■旅日誌
[2009/10] さよなら佐久間レールパーク
(記:2009/12/13 改:2021/8/8)
(記:2009/12/13 改:2021/8/8)
折角の三連休でしたが、ここのところどずっと忙しく、とてもお出掛けできる状況ではありませんでした。でも、1日くらいならなんとかできないか?と意気込んでいたところ、3日目に体を空ける開けることができたので日帰りで遠出することにしました。今回は月末で閉鎖することが決まっていた佐久間レールパークの見学と、その先の伊那松島まで足を延ばすツアーに参加しました。
※下線部をクリックすると写真が表示されます
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日帰り
シルバーウィークに杭州へ行った後、土日も含めてまともな休みがとれてなったかったので、何か久しぶりのような気がした。と、そんなことはおいとて、前日というか当日というか、早朝3時頃、仕事からみでのメールが携帯に入り少々焦ったが、内容を聞いても「そんなはずはない!」と信じて、どうにかこうにか厄介ごとは片付けられた。ところが既に夜明け状態、、、もう寝込むわけにも行かず、そのまま出発することにした。ダメでもいいやと思ってJR東海ツアーズのツアーに申し込んであったが、三連休の三日目の予約で正解だった。昨日かおとといだったら絶対にNGだっただろう…。
まずこだまで豊橋へ出るのだが、3日間で数時間しか寝てない人間にとって新幹線の心地よさはまさに魔物、、、見事なまでに爆睡してしまった。多分、首を右45度に傾け口を明けて寝てたのではないかと思う。(苦笑)周囲が騒がしくなって豊橋が近づいたことに気がつき、何事もなかったかのように落ち着いたふりをして新幹線を下車、こだまの指定席に座るひとは大半がいろんな会社のツアー客だったとみられ、いっせいにゴソゴソ支度を始めたらしい、、、っていうか、気が付かなかったら危なかった??さて、豊橋での乗り継ぎはほんの数分しかなく、担当の係りと思われるスタッフに促され、改札口を素通りして飯田線のホームへ慌しく向かった。
ここからは、ツアー用にチャーターされた団体臨時列車で飯田線を行くことになる。そこに停まっていたのは117系オリジナル色の列車で、早速乗り込み出発を待つ。今回はこの列車で佐久間レールパークに寄って、しばらく見学時間があり、最終的に伊那松島まで向かう。イベントとしてはちょっと不向きな感じのする通勤型の電車だが、それも演出のひとつらしい。ちょっとバタバタだったが、列車は無事豊橋駅を出発した。
最初にチケットの確認とお弁当、お茶、そして乗車記念書などが配られた。思ったよりスタッフの数が多いようだった。今回の企画はこれまでも何回か開催されていたが、いよいよ佐久間レールパークの閉園も迫り、ツアーの形をとるのは今日が最終回のようだ。JR東海ツアーズの開催だったが、地元名古屋以外にも、大阪や東京、品川、そして新横浜出発も設定されていて、あわせてもう1社別の旅行会社も専用枠を設けるなど、結構大掛かりになってたように思われる。なかなかこういった企画に乗ることがなかったので、これもまたアリかな?と思った。列車は豊川を通過、新城駅で後からやって来た特急ワイドビュー伊那路に一旦道を譲る。秋めいてきた景色を見ながら列車は先へと進む。
列車の中ではクイズ大会やオークションなどが行われていたが、あまり興味のない人間にとってはうるさいだけで正直苦痛以外何ものでもなかった。まぁ、こればかりは団体行動の宿命なので、ひたすらじっとガマンするしかない。ようやく辛い時間が過ぎて列車は中部天竜駅へ到着、そこから1時間ほど見学時間となった。歴史あるパークも今月いっぱいで閉鎖することになっており気にはなっていたが、パーク単独じゃ踏ん切りつかないところへ今回のツアーを知り、それならば…と思っての参加だった。JR東海では、名古屋のすぐ近くにあたらしい博物館をつくることが計画されており、こちらの佐久間レールパークは閉鎖することになった。確かにこんな山奥では人を呼ぶにしてもひと苦労だろうし、この先テコ入れするのも考えものなのはよく分かる。
