■旅日誌
[2007/1] 何もしない贅沢
(記:2007/2/3 改:2021/12/16)
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正月明けから予定外の仕事が入ってしまい、汲々な生活を送っていました。休んだのは元旦だけ、早朝家に帰ってそのまま出社することも珍しくなく何だか懐かしい生活パターンに逆戻りです。気持ち的にもかなりきつかったので思い切って無理してお出掛けすることにしました。まずは新線開業に伴う乗りつぶし防衛戦をやったあと、どこでもいいから遠くに…ということで、急遽沖縄へ飛びさらに粟国島まで足をのばしてきました。
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 1日目
ルート概略
【寄ったところ、乗ったもの】※詳細はこちら
今里筋線、関空、那覇、久米島
2ヶ月ほど前のことになるが、正月休みとは別に年明けに長期休暇を取る予定を立てていた。去年の奄美渡り歩きなどのおかげで思ったよりマイルがたまり、年末の期限切れギリギリのところでマイルを使って予約を入れてあった。さらにバースデー割引や先得割引など使えるものを最大限に駆使し、八重山諸島をできるだけ手広くまわってやろうとスケジュールを固めてしまったところに前振りの騒ぎに巻き込まれたものだからさぁ大変、半ば強制的にすべてキャンセルせざるを得ない状況に追い込まれてしまった。当然マイルの権利は消失、それどころか片っ端から入れまくった予約の取消しにかかった費用だけでも何万円もの大損(余談:大型割引のキャンセル料って50%なんですね。そういうビジネスモデルだったのを初めて知りました。)もし次回同じルートをたどるとすると、マイルもない、バースデー割引もない、で費用がかさみ、結局差額を概算するとトータルで十数万円近く損したことになる。まぁそれよりも、寸でのところでおじゃんとなったショックの方がはるかに大きいのだが。
東海道新幹線・N700系
さらにANAのマイルも年末で期限が来てしまうのでそっちの使い道も別に考えてあった。ANAもJALも12000マイルをほんのわずか越えていて、初めてマイルの恩恵とやらに与れるはずだった。ANAの方はというと、通常より少ないマイルで航空券の引き換えができるキャンペーンを行っており、人気路線はどこも予約がいっぱいだったが、それでもうまく間隙を縫って入れた予定が今回の行程になる。しかしながら、例の騒動でそれもまた風前の灯だった。
富士山
辛い状況下ともなればお出掛けしたくなる禁断症状もより一層顕著になり、元旦以来、初めての休日をもらってこの週末逃避行を強行する。ANAの分まで幻の八重山行きにあてがっていれば本当にすべて失うところだったが、どうにか救えた分だけでも有効活用しておきたい。ということで、できるだけ遠く=それなら沖縄と安易な結論に至り、いつものように週末1泊2日の強引なスケジュールを引いてしまった。ところで昨年12月の今里筋線の開業で未乗路線ができたおかげで、これは早急にやっつけなければならないと妙な義務感に苛まれていた。大阪なので車で往復するパターンでもいいと思ったものの、冬の関が原を車で越えるのもあまりいい考えではない。ということで、大阪での乗りつぶしという大義名分と沖縄行きが相まって奇妙な日程が出来上がった。
東海道新幹線・N700系
土曜の朝、6時台ののぞみで一路大阪へ向かう。車中で日の出を迎え、途中富士山のきれいな姿も拝ましてもらう。こんなことでも少しは気分が和らぐものだと実感する。今年は異様なくらいの暖冬で、普通なら関が原付近でみられるはずの雪がまったく見当たらない。去年も同じような時期にここを通ったが、あまりにも様子が違っている。おかげで定刻に新大阪へやってくることができた。何気なく予約をいれたのぞみは300系だったが、この列車のすぐ後ろを"何か"が追っかけてくる様子である。何となく読めたが、新大阪のホームでしばらく待っているとその読み通りN700系の試運転がやってきた。ブラインドは落としたままで中の様子はまったく分からない。トップナンバーのN700系を見送り、在来線の普通列車で京都方面へ2駅戻り吹田駅で下車することにした。
今里筋線
