■旅日誌
[2009/8] 転地跳躍
(記:2009/10/4 改:2009/11/29)
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全国空港制覇の掛け声のもと、ひと通り国内の空港を巡ってきましたが、この6月に富士山静岡空港が開港し、さらに新しい航空会社=フジドリームエアラインズ(FDA)の開業も待って、あわせて訪問してくることにしました。折角の夏休みでもあったので、その後にSL人吉、南阿蘇鉄道のトロッコ列車、由布院のTORO-Q列車と立て続けに"はしご"してきました。
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 1日目
ルート概略
【寄ったところ、乗ったもの】※詳細はこちら
掛川、富士山静岡空港、FDA133、鹿児島空港、人吉
何かと物議を醸した静岡空港だったが、今年の6月にようやく開港へこぎつけることができた。離島を除けば「最後の地方空港」とまで言われ、その存在意義が世間の注目を集めていた。庶民感覚にしてみればセントレアや羽田でことは足りるところを、そこはお役所仕事、ましてや利権が絡むハコモノともなれば土建社会よろしく、一度決まったことは覆るはずもない。いわゆる「立ち木問題」など、最後の最後まで大揺れに揺れたが、名目上の滑走路を2200mに縮めILSも最初は使わないという荒業に出て「暫定開業」という形で決着をみたわけである。まぁ難しい話はおいといて、とりあえず未踏の空港ができてしまったからには全国空港めぐりを再開しなければならない。(笑)というわけで、1日でも早く訪問したかったのだが、この静岡空港をベースに新しい航空会社が立ち上がることも決まっていたので、しばらくそちらを待つことにしていた。そんな感じで、今回は運よくとれた夏休みを使ってまとめて訪問することになった。
東海道新幹線
その新しい航空会社はフジドリームエアラインズ(FDA)という名前で、地元の物流会社が親会社となって立ち上がった新興エアラインである。この不況下で随分と思い切ったことをするものだ。大手のJAL、ANAは、ある程度利用が見込まれる福岡、札幌、沖縄といったところを就航先として押さえてくるのは仕方のないことで、それでも競争するのか、あるいはそれを避けるのかを議論した結果、競合は避けて隙間を狙う方針に落ち着いたという。具体的には、小松と熊本と鹿児島で、今回は一番使いやすい時間帯に設定されてた鹿児島便を利用することにしている。(後日談:早速、Webサイトから予約を入れてみましたが、クレジット決済でいきなりエラーになりカードが使えなくなってしまいました。クレームを入れようにも昼間にTELでしか受け付けてくれず(昼間にTELするヒマがあれば、わざわざ真夜中にWebサイトなんて利用しませんよ!)やむなく広報のページからメッセージを入れたところ、しばらくして折り返しのTELがありました。結論としては、結局原因は分からずじまい。午後一の一番忙しい時間にTELをよこさすものだから、こちらも主張も十分にできずうやむやにされちゃいました。中小の新参者とはいえ、エアラインという命を預かる商売ですので、このあたりはしっかりしていただきたいものです。)というわけで、とにかく新幹線にでも乗って静岡の先の方まで移動しなければならない。
掛川
そういえば、大阪伊丹へ行くのにわざわざ福島空港を経由したことがあったが、今回は東海道新幹線掛川へ出て、バスに乗り継ぐのが手っ取り早そうだ。幸いにも、そんなに泡くって急ぐ必要もなく、とりあえず8時台のこだまで十分間に合うことが判明、当日、新横浜へ来てみると、ひとつ前のこだまに乗れてしまうタイミングだったのでそのまま移動することにした。おや?1本前ののぞみは300系車両だったのに700系こだまで来たぞ??まぁいいか…などとどうでもいいことを思いながら乗り込むと自由席は窓際の席が埋まる程度だった。運よく空いてるところがあったので山側の席をキープ、天気もよくないし、寝不足気味だったので乗り過ごさない程度にひと眠りしておくか。
掛川城
