■旅日誌
[2008/11] さよなら、夢の超特急
(記:2008/12/30 改:2021/8/7)
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この11月末をもって0系新幹線の営業運転が終了することになりました。引退の前に1度くらい最後の雄姿を見ておきたいと思ってましたが、日程の都合がつかず特に出向くことなど考えてなかったところへひょんなところから営業運転最終日の指定を入手することができてしまい急遽遠征することにしました。また、前泊する必要があったこともあり、未乗だった2つの路線も片付けることにしました。それにしても最後の最後にしてプラチナチケットを入手できた自分の強運にまたも感謝です。
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 1日目
ルート概略
【寄ったところ、乗ったもの】※詳細はこちら
三河安城、亀山、おおさか東線、京橋、京阪中之島線
前振りの通り、この11月に0系新幹線が引退することになった。新幹線といえば、誰もが初代新幹線のあの愛着のある団子鼻を思い浮かべるのではないだろうか?その0系新幹線が姿を消すとなってにわかに世間も騒がしくなっていた。ちなみにいま0系新幹線が走っているのは山陽新幹線だけで、東海道新幹線からは数年前に退いている。その山陽区間でも日に数便とわずかばかりになってしまっている。世代交代も進み、高性能の最新鋭を中心にダイヤが組まれてる今日では、古い世代は半ば邪魔者のように扱われている。そんな厄介者でもいざ去就が囁かれるようになるとにわかに注目が集まってきていた。
0系新幹線
この手の話が持ち上がると当然のように最終日の指定券は争奪戦となり、あっという間に売り切れてしまったらしい。だがこの列車は定期運行されているため自由席もそれなりに数があり、最終日はヒートアップが予想される。また、それとは別に12月には何回かひかり号としてさよなら運転が予定されており、実はそちらを狙っていたのだがあえなく撃沈。まぁそちらは無理と分かっていたのでそっと様子を見守ることにしていた。その後何回か照会をかけても、そう簡単に空きが出てくるわけもなくそのままでいたが、そんな折先週の三連休に東北をまわってる途中、何気なくネットで確認してみたところ最終日のこだま639号に僅かばかりの空きが出ており、まさか?!と自分の目を疑ったが、その場の勢いで予約を入れてしまった。と、そんなわけでまさかのプラチナチケットを手に入れることができてしまったのだが、おそらくツアーか何かの団体さんのキャンセル返しでもあったものと予想される。そしてこの1、2時間後には再び満席となっていたので毎度ながら本当に運がよかったらしい。
0系新幹線
東海道新幹線が開業したのが1964年のこと、今から約44年も前のことである。そのときの車両の型番が0系であり、細々ながら今でも現役で運用されているというのは驚きである。もちろん開業当時の車両が物理的にそのまま走ってるわけではないのだが、あの丸みを帯びたフォルムはいまさらながらどこか親近感を覚える。高速がゆえに劣化も激しく、でもマイナーチェンジを繰り返し古い車両を置き換えるやり方が取られたため、今まで走り続けていたという事情もある。最近でこそ頻繁にモデルチェンジが行われるようになったが、100系車両が導入されたあとも0系車両は補強されていたらしい。その後、山陽新幹線が岡山、博多と延び、また東北新幹線や上越新幹線が開業したわけだが、そのときもあの団子鼻にはどこか安心感を覚えたものである。
0系新幹線
単に最高スピードが速いというだけでなく「新幹線」というひとつのシステムが交通インフラとして絶対的な立場を確立しているのはいうまでもない。考えてみれば、1200、1300人もの大量の人員を乗せた列車が東京-大阪間を時速270キロもの猛スピードで、それも通勤列車なみの数分間という間隔で絶えず走り続けているのだから、恐れ入ったものである。何より凄いのは秒単位の正確性と365日休みなしで運用されているということ、そして走行時の死亡事故がないという圧倒的な安全性は特筆に価する。その基礎を担ったのが0系新幹線だったことは紛れもない事実である。新幹線が登場したときは『夢の超特急』とも呼ばれ、庶民にとっては高嶺の花=憧れの象徴だったが、その後いわゆる日本の高度経済成長を牽引した立役者として走り続け、いつの間にか人々の生活には欠かすことのできない存在になっていた。新幹線は旅情もなくつまらない…という意見もあるが、違う言い方をすれば、それ程当たり前の存在になっていたのだと思う。そんな新幹線の象徴ともいえる0系車両が現役を去るとなれば、人々の注目を集めないわけがない。
