■旅日誌
[2010/2] はいさい、うちな~
(記:2010/3/1 改:2010/12/31)
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経営危機がささやかれてる中、何かと話題のJALですが、お誕生日プレゼントとやらでクラスJのクーポン2回分が付与されたので、とにかく飛行機に乗ろう!ということにしました。どうせなら遠くに、それと寒いところからちょっと逃げ出したかったので、なし崩し的に行き先は沖縄に決定。思い切って週末に休暇を取得して三連休にしてしまいました。
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 1日目
ルート概略
【寄ったところ、乗ったもの】※詳細はこちら
那覇、残波岬、万座毛、古宇利島、名護
数えてみれば沖縄に渡るのも4度目のことになる。1回目はゆいレールの乗りつぶしと首里城見物、2回目は離島めぐりで久米島と粟国島、3回目も石垣を中心に離島めぐりで八重山をぐるっとまわってどうしても北&南大東にも行きたかったので那覇を経由と、実は沖縄本島をまともにまわったことがない。いつかはぐるっとひとまわりしてみたかったが、漠然と沖縄へ行くぞ、と決めた流れで今回は本島を一周してみることにした。時期も時期だし、観光するぞー!という気分でもないのだが、とりあえず思いついたところをいくつかまわってみようと思う。とりあえず無事お休みも取れたし、予約した飛行機は行きは早め、帰りは遅めと、たっぷり3日間使えそうだ
JAL・B747
そんなわけで、朝早起きして羽田へ向かう。いつものようにラウンジ窓際の席からを気にしつつ時間をつぶす。新しい国際線ターミナルの建物も徐々に姿がはっきりしだして、その向こうでは富士山のシルエットが遠くに見えた。何となくボーっとしていたら、目の前のA滑走路を北側=34Lに向かって何機か飛び立っていた。すぐさまレフトターンして都会の真上を飛行していくようだが、こんなルートあったっけ??(後日談:後になって気がつきましたが、これがハミングバードディパーチュアってやつでした。主に冬場、北風の早朝に西に向かう5機、低騒音のやつに限って許されたレアなパターンですが、後日、ハミングバードディパーチャを経験する機会がありました。)その後しらばくして指定されたスポットにジャンボジェットが横付けされる。やっぱり4発機は大きいな、、、存在感あるこの機種もJALのリストラの影響であと2、3年で姿を消すことになりそうだし、もしかしたら今回が最後の搭乗になるかもしれないなぁ…。
雪化粧の富士山
定刻からやや遅れたものの羽田を出発したあとも順調に飛行、天気がよかったので横浜、江ノ島、箱根、、、と地図を上から見てるようだ。雪化粧した富士山を通り過ぎて静岡空港のちょうど真上を通過、浜名湖、伊勢湾、潮岬と太平洋に沿って飛行したあと本州と別れを告げる。その後は前線の影響を受けて雲の上を行くことになった。沖縄にもほぼ定刻で到着、言うまでもなく東京より気温は高く、南の島へやって来たことを実感する。気がつけば前回から三年経っての沖縄となる。まず、今日は那覇を出発したあと、国道58号を東シナ海沿いに北上し名護まで向かうことにしている。途中、沖縄らしい大海原の風景を期待しているのだが、残念ながら天気はいまいち、、、時折小雨まじりの曇天である。それでも最高気温は17℃との予想が出ており、言うまでもなく東京とはまったく気候が違う。空港からはレンタカー屋の送迎バスで少し移動して、これまたいつも指定いる車種を受け取る。今回は全国規模の名の通ったところではなかったが、沖縄ではそれなりに手広く商売しているようで、いわゆる大手さんに比べると割安感があった。ETCもナビも付いてるし、何やら束でクーポンを渡され、航空会社のマイレージも貯められる、、、おまけに平日コースということもあって、さらに割引が掛かりこんなに安くていいのだろうか?
