■旅日誌
[2008/5] 四国トロッコめぐり
(記:2008/7/27 改:2015/11/1)
(記:2008/7/27 改:2015/11/1)
折角の連休でしたので、いつものように遠出することにしました。今回は四国方面へ足を延ばすことにしました。天気もよくトロッコ列車で風を感じる気持ちのいい旅ができました。
※下線部をクリックすると写真が表示されます
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1日目
去年、品川6時始発ののぞみが設定されたときには、物珍しさも手伝って何となく乗りに行ってしまったが、今年の春のダイヤ改正では新横浜6時発のひかり号が設定された。新横浜始発というのはもちろん初めてのことだが、今回のダイヤ改正ではN700系の本数が大きく増え、さらにすべてののぞみ・ひかりが品川、新横浜の両方とも停まることになり、かなり"攻め"のダイヤ改正だったことがうかがえる。(後日談:東京駅の利用者は横ばいだったにも関わらず、品川、新横浜の利用者の数がかなり増えたらしいですね。新横浜駅のホテルの開業など相乗効果もあったのではないでしょうか。)
話を戻して例のひかり号だがN700系だというのも興味を引く。ひかり393号は小田原、静岡に停まってまずは下りの始発時間を早め、米原あたりで後続ののぞみに道を譲るものと思いきや、京都、新大阪を越え何と新神戸まで先行する。始発ののぞみよりも大阪、神戸へ早く着くことができるというのはかなりポイントが高い。3分後ろを背後から爆走してくるN700系に対し、こちらも俊足を生かして大逃げを図り、結局、西明石で品川始発ののぞみ99号と東京始発ののぞみ1号み先を譲る。静岡から乗って新大阪か新神戸で後続ののぞみに乗り換えると、これまでよりもはるかに早く広島、博多へ到達することが可能になり、前回のダイヤ改正で不評をかった静岡地区にもちゃっかりアピールしている。山陽区間でののぞみ99号の乗車率を上げることはもちろん、近い将来開港が決まっている静岡空港に対しても先手を打った形になり、更には既存の神戸空港や北九州空港にも対抗するなど、かなりの強気の攻めがうかがえる。細かいところに目を向けると、ひかり393号はのぞみに抜かれた後も歩を緩めることなく走り続け、のぞみ99号からこのひかりへ乗り換えることにより福山の到達もスムーズになる。何とも巧妙なダイヤを組んだものである。(後日談:その後のダイヤ改正でひかり493号に改称されました。)
勝手な解釈も中にはあったと思うが、そんなわけでどれくらいの利用率なのか確かめたくなり、今回はそのひかり393号に乗ってみることにした。ちょっと朝早かったが、5時半に新幹線の改札口のシャッターが開き、待ち構えてた新横浜始発の列車に向かう。ちなみに今日は大型連休の谷間の普通の平日である。徐々に人の数が増えてきて、適度な着席率で新横浜を出発した。小田原、静岡と停まると多くの人が乗り込んでくるのだが、意外だったのは下りていく人もそれなりにいることだった。結果的に静岡を出たところで自由席はほぼすべての列が埋まっていた。
大して差はないのでこのままひかり393号に乗っていてもよかったのだが、途中で後続ののぞみに乗り換えることにした。新神戸で途中下車して同じホームでのぞみ99号を待つ。それこそガラガラかな?と思ったら結構な混み具合で空いてる席を見つけて着席する。あっという間に岡山へ到着しまい、次の乗り換えまでの時間を使って岡山城と後楽園にでも行ってみることにした。無理すれば歩けそうな距離ではあったが、ワンコインだし駅前から路面電車に揺られていくことにしよう。
城下の電停で降りると交差点の下は無駄に巨大な地下空間になっていた。何もこんなに立派にする必要もないと思うのだが、土建国家ならではというか一体なんだろう?しばらく歩いていくと無骨な黒壁の天守閣が見えてきた。岡山城は別名、金烏城(きんうじょう)と呼ばれ、漆黒の壁が特徴である。それほど大きくもない天守閣の中は資料が展示されており、折角なので見学しておく。岡山城をあとにして旭川の水面に写る姿も見ながら、すぐ隣にある後楽園へと向かうことにする。
