■旅日誌
[1994/9] 四国一周
(記:2000/5/15 改:2022/1/3)
(記:2000/5/15 改:2022/1/3)

勤務先の引越しなどあってバタバタしてましたが、休みの谷間で1日休暇をいただいて大胆にも4連休にしてみました。ちょっと日常からリフレッシュしなたくなり、今までまったく行ったことのないところへ出向いてみることにします。ということで、選んだのが四国一周のコースでした。
0日目
休暇を取ってリフレッシュするというのも久しぶりのような気がする。前振りの通り、気分転換のために日常とまったく無縁の場所に行ってみることにした。更に気分を盛り上げるために(?)安易な発想だがいつものように夜行で旅立つことにする。人気がないとはいえ、連休前なので早めに予約をしておいた方がよかろう。
連休前の最終日は定時で仕事を切り上げ、一旦帰宅し大急ぎで東京駅へ向かう。飛び石連休の谷間に休暇を取って前日も早く帰ってしまうというのは思いっきり怪しい行動で、何か企んでいたのは周囲にバレバレだった。そんなことはとりあえず放っておいて、寝台特急瀬戸に乗り込む。(後日談:当時はサンライズではなくトラディショナルなブルートレインでした。サンライズ瀬戸に乗ったときの旅日誌はこちらとこちらをご覧ください。)B寝台の下段に陣取り、しばらく外を眺めていた。帰りの遅いサラリーマンなど外の雑踏から隔てられた空間でしばし優越感に浸る。途中、横浜で対面の人が乗り込んできて軽く会釈を交わす。今日は早めに就寝することにしよう。
連休前の最終日は定時で仕事を切り上げ、一旦帰宅し大急ぎで東京駅へ向かう。飛び石連休の谷間に休暇を取って前日も早く帰ってしまうというのは思いっきり怪しい行動で、何か企んでいたのは周囲にバレバレだった。そんなことはとりあえず放っておいて、寝台特急瀬戸に乗り込む。(後日談:当時はサンライズではなくトラディショナルなブルートレインでした。サンライズ瀬戸に乗ったときの旅日誌はこちらとこちらをご覧ください。)B寝台の下段に陣取り、しばらく外を眺めていた。帰りの遅いサラリーマンなど外の雑踏から隔てられた空間でしばし優越感に浸る。途中、横浜で対面の人が乗り込んできて軽く会釈を交わす。今日は早めに就寝することにしよう。
1日目
目が覚めたら、まもなく岡山に着くところだった。目が覚めたというか、浅い眠りを繰り返しながら朝を迎えていた。どうもご近所は何かの団体さんのようで、ツアーコンダクターと思しき人が朝食のお弁当とお茶を配っていた。自分は高松に到着してから朝食を調達しようと思っていたので食料は持ち込んでいない。朝日がキラキラと照りつける中、瀬戸大橋を渡る。なかなか気分のいい朝になった。列車は定刻で高松駅に滑り込む。ホームの売店で適当に弁当を選び次の列車に乗り継ぐ。
もう記憶が定かでないくらい昔に、ほとんど瀬戸大橋を往復するためだけに四国に渡ったことがあったが、こうして本格的に四国を歩きまわるのは初めてのことである。四国内はほとんど電化が進んでいないため、幹線を走る特急であっても電車ではない。松山行きの特急に乗り込み、早速朝食にする。先程通ってきたところをしばらく戻り、瀬戸大橋を右手に見ながら更に西へ進む。時折見え隠れする瀬戸内海の青さが目を引く。松山に到着し、続けてこの先へ向かう特急に乗り換える。先程のいしづちに比べ、こちらの宇和海はかなり古い車両のように思えた。途中、内子線を使ってショートカットし宇和島方面を目指す。そのうち、高低差のあるところを列車は進み、みかん畑の段々畑や青い海を進行方向右側の遠くに見ながら宇和島までやってきた。
今日はさらに宇和島から予土線を経由して中村方面へ抜ける予定でいる。四万十川沿いをのんびりいく地味な路線で、何か味わい深さのようなものを期待するものの、ロングシートの小型なレールバスに大量に押し込まれあまり風情を楽しむようなことはできなかった。少々損をしたような気分でもある。