残波岬
那覇市内の都会抜けると、米軍の施設が目立つようになり、地図上には普天間とか嘉手納とかいった地名が現れるようになった。まだちょっと早いような気もしたが、時計を見るとそろそろお昼なので、軽く昼食をとりながらこの先のことを少し考えておくことにした。沖縄といえば…という食べ物は数多くあるが、今回は過去3回でもあまり口にしたことのないもの、特に理由はないが、何となくアメリカって感じのものをと考えていた。とりあえず適当にA&Wという沖縄にしかないファーストフード店でハンバーガーショップを口にしたが、ふーーんって感じだっただろうか。確かにジョッキで出される飲み物のや、聞いたことのないサイドメニューもいつもと違う雰囲気ではあった。食事がてら、行きの飛行機の機内と先程のレンタカーの営業所で受け取ったフリーペーパーなどを参考にしながら行先を決め、今日は残波岬満座毛に寄って時間があれば、名護の先の古宇利島まで足を延ばしておくことにした。
満座毛
車での移動を再開し、北谷を後にする。国道58号をしばらく進み、ナビの指示にしたがって少し脇に入るとサトウキビ畑が広がっていた。建物の壁の色も独特で、とても南国の雰囲気がしてきた。まず最初の目的地である残波岬へ到着、ちょうど雨も上がっていたので、近くのビーチなども歩いてみたりする。真夏だったらおお賑わいなんだろうなぁ、などと考えながら、東シナ海に突き出た灯台を見てひとまわりしてきた。国道58号に戻る途中、クーポン券が使えるお土産屋があったので、少し寄り道してみた。相変わらずどんよりとした東シナ海を左手に見ながら先へ進み、次の目的地としていた満座毛へとやって来た。こんな季節だったが、こちらは先ほどより賑やかで、見物に訪れる団体さんの姿があったり、お土産屋さんも声掛けしていた。満座毛は隆起した珊瑚が侵食された後の残骸が絶壁のようになっていて海に面している。違う方向へ目を向けると、白亜のリゾートホテルが建っていたりとなかなか絵になる景色だった。その海の向こうに見える島影は一体どこだろう?
古宇利大橋
那覇の中心部から名護まではおおよそ70キロといったところで、順調に走れば2時間もあれば来れてしまう距離である。お昼にしたり、脇に逸れたりしていたた、それでもすんなりと来れてしまったので、一旦名護の市内を抜けてもう少し北上を続けることにした。本部半島の北側のつけ根から、屋我地島を経由して古宇利島へ渡ることができる。数年前にが出来たので、陸続きとなり、車で渡れる"島"である。観光ガイドなどでも紹介されるようになったこともあり、古宇利大橋はちょっとした観光スポットにもなっていた。一直線に延びた橋を渡るのはとても気持ちよく、へ渡りきったところにもお店があったので、ちょっとだけ寄ってみることにした。こんな天気だったが、それでもエメラルドグリーンの浜はとてもきれいだった。折角なので古宇利島をくるっと一周してみると、サトウキビ畑や南国の果物らしき畑が続き、少しだけ島の雰囲気を味わうことができたような気がする。おっと、遅くならないうちに名護市内まで戻らなければいけないな…。
古宇利島
最初、名護で泊まろうと考えていたところが、なぜか2月の予約だけまったく入れられず、あとになって考えてみると日ハムの宿舎に使われていたようだった。(後日談:2日目の朝、その前を通ったとき、人だかりができていました。多分、あと30分も待っていればダルビッシュとか見れたかもしれませんが、先を急いでたのでパスしました。)そんなわけで、別のところに泊ったのだが、その隣にあった食堂が少し気になり、何気なくソーキそばを食べてみたが、これまた絶品…。住宅街にある何てないお店だったが、有名人の色紙もいっぱい貼っあり、こういうところで思わぬ出会いがあるのも旅の醍醐味とでもいうべきだろうか?ちなみに、JASによると蕎麦粉の配合量が一定の割合を超えてないと"そば"を名乗ってはいけないらしく、でも、一般には「焼きそば」とか「中華そば」といったような表現はあり、そのときはひらがなで「そば」と書くのが通例らしい。しかし、沖縄で「そば」といえば、ソーキそば沖縄そばを指し、歴史的な経緯もあって沖縄では蕎麦粉を使ってなくても「そば」を名乗っていい、というのは公取委のお墨付きだという。何だか知らないが、そんなことを思い出したところで1日目の締めとなった。
