■旅日誌
[1995/3] タッチ・アンド・ゴー
(記:2005/2/27 改:2022/12/31)
(記:2005/2/27 改:2022/12/31)

関東地方からちょっと離れてぐるっと回ります。割と気軽な気持ちのつもりでしたが、意外と大回りになってしまったようです。
日帰り
今週は後半に「合宿」と称して泊り込みで缶詰になってプロジェクトについて延々と話し合いを行っていた。雑音のない場所であるテーマに集中して検討するというやり方もときにはありである。ところが、普段業務は当然とまってしまうため、雑多なことがたまってしまうという副作用もある。なかでも一番の厄介なのが何百通と溜まった未読メールに目を通すことなのだが、土曜に休出して雑用を済ませ翌日は気分転換を兼ねてひと回りすることを考えていた。
フリーな時間は一日しかなかったが、この際思い切って前日の晩に行動を起こすことにした。はっきり言って、お疲れ気味のところあまりいい考えではないが、体がハードワークなペースに慣れてしまってるせいか思ったほど苦は感じない。始発で出掛けるよりも夜通し起きてた方が楽?というなんとも安易な発想である。ということで、まずは大垣夜行の下りに乗って行けるところまで行って上りで戻ってくる、いわゆるタッチ・アンド・ゴーを決行する。折り返す場所は富士駅に決めた。座れなくてもまぁいいか…と思っていたが、横浜から乗り込もうとすると通勤列車なみのひどい混みようである。それこそ積み残されたら大変なことになるので強行突破したが、どうも電車が発車しそうにない。そんなにとんでもなく混んでいるのかと思ったが、何か不自然である。数分たってトラブルの原因が分かった。前の方の車両で電燈が消えてしまい、どうも発車を見合わせているらしい。う~ん、困った…。
結局のところそのまま先へ進むことになったが、電燈がつくようになったのかどうかは分からない。たまたま立ってたところのボックス席で、陽気なおっさんたちが楽しそうに盛り上がっていた。話しの内容から、これから京都観光に行くらしい。中でも一番元気そうなおっちゃんと目が会い、声を掛けられてしまった。「おぉ、そこのカッコいい兄ちゃん、1本どうだい?」んん、自分かい?(笑) たったまま缶ビールは辛かったので遠慮したが、横で立ってた女の子の集団も思わず笑っていた。これから大垣まで立ったままは辛いだろうが、宴の話しを聞いてるだけ飽きることはなさそうだ。そんな感じで退屈することもなく富士駅へ到着した。「自分はここで降りますんで、、、じゃぁ、お元気で!」ひとこと残して、人を掻き分け列車を後にした。
やがてやってきた上りの東京行きに乗り込む。と、ここまでは計算通りだが、こっちもひどく混んでたらどうしよう?そんな心配も杞憂に終わり、運良く空いてる席を見つけ一眠りすることにした。ただ、ぼやぼやしていて東京まで行ってしまうと都合が悪いので気をつけなければならない。ということで、新橋で降りて京浜東北線の電車に乗換える。乗換えのタイミングがきわどいので品川や東京のような大きな駅を避けることにした。上野で常磐線の普通列車を捕まえこのまましばらく行くことになるが、さすがに睡魔が襲ってきた。どうにか乗り過ごすこともなく、大甕駅で日立電鉄へ乗換えをする。赤い小柄な車両は、、、そうか昔は丸の内線を走ってたやつか…。(後日談:不意を突かれた感じですが、残念ながら日立電鉄も廃止になってしまいましたね。)
終点の常北太田と水郡線の常陸太田は通りをはさんですぐ近くにある。日曜の早朝ということもあり、利用する人の姿はほとんどない。水郡線とはいっても常陸太田駅は支線の終点にあたる。まずは水戸駅へ戻り、そこからあらためて郡山を目指す。水戸と郡山を結ぶから水郡線というのは実に明快だが、かなり距離がある。もうここまで来ると関東平野ではないので、変化のある地形が続く。最近方々で見られるようになった新しい車両のキハは快活な足回りで加速感も悪くない。ただ贅沢を言えば、旅情に浸るという意味では物足りなさを感じる。思ったよりロングランで郡山までやってきた。(後日談:その後、水郡線には新しい車両と懐かしい車両に乗る機会がありました。)
今日の歩き回りはまだ続く。郡山からは磐越東線であらためて太平洋側へ向かう。水郡線よりも山深い景色が続く。名前が分からなかったが、山肌の中腹に咲く色鮮やかな花々がとても印象的だった。並行する道路をドライブするのも気持ちがよさそうだ。(余談:列車で通ったあと、あらためて車でやってくるというのも悪くないものですね。この区間も後にドライブがてらやって来たことがありますが、なかなかいいところです。その後、列車で再訪したときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