後楽園は日本三名園のひとつである。まだまだ時間があるので、中をひとまわりしてみることにした。ちょうど季節的にも新緑の時期、遠足でやってきてる団体がとても賑やかだった。今日はいわゆる連休の谷間の平日、観光客というより地元の人の方が多いように思える。しばらく庭園の中をうろついて、頃合を見計らって岡山駅へ戻ることにした。行きと同様、路面電車を利用すると、ちょうど低床車「MOMO」がやってきた。
岡山に戻り、目的の列車の入線を待つ。四国に向かう列車が頻繁に行き交う。それにしてもどれもこれもアンパンマンのペイントが妙に賑やかである。なぜか今回は四国のトロッコ列車を巡ってみることを考えている。まずはその最初瀬戸大橋アンパンマントロッコ、中をうかがいながらしばらくもうしばらく待つ。この列車は全席指定の2両編成なのだが、途中までは元特急だった車両で過ごし、橋を渡るときに同じ座席番号のトロッコ車両へと移る。児島で後から来た特急を先にやり、ここでオープンな車両へ移動する。家族連れや団体さんでほぼ満席、トンネルをいくつか抜け、風を感じながら橋を渡っていく。そういえば去年はこの上の高速道を渡ったっけ…。
今日も好天でよかったが、天気が悪いときはどうなるのだろうか?風を切る爽快感がたまらない。そこここにアンパンマン・キャラのオブジェがあり、床には真下が覗けるような窓もあった。乗車記念のハンカチを受取り、20分たらずの"アトラクション"もあっという間に終わってしまった。四国に入り上り列車とすれ違う。この列車は琴平行きなのだが、この先の乗り継ぎを考えて今日は多度津で降りることにした。一旦、宇多津へ逆戻りしてあらためてここからしおかぜで松山方面へ向かう。右手に瀬戸内海、左手に石鎚山を見ながらまったり過ごすことになった。列車に揺られていると、朝早かったせいもあって時折記憶が飛んでしまったようだ。
松山で降りてそのまま松山城へ向かうことにした。今回で何度目の松山かはっきり記憶はないが、ちょっと仕事で悩んでた頃に立ち寄ったのは今でもはっきりと覚えている。明日以降の日程を考えて今日は松山へ投宿することにしていたのだが、折角なのであのとき以来の松山城へ向かうことにした。伊予鉄の路面電車に乗るのも随分と久しぶりのような気がする。大街道で下車してロープウェイ乗り場へと向かう。東雲口駅舎はリニューアルしたばかりで、記憶に残っていた様子と全く違った。とりあえず片道の乗車券を買って早速登ることにする。荷物を持ったままなのでリフトではなくロープウェイに乗ることにした。天守閣までは頂上駅から歩いて数分のところにあり、寄り道せずそちらへ向かうことにした。
ここのお城も典型的な山城で松山市街が一望できる。実は瀬戸内海アンパンマントロッコを途中で降りたのは、琴平まで行ってしまうと松山城に入れる時間に間に合わなくなる…というのが理由だった。というわけで、折角ここまで来たのだから、てっぺんまで登ってみることにしよう。それにしても名城と呼ばれるお城は、素人目にもどことなく優美な姿をしてるものである。
多少霞んでいるようだったが、天守閣からの眺めは格別だった。頭の中をからっぽにして、しばらく目の前の光景に見入ってしまった。ここのところ、しんどい状態が続いていたのでとてもいい気分転換になったようである。さて、暗くなる前に下山することにしよう。帰りはロープウェイではなく、古町の方へ歩いて下りていくことにした。もちろん今夜は温泉と決め込んでおり、ほどよい疲労感がなんとなく気持ちよかった。
2日目
今日も5月らしいすがすがしい天気である。今朝も路面電車に揺られて松山駅へ向かう。松山始発の特急宇和海に乗って宇和島へ出発する。この時間にしては思ったよりも座席は埋まっていた。松山市街を抜け宇和海は快調に飛ばしていく。レールの継ぎ目が短いせいか、カタコト・カタコト・カタコトと慌しくリズムを刻む。内子線に入り山道に差し掛かったあとも振り子に物を言わせ速度を緩めずに先へ進む。伊予大洲、八幡浜と海沿いを過ぎたあと、列車はいつしか高いところを走っていた。宇和島湾を見下ろす風景が続くとやがて終着の宇和島へと到着する。
久しぶりに宇和島までやってきた。初めて来たときと同じ、予土線に乗って窪川方面へ抜けることにする。といっても、随分と前のことなので記憶も曖昧だったが、満員の小さな車両に押し込められて風景を楽しむどころではなかったのは覚えている。もうしばらく乗り換えまでに時間があるので、少しだけそこらあたりをウロウロすることにした。歩いてるうちに前回立ち寄ったときのことが思い出されてきた。駅舎の反対側へ行ってみると、これから乗るトロッコ列車が既に待っていた。このまま散歩していても仕方ないので、駅へ戻ってホームに向かうことにした。
