■旅日誌
[2012/11] 深山幽谷~祖谷渓、龍河洞
(記:2012/12/1 改:2015/11/1)
(記:2012/12/1 改:2015/11/1)
取れなかった夏休みを少しでも奪還するぞ!作戦・その2です。前回は思いつきの北海道でしたが、今回は四国を目指します。何かと辛い日常から逃れるために夜行列車で出発し、秘境ともいえる祖谷渓や大歩危を巡って高知へ抜けてきました。ほんのわずかな期間でしたが、ちょっとしたサプライズありの逃避行でした。
※下線部をクリックすると写真が表示されます
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0日目
今年は曜日の並びが最悪だという。何のことかというと、祝日が土日に重なってしまう日が多く、その分休みが少なくなるのだとか…。そのための救済措置として土曜日と祝日が重なる前の金曜が休みになる機会が2度ほどあり、前回の9月はLCCの試し乗りと称して北海道まで行ってきたが、今回は趣を変えて人里離れた少し静かなところにでも行ってみようと思う。とりあえず行き先を四国の山の中と定め、貴重ともいえる平日の休みを活かしつつ、まずは金曜の夜にサンライズ瀬戸で出発する予定を立ててみた。と、まぁ、計画を立ててるときが一番楽しいわけで、結局オチはいつものパターン、、、普段の週より1日分短いこともあって月~木にしわ寄せが来てしまい、ペースが狂れた結果、金曜のうちに雑用を済ませておかないと太刀打ちいかない状況に陥ってしまった。幸か不幸か夜行での出発だったので、どうにかつじつま合わせはできたものの、いざ東京駅に着いたのは、サンライズが入線する数分前のことだった。昼間はどこか日帰りで、、、いや、少なくとも新しくなった東京駅は見学しておいて…という夢は費えてしまった。まぁ、しょうがない、こうやってサンライズに乗れただけもよかったと思うしかないでしょ、、、移ろう都会の喧騒を眺めながら、そう自分に言い聞かせるしかなかった。
1日目
昔なら、寝台列車に乗ってもワクワク感やら何やらで高揚して眠れないことが多かったが、昨晩は大船の観音様を見送ったあと、横になってるうちにいつの間にか"落ちて"しまった。単に歳くったせいじゃないの?という突っ込みは置いといて、朝一の放送が入る直前に目が覚めると外は徐々に明るさを取り戻していた。岡山駅には定刻から数分遅れて到着、ここでサンライズ出雲とはお別れ、サンライズ瀬戸として瀬戸大橋を目指す。少し霞がかった瀬戸内海の上を渡り、何年かぶりの四国入りを果たす。高松まで行ってしまうと無駄な往復が発生してしまうので、今日は途中の坂出で下車する。高架化された坂出駅に降り立ったのは記憶になく、駅前に建つ高層マンションといい随分と様変わりしていた。それにしても芸術的なオブジェもいいけど、昔なら駅のホームから見えてた讃岐富士の美しい姿に見事に被ってしまい、まるで台無しのような気がする。素人目にはよく分からないけど、美的センスを疑う。
土曜日の朝とはいえ、通学の学生を中心に人の往来は意外と多かった。"瀬戸の花嫁"の駅メロを聞きながら何本か見送り、琴平行きの普通電車に乗り込む。まだ少し寝足りなかったか、ぼんやりしてるうちに琴平駅へ到着、今日はこんぴらさん参りが目的はないので、ただ乗り継ぐための途中下車となった。この先は閑散区間となり普通列車の本数は極端に少なく、特急列車をやり過ごしながら雰囲気のある駅舎でしばらく時間をつぶす。そんなわけで、ここで折り返しとなるキハ単行に乗り込んだのは数名程度と、やや寂しいものだった。振り子式の特急ではない普通列車でこの先の山越えをした記憶はなく、途中坪尻駅のスイッチバックも、なかなか体験することのできない貴重な機会となった。
いよいよ山の中へやって来たなぁ~と実感できる頃になると、列車はもう間もなく阿波池田駅へと差し掛かる。駅を離れ、200メートルほど先にあるバスターミナルへ移動し、今度は小ぶりの路線バスに乗り込む。祖谷口を過ぎ、国道32号線から県道32号線に入ると道幅が一気に狭くなり、やがて離合困難な山道へと変貌する。木々に覆われたは山間の道は暗く、そして左右に振られながらバスは進んでいった。最前列のかぶりつき席(?)に陣取り、時折出くわす対向車をうまくやり過ごす様子をみたりしてると、気がつけば右手は急峻なガケとなっている。そんな中、突然野生の猿が横切ったりして、、、う~ん、秘境っぽくなってきたかぁ…。
祖谷温泉で一旦バスを下車、幽山深谷のど真ん中にぽつんとある一軒宿は、ちょっと引いて見ると崖にはいつくばるように建てられているのが分かった。一体どれほどの時間をかけて削ったのか、雄大な山々とは対照的に、V字谷の底を流れる祖谷川ははるか下の方に小さく見えるだけで、人間のちっぽけさを実感する。ここの温泉宿も日帰り入浴は可能だったが、これから団体客が押しかけるとのことでパス、いま来た道を数百メートほど戻り、ちょっとした名所でもある小便小僧をみておくことにした。度胸試しをしたことに由来するそうだが、足もすくむようなところにぽつんと立つ姿はどことなくお茶目な感じがする。次のバスまではまだまだ時間があり、少し離れたところにあるベンチでボーっとしていると、先程聞いた団体と思われる一団を乗せたボンネットバスが2台通り過ぎていった。紅葉にはまだ少し早いようだったが(補足:祖谷温泉の方の話しによると今年の紅葉は少し遅れてるようです。)何もないところで本当に何もしないで過ごすこの充足感はどう説明したらよいだろう?
