■旅日誌
[2011/1] 吹雪舞う城崎にて
記:2011/2/11)
記:2011/2/11)
ふと思いつきで城崎へ出掛けてきました。往路には新しくなった特急はまかぜを利用、温泉情緒を楽しんだあと但馬から空路戻ってくる予定でしたが、強烈な寒波に見舞われ予定を変更することに…。吹雪の城崎はまたそれで素晴らしいものでした。
※下線部をクリックすると写真が表示されます
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1日目
今シーズの冬将軍はかなり強烈で、天気予報ではこの週末も強い寒波がやって来ると伝えていた。逃避行依存症(?)の禁断症状が頭をもたげ、いつものように悪い知らせあまり聞かなかったことにして、夜も明け切らぬうちに新横浜を目指すことから始める。こいつに乗るのはひかり393号だったとき以来の2回目、新横浜始発のひかり493号は非常にアグレッシブなダイヤをトレースしていく。徐々に夜が明け始め、西に進むに連れ後方から朝日が差し込んできた。
ところで、今回は北但方面を目指すこと以外はあまり細かいことは決めていない。新幹線の中でボーっとしてるうちに京都を通り過ぎてしまい、そうだ!と思って大阪からリニューアルしたはまかぜに乗車することにした。そんなわけで、往年の名車キハ181の跡を継いだ新顔キハ189の走りっぷりを堪能することを考えてみた。新大阪でひかり号を下車、東海道線で一駅先の大阪駅へ向かう。と、ここではまかぜがやって来るまでまだ少し時間があるので、改札の外へ出て大改装中の大阪駅を眺めてみることにした。GWのグランドオープンを控え、建物は完成に向け工事が進んでいる様子だった。お昼を調達して、再びホームに戻りはまかぜの入線を待つ。
北陸方面から遅れてやって来る特急などの合間をぬって、真新しい車両がやって来た。はまかぜ1号はおよそ10分の停車、慌しくすぐに出発となる。先行列車が若干遅れてたこともあり山陽本線はタラタラ走っていたが、わずか1両しかない自由席は三宮で既に立客で大混雑、大改修の姫路城を左手に播但線に入ると、より一層ローカルな風景へと変わってきた。走り出しは天気もよかったのだが、和田山から山陰線に入るとちらほら雪が降った形跡が目立ち始める。気がつけば、豊岡へ着く頃にはすっかり雪景色、雲行きもかなり怪しい様子だった。やがて城崎温泉へ到着し、多くの人が降り行くともうすっかり吹雪になっていた。
それでもところどころ雪が止む場面もあったのだが、日本海は大荒れ、雪煙の向こうでかすかに見える波打ち際はとても荒々しい様子を呈している。そして、新しい餘部橋梁を渡ることになったが、猛吹雪で視界はほとんどゼロ、幸いにも風が強くなかったので救われたが、自然の猛威を肌で感じる。そんな大変な状況にもかかわらず、はまかぜ1号は定刻で終着の浜坂駅へ到着。とりあえず、向かいのホームへ行って記念撮影だけ済ませ、ここはおとなしく、折返しのはまかぜ4号で城崎温泉まで戻ることにした。雪は降ってるだろうと思っていたが、ここまですごいことは…。
特に理由はなかったが、香住駅で一旦普通列車に乗り換えはまかぜを見送る。城崎温泉駅に降りたときは猛烈な吹雪、、、ところが、改札を通って駅の外に出ると、突然ぱぁーっと晴れ上がりる。よし、今だ!と思い歩き始めると再び雪が激しくなり視界はみるみるなくなってくる。今日はずっとこんな感じらしい。風情ある町並みを進み、とりあえずロープウェイに乗ることにする。天気が悪くても行くだけ行ってみようと決めていた。往復分と温泉寺と美術館のチケットをセットで購入、暖房の効いた待合室で次の便を待つ。このロープウェイは歴史もあり、途中の中間駅で途中下車できるというのが特徴で、その中間駅には、城崎の見どころのひとつ温泉寺と美術館がある。駅を降りるとそこは雪に埋もれてすごいことになっていたが、本堂に立ち寄り隣接する美術館へと向う。ここは美術館というより歴史史料館といった感じで、小さいながらも目を引く所蔵品が数多く展示されていた。
再びロープウェイで山頂まで上がると奇跡的にピタッと雪が止み、視界が一気に開け目の前には大パノラマが広がる。周囲を山に囲まれ、円山川手前の細長い町並みはまるで箱庭のようだ。さてと、、、と思って去ろうとすると一気に雪と霰が降り出し、そそくさと逃げるようにして展望台を退散、お天道様の機嫌ひとつで空模様はめまぐるしく変わる。こんな悪条件でも結構登ってくる人はいるようで、帰りの便でも他の方たちとも少々言葉を交わし、係りの人から「いま一瞬晴れたでしょ!!普段の行いが余程よかったのかね、、、」なんて声をかけてもらう。すかさず、自分は強烈な晴れ男であるなどと、しばし和やかな雰囲気になる。温泉寺の薬師堂に立ち寄り、日も傾きはじめる頃には体もすっかり冷え切ってしまっていた。