これから乗るのは清流しまんと号、元祖トロッコ列車と言われ、本物の貨車を改造した車両らしい。だが、そのトロッコ列車に乗ることができるのはわずか二区間で、それ以外は引っ張り役のキハに座っていくことになる。ロングシートというのも何だか味気ないが、適当に埋まった座席で空いてるスペースを探す。程なくして列車は出発した。清流しまんと号といいながら、何の変哲もないローカル列車の旅となった。
のんびりとした風景の中、列車はのんびりと四万十川沿いを進み、十川駅からトロッコ列車へ移る。列車はここからややスピードを落とし、一番眺めのいい場所を進む。ゴールデンウィークらしくこいのぼりが泳いでいる様子や沈下橋など、どこかで見覚えのある風景が続く。元祖トロッコ列車とはよく言ったもの、ガタゴト、ガタゴトと不思議でありながらどこか心地よい乗り心地だった。
トロッコ車両から戻り、最後に名物のループ状のトンネルを抜けるとやがて終点の窪川に到着する。今日の目的はこれですべて果たしてしまったので、明日のスケジュールを考えると少しでも先へ進んでもいいのだが、あまりこだわる必要もなく、そこまま下り方面を目指すことにした。上りの南海を見送り、下りのあしずりへ乗ると、車掌も窪川で交代する。いつも…といっても3回目だが、過去いずれもどうも無愛想な印象が強かったので、今回は普通の車掌のようでよかった。空き席を見つけるのが難しいくらいなので、それなりに需要はあるようである。あしずり号は太平洋沿いを進み、中村駅で運転が打ち切られてしまい、その先に行くには普通列車に乗り換えなければならない。やはり利用者数からするとこうなってしまうのだろうか。その割には、待ち構えてた普通列車は既に満員、さらに特急からの乗換え客も加わって、車内は中途半端に混雑してしまった。
結局、終点の宿毛まで立ちっぱなしになってしまった。このまま数分で折り返さないと、次の上りまでしばらく待たされてしまうので、何もせずに急いで上り列車に乗り換える。であればなおさら、宿毛までくることもなかったな…と、こんどはガラガラの列車の中で考えていた。車窓には再び、川にかかったこいのぼりが見え、そんなことなのに都会にはない何かを感じる。終点の中村で下車して、今日はこのままここで投宿する。近くに四万十川が流れているのだが、特に観光地ということでもなく、本当に何もないところである。そういえば、ここも一度来たことがあるが、確かに何もなくて食事も困ったような気がした。ということで、今日はおとなしく終わることにしようか。
3日目
今日も天気は味方をしてくれたようで、トロッコ列車三連荘目も無事こなせそうである。そもそも窓がない列車なのだから天気が悪かったらどうなる?などとは考えたくない。今日はまず中村始発の岡山行きの特急南風で、一気に大歩危まで行くことにしている。自由席は十分にあるので余裕だろうと思っていたが、意外と人の数は多く、それなりに需要があることがうかがえる。特急南風は定刻で出発、土佐くろしお鉄道から土讃線に入り、太平洋沿いにしばらく進む。高知に到着すると一斉に車内の入れ替えが起きたように、ほとんどの人が降りていってしまった。
前回高知に来たときからはすっかり様子が変わってしまい、木目調の立派な高架の駅になっていた。何というか、"浦島太郎"状態である。(追記:その後、高知を再訪する機会がありました。そのときの旅日誌はこちらをご覧ください。)時間調整のため少し時間があるようで、ホームに出てしばらくウロチョロしてみることにした。列車は高知を出発したものの、席の埋まりぐらいは先程に比べるといまいちのようだった。何だか不思議なものである。
大杉駅を過ぎるとさらに車窓は山深くなり、やがて目的地である大歩危駅へ到着した。次に乗り継ぐ列車が来るまでまだ時間があるので、しばらく駅のまわりを歩いてみることにした。山間の小さな駅は正面を出るとすぐに窮屈な感じの急坂となり、ぐるっと回ってさらに登っていくと大きな橋につながっていた。既に駅は下の方に小さく見えている。足がすくむ感じを覚えながら、とりあえずこのまま橋を通って向こう岸へと渡ってみることにした。