再びバスでかずら橋まで移動、ここも何かのキャンペーンで一躍有名となった観光スポットだが、秘境とは似使わない大型の駐車場が近くにできたこともあってさらに多くの人で賑わうようになったという。バス停からは九十九折の坂を下っていき、車が通るために架けられた橋から、かずら橋を見ることができる。不格好な姿勢で人々が恐る恐る渡ってる姿を、ただ眺めてるだけというのももったいないので、実際に渡ってみることにした。祖谷のかずら橋は見るからにきゃしゃな吊り橋で、この地に流れ着いた平家の落人が架けたとも言われる。追っ手から逃れるためにすぐに切り落とせるようにしてあるという説もあるのだとか…。あまり深いことは考えず軽い気持ちでに渡り始めてみたが、意外と度胸が必要だったことに気づく。橋床は細い木が渡してあるだけで簡単に足を踏み外してしまいそうで、すぐ下を流れる川は丸見え、橋の手すりもぐらぐらとして安定せず、結局、写真を撮る余裕もなく渡ってしまったが、どうしてみんなへっぴり腰なのか体験してみて分かった。さてと、、、帰りのバスまでまだ少し時間があるし、橋の近くにあったお店で祖谷そばでもいただくことにしよう。既にストーブが焚かれた店内でしばらく待つこと数分、出てきたのは普通にイメージするそばとは印象が異なっていた。つなぎが入ってない太く無骨な麺はスルスルと入っていく感じはまったくなく、ポキポキとした食感が独特だった。
かずら橋を後にして、行きとは別の路線バスで大歩危峡へと向かう。バス停にはくだけた英語を話す若者4人が観光してた様子だったが、こんな山奥までよく来たもんだと感心する。県道32号から県道45号に入り、山を下っていくとやがてバスは大歩危駅に到着、吉野川を渡り対岸の国道を少し北上したところで下車した。まだ少し時間もあるし、先に宿に寄ってチェックインを済ませてから、吉野川のライン下りに行ってみることにしよう。乗り場の建物の裏手にある階段を下りていき、簡素な遊覧船に乗り込むとちょうど出発するところだった。今日は水位も低く流れも穏やかで、ゆったりと船の上から大歩危峡の景色を堪能する。聞くところによると大雨のあとは様子が一変するとのことだが、川面から見上げる断崖絶壁、川底まで見通せるほど透き通った流れ、大歩危の由来や奇岩の説明などを聞きながら、実にまったりとした時間を過ごす。後半の方では、数艘あるうちのこの船に限ってとんびの餌付けをしているとのことで、空中キャッチと水面キャッチの様子を見学させてもらう。往復で30分ほど、日は傾きかけていたが、のんびりとした雰囲気が何ともいい感じだった。
先程、チェックインするときに宿の方から勧められたのだが、今夜は特別にトロッコ列車が走るとのことだった。折角だし、行ってみることにしよう。あまり知られてないことだが、大歩危は境港や遠野と並んで妖怪に関する言い伝えが多い土地だという。夕食後、阿波川口駅まで宿のマイクロバスで送迎してもうらうと、別の団体がボンネットバスで乗り付ける。昼間に比べ気温はぐんと下がり、ひっそりとしたホームで待っていると、妖怪列車がやって来た。LED照明でライトアップされたトロッコ車両に乗り込むと、列車はすぐに出発する。光り妖怪トロッコという列車は、通常ダイヤには載ってない団体専用扱いのようだったが、新聞社やケーブルテレビの取材も来ていて既に乗ってた人も含め結構賑わっていた。このトロッコ列車には、以前昼間に乗ったことがあったが、子供だましな着ぐるみをまとった妖怪が行き来する中、冷たい風を感じながら闇夜を疾走するのもまた違った妙な感覚だった。列車は大歩危駅に到着、ここで下車。一部の人は再び折り返していくとのことだが、待ち構えていたバスで宿まで戻ることになる。するとなぜか、児啼爺(こなきじじい)も同乗することになったのだが、そこはご愛嬌(笑)さてと、早く戻って、冷え体を温泉で暖めることにしよう。
2日目