結局今日は一日中乗り通しのままであったが、窪川で土佐くろしお鉄道に乗り換える。名物のループ線を通過し山間の路線がしばらく続く。この路線は第三セクターで運営されているが、比較的新しい路線でトンネルと高架で直線的なつくりである。女性の乗務員が検札が回ってきて特急券と乗車券を購入する。終点の中村に到着したときには既に夕どきとなっていた。何か地のものでも食べに行こう。(後日談:その後も、四国には何回か来てますが、瀬戸大橋と予土線でトロッコ列車に乗る機会がありました。そのときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
もう記憶が定かでないくらい昔に、ほとんど瀬戸大橋を往復するためだけに四国に渡ったことがあったが、こうして本格的に四国を歩きまわるのは初めてのことである。四国内はほとんど電化が進んでいないため、幹線を走る特急であっても電車ではない。松山行きの特急に乗り込み、早速朝食にする。先程通ってきたところをしばらく戻り、瀬戸大橋を右手に見ながら更に西へ進む。時折見え隠れする瀬戸内海の青さが目を引く。松山に到着し、続けてこの先へ向かう特急に乗り換える。先程のいしづちに比べ、こちらの宇和海はかなり古い車両のように思えた。途中、内子線を使ってショートカットし宇和島方面を目指す。そのうち、高低差のあるところを列車は進み、みかん畑の段々畑や青い海を進行方向右側の遠くに見ながら宇和島までやってきた。
今日はさらに宇和島から予土線を経由して中村方面へ抜ける予定でいる。四万十川沿いをのんびりいく地味な路線で、何か味わい深さのようなものを期待するものの、ロングシートの小型なレールバスに大量に押し込まれあまり風情を楽しむようなことはできなかった。少々損をしたような気分でもある。
結局今日は一日中乗り通しのままであったが、窪川で土佐くろしお鉄道に乗り換える。名物のループ線を通過し山間の路線がしばらく続く。この路線は第三セクターで運営されているが、比較的新しい路線でトンネルと高架で直線的なつくりである。女性の乗務員が検札が回ってきて特急券と乗車券を購入する。終点の中村に到着したときには既に夕どきとなっていた。何か地のものでも食べに行こう。(後日談:その後も、四国には何回か来てますが、瀬戸大橋と予土線でトロッコ列車に乗る機会がありました。そのときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
2日目
昨日に引続き今日もいい天気に恵まれていた。中村駅始発の特急でまずは高知まで移動する。この気動車特急には昨日も乗ったが、軽快な足回りがとてもいい。振り子にものを言わせ、ちょっとしたカーブでも構わず高速で突っ込み軽々とこなしていく。四国内は勾配のきつい箇所が意外と多く列車泣かせだと聞くが、この車はパワーも十分でぐんぐんと上り坂を駆け上がっていく。最近の車両の高性能ぶりをあらためて実感した。今日は再び高松に出るのだが、多少時間に余裕があるので高知駅で降りて次のくろしおに乗り換える。これといって観光をする予定もないせいか、気がつけば食べ物のことばかり考えていた。高知駅でかつおのたたき弁当というのを買ってみる。後で知ったが人気の弁当で入手し辛いこともあるという。そうか今日は平日だったか。先程のあしずり>のすぐ後を追いかけるため、こちらはとても空いている。1車両に数名ほどの状態のまま、大歩危、小歩危を車窓に見ながら適当なところで昼食とする。この弁当、実は何の気なしに買ったのだが、冷却材が下に敷かれボリューム感のあるかつおのたたきにたっぷりのたれをかけて食べるというもので、なかなかどうして素晴らしいじゃないか。(後日談:その後、あらためて高知を訪問したときの旅日誌はこちらとこちらをご覧ください。)
