■旅日誌
[2011/2] 戦跡と館山基地を巡る
(記:2011/4/3 改:2021/8/7)
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ふと、知り合いから誘いがあり、東海汽船が主催するツアーに参加してきました。赤山地下壕をはじめ、館山に残る戦跡と航空自衛隊の館山基地を見学するというものです。普段では立ち入ることのできない場所も多く、館山までは東海汽船のジェット船で往復し、とても有意義な1日でした。
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 番外編
ルート概略
【寄ったところ、乗ったもの】※詳細はこちら
洲崎第二砲台跡、射撃場跡、掩体壕(零戦格納庫)、赤山地下壕、海上自衛隊・館山航空基地
今回のツアーの集合場所は、往復の足でもある東海汽船ジェット船が発着する竹芝旅客ターミナルで、出航時間は朝8時とやや早い時間が指定されていた。思い起こせば、このジェット船に乗るのも大島へ寄ったとき以来のことになる。伊豆七島へ向かうジェット船は認知度も高く、既にこの時間でも多くの人が集まっていた。ツアー専用のデスクで受付を済ませた後、誘ってくれた知り合いと落ち合いしばらく出発を待つことにする。
竹芝旅客ターミナル
セブンアイランドの愛称で親しまれるジェット船は3艘あり、往路にはその中の虹号が就いている。ほぼ定刻で離岸、ジェット船は徐々に速度を上げるといつの間にか浮上航行へと入っていた。晴海を左手にレインボーブリッジの下をくぐると羽田空港が近づいてくる。新しくできたD滑走路も間近に見ることになるのだが、ちょうど1機飛び立っていくところだった。なるほど、海側からはこう見えるのか…。その後館山まではおよそ1時間、ボーっとしてる間に到着、ここから伊豆諸島方面へ向かう人と入れ替わるように下船する。乗船待ちの列は思いのほか長く続いており、ここから利用する人も多いようだ。通年で館山を経由してるわけでもないはずだが、これだけニーズがあるというのも意外だった。ジェット船を降りたあと、新しくできたばかりの桟橋の上を何百メートルも歩いていかないと陸地にはたどり着かないので、ここで少々不便を感じる。
洲崎第二砲台跡
桟橋を渡りきったところに、今回ツアーに用意されたバスが待っていた。ここからは地元のボランティア・ガイドの方がアテンドし、今日1日案内していただくこととなる。早速、第一の見学地である洲崎第二砲台跡へと向かう。言われないと気がつかないようなところで一旦バスを下車、どこにでもありそうな私道を少し中に入っていくと、ある民家の下に突き出た大きなコンクリートの塊に出くわす。かつて弾薬類を貯蔵したというものだが、住宅を建てるために整地していたらこんなものが出てきてしまい、頑強過ぎて撤去することもできず今の姿を残しているという。確かにその壁の厚みは不気味ささえ覚える。さらに奥へ進み砲台跡があったとされる場所へと案内されると、そこは円形状の台座跡が残っていた。こんな山の中の、海などまったく見えないところに砲台があるというのはイメージがわかないが、遠くからの指示で放物線上に大砲を打ち上げ浦賀水道を通過する敵艦を狙うとのことだ。実戦で使われることはなかったとのことだっただが、なかなか興味深い話だった。
洲崎第二砲台跡
さらに砲台跡の先の雑木林を登っていくと、また別の弾薬庫跡が現れる。山肌にポッカリと明いた入口の中に入ると、レンガづくりのしっかりとした部屋がいくつかあり、トンネルの向こうには別の出口があるのが分かる。洲崎第二砲台跡の見学を終えたあと、射撃場に向かう。館山の歴史をさかのぼると、海軍の航空隊基地の存在に行き着く。いまではただのまっすぐな道路になってしまったが、かつては滑走路だったとか、海軍関係の大きな敷地跡が自動車学校になっているとか、ここら一帯は軍関係の施設で多く占められていという。そんな解説を受けながら、ある工場の敷地の中へと入って行く。この射撃場は零戦の機銃の調整に使われた施設で、100m先に掘られた横穴に向かって射撃していたとのことだった。いまとなっては藪のような林に囲まれ鬱蒼としているが、その向こう側にはいくつものが掘られているのが見える。実際に機銃の跡が残っているところなども教えてもらったものの、当時の様子をなどはまったく想像がつかない。何とも不思議な気分だ。
射撃場跡
続いて午前中最後に掩体壕の見学に向かう。県道脇でバスを降りて住宅街の中を何百メートルか歩いていくと住宅地の中にひっそりと顔を覗かせていた。地面より低い場所にある構造物は横に平べったい形をしており、ここが零戦を格納するところとして使われた施設だという。具体的には、敵の目に触れないように一時的に零戦を隠すための場所だったのだ。地面に堆積物が蓄積してしまったため、いまでは非常に天井の低い壕のように見えるが、このようにきれいな形で現存しているのはとても貴重らしい。