橋の向こう側に行ってみたが、人家が少しあるくらいでとりたてて何があるというわけではなかった。来た道をそのまま戻り、再び橋を渡って駅の方へと向かうことにした。もう少しすると折り返しの大歩危トロッコ号がやってくるので橋の上から到着するのを待つことにしよう。風光明媚という言葉がぴったりな場所で、やがて向こうから2両編成のトロッコ列車がやって来た。大歩危トロッコ号はおととい乗った瀬戸大橋アンパンマントロッコと同様2両編成で、1両がトロッコ車両、もう1両が控え車として連結されている。特急列車と交換したあと、大歩危トロッコ号は出発となった。
心地よい風を感じながら列車は吉野川沿いを進んでいく。見事なまでの渓谷美がずっと続き、列車はガタゴトと歩みを刻む。車内はいつしか賑やかな雰囲気に包まれていた。席を離れて車窓を眺めていたら、いつものシャッターお願いします攻撃を受けてしまった。トロッコ列車に乗ってられるのは阿波川口までで、ここで控え車に戻ることとなった。ここでも特急列車と交換、しばらくして大歩危トロッコ号は終着阿波池田へ向かって再び走り出した。(追記:思いがけず、再びこのトロッコ列車に乗る機会がありました。そのときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
阿波池田から徳島線に乗り換えて今日は徳島まで向かうことにしている。徳島線に乗るのも随分と久しぶりのことになる。徳島行きの特急剣山はちょうどこの時期「アンパンマン特急」としてこれまた派手な格好をしていた。阿波池田を出たあと土讃線と分かれると吉野川の流れはゆったりとしたものに変わる。車窓の風景ものんびりとした様子で、変化がなくなってくる。単調な風景の中を列車は進み、特急というにしては停車駅が多いようにも感じる。巡礼のグループの人たちだろうか、途中、白装束の若い男性数名が乗り込んできた。こんなところからも、あらためて四国にいることを感じていた。
特急剣山は徳島へ到着すると、すぐに回送列車として引き上げていってしまった。今日のトロッコ列車でひと通り目的は達してしまったのだが、何となくもったいなかったので徳島へ寄ってから明日帰京することにしている。とはいうものの、何か観光するネタもないので、とりあえず眉山にでも行ってみよう。徳島駅を後にして、あとは正面に見える山へ向かってまっすぐ進めばいいだけだ。
新町川に差し掛かったとき、どことなく賑やかなお囃子が聞こえてきた。この時期に阿波踊り?などと考えていると、どうやら催しが企画されるようである。阿波踊りについてはあらためてこんなところで説明するまでもないが、お盆の時期、夏の一大イベントとして開催される。実際にこの目で見たことはないが、いろんなところで紹介されているのでその様子は容易に想像がつく。後で知ったのだが、阿波踊りは「連(れん)」と呼ばれる踊りのグループから構成されており、今日はその中でも歴史のある有名な連のイベントがこれから開始されるところだった。運よくそんな場面へ出会うことができたので、しばらく見物していくことにした。連の代表の挨拶から始まり、女踊り、男踊り、小学生くらいの子の集団の踊りなど、見ててもあきない。生のお囃子もライブ感があってなかなかよい。しばらくは川沿いの前の方の舞台で踊りが行われていたが、最後は客席に近いところでいっせいに踊りが始まり、ちょっとだけ本場の踊りが見物できたようだ。偶然とはいえ、思ってもない機会に恵まれてラッキーだった。
1時間ほど時間をつぶしてあらためて眉山へ向かう。思わず阿波踊り見物をしてしまったこともあり、すっかり映画・眉山の気分である。(謎)ロープウェイの乗り場は阿波おどり会館としてそこがもうひとつの施設になっていた。施設というより、博物館のようでもあり、また舞台=ホールがあって阿波おどりが実演されることもあるようだ。早速ロープウェイで山上を目指すことにした。
眉山山頂からは徳島市街が一望できてとても清々とした気分になる。こうして見ると狭いところに多くの人がごちゃごちゃっと生活してるようにも思う。山頂といっても険しい地形ではなく、あたりを一周することができる。西の方角へ目を向けると山々が連なっていた。再び東側の方へ戻ってきてもうしばらくボーっとしながら時間を過ごすことになった。天気がよければ紀伊水道の向こうに紀伊半島が見えるようだが、今日ははいまひとつ霞んでいて、その先の陸地までは確かめることができなかった。夜景も素晴らしいということだが、切りがないので適当なところで引き上げることにした。そうだ、徳島ラーメン、、、妙なことを思い出してしまったので、これはぜひ済ませなければならない。ロープウェイで下山してもうしばらく町歩きを続けることにした。