古宇利島
 2日目
ルート概略
【寄ったところ、乗ったもの】※詳細はこちら
今帰仁城跡、茅打バンタ、辺戸岬、辺野古、普天間、那覇
今日は名護からさらに北上して、沖縄本島最北端の辺戸岬まで行みようと考えている。残念ながら今日も天気はあまりぱっとせず、朝から雨がパラついていた。そのまま、まっすぐ北へ向かうのも何なので、本部半島を海沿いに迂回してみようと思う。もう何年経つのかはっきりしないが、その昔、海洋博覧会が行われた会場はいまでも記念公園として管理されていて、ここには沖縄を代表する観光スポットでもある美ら海水族館がある。今回は時間の関係もあってパスすることにしているが、折角なので通りすがりにどんな場所なのか、雰囲気だけでも確かめてみようとしている。名護市の中心部を抜けた後も、海岸沿いには片側2車線のいい道が続いており、快適なドライブを楽しむことができる。これで天気がよかったら、東シナ海の見晴らしも最高だったろうに…と、少々残念にも思えたが、まぁいまさらそれを言ってもはじまらない。本部半島を西に向かって結構飛ばして来てから国道から逸れ、海洋博公園の方へと向かう。いかにも南国といった景観が続き、水族館の入口がちらっと見えた。季節外れのこんな天気な日にも関わらず、朝から結構な数の観光バスが停まっているところをみると、人気の高さがうかがえる。
今帰仁城跡
とりあえずそんな感じでノンストップのまま今帰仁までやって来た。出発するときは小康状態だったのに、先程から雨も風も強くなってきてしまった。ここには辺戸岬へ向かう前に寄ってみようと決めてたし、そう簡単に次に来る機会もなさそうなので、足元は悪そうだったが見学していくことにした。かつて琉球と呼ばれていた…というよりも沖縄と呼ばれるようになった方が歴史が浅いのかもしれないが、本土ととはまったく歴史を経て今に至っていることはあらためて認識しなければいけない。ここ今帰仁城跡のように、そんないにしえの姿を今にとどめる場所は大変貴重で、その価値は高く評価されいる。実際、今帰仁城跡もそんなところのひとつであり、ここに立って周囲の山々や海を眺めながら遠い昔に思いを馳せるのも不思議な気分になってくる。天気が悪かった分、早々と退散することになってしまったが、隣接する資料館にも足を延ばしておくことにした。近くでは桜祭りの準備が進んでいたが、今帰仁城跡にもピンク色の桜が彩りを添えており、本土でいうソメイヨシノとは違う独特の濃いピンク色の花々がとても印象的だった。
今帰仁城跡
昨日も来てみた古宇利島を左手に、さらに海沿いを北上していく。この先は沖縄でも人口希薄地帯となり、生活感が徐々になくなってくる。雨は降ったり止んだりを繰り返していたが、果てしなく東シナ海が広がっていた。本島最北端へ出る前に、茅打バンタと呼ばれるビューポイントがあるので、ちょっと寄り道することにした。整備された国道を外れ、急峻な細い坂道を登っていくと、展望台へ出ることができる。バンタとは沖縄の方言で断崖絶壁のことを指し、束ねた茅を下に投げ落とすと強風でバラバラになったことからこの名が付いたという。さすがにここまでやって来るもの好きはそんなにいないみたいで、怖いくらいの絶景をしばらく独り占めすることとなった。
茅打バンタ