掩体壕(零戦格納庫)
ここまでの見学でちょうど時間はお昼どきとなる。今日のツアーは房州鮨の昼食付きで、館山駅近くのお寿司屋さんに上がりこんでの食事となった。東京に比べ多少気温は高いようだったが、まだまだ本格的な春というには遠く、お寿司と一緒に出された温かいカニの味噌汁が体に浸み込むようでとても美味しかった。昼食後、まだ少し時間があったので、1年前の春先のことなどを思い出しながら館山駅の近くをちょっとだけ歩いてみることにした。
房州鮨
午後は最初に赤山地下壕を見学する。今日見てまわる戦跡の中で、ここが一番の目玉かもしれない。受付らしき建物で人数を申告してヘルメットを受け取り、洞窟の入口へと向かう。前もって特に知識を仕入れていたわけでもなく、また入口もこじんまりとしていたので、何の気なしに中へ入ってしまったが、地下壕の中は予想以上に大規模なものだった。通路は縦横に整然と掘られており、大きく区切られた部屋は天井も高く、壁にはきれいに地層が残っているところなどもあり驚くばかりだ。実際、戦況が厳しくなったときにも本格的に使われたことはあまりなく、ここ館山に留まっていた兵隊さんたちが延々と掘り続けてた結果、こんなに立派になったとも聞く。洞窟というより立派なトンネルといった感じで、一人で迷い込んだら出れないかも?というのはあながちウソでもないようだった。
館山駅
今日のツアーもいよいよ終盤、最後に航空自衛隊館山基地へと向かう。この館山基地は、かつて海軍が使用していた飛行場など敷地の一部をそのまま引継いでおり、東京湾の入口という地理的な特性もあって横須賀と並んで重要な拠点のひとつと数えられている。現在では航空自衛隊第21航空隊が配置されており、海難救助のためのヘリなどが配備されている。基地の入口の手前で自衛隊の広報の方がバス乗り込まれ、人数を確認した程度であっさりと中に入れてもらった。広報の方といってももちろん立派な自衛官であり、というか、かなり上の地位の方(?)とお見受けされ、がっちりとした体格でありながら、どこか親しみやすい喋り口と表情がとても印象的だった。
赤山地下壕
まず最初にヘリの見学に向かう。格納庫の中に駐機してあるうち、ひと世代前のシコルスキー・ヘリコプターSH60Jと最新のシコルスキー・ヘリコプターSH60Kを見学させていただいた。扉を開けて実際にヘリの中にも入れてもらったりと、もうこれだけでテンションが上がってくる。(苦笑)航空母艦に納めるための仕組みやソナーなどの装備の解説、また陸上ヘリとの違いなどいくつかの説明を受ける。こんなヘリのお世話になることはないとは思うが(いや、あってはならないが…)あらためて間近で見ると興味は尽きないものだ。
館山基地
続いて管制塔の方へと移動していく。この館山基地はヘリのための基地なので、滑走路もそれほど大きなものではない。(余談:それなりの歳の方には分かると思いますが、Gメン75の撮影に使われたのはここ館山基地の滑走路です。)同様に管制塔自体もコンパクトつくりで、ここで2班に分かれて順番に行動することになった。最上階の管制室からは館山の街と浦賀水道が見渡せるようになっており、当たり前のことだが、ここのレーダーでも羽田に下りる民間機も追跡することができるという。それにしても、こうして自衛隊の敷地に入れるというのも貴重な機会だったなと、あらためて実感する。
シコルスキー・ヘリコプターSH60J
その後、史料館に案内していただき、しばらく時間を使って見学することになった。ここ館山基地は、かつて南極観測船しらせの母港だったということもあり、南極観測の資料も多く展示されていた。特別に南極の氷を見せていただいたが、コップに水を入れて小さい塊を溶かしてくれてたけど、本当によかったのだろうか?最後にちょっとだけ慌しくなってしまったが、時間の許す限り敷地の中を案内してもらう。館山基地は海上自衛隊航空部隊の発祥の地であるということだが、司令部庁舎として使われている白い建物は正面から砲撃を受けながらも修復していまでも使っているという。最後の最後に、一番絵になると教えてもらった国旗掲揚台をバックに記念撮影しておくことにした。
館山基地
振り返れば盛りだくさんの内容だったが、全ての行程を終え再び桟橋まで戻って来た。往路と同様、復路も期間限定で館山に寄港するジェット船を利用するのだが、こんどの便は虹号だった。帰りのジェット船も快調に飛ばし、夕闇迫る竹芝旅客ターミナルで解散となった。このツアーは人気も高く毎年継続的に実施されているとのことだったが、一部特別な配慮もあったようで、とても貴重な経験をする1日になった。今回は知り合いの誘いがきっかけになったが、またこういうネタがないかアンテナを張っておきたいと思わせる企画だった。(後日談:その後、第二海堡に上陸するツアー参加する機会がありました。そのときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
館山基地