結局、最後までがら空きのままだった。四国独自のやり方だろうか、高松の手前で特急券が回収される。高松駅は四国内の起点と考えてもいい。港の方向に向かってすべてのホームが整然と並んでいるつくりは、どことなく青森駅に似ている。かつての宇高連絡船の時代の名残だろうか。今日はこれから高徳線に乗り換え、行けるところまで行ってみるつもりだ。特急うずしおの車両は先程乗ってきたものよりかなり年季が入っている。しばらくは瀬戸内沿いの国道と並走し、徳島を越えて室戸半島のつけねあたりを目指すことになる。比較的こまめに停車を繰り返しながら徳島へ到着した。車内から見る限りでは、何となく時代を感じさせる駅だった。特に駅舎の反対側の建物は不気味さを感じさせるたたずまいだ。徳島を出てさらに南下し、時折紀伊水道を遠くに見ながら特急の終点である牟岐駅までやってきた。
更に普通列車に乗り換え、海部駅の間を往復する。変な言い方だが、海部駅はコンクリートでできた高架の駅で田舎の真ん中にあるには不釣合いの駅だ。この先、阿佐海岸線と名前を変えて2、3駅あるのだが、時間の関係もあるので、今日はここで折り返すことにした。阿佐海岸線からやってきた車両に慌しく乗り換えそのまま牟岐駅まで戻ってきた。牟岐駅では先程乗ってきた特急が待機しており、ちょうどこの列車に接続する形で発車となる。(後日談:あらためて阿佐海岸線を訪問したときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
同じルートをそのまま戻り一旦徳島で下りる。今日最後の移動となる鳴門行きまでしばらく時間があるのでラチ外へ出てみた。どうやら駅舎は仮のもので、かなり大掛かりな工事をやっていた。鳴門線の起点はここではないのだが、次の便は徳島からの直通となる。4両編成とやや長めに組まれたキハは夕闇迫る吉野川を渡り、池谷から鳴門線へと入っていく。ここまで特急を乗り継いできたせいか、鈍足ぶりが気になる。鳴門で今日は一泊することにした。
結局、最後までがら空きのままだった。四国独自のやり方だろうか、高松の手前で特急券が回収される。高松駅は四国内の起点と考えてもいい。港の方向に向かってすべてのホームが整然と並んでいるつくりは、どことなく青森駅に似ている。かつての宇高連絡船の時代の名残だろうか。今日はこれから高徳線に乗り換え、行けるところまで行ってみるつもりだ。特急うずしおの車両は先程乗ってきたものよりかなり年季が入っている。しばらくは瀬戸内沿いの国道と並走し、徳島を越えて室戸半島のつけねあたりを目指すことになる。比較的こまめに停車を繰り返しながら徳島へ到着した。車内から見る限りでは、何となく時代を感じさせる駅だった。特に駅舎の反対側の建物は不気味さを感じさせるたたずまいだ。徳島を出てさらに南下し、時折紀伊水道を遠くに見ながら特急の終点である牟岐駅までやってきた。
更に普通列車に乗り換え、海部駅の間を往復する。変な言い方だが、海部駅はコンクリートでできた高架の駅で田舎の真ん中にあるには不釣合いの駅だ。この先、阿佐海岸線と名前を変えて2、3駅あるのだが、時間の関係もあるので、今日はここで折り返すことにした。阿佐海岸線からやってきた車両に慌しく乗り換えそのまま牟岐駅まで戻ってきた。牟岐駅では先程乗ってきた特急が待機しており、ちょうどこの列車に接続する形で発車となる。(後日談:あらためて阿佐海岸線を訪問したときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
