを降りて少し先へと歩いていく。踏切を渡り、港沿いを進む。やがてうみねこの声が聞こえてくると、遠くに蕪島の姿が見えてきた。この時期は繁殖期の後半にあたり、すごい数のうみねこがいるという。徐々に近づくにつれ、それが半端じゃないことが分かってきた。港からは観光船が出ていて、沖から蕪島を見たり、群がるうみねこに囲まれたりするのだが、残念ながら今日は濃霧で欠航するとのこと。次に来る機会はなさそうだが、仕方なく断念する。しばらく海沿いを歩いてみるものの、遠くから蕪島を眺めるくらいで、その先へ行っても何かあるわけでもない。適当なところで折り返して蕪島神社へ行ってみることにした。
蕪島
遠くからも十分に分かってはいたが、近づいてみるとやはりすごいことになっていた。まさにヒッチコックの鳥の世界である。ここら一帯がうみねこに占拠されていた。そんな状況にありながら、、、いや、そんな状況だからこそかもしれないが、近くでばら撒き用のえさが売られており、わざわざそれを買って鳥に追い捲られるような暴挙に出る輩も少なくなかった。あまり楽しそうには思えないのだが、人だろうが車だろうが鳥の方はお構いなしである。折角なので意を決して神社へお参りすることにしてみた。足の踏み場もないところを、こっちが鳥を避けるようにして階段を登っていく。ようやくお参りを済ませ、あらためて周囲を見渡す。あまりにも落ち着かないので、すぐに戻ってきたことは言うまでもない。どうも、これ以上ここにいても仕方ないようだ。
蕪島神社
それこそ"空爆"でも受けたらたまらないので、今日はここらで引き揚げることにした。とはいうもの、八戸線の列車本数は限られてるので、やむなくそこらをウロウロしてからへ向かうことにした。漁港はそのまま市場になっているのだが、この時間に市が行われてることはないのでまったくもって閑散としている。静か過ぎてかえって不気味なくらいだ。多少遠回りしてに戻り、しばらくしてやってきた上り列車本八戸まで戻ることにした。
本八戸
本八戸まで来たものの、観光船に乗れなかった分時間が余ってしまっている。気温もそう高くはなく、相変わらず空模様は芳しくない。スカッと梅雨が明けるにはもう数日要すことになりそうだ。ここ2、3日間、七夕祭りが行われているとのことだったが、そんな感じでなので夏気分というのともちょっと違う。それでも街の中心部へ移動してみると、縁日のように露店が出ておりかなり賑やかな雰囲気だった。じっとしてても仕方ないので、三沢空港行きのバスが来るまでそこらをひと回りすることにしよう。多少歩き疲れたが、座って休めるようなところがなかなか見つからない。バスが出る場所を確認しておこうと乗り場を探すと、とんでもない張り紙が出ているではないか。『濃霧のため本日の東京行き最終便は欠航』何だと?!おいおい、もう夕方6時なんだけど!!
八戸線
そうと分かっていれば無駄に時間を過ごすようなことはしなかった。もちろん帰らないわけには行かないので大急ぎで本八戸駅へ戻ることにする。携帯からJALのサイトをアクセスしてみると、三沢-東京便は天候調査中のまま更新がかかっていない。それよりなにより、この時間で東京に帰れるのか、かなり不安になってきた。本八戸駅に着き、まずは指定席券売機へ直行する。どうやら最終のひとつ前の新幹線でも間に合うらしい。(安堵!)すかさず購入手続きを済ませる。いやぁ、それにしても危なかった。冬場ならともかく、いまのこの時期にフライト・キャンセルなんていうアクシデントに遭うとは…。みたび八戸線に乗って、まさか再び来るとは思わなかった八戸駅へ戻ってきた。とりあえず晩飯用のお弁当だけ購入して、19時前のはやてに飛び乗る。これに乗れば22時を回ったところで東京へ到着することができる。いやぁ、今日ばかりは新幹線さまさまである。旅にハプニングはつきものだが、バックアップスケジュールの大切さを思い知らされることになってしまった。途中遠くに上がってた花火を見ながら、そんなことを考えていた。(後日談:あらためて三沢空港に立ち寄ったときの旅日誌はこちらです。)
はやて