今里筋線は環状線の内側に入ってこない唯一の地下鉄でその採算性が疑問視されているが、新大阪からも接続はよくない。ちょっと強引だが、吹田から相川を経由して井高野まで歩いて出てみることにした。バスも走ってるようだが、よく分からない。真冬だというのに寒さも感じず朝の散歩へと向かう。そういやぁ去年のGWにも赤川鉄橋まで歩いたっけ…。特に迷うことなく井高野駅へ到着する。地下鉄のは団地に囲まれた住宅街の真ん中にあった。見込んでいた時間よりも早めに着いてしまったが、早速乗りつぶしにかかる。鶴見緑地線と同じリニアモーターカーも時代の流れであろうか、小さい車両のせいか日曜のこの時間にしては思ったより人の数は多かったような気がする。30分ほどで今里へ到着し、これで今回のミッションは終了、千日前線に乗り換えてなんばへと向かう。。
南海・ラピート
関空へ向かう方法はいくつかあるが、今日は南海に乗っていくことにした。別に急いではないけど、折角なのでラピートで移動することにする。難波から関空までは約40分、そういえばこの青い鉄仮面にもかなり昔に乗ったことがある。乗り心地も悪くないが、いまひとつ人気がないようにも思う。この日の乗車率も決していいとは言えなかった。乗り込む前に東洋系の男性がこのチケットで大丈夫か?と尋ねてきた。ぱっと見、日本人とは見分けがつかないが、とりあえずひとことsure!とだけ答える。日本語の分からない人には確かに親切なものではない。
ゆいレール
そういえば、関空-沖縄といえば以前同じルートで渡ったことがある。過去に沖縄へ行ったのもその一回きりで、偶然にも同じ路線になってしまった。今回お世話になる機材はB767-300、幹線用の主力機のひとつで200人を優に越えるクラスだが、最近ローカルな空港ばかり目指しているので皮肉にもメジャーな機種に乗る回数の方が少ない。離陸後しばらくは四国上空を飛んでるようだったが、目を凝らしてみてみるとこの機とは別に3機同じ方向を目指しているのが分かった。大空というイメージとは裏腹、実は空の上もかなり混み合っているものである。奄美と沖永良部の上空を通過したものの、逆サイドからしか島影を見ることができず自分の目で確かめることができなかった。ほぼ定刻に那覇空港へ到着、快適な空の旅はあっけなく終わった。
那覇空港
今日はもう他に用事はなかったのだが、2時間ほど待つと久米島を往復できるので、空港めぐりのコマをひとつ進めることにした。とはいえ、とんぼ返りな上にちょうど日没時間となってしまい、あまりいい作戦ではない。何ならもう一回来ればいいので見送ろうとも思ったが、数稼ぎを優先することにした。久米島にはRACのプロペラ機が日に数回往復しているのだが、夕方のこの便はJTAのジェット機が使われる。それも満席の予約が入っていたのでニーズは高いようだ。2、3日前の天気予報では週末の沖縄地方は雨と伝えられていたが、直前でちょっとだけいい方へ変わり日中はどうにか持っていた。何もしないで空港にいるのも何なので、ゆいレールで首里を往復しておく。
久米島空港
時間が経つにつれ雲は厚くなってきていた。時間も遅いので外は暗くなりつつある。久米島へ渡っても何もできそうもない。ついには、到着寸前で雨が降り出してしまった。久米島空港へは短い滑走路をフルに使って急制動でのランディングとなる。所要時間は40分ほど、外へ出てみると不思議と雨は降ってい。新しい久米島空港は垢抜けた立派な空港で、ちょうど時期ということもあり、楽天イーグルスの歓迎ムード一色である。結局、乗ってきた飛行機を外から眺めるくらいで何もせずに那覇へ戻ることにした。せめてここで一泊するようにすればよかったか…。(後日談:冬場に沖縄へ再訪する機会がありましたが、そのときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
久米島空港
 2日目
ルート概略
【寄ったところ、乗ったもの】※詳細はこちら
赤嶺、粟国島、仙台
今回は空港近くに泊まることにしていた。宿の最寄り駅である赤嶺駅は、日本最南端の駅として紹介されている。前回来たときはそのことをすっかり忘れて素通りしてしまったが、今回は記念に降りておくことにした。確か駅の周囲には何もなかったように思うが、マンションやらホテルやらが建ち、すっかり立派になっていた。今日も天気はあまりよくなく、モノレールに乗っていても分かるくらい風が強い。この先大丈夫だろうか?