朝からというより、昨日の夜からずっと移動しっぱなしだったので時間の感覚がおかしくなってきそうだった。いわきからはもう寄り道はせずに常磐線で素直に戻ることにした。近場でもない、遠出でもない、これまであまり足を運ぶことのなかった場所へのお出掛けだったが、やはり睡眠時間を削るのは物理的にはメリットはあるものの、トータルでは得策ではないかもしれない。ただ、もう十分という充足感を得るのには、この疲れもまんざら悪くないと思った。
フリーな時間は一日しかなかったが、この際思い切って前日の晩に行動を起こすことにした。はっきり言って、お疲れ気味のところあまりいい考えではないが、体がハードワークなペースに慣れてしまってるせいか思ったほど苦は感じない。始発で出掛けるよりも夜通し起きてた方が楽?というなんとも安易な発想である。ということで、まずは大垣夜行の下りに乗って行けるところまで行って上りで戻ってくる、いわゆるタッチ・アンド・ゴーを決行する。折り返す場所は富士駅に決めた。座れなくてもまぁいいか…と思っていたが、横浜から乗り込もうとすると通勤列車なみのひどい混みようである。それこそ積み残されたら大変なことになるので強行突破したが、どうも電車が発車しそうにない。そんなにとんでもなく混んでいるのかと思ったが、何か不自然である。数分たってトラブルの原因が分かった。前の方の車両で電燈が消えてしまい、どうも発車を見合わせているらしい。う~ん、困った…。
結局のところそのまま先へ進むことになったが、電燈がつくようになったのかどうかは分からない。たまたま立ってたところのボックス席で、陽気なおっさんたちが楽しそうに盛り上がっていた。話しの内容から、これから京都観光に行くらしい。中でも一番元気そうなおっちゃんと目が会い、声を掛けられてしまった。「おぉ、そこのカッコいい兄ちゃん、1本どうだい?」んん、自分かい?(笑) たったまま缶ビールは辛かったので遠慮したが、横で立ってた女の子の集団も思わず笑っていた。これから大垣まで立ったままは辛いだろうが、宴の話しを聞いてるだけ飽きることはなさそうだ。そんな感じで退屈することもなく富士駅へ到着した。「自分はここで降りますんで、、、じゃぁ、お元気で!」ひとこと残して、人を掻き分け列車を後にした。
やがてやってきた上りの東京行きに乗り込む。と、ここまでは計算通りだが、こっちもひどく混んでたらどうしよう?そんな心配も杞憂に終わり、運良く空いてる席を見つけ一眠りすることにした。ただ、ぼやぼやしていて東京まで行ってしまうと都合が悪いので気をつけなければならない。ということで、新橋で降りて京浜東北線の電車に乗換える。乗換えのタイミングがきわどいので品川や東京のような大きな駅を避けることにした。上野で常磐線の普通列車を捕まえこのまましばらく行くことになるが、さすがに睡魔が襲ってきた。どうにか乗り過ごすこともなく、大甕駅で日立電鉄へ乗換えをする。赤い小柄な車両は、、、そうか昔は丸の内線を走ってたやつか…。(後日談:不意を突かれた感じですが、残念ながら日立電鉄も廃止になってしまいましたね。)
終点の常北太田と水郡線の常陸太田は通りをはさんですぐ近くにある。日曜の早朝ということもあり、利用する人の姿はほとんどない。水郡線とはいっても常陸太田駅は支線の終点にあたる。まずは水戸駅へ戻り、そこからあらためて郡山を目指す。水戸と郡山を結ぶから水郡線というのは実に明快だが、かなり距離がある。もうここまで来ると関東平野ではないので、変化のある地形が続く。最近方々で見られるようになった新しい車両のキハは快活な足回りで加速感も悪くない。ただ贅沢を言えば、旅情に浸るという意味では物足りなさを感じる。思ったよりロングランで郡山までやってきた。(後日談:その後、水郡線には新しい車両と懐かしい車両に乗る機会がありました。)
今日の歩き回りはまだ続く。郡山からは磐越東線であらためて太平洋側へ向かう。水郡線よりも山深い景色が続く。名前が分からなかったが、山肌の中腹に咲く色鮮やかな花々がとても印象的だった。並行する道路をドライブするのも気持ちがよさそうだ。(余談:列車で通ったあと、あらためて車でやってくるというのも悪くないものですね。この区間も後にドライブがてらやって来たことがありますが、なかなかいいところです。その後、列車で再訪したときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
朝からというより、昨日の夜からずっと移動しっぱなしだったので時間の感覚がおかしくなってきそうだった。いわきからはもう寄り道はせずに常磐線で素直に戻ることにした。近場でもない、遠出でもない、これまであまり足を運ぶことのなかった場所へのお出掛けだったが、やはり睡眠時間を削るのは物理的にはメリットはあるものの、トータルでは得策ではないかもしれない。ただ、もう十分という充足感を得るのには、この疲れもまんざら悪くないと思った。