茅打バンタから辺戸岬まではわずかな距離だった。雨は弱まっていたが、まだまだ風は強く、展望台から遠くの方まで見渡すことができた。天気がよければ与論島まで見通せるとのことらしいが、今日ははっきりしない。吹きさらしの高台だけあって、草木の育ちが悪く、何ともいえない最果て感が漂っていた。いやぁ、まさしくやってきたなぁ~~という感じがする。天気も悪くおまけに季節外れにもかかわらず一軒あった食堂はちゃんと開いており、その心意気(?)に少々感動して、ここで軽くお昼をとっておくことにした。ここまで来てしまうと、あまり人が住んでるような場所ではないので、食事は無理かもしれないと思っていたが、これはありがたいことである。何の変哲もない沖縄そば一杯を食べてみたが、こちらもダシが効いててとても美味しかった。恐らく採算は・・・だろうけど、本土じゃありえないとも思った。
辺戸岬
辺戸岬を後にして、今日は那覇まで戻ることにしている。いま来た国道をただ引き返すのもつまらないので、東側を貫く県道にまわって適当なところまで南下してみることにした。先程よりもさらに人間が生活してる気配はなくなり、本当に数えるくらいしか車にお目にかからなかった。午前中の国道では、カメ注意、カニ注意なんていう珍しい標識があったが、さらに希少なヤンバルクイナ注意の標識が目につく。繁殖期にあたる5月頃には、ヤンバルの交通事故も少なくないらしいが、冬の時期でもまれに出現するらしい。まさかそんなこと…とは思ったのだが、実際にちょろちょろっとそれらしい小動物が横切る姿を目撃、100%そうだと断言できる自信はないが、一瞬の出来事だった。この一本道はほとんどが山の中で、場所によっては米軍施設の敷地内を過ぎっていたようだ。時折、林の隙間から見える遠くの海はどこか儚くもあった。
県道70号
信号とは無縁の原生林の道を何キロも走り続け、ようやく名護=右折の看板が出てくるようになってきた。この県道を走りきるのにどれくらい時間がかかるかまったく読めなかったが、思ったよりいいペースで来れたので、那覇まで戻る前に最近話題になってる辺野古あたりへ寄ってみることにした。なるほど、こういうところか、、、などと思いながらキャンプシュワブの前を通り過ぎて辺野古の集落へと向う。かつてはここらは一大繁華街だったというが、いまの姿からは到底信じられるものではない。半ば冷やかしのような形になってしまったが、一旦車を降りて辺野古湾を見ておくことにした。一見してとても平和そうに見えるだが、この先どうなるのか未だにはっきりしていない。遠く米軍施設の方向からは、何やら重機が動いているような音が絶えず聞こえており、複雑な事情を抱えたこの土地の行く末を案じると何とも言えない空しい気分になってきた。
辺野古
国道を名護方面へ進み、許田にある道の駅へ寄り道してから、沖縄唯一の高速道路である沖縄自動車を利用してみた。那覇まではあまりにもあっけなく着いてしまい、何となく普天間基地の周辺を通ってみたりして、この先どうするか考えてみる。そんなときにふと、レンタカーを借りたときにいろんな施設やレストランの割引クーポンを束でもらったことを思い出し、その中でひとつ、あるレストランの1000円券割引券が入っていたので、そこへ行ってみることにした。実は昨晩もネットでざっと調べてみたところ、どうもステーキ中心のチェーン店だということが判明、国際通りには派手なパフォーマンスで有名なお店が2、3あるようだったのだが、ちょっと引きそうだったので、嘉手納基地近くにあるお店へ行ってみることにした。那覇から車で30~40分のところではあるが、自由に使える足はあるし、系列の他店に比べて値段も手ごろそうだったので今晩の食事にはこれでいくことにした。米軍施設のゲート近くというロケーションも建物の外装もまるでアメリカ、店内の装飾も流れる音楽も古きよきアメリカを髣髴させ、実際に客の6、7割は異人さんたちだった。お店のウェイトレスさんは大半がバイトのようだった、ユニホームの白いセーラー服姿はこっちが小恥ずかしくなるくらいで、確かにここは日本ではない。メニューの種類はまぁそこそこ、お値段も2000円代が中心で、サイドメニューやデザート、飲み物を追加しても、多分ひとり3000~5000円くらいあればOKな感じだから、とてもリーズナブルだったのかなと…。