同じルートをそのまま戻り一旦徳島で下りる。今日最後の移動となる鳴門行きまでしばらく時間があるのでラチ外へ出てみた。どうやら駅舎は仮のもので、かなり大掛かりな工事をやっていた。鳴門線の起点はここではないのだが、次の便は徳島からの直通となる。4両編成とやや長めに組まれたキハは夕闇迫る吉野川を渡り、池谷から鳴門線へと入っていく。ここまで特急を乗り継いできたせいか、鈍足ぶりが気になる。鳴門で今日は一泊することにした。
3日目
鳴門線で池谷駅まで出る。昨日は真っ暗な中だったのでよく分からなかったが、殺風景な景色が続く。池谷駅はY字形をしており、雨の中、高徳線の普通列車に乗り換える。今日は土曜日なので、この時間は通学生の姿も多い。
徳島から徳島線に乗り継ぐのだが、最近ではすっかり影の薄くなった急行列車を利用し吉野川沿いに上流へと進んでいく。語呂合わせして入場券との組み合わせで有名になった学駅は、こんなところにあったのかと初めて知った。終点の阿波池田でちょうど昨日乗った岡山行きの特急にタイミングが合うので、そのまま岡山まで乗り通す。この列車も昨日と同じように自由席は混雑していた。慌しくではあったが、これで今回の四国まわりを終えて本州に戻ることになる。やや霞がかった瀬戸内海を見ながら瀬戸大橋を渡る。次は乗り歩きではなく、もう少しゆっくり回ってみたいものだ。
随分と昔のことだが、瀬戸大橋が開通してしばらくしたときに様子を見にきたことがあったが、そのときは体調を崩してしまった苦い思い出がある。今日もそのときと同じルートをたどってみることにした。岡山駅からは赤穂線で東を目指す。もちろん、新幹線に乗ってしまえばあっけなく東京へ戻れてしまうのだが、ところどころ寄り道をしてみる。赤穂線は山陽線とは違って、瀬戸内海に近いところをのんびりと進んでいく。相生駅で山陽線と再び合流し、ここからも普通列車をいくつか乗り継いで大阪まで行く。
大阪からはJRを離れ名古屋までは近鉄特急を利用してみることにした。こいつは名阪間の"もうひとつ"の選択肢であり、一度は利用してみたかったところでもある。この時間は軒並み満席が続くようで、事前に座席をキープしておいたのは正解だった。時間だけを考えれば新幹線に分があることは間違いないが、気軽さという点でいえばこの選択肢もありかな?といった印象だ。途中日も暮れてしまい、名古屋に到着したときはすっかり暗くなっていた。この旅最後の夜になるが、何か名古屋らしい食べ物を探してみるか。
徳島から徳島線に乗り継ぐのだが、最近ではすっかり影の薄くなった急行列車を利用し吉野川沿いに上流へと進んでいく。語呂合わせして入場券との組み合わせで有名になった学駅は、こんなところにあったのかと初めて知った。終点の阿波池田でちょうど昨日乗った岡山行きの特急にタイミングが合うので、そのまま岡山まで乗り通す。この列車も昨日と同じように自由席は混雑していた。慌しくではあったが、これで今回の四国まわりを終えて本州に戻ることになる。やや霞がかった瀬戸内海を見ながら瀬戸大橋を渡る。次は乗り歩きではなく、もう少しゆっくり回ってみたいものだ。
随分と昔のことだが、瀬戸大橋が開通してしばらくしたときに様子を見にきたことがあったが、そのときは体調を崩してしまった苦い思い出がある。今日もそのときと同じルートをたどってみることにした。岡山駅からは赤穂線で東を目指す。もちろん、新幹線に乗ってしまえばあっけなく東京へ戻れてしまうのだが、ところどころ寄り道をしてみる。赤穂線は山陽線とは違って、瀬戸内海に近いところをのんびりと進んでいく。相生駅で山陽線と再び合流し、ここからも普通列車をいくつか乗り継いで大阪まで行く。