これまで佐久間レールパークに来たことはなく、というか、飯田線に長時間乗ったのも今日が2度目、前回はかなり昔のことで、まだ乗りつぶしのことなど意識してなく青春18きっぷでどこへ行くかあれこれ考えて、すごい距離をいく路線が目にとまり普通列車ではじからはじまで乗り通した記憶がある。このパークには、かつて方々で活躍していた旧式の電車や機関車、旅客用とは違う事業用の特殊車両など、数多く屋外展示されている。週末といっても、土地柄、普段はそんなに混雑することはなかった思うが、11月1日の閉園へ向けて特にこの三連休は物すごい人出だったようである。豊橋からの臨時列車も多く出てたようだし、お弁当も正午には売り切ってしまうくらいのラッシュ状態だった。語呂あわせで「サクマ・ドロップ」が売られていたが、パッケージも凝っていて500円という値付けにも関わらず結構売れていた。(余談:という自分もついついお土産にひとつ購入してしまいました。)
そんな感じで、多くの人でごった返すホームを後にして再び団臨列車に乗り込む。佐久間で旧線と別れを告げ、長大な峰トンネルを抜けるとより急峻な地形の中を列車は進み、車窓の天竜川を見ながら昼食をとる。さっきの佐久間レールパークでの混雑を考えると、ツアーについてくるお弁当のおかげで楽して食事がとれるのはありがたい。途中にある次の目的地である伊那松島運輸区へ向かう途中、小和田駅や田本駅など、飯田線といえば…といった秘境駅で小休止停車してくれるところなんぞ、マニアのツボを心得ているようだ。(余談:ただ、団体客で大挙して押しかけたので普段の秘境駅とは少し様子が違ってましたけど…。)その後も地元の観光案内があったりと、ツアーは続いていった。(後日談:その後、秘境駅をまわるツアーに参加する機会がありました。そのときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
列車は伊那松島に到着、一旦ホームで停車したあと、電車に乗ったまま車庫へ入る。ここがモハ1やオリジナル色の119系などの撮影会場となるのだが、1、2ヶ所にだけ設置されたタラップで電車を降りる。もちろん、そんなのは初めての体験だが、なるほど、ここまで乗ってきた117系デビュー色もこの位置でそのまま撮影会に加わることになる。車庫の中は比較的自由に行動できるようになっていたが、さすがにそれなりの値段のツアーだけあって、みんな大人の行動ができてたようでゆっくり落ち着いていたように思える。運輸区の敷地の中にも出店が出ていてちょっとしたイベントのようになっていた。
さて、今回のツアーの2つめの目玉であるモハ1形の撮影会だが、とてもきれいに保存されていてこんなに至近距離で目にすることができたのはすごくラッキーだったかもしれない。ニス塗りの車体といい、ちらっと見えた車内の美しさといい、いやぁ、惚れ惚れしてしまう。飯田線の119系だが、ごく普通の電車もこうして見ると、どこか格好良く見えてくるから不思議なものだ。かつては旧式電車を追いやったヒールのような言われ方もされたことがあったが、今後の動向は気になるところだ。時折、方向幕変更のリクエストにも応えてくれていたが、運転席で操作する姿が映りこまないように無線で反対側の席と連絡をとっていたりと、見えないところにも心遣いがあってとても好印象だった。それから、今回の"足"でもあった117系が色を添えたわけだが、戦後高度成長期を支えた車両にかわる新しい世代のはしりのように言われたのも既に過去のこと、その車種にも世代交代の波が押し寄せてきている。時代は移ろいでいくわけだな…。
そんな時間もあっという間に過ぎてしまい、徐々に日が傾きかけてきた。ここからは貸切バスに分乗し、木曽福島へショートカットする形になる。来た道を戻るのも大変だし、このまま北上して諏訪方面に抜けてもどうしようもないし、なかなかうまく考えたルートかな?バスに乗ると席には夕食の弁当とお茶が準備されていた。バスは日暮れの伊那谷を進み、権兵衛トンネルを経由して木曽福島までやってきた。木曽路はすべて山の中、、、既に日はとっぷりと暮れてしまっていたが、駅前のお土産屋さんはツアーのために特別に営業時間を少し延ばしてくれてたそうだが、どこかひっそりとしていて気温もぐっと下がっているのが分かった。ツアーとしてはここで解散の形となったが、帰りはしなので名古屋へ向かう。さらに新幹線を乗り継いできた人は上りのひかりか下りのこだまで出発地まで戻っていくことになる。1日でまわるにしては、結構ぎゅっとエッセンスが詰まってて、また、乗り継ぎもうまく計算されており、なかなか出来た企画だったと思った。それと、お弁当が2食分付くのもありがたかったし、新しい博物館の入場券がプレゼントされるという特典もよくできててたと思う。その建設中の博物館だが、どんなものが出来るか注目したいものだ。(後日談:その新しい博物館=リニア・鉄道館を見学したときの旅日誌はこちらをご覧ください。)