相変わらず雪は降っていたが、これから宿へとこれからに向かうことにする。志賀直哉の小説の舞台にもなった城崎、大谿川にかかる橋と川べりの柳がなかなか絵になる。ゆかたと下駄が城崎温泉の正装でので、、7つある外湯をめぐるのが正統派(?)だそうだが、雪のためか、どてらを羽織って長靴を履いてる姿もあった。夕暮れどきを前に、風情ある町並みは多くの人で賑わっていた。ところで、冬のこの時期、城崎で忘れてならないのはやはりカニ、温泉の前に腹ごしらえすることにしておく。とはいえ、何万も出す余裕はないわけですが、若干躊躇してたところで妙に美味そうなちらし寿司が目にとまり、米の飯が喰いたかったこともあり、とりあえずそいつにすることに…。何気なく入ったお店でしたが、とても感じのいいお店で大正解だった。見た目はどこかお淑やかでありながらしっかりとした酢飯に上品なカニの風味が口の中に広がり、薄焼き玉子のふんわり感が主役を引き立てます。いやぁ~日本人でよかった…などとわけの分からん感想でもって、ここは締めくくっておこう。
さすがに有名な温泉地だけあって、宿の値段もそれ相応、食事にカニがついてお一人様2~3万円といったところが相場だろうか?思い切って贅沢するか躊躇してたところ、素泊まりで破格値のお宿を発見、念のため口コミ情報にも目を通してみたが、全然OKな感じだったので、空きがあるうちに予約を入れてあった。町の中心から少々外れた場所だったものの、駅から歩いても5分程度、円山川沿いの景色のいい場所で部屋も広くて快適、ネットも使えてまさに渡りに船!温泉は外湯に行くつもりだったし、食事も外で探す楽しみを考えればこれ以上の好条件はなかった。おまけに、たまったポイントを充当したおかげでさらにディスカウントと相変わらずの貧乏性には自分でも笑ってしまう。でもって、肝心の温泉だが、7つの外湯をすべてめぐるのは現実的にムリなので、一番近かった地蔵湯へ行くことにした。ちょっと高めのお湯だったが、じっくり温まりまさに生き返った想いだった。雪と温泉とカニと、普段のつらさもこれで帳消し?まぁこれくら自分にご褒美あげても罰は当たらないだろう。(苦笑)
2日目
明けて2日目、今日の予報も吹雪、天気予報の雪だるまマークもどこか痛々しい。ローカルニュースによると、豊岡地方はひと晩で68センチの積雪があったらしい。外を見れば一目瞭然、余計な説明は要らない。実はここへ来る直前で、2日目は玄武洞にでも行こうという企みがあったのだが、それは無謀というもの、、、もう120%あり得ない。それと、帰りは空路=コウノトリ但馬空港を利用して、久しぶりにSaab機にでも乗るつもりだったが、それも浅はかな考えのようだったみたいで、すぐにでも別の移動手段を見つけなければならない。1日2便あるうちの朝便は早々に欠航が決定、この様子じゃぁ、夕方便もまず無理だろう。伊丹を発っても但馬には降りれずに引き返すパターンと読んで、陸路ここを離れることにした。(余談:これについてはちょっとしたオチが付きます。詳細は後述。)
といっても、特急に乗ってしまうとちょいと早すぎるので鈍行で福知山線を経由することにした。まず、宿から一歩踏み出すのが大変、想像を絶する積雪だこと…。駅に向かう途中、開き始めたお店で「列車停まるといけないから弁当買っておいきなさい、今朝は無理だと思ったけど本店から届いたから分けてあげるよ…」と声を掛けられ、ここは素直に従うことにする。地元の方の言葉は妙に説得力がある。鉄道という乗り物は比較的天気に強いものされてるように、こんな雪に埋もれた線路でも列車は果敢に突っ走るらしい。風が強くなかったのも幸いしたのだろう、運休するようなことはなさそうだ。とりあえず15分程度の遅れは出てたものの、逆にそのおかげで予定より1本前の豊岡行きの列車に間に合うことになった。しばらくして列車は城崎駅を出発、視界が効かない中、ゴツンゴツンという衝撃を感じながら列車は力強く走り続けていた。
まるで何かから逃げるようにして城崎をあとにしたが、豊岡で乗り継いだ普通列車は転換クロスシートのいまどきの電車、、、というか、ボックス型の113系の淘汰が進んでしまってるといった方が正しいようだ。先へ進むにつれ、車窓の積雪は減ってきたものの気温はまだまだ低く、ポカポカとした日差しがありがたい。お昼頃には福知山駅へ到着、高架の駅はすっかり様変わりしてしまい、昔の面影はまったくない。この先も丹波路を順調に乗り継ぎを繰り返していくのだが、何人か同じスジを利用する人もいたようだった。最後に篠山口で大阪行きの快速に乗り継ぎ、、、ここからワンマンではなくなり、女性の車掌さんがアテンドする。「次は、にしのみやラジオ、にしのみやラジオ、、、」んん??違う、西宮名塩だった。以前、高速道路でSAを利用してたじゃないか…と、どうでもいいことを考えてるうちに宝塚へ到着、すっかり都会へと戻って来た感じになる。