大阪からはJRを離れ名古屋までは近鉄特急を利用してみることにした。こいつは名阪間の"もうひとつ"の選択肢であり、一度は利用してみたかったところでもある。この時間は軒並み満席が続くようで、事前に座席をキープしておいたのは正解だった。時間だけを考えれば新幹線に分があることは間違いないが、気軽さという点でいえばこの選択肢もありかな?といった印象だ。途中日も暮れてしまい、名古屋に到着したときはすっかり暗くなっていた。この旅最後の夜になるが、何か名古屋らしい食べ物を探してみるか。
4日目
栄の繁華街近くの宿を出たときは、昨日の夜の騒がしさはウソのように静まり返っていた。テレビ塔など見ながらその辺を散策ついでにウロウロしながら名古屋駅へと戻ってきた。今日もへそ曲がりモード(?)で新幹線は利用しないことを考えていた。とはいえ、東海道線を普通列車だけ乗り継いでいくのはキツイので別の方法を考えていた。
その前に、時間がありそうなので何かできないか模索してみる。ということで、取り立てて用があるわけではないが名鉄に乗ってみることにした。自分の記憶が正しければ、名鉄は一度も利用したことがない。だからどうだという話しではないが、とりあえず豊橋まで行ってみてJRで戻って来よう。名古屋からそう遠くないところはごちゃごちゃとした街中を走る感じがしたが、それでも名鉄の特急は狭軌でありながら快調にすっとばしていく。なかなか気持ちがいい。
お昼前には名古屋に戻ってきた。今日はこれから高速バスを利用して東京へ向かうことにしていた。東京-名古屋間は昼間も高速バスが走っているので、そいつに乗ってみることにする。座席指定ではないが便指定で事前の予約が必要である。所要時間を考えると、普通列車を乗り継いでいくのとそう変わらない。恐らく使われている車は夜行のと同じものだろうか、1列には独立した3席があり、それぞれのシートはゆったりしていた。トイレや飲み物も完備されており、なかなか快適だ。もちろん途中途中SAで休憩が入いるので、そこで買い物や用を足すをすることも可能である。幸いにも渋滞に巻き込まれるようなこともなく、ほぼ定刻に東京駅へ到着した。
4日間を通して考えてみると何だか乗ってばかりいたが、もし次の機会があるとすれば、余裕をもって寄り道などしたいものである。とはいえ、GWなど長期連休以外に休みを取って旅に出れたのはちょっと嬉しかった。こんなこともう二度とないかも?などと言ってはいけない、、、のかな?
その前に、時間がありそうなので何かできないか模索してみる。ということで、取り立てて用があるわけではないが名鉄に乗ってみることにした。自分の記憶が正しければ、名鉄は一度も利用したことがない。だからどうだという話しではないが、とりあえず豊橋まで行ってみてJRで戻って来よう。名古屋からそう遠くないところはごちゃごちゃとした街中を走る感じがしたが、それでも名鉄の特急は狭軌でありながら快調にすっとばしていく。なかなか気持ちがいい。
お昼前には名古屋に戻ってきた。今日はこれから高速バスを利用して東京へ向かうことにしていた。東京-名古屋間は昼間も高速バスが走っているので、そいつに乗ってみることにする。座席指定ではないが便指定で事前の予約が必要である。所要時間を考えると、普通列車を乗り継いでいくのとそう変わらない。恐らく使われている車は夜行のと同じものだろうか、1列には独立した3席があり、それぞれのシートはゆったりしていた。トイレや飲み物も完備されており、なかなか快適だ。もちろん途中途中SAで休憩が入いるので、そこで買い物や用を足すをすることも可能である。幸いにも渋滞に巻き込まれるようなこともなく、ほぼ定刻に東京駅へ到着した。
4日間を通して考えてみると何だか乗ってばかりいたが、もし次の機会があるとすれば、余裕をもって寄り道などしたいものである。とはいえ、GWなど長期連休以外に休みを取って旅に出れたのはちょっと嬉しかった。こんなこともう二度とないかも?などと言ってはいけない、、、のかな?