■旅日誌
[2009/4] 輪廻再生、涅槃寂静
(記:2009/5/6 改:2010/1/17)
(記:2009/5/6 改:2010/1/17)
今回は2日連続の日帰り旅になってしまいましたが、1日目はわたらせ渓谷鉄道のトロッコ列車で足尾まで行ってきました。2日目は仙台車の583系で運行される臨時列車が目的だったのですが、ただそれだけじゃつまらないので、全国的にも珍しいバス専用道路がある白棚線へ寄ってみることにしました。
※下線部をクリックすると写真が表示されます
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1日目
SLやトロッコ列車はどこへ行っても人気があり、なかなか楽しいものだ…なんていう話を聞いてしまうと、乗りつぶしクセも手伝ってついつい出掛けてしまいたくなる。今回のお目当ては、わたらせ渓谷鉄道のトロッコ列車、日帰りでも十分往復できる場所にあり、いつか機会があればと考えてたところでもある。そのトロッコ列車は、春から秋にかけて大間々と足尾の間で運行されている。ともにこの路線の終着駅ではないのだが、乗りつぶしと称して1回乗った経験があるので、無理して端から端まで往復する必要もない。真岡鉄道同様、当初は車で往復することを想定していたが、明日のこともあって列車を使うことにした。
土日きっぷを買ってしまったので、往復に新幹線を使うことにしている。とりあえず、行きは高崎経由、帰りは小山経由とスケジュールを組んでみた。さて、当日の朝のこと、要らぬことでバタバタしてしまい、さらに少し時間を読み間違えていたことも災いし、予約した新幹線には頑張っても間に合いそうもない状況になってしまった。あせったところで時間は挽回できるわけではないが、折角取れたトロッコ列車の予約は無駄にしたくない。もう一度落ち着いて時刻表をひっくり返してみると、1本後の新幹線が土曜日でも運転することになっていたので、高崎の乗り換えがわずか5分ではあるが、どうにか追いつきそうである。公式には5分の乗り換えは許されていないようだが、とりあえずその筋に乗っかるしかなかった。
出だしからつまずいてしまったが、ギリギリの乗り換えも無事クリア、湘南色の電車に乗り換え上州路へ進んでいく。前橋を過ぎると、車窓はよりいっそうのどかな田園風景へと変わっていった。桐生駅で両毛線を降りて一旦改札を出てわたらせ渓谷鉄道の一日乗車券を購入、すぐさまホームに戻る。わたらせ渓谷鉄道はかつて足尾線と呼ばれた路線で、いまでも線路の一部をJRと共有していて、桐生駅も改札が分けられているわけではない。そのホームには2両編成のこげ茶色のディーゼルカーが停まっており、早速乗り込むことにした。トロッコ列車の始発駅である大間々は数駅先にあるので、この列車で移動しなければならない。
わたらせ渓谷鉄道は、その名の通り渡良瀬川沿いを行く路線である。しかしその歴史は長く、かつて足尾線と呼ばれたのは前に書いたとおりである。足尾といえば銅山…と小学校の社会科でも習ってきたので誰しもが知るところだが、その鉱物の積み出しのために敷設された路線だった。しかし、鉱山の閉山とともに足尾線はその役割を終え、時代の流れとともに廃れる一方であったが、第三セクターへ移行したあと、いつしか観光路線として活路を見出だそうという動きが高まり、トロッコ列車の運行も始まったようである。奇しくもちょうどいま第三セクター移行20周年を迎え、列車はヘッドマークを掲げて走っており、明日のトロッコ列車はその記念特別列車として、無料で開放されるようである。ここへ来て初めて知ったけど、ちょっと損したかな?まぁでも、そうなると混雑しそうなので逆に今日でよかったのかもしれない…と、とりあえず自分に言い聞かせておく。(余談:台湾へ行って平渓線に乗ったときにこの路線のことを思い出しました。)
大間々に到着し、駅近くの留置線へ向かうととちょうど始業の準備をしているところだった。窓枠にかけられたホロが外されヘッドマークが掲げられると、ディーゼル機関車のエンジンが始動される。10時半になり出札が始まったのと同時に、早速列車に乗り込む。このトロッコ列車は、座席の分だけ整理券が発売されるのだが、席は自由席になっていて、開放型の車両2両を普通の客車が挟む格好で運転される。眺めがいいのは進行方向右側だということはみなさんご承知のようで、右側の席から順に埋まっていく。春めいた日続いたかと思うとまだ寒い日がやってきたりと、ここのところ寒暖の差が大きく今日は残念ながら寒々としていた。わずかながら時折小雨も舞い、トロッコ日和(?)ではないかもしれないが、こうなればあとは自分の運を信じるだけか…。寒くてどうしようもなければ客車の方へ逃げ込むしかないかも?列車は定刻に出発。ここから足尾までは片道およそ35キロ、通常よりゆっくりとした歩みで、約1時間半をかけての旅となる。