翌2日目、早朝に雲海を見に行くツアーがあると聞いて、参加することにした。天気次第ではあるが、朝7時に出発して宿のバスで往復してくれるとのことで、15分も行けば見られるらしい。費用がかかるわけでもなく、宿の方がガイド役でアテンドしてくれるとは何とも素晴らしいサービスではないか。(余談:ガイド役の方は、昨晩、児啼爺だったような…なんて無粋なことを言ってはいけません。)国道とは逆の方向を少し行ったところから、斜面を登る道へ分け入っていく。集落をいくつか過ぎていくうちに視界が効かなくなると、そこはちょうど雲の合間だという。さらに高いところへと登って行くと青い空が見えるようになり、突然ぱぁっと視界が開ける。見通しの効くところでバスを降りると、山の合間に囲まれた下の方には、きれいに雲海が出ていた。凛とした空気を全身で感じ、こんな素晴らしい景色が眺められるなんて、なんと贅沢なことだろう!青い空に昇ったばかりの朝日は幾重にも重なる山々を照らし、白い真綿のような雲海は音もなく静かに動いている。この地方の雲海は、吉野川の水分を含んだ空気が山間の底の方で淀んでできるもので、朝の1時間~1時間半が見ごろだとか…。大自然の中、ゆったり流れる時間は普段の生活リズムとはまったく違い、本当にいいものを見せてもらった。
ついでというか、帰り途中で児啼爺の像があるところへ寄り道してくれた。この像の台座には水木しげるのサインをかたどった文字が刻み込まれており、この地の言い伝えが"こなきじじい"のモデルとなったのだとか。数ある妖怪伝説は、危険な場所に近寄らないように…という思いを込めて、忌み嫌う物語に仕立てられ語り継がれているという。児啼爺のすぐ横では湧き水が出ていて、わざわざ高松からやってきたといううどん屋の方が水を汲んでいた。なるほど、ここ西祖谷地方も険しい山の中、昔から自然と共存して生活してきたのだなぁ~と妙に納得する。その後、宿に戻り朝食を済ませ、チェックアウト後は大歩危駅まで送迎してもらった。昨日の夕食も素朴でありながらひとつひとつが丁寧なつくりだったし、温泉でのんびりすることもできたし、朝のオプションツアーまで付いて何から何まで至れりつくせりだった。気持ちよく動くスタッフの応対も好感が持てて、これまで数多く泊まった中でも長く記憶に残る宿のひとつになるに違いない。
さて、あらためて今日は土讃線を高知方面に向かって下っていくことにしている。大歩危駅のホームに出てみると、昨晩のトロッコ列車と今朝の雲海ツアーでご一緒させてもらった方と再び会ってしまった。話によると、とっくに乗ってるはずの上りの特急を、もう20分以上待っているという。ようやくやって来た南風6号に乗り込むところで再びお別れの挨拶をして列車を見送ると、山間の駅は元の静寂に包まれることとなった。この先も列車の本数は少いし、乗り継ぎは大丈夫だろうか?多少不安を覚えつつ、下りの普通列車も20分以上遅れて到着、どうやらどこか起きた車両故障の影響で、土讃線全体に遅れが出ているらしい。単線で厳しい線形条件の路線なのだから仕方はないか…。この先のことは運を天にまかせるとして、とりあえず先へ進むことにしよう。
時折、抑止を受けながらも列車は前へと歩みを進めていた。もともとが優等列車を優先させるダイヤになっているので、遅れが広がっているのか、想定された範囲内の停車時間なのか見分けがつかない。その遅れのあおりで、17分程あった新改駅での停車時間がなくなってしまい、スイッチバックは行われたものの引込み線にあたる駅ホームに留まっていたのはわずか15秒程度だったと思う。少し期待していただけに、ここは残念な結果に終わってしまった。結局、列車は約30分の遅れで土佐山田駅へ到着、ちょっと迷ったが予定通りもう少し先の土佐大津駅まで乗り通すことにした。
無人駅の土佐大津で下車し、すぐ近くの領石通の電停へと急ぐ。事前に地図は見ておいたので、道に迷うようなこともなく電停までやって来ると、ちょうどいままさにごめん行きの電車が入ってくるところだった。ここまで来ると土佐電の電車は1時間に2本程度しかないので、運がよかったようだ。そのまま数駅ほど移動し東工業前駅で降りてから、こんどは徒歩で南下する。当初、土佐山田駅で2時間ほど時間をもてあそぶ覚悟をしていたが、近場で何かないか調べてみたところ目に付いたのが長尾鶏センターだった。10分ほど歩き、見覚えのあるバイパスに面したところに長尾鶏(オナガドリ)の絵が描かれた施設を見つける。喫茶店のような建物の中で見学をお願いすると施設の方が詳しく案内してくれた。
