■旅日誌
[2011/2] 悲しき雷鳥
(記:2011/3/21 改:2015/11/1)
(記:2011/3/21 改:2015/11/1)
毎年この時期になると春のダイヤ改正が気になるところですが、今回は新幹線の開業という華々しい話題が世間の目を集めています。そんな折、ひっそりと姿を消すことになった特急雷鳥ですが、引退前に追いかけてみることにしました。特別な思いがあるかというと、正直それ程でもなかったのですが、北陸路の主役たちも世代交代が進み、国鉄色のこれぞ特急!という勇姿もこれで見納めとなってしまいましたす。
※下線部をクリックすると写真が表示されます
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1日目
2週間前に城崎へ出向いたばかりだったが、再び関西方面へ向かうことにした。ここ数年、毎年この時期になると、惜別乗車とかいって勝手に思いを描いて遠征するのが恒例行事となってしまい、今回もそのパターンである。北陸路を行く国鉄色の雷鳥号が3月のダイヤ改正で姿を消すことが決まり、何の気なしに乗ってみることができないか考えていた。今となってはサンダーバードという名前とともに新しい車両の方が主流で、この懐かしいカラーは既に希少価値的な存在となっている。そんな中、増発の臨時列車が昼間のいい時間に走ることが分かり、それにあわせて乗車することにしていた。
折角の三連休だったので、どこか寄り道できないか考えてみたものの、仕事の都合がつかず連休中日の出発となった。今年ももらったJALのクラスJクーポンを消化するために、空路伊丹へと向かう。去年もJALの術中にはまって沖縄まで足を延ばしてしまったのだが、2週間前の出来事もあり、今回も赤組応援団に徹する。いつものようにラウンジで出発を待っていると、何便かA滑走路を北側へ向けて飛び立っていくのが確認できた。どうやらD滑走路運用後もハミングバードディパーチャは続いてるようだ。関西行きNH141便と思しきANA機が元気に飛び立っていくのを見送り、ふと近くに視線を移すと搭乗予定の16番スポットでぞろぞろと人が乗り込んでいくのが見えた。あれ~なんで?出遅れた??一瞬焦ったが、搭乗口が変更になったことが判明、新しい搭乗口はかなり離れた場所にあるので、あらためて歩いて移動しなければならない。こんなことなら、最初から南側のラウンジにしておけばよかった…。
もうそろそろ動があってもいい頃なのに、優先搭乗の案内すら入らない。窓口の表示は機体整備中のままだし、グランドさんもバタバタしてて普通じゃないなことが予想付く。気がつけば出発予定時刻も過ぎてしまい、ようやくトーイングカーが目の前に駐機するJA773Jに近づいてきたかと思えば、その作業も途中で中断されてしまう。すると突然、となりの9番の窓口へ移動するようにとアナウンスが入った。2回目の変更であることを詫びていたが、みな一様にざわざわしながらも大きな混乱には至らず人民大移動(?)が始まる。あらら、搭乗直前のシップチェンジですか、、、このパターンは経験したことはないけど、整備不良の飛行機に乗せられるのは勘弁願いたい。でも、9番スポットに停まってるJA8982は確か次の福岡行きだったはずで、その福岡行きの案内は11番に変更と玉突き状態??よく分からないが、同じB777-200だから使いまわしちゃえということだろうか?(後日談:あとで運航案内を調べてみました。正解かどうか分かりませんが、始発の福岡行きに代替機が入りおよそ2時間で出発、8番スポットにあったJA773Jが本来の福岡行きだったようです。時間をかければその後の伊丹行きに間に合うと見込んでいたのか、でもそれも間に合わず後続の福岡行きに機材を振替えたようです。さらにその後どうなったかは分かりませんが、数分で判断して20~30分で対応し切ってしまうと思えば、何だかんだ言ってもJALはすごいのかもしれません。海外のエアラインなら間違えなくフライトキャンセルのパターンかなと…。)
結局、40分遅れで羽田を出発、準備に手間取ったわりにフライト自体は平穏無事(当たり前か…)遅れは引きずったままだったが、特にこれといったこともなく伊丹へ到着した。そういえば先々週伊丹を利用したときは、この機材には人気アイドルグループの顔写真がペイントされていたはずだが、今日は跡形もない。きっと芸能関係の肖像権ってうるさいのだろう。さてと、実のところ今日の予定はまったくのルーズな状態で、結果的にそのことが幸いし到着遅れはまったくの心配ごとではなかった。というか、大阪へ着いたところでも何をするかまだ決め切れてないのは無計画すぎて問題なのだが…。と、そんな感じでぼんやりしながらも先々週歩いてきたルートを逆方向にたどりながら、蛍池駅へ向かうことにした。