赤嶺駅
昨日の久米島はかなりの消化不良に終わってしまったが、今日はあらためて粟国島を目指すことにしていた。朝一の便で飛んで一本落として戻ってきても帰りの便の前には那覇へ戻ってくることができる。2、3日前からレンタカーかレンタサイクルの予約を試みたものの、TELがまったく通じずやむなくそのまま行ってみることにした。(後日談:どうやら季節営業のためこの時期はお休みだったようです。)出発便を示す大きな電光掲示板にRAC便の表示はなく、専用カウンターへ行って手続きをとることになった。荷物用の測りに乗って名物の体重測定を行うと座席はあとで決まるとだけ告げられた。セキュリティゲートを通過しバス搭乗口に向かう。ちょうど久米島行きの便が出発するところだった。出発時刻が近づき呼び出しがかかると自分のほかに2名だけ現れた。座席番号は2A、キャプテンの真後ろの席である。粟国島行きの機材BN-2B=通称アイランダー佐渡に行ったときに乗ったことがあり、初めてのことではなかったので9人乗りの小さな機体にも驚きはしなかったが、それでもワクワクするものを感じていた。
RAC・BN-2B
3人だけ乗せたバスで今日これから乗る機に近づいていく。RAC機のデザインはシーサーのイラストが印象的である。う~ん、やっぱり小さい。みかん箱のような踏み台を使って中に乗り込む。キャプテンから直接お言葉をいただくなんて、考えてみればすごい状況である。手馴れた操作で出発準備を整え、整然と並んだ自衛隊の哨戒機を横目に滑走路へと向かう。立派な空港にこの機は不釣合いだが、あっという間に上がってしまう。地上係員からは風が強いのでちょっと揺れるかもしれないと脅されていたが、木の葉が揺れるようにあおられて進んでいく。高度は500メートルほどだろうか、水面はよく見えるものの、雲で遠くはよく見えない。
粟国空港
ほぼ定刻どおり、霞んだ視界の向こうに粟国島の姿が見えてきた。小さな島の北東部にある滑走路へ向かって一直線に下りていく。向かい風にあおられ、ふわんふわんと揺れながらのランディングとなった。プロに向かって失礼かもしれないが、うまいもんである。空港の建物といっても小さな田舎の駅のようだが、いかにも離島の空港といったいい雰囲気である。さて、ここまで来たものの足もなく困ってしまったが、まぁ15分も歩けば集落には出られると思うのでとりあえず移動してみることにした。何もないところをトボトボと歩いていくと、いま自分はどこにいるのか不思議な感覚に陥る。時期は外してるものの、一面のサトウキビ畑は北海道の風景と見誤るくらい意外と広大なものだった。やがての中心部である集落へとやってきた。距離にすれば1キロとちょっとなので、往復してもそれほど苦になる距離ではない。本当は筆ん崎の方まで行ってみたかったが、ちょっと徒歩では無理そうである。他にもの北側の製塩工場へも寄ってみたかったが、港の近くを通ってから空港へ戻ることにした。
粟国島
それこそ雨でも降ってくれば悲惨なだけだったが、そこまではいかないで済んだようだ。空港の隣の敷地は牧場になっており、先程は気がつかなかったがヤギが飼われてる様子だった。空港に戻り帰りの便の手続きをしようとすると、行きと同じように量りの上にのって体重をチェックされ席が決定されるのを待つ。今度は自分を含めて乗客は5人、先程と用紙は違うものの手書きの搭乗券にそのまま座席の位置が示されていた。今度は後ろよりの席だったが、5人の中のひとり、おしゃべり好きのおばぁが盛んに話しかけてくる。「わしゃぁ、この大きいお兄さんの隣がよかったのぉ。」小さな待合室に失笑が漏れる。しばらくすると先程と同じレジ番号の機がやってきた。すぐに折り返しの便になるのだが、セキュリティチェックも甘々、荷物の中身をちょっとだけ開けて見せるだけである。島に持ち込まなければ危険物を持ち出すこともありえない、そんな理屈も通りそうな実に平和な場所だった。
粟国島