こだま537号
この日は0系新幹線の定期運転の最終日ということで、いつもより本数が限定されての運転だった。本当の最後の最後は岡山発、博多行きのこだま659号なのだが、今回予約が取れたこだま639号は、8時前に新大阪を出発し博多までの山陽区間を全線乗り通せる列車としては最後の便となる。また、このこだま639号は途中停車駅で後続に追い越される機会も多く、普通に考えれば新大阪から博多まで移動するのには向かないが、追い抜かれる場面や停車時の記念撮影には都合がよかったりもする。まぁ、そんなことはいいとして、折角手に入れたチャンスなので、とにかく最後の0系新幹線の旅を記憶に留めておこうと思う。
三河安城
さて、こだま639号に乗るためには、どうしても前泊する必要があり、前日に大阪入りしておくことにしていた。この夏に大阪へ寄る機会があったが、そのときも乗りつぶしをしておくことができなかったので、今回の大阪入りを使ってそちらも済ませておくつもりである。と、そこで素直に大阪入りするのも何なので、三河安城駅で途中下車してみることにしていた。下調べの段階では新横浜からひかりに乗って豊橋で乗り継ぐつもりだったが、新横浜に早く着き過ぎてしまい、ちょうどやってきたこだまに乗り込み三河安城まで乗り通してしまうことにした。そんな具合だったがこだまはガラガラ、今回もPCを持ち込んでひと作業済ませておくことにした。(後日談:300系のぞみの引退に際し惜別乗車する機会がありました。そのときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
亀山
三河安城で下車、10時を回ったところだったのでみどりの窓口に向かい、ちょうど1ヶ月先のふるさとゴロンと号の照会をかけてみたが予想通り満席の回答。まぁ、あくまでも冷やかしなのでとりあえず深追いはやめておこうと思う。(後日談:結局風邪でダウンしてしまったので、結果的にこの判断は正しかったようです。ですが1年後にリベンジしました。そのときの旅日誌はこちらです。)ところで、三河安城で降りた理由はまったくなく、一回も利用したことがなかったのでちょっと見ておくかといった程度のものだった。こぎれいに整った駅前を眺めてから少し離れた在来線の駅舎へ向かう。ちなみに新幹線の接続駅なのに、普通列車しか停まらないというのはどうかと思うが、しばらくしてやってきた普通列車で名古屋まで移動し、次の乗り換えの前に軽くお昼を済ませることにした。そうだ、ホームの端にある立ち食いできしめんでも試してみるか…。(余談:普段立ち食いでは、うどんにかき揚と決めているのですが、揚げたてのえび天を出してくれるというのでちょっとだけ奮発してみました。名古屋らしい演出というか、少しグッときました。(笑))
関西線・車窓
名古屋で関西線の普通列車に乗り換え、終点の亀山まで移動する。亀山駅は、JR東海とJR西日本の境界駅であり、かつて交通の要所だったこともあり、なかなかの立派な駅だった。路線の名前は同じ関西線でも、ここから先は非電化となり、車両も小振りのキハに変わる。このルートでも名古屋から関西方面へは抜けられるのだが、選択肢としては一番不便なので利用者も少ないと思う。そんなわけで逆にへそ曲がり者にとっては魅力的だったりするのだが、車窓は変化に富んでおり、それはそれで楽しいものである。このルートは過去にも利用したことはあったが、随分と久しぶりのような気がした。
おおさか東線