(追記:おまけに1000円券もあったしね♪)あいにく車だったのでアルコールフリーだったが(追記:ノンアルコールビールもあったけど気は進まない…。)かえってがっつりと食事に徹してしまった。最後になぜかお土産にピンバッジをもらい店を出たが、ちょっと変わった体験ができたような気がする。ちなみに、日本人好みの、霜降りの脂があまーくて、、、などというのとはまったくの正反対、実に喰いごたえのある本格的なステーキで、肉の量も焼き加減ももちろん応リクエスト、スターターのスープやサラダ、付けあわせの野菜やソースの味付けなど、久々に本格的な気分を味わうことができた。
米軍施設 レストラン
いい加減喰ったなぁ~などと思いながら、那覇市内に予約してあった宿までたどり着いたが、まだ少し苦しかったので(笑)運動がてら国際通りに繰り出してみることにした。折角来たんだし、引篭もっててももったいないので、街の雑踏を肌で感じておこうと思う。国際通りには前にも来たことはあったが、本土にはないちょっとアジアの香りもするところがまた楽しい。そんなわけで、苦しかったことなどすっかり忘れてしまいオリオンビールと地のものをつまみに少々調達、結局、満腹の上に追い討ちかけてしまった。(後日談:そうそう、オリオンビールで思い出しましたが、安良城紅がBENIという名前で歌ってたCMはなかなかCOOLでしたね!)
許田
 3日目
ルート概略
【寄ったところ、乗ったもの】※詳細はこちら
斎場御獄、おきなわワールド・玉泉洞、ひめゆりの塔、平和祈念公園、喜屋武岬
本土ではあまりニュースにはなっていなかったが、米空軍の戦略爆撃機B-52が20年ぶりに嘉手納基地へ飛来しており、沖縄では新聞やニュースで結構大きく取り上げられていた。グアムからシンガポールの航空ショーに向かっていた途中、空中給油が受けられずに嘉手納に緊急着陸したとのことでしたが、沖縄は通り道なんだろうか??B-52というと初飛行は確か1952年、いまでは三世代も四世代も前の爆撃機だが、いまだ現役で核爆弾も搭載できる大型の爆撃機には違いない。岩国基地だったか地元の要請で航空ショーの参加を見合わせたこともあり、その存在感は圧倒的。ちなみに昨日の夕方、呑気にステーキ喰らってたその時間、本当にすぐ脇へ飛来していたわけだが、思い起こせば去年の三沢の航空祭のときにも目撃していており、相変わらず不思議なめぐり合わせを感じてしまう。実はそのときも、わずか一回のフライパスのためだけにわざわざグアムから飛来したとのことだったが、その様子はものすごく不気味だったのをよく覚えている。(追記:YouTubeなどに数多くアップされてますので、一度見てみるとよく分かります。)場所が違えば、こんな爆撃機の下を逃げまどう光景があるわけで、一方で東京ではすっかり平和ボケした政治家さんたちが無責任に言いたいこと言ってるだけというのも不条理なことだ。もっと現実を直視しないといけないと思うのだけど…。
斎場御嶽
帰りの便がうまく取れなかったのでやや遅めの20時発になってしまい羽田到着も22時過ぎとなってしまうのだが、違う言い方をすると、夜8時まで沖縄にいても十分東京に戻れるというのだから、実にありがたいものだ。(追記:ちなみにそれでも最終便ではありません!)というわけで、三日目もほぼ丸1日使うことができる。とはいうものの、那覇周辺の道路渋滞は名物のようなものなので、17時に空港近くの営業所にレンタカーを返却することを目標にして、南部を中心にまわってみることにした。さて、張り切って…と行きたいところだが今日も朝から雨模様と、結局気持ちのいい晴天にお目にかかることはできなかった。まぁ、時間に余裕もあるし、焦っても仕方ないので、今日はうちなータイムで行くことにしよう。(苦笑)
おきなわワールド