阪急電車に乗って移動しているうちに、いつの間にか四条河原町まで来てしまった。おいおい気付けよ、、、という突っ込みはとりあえずおいといて、今日はこれから東山界隈を散策してみようと思う。河原町駅で下車して地上に上がる。少しだけ先斗町の中を歩いてみたあと、鴨川を渡りそのまま八坂神社へ向かう。真っ赤な西楼門をくぐり境内の中へと進んでみたものの、祇園祭で有名だということ以外にほとんど知識がないことに気がつく。だからと言ってどうしようもないのだが、そのまま円山公園を通って知恩院へ足を延ばすことにした。やっぱり、桜の季節に来るべきだな、ここは…。
実は知恩院についてもあまり知識がなくやって来てしまったのだが、運よく正面の三門が特別公開中だということなので見学しておくことにした。(余談:「山門」でなく「三門」だということも知りませんでした。)手すりにかけられたロープにつかまり、かなり急な階段を登ると広い空間が広がっており、薄暗い部屋の正面には釈迦如来像、まわりを囲むように羅漢像が安置されていた。天上には龍が描かれていて、柱の凝った装飾も見る人の心をひきつける。タイミングよくボランティアの方による説明が始まり、15分ほど話に聞き入る。知恩院の由来やこの建物にまつわる逸話など、興味深い話を聞くことができた。仏様のお姿を見てるだけで心穏やかになってくるものだが、今日この空間に入れただけで京都に来た甲斐があった。最後に一番見晴らしのいい場所から京都の街並みを眺め、三門を降りることにした。そしてこの三門を背に急な石段を登り続ると、御影堂の前へと出てくる。折角なので中の様子も拝見させていただき、知恩院の七不思議といわれる逸話なども気に掛けながらしばらく見学を続けることにした。
再び北の方角へ向かって歩き出し、平安神宮の大きな鳥居の前を通って蹴上の方角を目指す。京都の歴史というとどうしても神社仏閣に目が向きがちになるが、近代史という観点では琵琶湖疎水の存在は重要な意味を持つ。いつものように細かい説明など敢えてここでは触れないが、とりあえず琶湖疏水記念館を見学したあとでインクラインを見ておくことにした。は蹴上のインクラインといえば、やはりここも咲き誇る桜の景色が有名だが、今日は寒々として人通りも少ない。小雪がちらつく中、レールの跡を少しだけたどってみたが、話としては見聞きしていたものの実際に足を運んでみるとより一層イメージがわくものだなと実感した。
その後も小雪は舞い続けていたが、南禅寺の方角へと歩みを進める。ここもまた一度は訪れたいと思っていた場所で、早速、境内の中へと進むことにしよう。三門を通って法堂の脇を進むとテレビドラマなどでもよく目にする水楼閣が視界に入る。この建造物も琵琶湖疎水の一部であり、お寺と水路というのがミスマッチだが、なぜか周囲の景色に溶け込んでいる。今回、水楼閣を見るのは初めてだったが、なかなかいいものを見せてもらったように思う。
少し歩き疲れてきたが、最後に哲学の道を歩き通して今日の締めとした。いつだったか、銀閣寺に来たときがあったが、ここも桜や紅葉の時期だったらもっと見ごたえがあったのかもしれない。まぁ、消えてなくなるわけでもないし、また機会を見つけてやってくればいいだけのことだ。そんなわけで、銀閣寺には寄らずバスで京都駅方面へと戻ることにした。無計画なままあてもなくなく歩き続けてしまったが、来れば何かに出会える、、、そんな京都の懐の深さをあらためて感じる1日だった。
2日目
京都近辺に泊まってもよかったのだが、何となく決め手に欠け、新大阪駅近くの無難なところで落ち着くことにしていた。昨日に続き今日もきっちりとした予定は立てておらず、唯一守らなければならないのは11時頃に大阪駅にいることだけ…。なので早朝から起きる必要もなく、少々ダラダラしながらなぜか淀川を歩いて渡ってみることにした。南方側から新淀川大橋に向かい、びゅんびゅんとひっきりなしに車の往来がある脇をひたすら歩いていく。橋の中央には御堂筋線が通っており、時折列車が通過していった。東京にもこういったつくりの場所があるか考えてみたが、まったく思い浮かばない。左隣には東海道線の橋が架かっていて、こちらも頻繁に電車が通過していく。上空には伊丹へ向かって降下する飛行機の姿が見える。橋を渡りきったあと、どこをどう歩いたかはっきりしないまま、天神橋筋商店街を抜けてJR天満駅へとやってきた。どうしたものか、今日も朝から長距離を歩いてしまったかもしれない。
今日の目的は雷鳥に乗ることだったが、大阪駅へやってくると、ちょうど日本海が到着したところだった。今日はトワイライト色のカマが先頭に立っていたが、深緑色に輝く機関車の番号を見ると、かつて一度だけ乗ったときに引いていた機関車のようである。めっきり姿を見る機会が少なくなったブルートレインは、格好の撮影被写体となり多くのファンに囲まれていたが、やがてホームから引き上げてしまった。今回引退することになった485系といい、先程乗ってきた環状線のオレンジ色の電車といい、かつては時代の主役だったわけだが、どんどんその活躍の場が少なくなっていくのは寂しいものだ。