鈴鹿越えのあと、木津川沿いに下りて来て加茂駅で関西方面へ直通する新快速へ乗り換える。と、ここで、不幸にもハイカーのおばちゃんたちの団体に囲まれ車内は一気に賑やかになる。飛び交う関西弁にも最初は賑やかだな…くらいにしか思わなかったが、もしかしてこの先、ずーっとこのペースかと思うとぞっとしてきた。ところが、運よく次の木津駅で京都方面へ乗り換えてくれたので正直助かった。奈良駅でしばらく時間調整したあと、その先乗客の数は増えてきて車内は満員となっていた。今日の目的のひとつである乗りつぶしのために久宝寺で途中下車して、おおさか東線に乗り換える。うぐいす色の車両は味気なく、首都圏では淘汰が始まってる車両ではあるのだが。。おおさか東線は貨物線を旅客用に転用した路線であり、環状線の外側を縦方向に結んでいる。おおさか東線はこの春に開通したばかりだが、計画の南側半分の暫定開業である。高架の路線が続いていたが、どの駅でも既存の路線との接続があり、乗り換えは便利そうである。沿線を眺めているうちに終点の放出へ到着、後続の貨物列車を見送って京橋へ移動する。(後日談:その後、延伸されたおおさか東線に乗ったときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
中之島線
京橋で京阪に乗り換え、今回ふたつ目の目標である中之島線を目指す。中之島線は、地図上では既存の路線と並行するように引かれているのだが、これまで東西を結ぶ路線としては比較的弱いとされていた地域でもありそれなりに期待されてるようだが真意はいまひとつ分からない。まぁ難しい話は置いといて、新線開業とあれば駆けつけないわけにもいかずとりあえず乗っておくことにしている。天満橋で既存の路線から分岐し新線へ進むものの、地下路線ということもあり、当たり前だが外の様子はよく分からなかった。まぁ、停車する駅が少し新しいかな?といった程度で、程なくして終点の中之島へ到着、これでミッション完了。完乗タイトル防衛を果たしてここはあとにすることにした。地上に出ると外はすっかり暗くなっており、水辺の景色ももう楽しむといった感じではなかった。明日は早いので今日はおとなしく引き上げることにしよう。
中之島
 2日目
ルート概略
【寄ったところ、乗ったもの】※詳細はこちら
新大阪、こだま639号(0系新幹線)、福岡
指定が取れたお陰であわくって動き出す必要もなかったが、どうも落ち着かなかったので早めに行動を起こすことにした。駅近くの宿を後にして早速新大阪駅へ向かうと警備にあたる人の数も多くどことなくざわついてる感じがした。一本前の列車を見送ったあと、折り返しのこだまを待つ。既にホームには溢れんばかりの人でいっぱいだったので向かいのホームに移動したが、こちらにも多く人で溢れかえっていた。報道関係の人の姿もちらほら見えたが、今日この便を最後に、定期運行で新大阪にやってくる0系新幹線はもうない。
0系新幹線
何だかんだで乗り込むのに時間がかかってしまい、着席するなりすぐの発車となった。ホームでの喧騒をよそに列車は無事博多へ向け定刻に出発、気持ちゆっくりとしたペースで新大阪を後にする。今日も天気はよく、差し込む日差しは強いようだ。といっても山陽区間はトンネルが続くので、ゆっくりと車窓を楽しむというのにはあまり向かないのだが…。まぁとにかく最後の0系車両の旅を満喫したいと思う。
0系新幹線
新神戸を出た後も、こだま639号はちょこまかと停車を繰り返していく。それもそのはずこだま号はいわば各駅停車、優等列車であるのぞみひかりに道を譲るダイヤが引かれており、最速ののぞみなら新大阪博多間は2時間半のところ倍の5時間近くをかけて行く。後からやってくる後輩たちに道を譲る様は、追い抜く姿に向かって「頑張れよ」と言ってるかのようにも思えた。
0系新幹線
GWのとき今月はじめのときのぞみ99号で追い抜く方に乗っていたのだが、今日は追い抜かれる側にいる。停車時間の合間を見て上りホームに行って全景の様子を写したりもしてみた。ちなみに、今日こだま639号に就いているのはR61編成、最後まで残ったのはこの編成を含めてわずか3編成となってしまっている。(後日談:そのR61編成ですが、12月のさよなら運転の最後のひかり347号に就き有終の美を飾ったようです。)
0系新幹線