その後、伊丹駅で下車、空路30分のところ4時間強かけたことになるが、単純に比較できるものでもない。ここまで来ればもう帰りの足を心配することはないが、逆に時間をもてあそぶ感じになってしまった。予定外の移動だったため、前もって用意したネタなどあるわけでもなく、ここは短絡的に飛行機を見に行くことに決定。まずはスカイパークへ向かうことにした。ここも機会があれば寄ってみたいと思ってた場所だった、わざわざ遠征するほどの動機もなく、まぁ、今回はいいめぐり合わせかな?ということにしておこう。歩けない距離でもなかったので、バスには乗らずに徒歩で移動、15分ほどでスカイパークへ到着してしまう。冬の寒い中、もっと閑散としているかなと思ったが、意外と多くの人が立ち寄ってるようだった。土手のような小高い歩道を進むと空港全体を見渡すことができる。まさに飛行機好きにはもってこいの場所だ。羽田と違って伊丹はローカル線も多く乗り入れているのでプロペラ機の姿も見ることができる。そんな感じでしばらくボーっとしていたが、じんじんと寒さが染みてきたのと、近くで泣きわめくワガママなクソガキ、、、もとい、ご機嫌ななめな小さなお子様がひどくうるさかったので、ここは一旦去ることにした。
というわけで、もう1ヶ所、連鎖的に思い出した場所があったので、そちらへ移動する。通称、千里川堤防と呼ばれるところで、滑走路の延長上にあり、すぐ真上を飛行機が飛んでいくスポットなのだが、うわさ通りここはマニアでなくても一見の価値ありの場所だった。この日もエライ寒い中、多くのギャラリーが集まっており、轟音をとどろかせて通過していくたびに大賑わいだった。それにしても飛行機のものすごい迫力には圧倒されるばかりだ。吹きさらしのところなので長時間居続けるのは限度があったが、こんどは暑くもなく寒くもない時期にでも来たいものだと思う。
昨日の城崎ほどではないにしろ、今日の大阪もかなり気温が低く、外にいるだけで体力が奪われていくようだった。確かに飛行機を見てるのは楽しかったのだが、適当なところで退散する。ここから空港のターミナルまで歩いて行けそうな気もしないでもないが、あまり無理する場面でもないだろう。名残惜しいところではあったが、千里川堤防をあとにする。大体の方向感覚を意識しながら歩き出し、まず阪神高速を渡りそれとなく住宅街の中を進むと阪急曽根駅までたどりつくことができた。わずかばかりだが阪急電車で蛍池駅まで移動し、何を思ったか、最後に再びトボトボ歩いて空港へ向かうことにした。
去年11月には、青組のマイルでアジア弾丸ツアーを行っていたが、今回は何の気なしに赤組のマイルを消化して帰りの足に宛がっていた。落ち着いて考えてみれば、但馬便が欠航となるリスクは十分予想できたわけで、少し決断が安易過ぎたなと後悔する。最後に、東京行きの特典航空券を発券してもらうためにJALのカウンターへ向かう。もう過ぎてしまったことに対してウダウダいうつもりはないが、欠航の可能性のある条件付き運行だったことを申告してみると、どうやらマイルが戻ってくる可能性があることが判明、東京行きは消化するにしても半分の5000マイルは口座に戻してくれるようだ。その昔、仕事の都合で1週間のリフレッシュ休暇を強制的にキャンセルさせられたとき、既に引き換えていた特典航空券を全てパーにしてしまったという苦い経験があっただけに、意外と融通が効くものだとかえって関心してしまった。
最後まで波乱含みの2日間だったが、毎度ながら終わってしまえばあっという間だった。帰りの便で使用される機材はB777-300、3月にジャンボ機が退役してしまうとこの機種が最大キャパの機材となる。一応、レジ番号でも控えておくか。(後日談:この日乗ったJA8945は2008年北京五輪の「がんばれ! ニッポン」や2006年ワールドカップの「サムライブルー」になった機材のようでした。)お隣には本日の東京行き最終便126便がスポットインしていたが、嵐のイラストが描いてある。搭乗したJAL124便は定刻から10分以上遅れて伊丹を離陸、機首を南の方向を変えるとまもなく大阪上空へと差し掛かる。すっかり夜景となってしまったが、南北縦方向の大通りが大阪らしい。上昇しきったところでベルト着用サインが消えたものの、目指す東京はそう遠くない。