雷鳥87号は一番隅っこの11番ホームからの出発なのだが、入線する姿を隣の9番ホームから見守ることした。何の気なしにベンチに座って待っていると不意にEXCUSE ME?と話かけられる。東南アジア系の若いカップルのようだったが新大阪の行き方を聞かれ、7、8番の電車で隣の駅へ行けばいいと教えてあげた。そんな感じで時間をつぶした後、雷鳥87号が9連でやって来た。昔ながらの国鉄色に戻された485系はやはり絵になるものだ。後方のパノラマカーの顔つきは何とも言いがたいところだが、気がつけばこの姿を見られるのは残りわずかとなってしまった。かつてスーパー雷鳥と名乗っていた頃に、確か出張で利用したことがあったように記憶しているのだが、今日はあらためて雷鳥の乗り納めとなりそうだ。いまとなっては雷鳥の名でもって走る定期列車はほんのわずかとなってしまい、昼間のいい時間を走る臨時の雷鳥87号は被写体としても貴重な存在のようで、この先も沿線でカメラを構えている姿を多く見掛けることになった。この日は自由席でも十分余裕はあるだろうと予想していたのだが、折角なので雷鳥87号の名前が入った指定券を準備してある。指定された座席は4号車、旧グリーン車のサロ481系を改造したもののようだ。シートピッチと窓枠が微妙にずれていたが、まぁ細かいことは抜きにして、これから約3時間、遠く金沢を目指すことにする。
雷鳥87号は定刻に大阪駅を出発、淀川を渡り新大阪を出たところで放送による案内が入り、鉄道唱歌のメロディーが時代を感じさせる。その後京都を出て湖西線に入ると雲行きが怪しくなり、見る見るうちに雪景色へと変わる。右手に見える琵琶湖もどんよりと灰色を呈したままで、この雷鳥号が駆け抜けるのに40分はかかることなど、車掌から紹介されていた。北上するにつれ天気はめまぐるしく変わり、場所によっては雪雲が途切れお日様も顔を覗かせていたが、沿線で写真を撮ってる人たちはいい作品が撮れたであろうか?敦賀を出た後、デッドセクションを通過、振り返ればこうして昼間の北陸線を移動するのは久しぶりのことだ。足元に響くモーター音はいまどきのインバータ音とは違いどこか旅情を誘う。かつて仕事で足を運んだことがあったせいか、福井、芦原温泉といった地名にはどこか懐かしさを覚えた。
その後も列車は順調に北陸路を進み石川県に入る。加賀温泉、小松と停車した後、雷鳥87号は金沢を目指す。雪景色の中を疾走していたかと思えば、そうでもない場所があったりと相変わらず天気は一定しない。終点の金沢には定刻で到着。乗り通してしまえばやはりあっけないものだった。少々名残惜しさを感じながら回送されてく雷鳥を見送り金沢駅を後にした。早いもので、このホームで北陸号と能登号の勇姿を目に焼き付けてからかれこれ1年が経とうとしている。今回も寂しい訪問になってしまったなぁ…。
帰りの足も空路予約済みなので、それまでしばらく時間がある。今回はゆるゆるの行動の連続だったが、とりあえずこれから兼六園にでも行ってみることにした。他に思いつかなかったというのが正直なところだが、まぁ一度くらい見ておいてもいいだろう。ここから兼六園まではいわゆるワンコインバスで行けるようなので、駅の中で少しウロウロしながらバスの間を待つことにした。駅前を出発すると、再び外は雪が舞い始める。香林坊の賑やかなところを通り過ぎたあと、兼六園下へ到着、少々気温は低かったがこれから冬の兼六園を見学していく。(後日談:その後、兼六園を再訪する機会がありました。そのときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
兼六園は、岡山の後楽園と水戸市の偕楽園と並んで日本三名園のひとつに数えられている。真冬の時期だったので、殺風景なところを想像していたが、松の木に掛けられた雪吊りや水の流れなど、ところどころ風情を感じる光景を目にすることになった。兼六園を後にして香林坊に戻り小松空港行きのバスの時刻を確かめると1時間以上待たなければならず、じっとしてるのも退屈なので、再び北陸線を乗り継いで小松駅へ向かうことにした。普通電車は相変わらずの年季ものの車両のオンパレードだったが、ふと試運転中の521系と遭遇、、、いよいよここも淘汰が始まるのだろうか?空模様を気にしながら小松駅で下車し、空港行きのバスを待っているとちょうど雷鳥が大阪へ向かって戻って行くのが見えた。荒天のため東京からの到着便が条件付きの運航だったが、どうやらコンディション的には大丈夫なようだ。さぁ、空路帰京してしまえば、また普段の生活が戻っている。とりあえず、いまは忘れておこう…。