さて、ここで少し車内の様子に目を向けてみることにしよう。0系車両がデビューしたころは3+2列の座席だったが、いまでは2+2列のゆったりとした配列に変えられている。その分、通路と入口の位置がずれているのはその名残である。他にも手が入っているようだが暖色の内装や天井=ラインデリアのデザインなど、どことなくオリジナルのやさしい雰囲気が残っているようにも思える。デッキとキャビンを仕切る出入り口の号車番号もどことなくレトロ感があっていい。ところで今日は多客になると見込まれていたためか、普段にはないワゴンサービスも行われていた。
0系新幹線
デッキに出ると0系車両の写真が何の気なしに掲示されていた。銘板も昭和の年号を示している通り、歴史を感じる。0系新幹線といえばかつて食堂車が営業していたが今は見る影もない。あえて言うならビュッフェの名残を見るくらいである。ついでに水まわりを見てみると、色合いは微妙だがきれいに手の行き届いた洗面台や水洗トイレ、それから折りたたまれた紙コップのある冷水器など、どれも忘れかけていたが妙に懐かしく感じるものがそこかしこにあった。(後日談:偶然見かけた500系のぞみですが、その役目を終え東海道区間から引退することになりました。そのときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
0系新幹線
列車広島に到着、ここでも後続ののぞみに道を譲る。実は0系新幹線の引退に向けていくつかの駅で記念の弁当が準備されていたのだが、今回は広島駅の駅弁を購入してみることにした。どの駅にも共通して言えることだったが、シンプルながらひと工夫されていて、なかなかの出来のように思えた。ちなみに広島駅のは地のものを中心に構成されていて、売店では飛ぶように売れていた。
0系新幹線
列車は順調に走り続け、本州最後の駅である新下関駅へ到着、ここでも停車時間があるので外へ出てみると隣のホームには九州新幹線直通用の車両が停まっていた。N700系7000番台は九州乗り入れ用に開発された新しい車両で、ノーズの形状などスペックはN700系とまったく同じなのだが、確かにWEST JAPAN/KYUSHUのロゴが入っている。まさに新旧交代、思わぬところで貴重なツーショットを目にすることができた。(余談:どうやら最終のこだま659号の式典に華を添える形で動員された模様ですが、まさかこんな形でお目にかかれるとは思いもよりませんでした。全通した九州新幹線の乗車したときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
0系新幹線
そうこうしてこだま639号は関門海峡を抜け九州に入り、小倉に停車した後は終点博多へ向けてラストスパートとなる。車齢を重ねてるとはいえ、トップスピードのときの車窓はまさに超特急そのもの、いつまでもこのまま走り続けて欲しいものだと思った。そんな思いを募らせながらも列車は終着の博多へ滑り込む。多くの人に迎え入れられ定刻での到着となった。駅のホームでは最後の式典に向けて着々と準備が進められていたが、こだま639号としての役目はここで終わり、しばらく停車したあと博多南へ向けて更にもうひと仕事、最後のお勤めが待っている。本当に名残惜しいが、今日はここでお別れとなった。到着したホームはあまりにも騒がしかったので、隣のホームに場所を移して最後のお見送りをすることにした。やがて時間となり今日ここまでお世話になった列車は出発、赤いテールランプが見えなくなるまでその場で後姿を見届けることにした。
0系新幹線
あまりにも反響が大きかったため、来月急遽0系新幹線のさよなら運転として臨時のひかり号が運行されるという。こちらには遠征することができないので今日が最後となってしまったが、それにしてもこの日の指定が取れたことは本当に運がよかったわけで、とてもいい記念になったと思う。と、いつまでも余韻に浸っていたいが、今日はこのまま帰京しなければならない。この時間なら上りののぞみで十分帰れそうなのだが、折角ここまで過ごしてきた時間を何だか逆戻しするようで、気持ちが乗らなかったので飛行機で帰ることにしている。博多からなら空港まで地下鉄でわずかだが、今日はこのまますっと帰ることにしようと思う。
福岡空港