4日目
4日目にして雨に見舞われてしまった。駅から少し離れたところに投宿していたが、運よくバスの送迎があったのでそいつに乗せてもらうことにした。朝、適当なタイミングで乗った特急は高松を経由して岡山まで直通しているのだが、周遊きっぷの権利が生かせる高松で途中下車することにした。特急うずしおの自由席はほぼ埋まっていた。吉野川を渡った後も、ちょこちょこと停車を繰り返していく。やがて右手に瀬戸内の様子が見えてくると、もうまもなく高松へと差し掛かる。うずしおを見送り、高松駅で途中下車することにしよう。
まだ時間は早かったが、駅近くのサンポートで世界麺フェスタが開催されているので少しだけ様子を見ておくことにした。実はJAFの会報誌で知ったのだが、もう少し時間があればいろんな麺を試すのもアリだったかもしれない。とりあえず、自分用のお土産に半生タイプの讃岐うどんを購入して駅へ戻ることにした。再び岡山へ向けて、次のマリンライナーを待つことにしよう。と、その前にどうしてもうどんが食べたくなったので、駅構内の連絡船うどんに立ち寄ることにした。朝、しっかり食べたというのに、ま、いっか…。(苦笑)
新しくなったマリンライナーに乗るのは初めてのような気がする。そういえば2年前のGWに高松からサンライズ瀬戸に乗ったときにこのマリンライナーを見かけたときのことをふと思い出していた。あらためてマリンライナーに乗車し、岡山へ向かうことにした。天気はあまりよくないが、なんとか雨は降らないでいる感じだった。讃岐富士の稜線を左手に眺めながら、やがて瀬戸大橋が見えてくると、いよいよ四国とお別れだなという気になってきた。
瀬戸大橋を渡って3日ぶりに本州へ戻ってきた。行きがけ四国に渡ってきたときはよく見ておくことができなかったので、帰りに与島のPAの様子を眺めてみておく。列車はあっけなく橋を渡りきり、定刻に岡山へ到着。気がつけば3日前とほぼ同時刻である。四国へ向かう特急列車が行き交う中、瀬戸大橋アンパンマントロッコが出発を待っていた。これから利用する人だろうか、列車を囲みながらあちこち撮影会となっている。とりあえず今日も盛況のようで何よりだ。
のぞみを1本見送り、次のひかりレールスターで姫路へ向かうことにした。今回は予定を組むときは帰り途中どこへ寄るとも決めかねていたのだが、何となく姫路城に行ってみることにしていた。もちろん、姫路は何度か通ったことがあるのだが、見学目的で立ち寄った記憶はない。新幹線に乗っていても姫路城の姿はよくみることができるし、全国的にも有名な名城なので、とりあえず一度でいいので姫路城に登っておくことにした。
姫路駅はちょうど工事中で通路が入り組んでいた。駅を出るとほぼ正面に姫路城の姿をみることができる。さすがにGWということもあって人出が多いように思えたが、どうやらそれだけではないようだ。お城に隣接したところで菓子博覧会が開催されており、お城の近辺はそちらに向かう人でごった返していた。遠目に姫路城を見ながら早速そちらへ向かうことにした。気がつけばこの旅3度目の"登城"である。
菓子博覧会からも人が流れてるようで姫路城は予想以上に混んでいるようだ。まずは西の丸から回ってみたものの、人の波で身動き取れないほどの混雑振りである。続いて何はともあれ天守閣には登っておきたい。だが、人の波は絶えず押し寄せ、ほとんどパニック状態である。どこもそうだが、お城の中というのは狭く入り組んでいることが多く、万一ここで何か起きたら大変なことになるのではないか?と心配になってきた。結局、落ち着いて展示物をみるどころではなく、窒息しそうなくらいのところを我慢しながら何十分も待たされることになってしまった。ようやく最上階まで登りつめることはできたが、景色を楽しむどころではなく、1分か2分してすぐに退散することになってしまった。
帰りの新幹線までそれなりに時間をみておいたのだが、姫路城の混雑の中、じっと耐えてるだけで時間が過ぎてしまい、お昼を済ませる余裕もなくなってしまった。東京へ向かうのぞみは軒並み満席で、前もって指定を押さえておいて正解だったようだ。帰りの新幹線で遅めのお昼となってしまったが、久々にまとまった休日が取れたので少しは気分も晴れただろうか?自分でもよく分からなかったが、少し落ち着いたところで変なことを考えていた。