昨日のグスク今帰仁城)に続いてここも世界遺産になってる斎場御嶽へ向かう。ウタギと呼ばれる場所は首里城とも深いつながりがあり、琉球のなかでも一番の神域だったとも言われている。いまではすっかり観光地化しているが、それでも巨石の中に身をおくと、パワースポットだったというのは何となく伝わってくる。あいにく雨も強く足元も悪かったので、そそくさと退散するような感じになってしまったが、本来、普通の人間が近寄るような場所じゃないのかもしれない。最初に見た巨石を2度、3度とくぐり抜けて、さらに奥の舞台にも足を向けてみた。
玉泉洞
今日は滞在時間の多くをあててひめゆりの塔平和祈念館を見学するつもりでいたが、少し時間がありそうなので、移動途中の道すがら、おきなわワールド玉泉洞に急遽寄り道することに決めました。ちょどエイサー踊りのショーをやっていたが、地元の人に言わせれば本当はあんなもの(?)ではないらしく、やはり本物も見てみたい気はするものだ。それと玉泉洞だが、沖縄でも最大規模の鍾乳洞だと言われているが、確かにその通り、、、プチ洞窟マニア(?)にとっては十分満足のいくものだった。他にも体験型の施設が数多くあるが、沖縄にはアクティビィ目的のところが多くあり、ここおきなわワールドも家族連れにはいいかもしれない。
おきなわワールド
そしていよいよひめゆりの塔平和祈念館に向かう。最初にひめゆりの塔を見て、隣接する資料館を見学しておくことにした。戦争の悲惨さについてはいうまでもなく、こうして自分が平和に暮らせてるのは何かの犠牲の上にあるのだ、ということを強く感じた。続いてひめゆりの塔から3、4キロ離れたところにある平和祈念館特に向かう。広い敷地一帯が公園のようになっていて、大きな白い塔は遠くからも目立っていた。続いて資料館へと向かい、ここでもあらためて沖縄戦末期の南部地域の様子について見学することになった。いままで詳しく知る機会もなく自分の認識が薄っぺらだったことをあらためて痛感した。広大な敷地もいまではすっかりのんびりしたものだが、一部の誤った判断のもと凄惨なことが繰り広げられていたのかと思うと、本当に心が痛む。
ひめゆりの塔
資料館を出たあとも、しばらく敷地の中を歩いてみることにした。南の方角に面した海岸を散策したあと、戦没者の碑のすぐ横を通って平和の礎にも寄ってみた。それにしても、先程までそこらでたむろってた修学旅行生たちは終始浮かれた様子だったが、彼ら彼女らは何を感じたのだろう?ただただ、それだけが心配だった。気がつけば雨も止んでいて、不思議なくらい穏やかな時間が流れていた。
平和祈念公園
そして最後に、本島最南端喜屋武岬まで足を延ばしてみることにする。国道を逸れてからまだしばらく走ったあと、最後にはようやく車が1台通れるような狭い道を進むと断崖絶壁へ出ることができる。展望台のすぐ近くには灯台もあるのだが、ここは観光地というより展望台と記念碑がぽつんとあるだけで、海からも陸からも追い詰められた人々が最後の最後に命を落としたのもこのあたりだという。そのことを永く伝える意味もあってだろうか、記念碑が建っていた。今日来たあたりは見てまわる順番を考えた方がいい…と聞きいていたが、本当にその通り、、、今日はこの順番で正解だったようだ。喜屋武岬の先に広がるは実に穏やかで平和そのものだったが、この穏やかな時間がいつまでも続けばいいと願わずにはいられなかった。
喜屋武岬
三日間使って中部北部南部とまわってみて、これまで何となく聞いたことのあった地名や場所、地理感は体得できたような気がする。それとやはり、米軍の施設があちこちにある…というより、街と基地が同居しているというのもよく分かった。確かに、美味いものをたんと喰ったり、景色を楽しんだりしてきたが、今回は単なる観光で終わってしまうことにはしたくなかったので、ちょっとはプラスにはなったのかなと思う。まだまだまわり足りないとは思うが、また機会があれば来てみたいものだ。
那覇空港