この列車に乗るのに適しているのは、初夏にかけての新緑の時期と紅葉のシーズンということらしいのだが、桜のピークも過ぎてしまい、やや外した感があるようにも思える。ハイシーズンともなれば、早々に整理券は売り切れることも珍しくないらしい。列車は雄大な景色の中、のんびりと進んでいく。山間に響き渡る機関車の甲高い警笛もなかなかいい。列車を引く機関車も車両もJRから払い下げられたもので、一時期運行の継続が存続が危ぶまれた時期もあったそうだが、その後どうなのだろう?見どころも多く車窓の景色も素晴らしいので、いつまでも走り続けてもらいたいものだ。神戸に停車後、車内で販売されていたお弁当を購入してみた。表面が微妙に盛り上がっているのが気になる。中を開けてみると大きな舞茸の天ぷらが2つも入っていて、こいつがふたを持ち上げていたようである。舞茸のシャキシャキ感は最高、炊き込みご飯にも舞茸が入っていてこれで900円、文句の付けようがない美味さだった。
トンネルに差し掛かると風圧で帽子や荷物が飛ばされないよう注意が促される。電飾のイルミネーションは少し安っぽかったが、まぁ演出としては…許してあげよう。(謎)列車はさらに上流へと進む。青みを帯びた水面は怪しい美しさをかもし出し、白くゴツゴツした岩が目立つようになってきた。出発したときよりも明らかに天気は回復してきており、陽気も随分と心地よくなってきている。途中駅で多くの人が下車していったこともあって、いつしか車内はガラガラ、自分も足尾駅のひとつ手前、通洞駅で降りることにした。かつて精錬所だったところなど、ここまで来ると鄙びた感じが伝わってくる。
通洞駅から歩いて2、3分ほどしたところに足尾銅山観光の施設がある。最近リニューアルされたようで、帰りの便まで多少時間があったので、とりあえず見学しておくことにした。まず最初に、本物の鉱山にでもありそうなトロッコに乗って行くことになる。が、それに乗ってるのもほんのわずか、あとは鉱山跡に作られた見学コースに沿って薄暗い中での社会勉強(?)となる。江戸時代から順に、ありがちな人形を使って鉱山内の様子が描かいていたのはご愛嬌かな?と思ってしまうが、鉱石のサンプルや昔の貨幣が展示されていたのは少し興味を覚えた。
銅山観光を終えたあと、何となく足尾駅までは足を延ばしておくことにした。渓谷沿いにしばらく歩いていくとやがて足尾駅へ到着、記念館を作るための準備という告知が出ていたが、留置された車両の状態は、決していいとはいえない。これで本当に大丈夫だろうか?駅の構内で、折り返しのための機関車の機回しを見たりしてしばらく時間をつぶす。今日は帰りの予約も取れていたので、復路もトロッコ列車に乗っていくことにする。車内はさほど混雑しておらず、席も自由に行き来できたので、再び車窓を満喫することができた。そうこうしてるうちに、列車は大間々へ到着、待ち構えていた普通列車に乗り換え桐生へ向かう。両毛線に乗り換え、帰りは小山を経由して行く。わずかなショートトリップだったが、それなりに楽しめたのではないかと思う。さて、今日はサクッと引き上げて明日に備えることにしよう。
2日目
どこか適当なところで一泊すればよかったとは思うが、所用もあって、あらためて早朝からやり直す形になった。2日続けて早朝の東京駅、それも東北・上越新幹線のホームというのもいかがなものかと…。まぁ、悩んだところであまり意味はないけど。さて、昨日と同じ轍は踏まないようにして、あらためて気分を入れ替え出発する。今日は東北新幹線を利用して、まずは新白河を目指す。これまでこの駅で降りた記憶はまったくなく、初めて下車することになった。新白河にも停まるやまびこ号は1時間に1本とそれほど本数が多いわけではないが、たまたまだろうか、指定席は団体さんの占有率が高く、結構な数の人とともに下車することになった。駅前もその団体さんを受け入れるためのバスが何台も停まっている。今日の本当の目的は午後にあるのだが、その前に少し時間があるので、ここに寄ることにしていた。
かつて白棚線という名前の路線がここ白河から棚倉を結んでいたが、水郡線が水戸から北進し磐城棚倉に乗り入れるようになると人の流れが変わり、さらに戦争の激化に伴うレール供出によって鉄道としては役目を終えることになってしまった。その路線の跡地は専用道に転用され、路線バスが運行されるようになったが、いまでもバス専用道路として姿を残しているのは全国的にも珍しいのだという。今日はその路線跡をたどってみることにしていた。新白河駅のバス停案内にはバス専用道路の場所も示されていた。JRバス関東が運行するバスに乗り込み、しばらく国道289号を進むと専用道路へ分岐する場所があった。専用道路はちょうどバス1台が通れる幅しかなく、ところどころ上下交換する施設がある。専用道と一般道が交差する場所には、進入禁止を示す看板などが立っていてなかなか興味深い。田んぼのなかを一直線に進むところや緩やかにカーブするところ、また林の中の切通しや小川をまたぐ橋など、かつてここには鉄道が通っていたことを示している。廃線跡といえば一般道やサイクリングロードに転用されることが多く、こういう形でいまでも残っているのは確かに珍しいと思った。