座席に着くとすぐに出発となる。キャプテンも先程と同じ、相変わらずおばぁはご機嫌で「お願いします」などと直接話しができるのもこの路線ならではといったところだろうか。今度は何やら手を合わせながら歌が始まり、隣の女性の解説(?)によると、おまじないみたいなものらしい。帰りもまた揺れたが、慣れてしまえばそれ程気にもならない。途中で粟国に向かうフェリーとすれ違ったが、今日の天気だとそれなりに揺れてるかもしれない。那覇空港の手前で旋回して高度を落とし、東側からのアプローチとなった。わずか1時間ほどの滞在ではあったが、いやぁ実に有意義な時間を過ごすことができた。一方で、無事に戻れたからいいもののハプニングにでも遭えば帰れなくなってしまうので、これでよかったな…とホッとする。帰りの便まではあと3時間くらいあるが、このくらいで程々にしておこう。とりあえず空港からそれ程遠くない場所で食事でもとれそうな場所を探していってみる。朝出発してきた赤嶺駅へ戻り、少し距離はあるが評判がいいと聞いていたお店へ行ってみることにした。中に入ると琉球衣装を身にまとった店員に迎えられ、千円ちょっとのセットメニューを注文し、本日のランチとする。本格的な味付けがとても印象的で、ここはぜひお勧めしたいお店のひとつである。腹ごしらえも済み、時間が許す限り国際通りでも歩いてみることにした。
粟国島
帰りの便はなぜか仙台行きを予約してあった。タダでもらえる航空券だったのでわざわざそんなことをしたのが、もちろん帰るべき場所は東京である。JAL便が30分ほど先行してその後ANA便が追っかける格好なのたが、どちらも満席の予約が入っており機材の到着も遅れていた。ラウンジで一息ついたあとで搭乗口へ向かうと長蛇の列ができている。このままだと10分はかかってしまうかもしれない。結局、時間区切りで優先的にゲートを明けてもらいセキュリティエリアへと入っていくことになった。
沖縄料理
前を行くはずの仙台行きJAL便は30分の遅れが出ていたので、自分が予約したANA便と同時出発となってしまった。結果的にはこちらも5分遅れだったが、すぐ後ろを追っかける格好である。帰りの機材も行きと同じB767-300、余裕の座席数も満席でその盛況ぶりがうかがえる。わずか1泊2日だったが二度目の沖縄訪問もこれで終わりとなった。那覇上空は曇っており、低速で低い雲を抜けた後、最加速してその上層の雲の上の中へと入っていく。気流の影響を強く受けるとアナウンスが入ると、確かにかなりきつい揺れを感じた。こういう状態でじっと耐えるというのもあまり気分のいいものではない。それでも上空に出てしまえば先程の揺れはうそのように治まって、あとは順調に飛行を続けることになった。
仙台空港鉄道
ずっと雲の上だったのでどの辺りを通ってきたのかまったく分からなかったが、仙台空港近くにきてようやく地上の様子が見えてきた。ここまできても雪の量が少ないように思える。すぐに太平洋上空へ抜けて海側からのアプローチとなる。強い追い風のおかげで、着いてしまえば定刻よりも10分も早着である。予定よりも15分短いフライトだったが、まだ多少明るさが残るうちに戻ってくることができた。ちなみに前を行くJAL便はさらに20分以上時間を稼いだようである。仙台空港のターミナルビルはかなり立派なもので、3月にはアクセス鉄道が開通する予定である。というわけで、乗りつぶし対象となることが分かっていながらやってきてしまったわけが、そのときはそのときでまた考えたい。(後日談:やはり乗りつぶしのため再訪しました。そのときの旅日誌はこちらをご覧ください。)今日は地元系の路線バスで館腰駅へ向かい、在来線に乗り継いでから新幹線で一路東京へ戻る予定である。仙台駅でこがね編成を目撃したり夕食を買い求めたりしながら時間をつぶす。(後日談:こがね編成については、その後乗る機会がありました。旅日誌はこちらです。)仙台駅でお弁当を買うのにSuicaが使えるのだから便利な世の中である。何かすごく物足りない感じのする旅だったが、とりあえずこれでもうしばらく頑張れそうである。漆黒の闇の中を走るはやてに揺られ、そんなことをボーっと考えていた。
こがね編成