長尾鶏というと、止まり木のようなところに佇む姿を想像するが、普段は細長いロッカーのようなゲージに入っているという。尾が長くなるのは交配によって得られたごく一部のオスだけで、候補となる鶏はおとなしい性格でなければならず1年~2年に1羽ほどしかいないこと、白い品種と黒い品種があること、生え変わる羽とそうでないものがあり長いもので7メートルほどであることなど色々と話を聞くことができた。見学者が来そうな時期でもなく突然の来訪だったが、1羽だけゲージから出していただき、緑色がかった光を放つ黒い羽にも触らせてもらうことができた。
ここで長めに時間を見ておいたので、どうやら列車の遅れはチャラになったようだった。近くのバス停から路線バスに乗り込み、次は龍河洞へと向かう。龍河洞は日本三大鍾乳洞の1つにも数えられ、機会があれば寄ってみたいと思っていた場所のひとつでもある。高知の中心部からも離れた場所にあり、交通の便も決していいとはいえないが、今回はうまくタイミングを合わせることができた。帰りのバスのことを考えても、1時間は見学時間がとれそうだ。バスは市街地を抜けて高知工科大学のキャンパスを経由していく。どこにでもありそうな田舎の集落の外れに龍河洞の入り口を示す看板があった。時間も限られてることだし、バスを降りてまっすぐ洞窟の方へと向かう。
土産屋など昔ながらの雰囲気が漂う小道を抜け、エスカレータを上ったところに洞窟の入り口があった。龍河洞の一般見学ルートは1キロほどあり、徐々に上へとあがっているようになっている。薄暗い洞窟に入ると足元には川が流れていて、途中かなり狭くなってる場所もいくつかあった。シーズン的にもとしても閑散としてる時期だけあって、いくつかある見所も誰にも邪魔されることなくほとんど独占状態で見学することができた。弥生時代のものと見られる土器に鍾乳石が同化してるのはなかなか興味深かった。どれくらい時間を掛けたか分からないが、ちょうど帰りのバスの時間に間に合わせるようにして洞窟の中から出てきた。
龍河洞からの帰りも行きと同じバスだった。途中、土佐山田駅前で降りて土讃線に乗り換えて高知駅へ行くことも考えたが、面倒だったのでそのままはりまや橋まで乗り続けることにする。途中、バイパスから外れてニュータウンの中を迂回したり、街中の狭い路地を経由したりするので、それなりに時間はかかってしまう。バスはまだその先まで行くようだったが、一旦はりまや橋を降りて、最後に高知城に行ってみることにしよう。県庁方面に向かってアーケード街を抜けると、やがて高知城の姿が見えてくる。やっぱ、お城だね、お城!と心の中でつぶやきながら、天守閣の見える方角へと向かった。
高知城といえば、江戸時代に建造された天守や門が現存している貴重な城で、日本の名城のひとつに数えられる。近年になってモルタルやコンクリートで復元された城とは違い、ぜひ見ておくべきだと思っていたが、今回は最後の方でスケジュールに組み入れることができた。追手門から入り、いくつか石段を登り二の丸を通っていよいよ本丸へと進んでいく。建物の中はまるで時代劇のセットようだが、すべて本物である。お城独特の急な階段をひとつひとつ登り、天守閣の一番高いところまで来ると高知市内が一望できる。いやぁ、何とも素晴らしい眺めだ。昨日見てきた大自然の景観も格別だったが、人の手によって得られた景色もまた違った趣があるものだ。
お昼はバスの時間に合わせたため、昼食をとる余裕がなかったが、空港に行く前に何か食べておくことにした。県庁前から空港まで行くバスは大幅に減便されてしまい、仕方なく高知駅まで移動しておく。気がつけばもう11月、日が暮れるのも早いもので17時に高知駅を出発したバスに乗ってるうちにあたりは暗くなってくる。その後、昼間に寄った長尾鶏センターの前を通り、渋滞の影響受けたこともあって高知龍馬空港には予定より10分ほど遅れて到着した。短い期間ではあったが、とりあえずこれで今回の現実逃避はおしまい、、、帰りの便はオンタイムで出るとのことだ。はぁ、あと2時間もすれば東京に着いてしまうのか…。だからといって、帰らないわけにはいかない。よし、次は夏休み奪還作戦・第三弾かぁ?