その後、衝動的に番沢というバス停で降りることにした。棚倉方面へ向かうバスを見送り、何もないバス停に一人取りポツンと放置された格好になる。カエルの鳴き声と鳥のさえずり、それと遠くから聞こえる農機具の音がするだけのこれぞ日本の田園風景といった感じである。周囲は田んぼばかりで何もなかったが、地元の農家の方だろうか専用道路のはずが軽トラなんかで少し乗り入れたりもしている。どこからやってきたのかわからないが、親子連れが田んぼの中を散歩していた。次のバスがやってくるのはおよそ50分後、自分もあたりを散歩してみたりして時間を過ごすことにした。番沢のバス停には雨風を凌ぐだけためのベンチとほとんど散ってしまった桜しかないが、この取り残され感がたまらない。いやぁ、のんびりするとはこいうことだろうか…。(笑)
次のバスはほぼ時刻通りやってきた。何かの拍子でバスがやってこなくなったら、それこそ取り残されたことになってしまう。この白棚線も少しずつ専用道路が減ってきているということらしいが、高速道路の整備が進められてるような時代から存在していた貴重な舗装道路であったため、車両メーカーがバスの開発目的でこの道路をテスト走行に使っていたこともあるという。何気ないところにも歴史が刻まれているものである。さて、やがてバスは2つ目の専用道路に別れを告げ、程なくして磐城棚倉へ到着。路線はまだその先まで続いていたが、とりあえず今日はここで降りることにした。磐城棚倉から水郡線に乗り継ぐことにしているのだが、これがまた超ローカル線で運転本数は1~2時間に1本ほど、事前につなぎを調べておいたからいいものの、その本数の少なさから今日の行程は作れないのではないかと諦めかけるほどだった。たまたまうまい筋があったからいいものの、これでも生活路線として役目を果たしてるのか、いろんな意味で心配になってきた。
水郡線に乗るのも随分と久しぶりのような気がするが、意外にも磐城棚倉駅は無人駅ではなかった。しばらくしてやってきたのはこれまた意外にハイカラな車両だった。そういえば最新鋭のキハが投入されるとか言ってたっけ?車内はガラガラというほどでもないが、十分席が埋まってるともいえない。ちょっと変わったことと言えば、福島空港へめがけて降りてく飛行機が見えたくらいで、沿線はのんびりとした田舎の風景が続く。ボックス席を占有して、ボーっとしてるうちに郡山へ到着。今日はここでお昼を済ませ、土日きっぷの権利を行使して新幹線でひと駅移動する。
今日の目的は仙台と福島を往復する臨時列車に乗ることだったが、午前中寄り道したこともあり意外と時間的余裕はなかった。在来線のホームに降りてみると、すぐ横に目的の列車が折り返し待ちで停留していた。ホームの向こう側にある駐車場からも列車の姿が拝めそうだったので、そちらにもまわってみる。この列車に使われる編成は仙台所属の583系=通称ゴッパーサンで、寝台車としても使える使い勝手のよさから特急用電車として全国で走っていた。夜行列車の斜陽という言い方はしたくないが、車両の老朽化もあって、いまではJR西日本所属のきたぐにが定期運用に就いてるくらいである。東日本には仙台と秋田で1本ずつ臨時列車用に残っているだけになってしまい、今日のようにときたま顔を出してくることもある。というわけで、今日は貴重なチャンスなのでぜひとも乗っておきたかった。(追記:もうひとつ秋田の583系に乗ったときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
ホームに戻り列車の入線を待つ。6両すべてが自由席として運転されるので早めに並んでおくことにする。今日はふくしま花見山号という愛称で運行されるのだが快速扱いなので、事前の指定も特急券も必要ない。仙台所属のこの編成は最近再塗装されたこともあって、とてもきれいな状態を保っていた。早速車内に乗り込むと、やはり独特の雰囲気があり、落ち着いた感じがとてもいい。どのような仕組みなっているのか未だによく分かっていないが、もちろん寝台の設備もそのまま使える。列車は静かに福島を出発、東北本線を下っていく。適度なカーブと勾配がアクセントとなり、新幹線にはない変化は乗ってて飽きがこない。やっぱ汽車旅はこうじゃなくちゃね…。そんなのんびりした時間もあっという間に過ぎてしまい、列車は定刻で仙台へ到着、回送待ちの間を使ってしばらくその姿を眺めておく。あらためてこうしてみるとその存在感には圧倒されるものだなぁ…。もし機会があれば夜行列車として乗ってみたいものだと思った。残念ながら今日はこれで引き上げなければならないが、新幹線を利用すれば2時間もかからず東京に戻れてしまう。それはそれで感謝しなければならないとは思うのだが、利便性を追求する中で失われた「不便さ」を求めておきながら、最後にその利便性に救われるのも何だか複雑な気分である。快適な乗り心地で疾走する新幹線の中でそんなことを思っていた。