あらためて思い返すと掛川駅東海道新幹線の駅の中で、唯一降りたことのない駅だった。(余談:天浜線から東海道線への乗り換えで利用したことがありますが…。)余裕をみていたところに、さらに1本前の列車に乗れてしまったので、ここで1時間以上フリーな時間がある。ということで、近くの掛川城へ行ってみることにした。それにしても、全くの無風状態にかなりの湿度と全身まとわりつくような暑さがたまらんなぁ~~クマゼミの大合唱の中、少し歩いただけでも全身からどどっと汗が出てくるのが分かった。さてと、、、から北へ数百メートル程行ったところにお城は建っていた。小さいながらも展示物も揃っていたが、お城というよりお城の形をした資料館と言った方がいいのかもしれない。狭くて急な階段を登って天守閣に上がり、四方を見渡す。予定もなく思いつきでやって来たので予備知識も何もない。結局、何をするでもなく時間を気にしつつ隣の敷地にある御殿にも寄ってみた。この建物はいわゆる藩のお役所のようなところで、歴史的にも貴重な建物らしい。中に入ることもできたので、時間の許す限り見学しておくことにした。
牧之原台地
空港に向かうバス掛川駅の南口を起点にして菊川駅に停まるだけでノンストップで運行されていた。町中を抜けるとバスから見える風景はお茶畑ばかりで、本当に牧之原台地はお茶の一大産地だということがよく分かる。途中にはバスが通るには危なっかしいくらいの狭い道もあり、空港がなければ本当に辺鄙な場所だったのかもしれない。そんなところに無理して空港を作ったのだから、例えばアクセス道路ひとつとってもかなりコストがかかっているに違いない。台地の端を沿うように立派な橋が架かっているのもそう、森を切り開いて2車線の真新しい道路が貫いていたのもそう、これらをインフラ投資とみるのか、はたまた税金の無駄づかいとみるのかは意見の分かれるところだろうが、少なくともこれからの時代はお金の使い方を考えた方がいいと思う。
富士山静岡空港
バスはまるで貸し切り状態で本当に大丈夫か心配になったが、空港は見物の人で溢れかえっていた。そうか、みんな車で来るのか…。空港の建物自体は新しくて小ぎれいだったが、いわゆる地方空港といったサイズで、よく言えばコンパクトにまとまっていると言えなくもない。そのわりにはテナントに入ったお店は不思議と繁盛してる様子で、展望デッキに行ってみるとやはりそこも人、人、人、、、最初だけかもしれないが空港とは縁のなかった土地柄か、ちょっとしたブームになってるらしい。そんな中、ちょうど小松からFDA機が降りて来た。恐らくこいつが鹿児島便になるはずだが、、、う~ん、ちょっと残念、やって来たのはスカイブルーの2号機だった。あの真っ赤な初号機を期待していたのになぁ、、、まぁいいか…。
FDA・E170
出発まで時間があったので余裕をみていたが、セキュリティチェックでひどく渋滞を起こしており、定刻の時間がどんどん迫ってきてしまった。素人目にもダイヤのまずさは明白で正午前後に到着便と出発便が集中してしまい、滑走路の運用もスムーズではないようだ。不慣れというにはどこもお粗末過ぎる。いよいよ間に合わなくなったとみえ、沖縄便のセキュリティチェックを優先させていたが、そのうち鹿児島便も危うくなってきた。ようやくセキュリティゲートを通過できたが、大慌てで搭乗機に向かわなければならない。FDAではボーディングブリッジは使わずにタラップから搭乗する方法がとられていたが、長い通路を抜けた先も建物の外へ出て、さらに遠くに向かって移動しなければならない。よく分からないが、急げ!ということなのでなぜか走りまくる結果となってしまった。さて、FDAが導入した機材=エンブラエル170は、先にJ-AIRで乗ったことがあったので、よく覚えている。座席まわりや足元の空間はJ-AIRとまったく同じで乗り心地は悪くない。それにしてもあれだけ急いで走らされたにも関わらず、管制制御がかかり結局20分以上出発を待たされることになってしまった。国際線の方も韓国便の2社が集中して効率が悪そうだし、待ちが待ちを呼ぶという悪循環に完全に陥っている。これは大いに改善すべきだと思うが、それとも開港直後、夏休み多客期の一過性のものと考えているのだろうか?需給予測のとき広げた大風呂敷のわりに、実際の運用で手際の悪さを露呈してるようでは本当にやる気があったのか疑いたくもなる。役所も業者も作ってしまえばそれでおしまいなのだろうけど、何か違うような気がする。
フジドリームエアラインズ・FDA133便・鹿児島行き FDA133便の機内の様子
出発を待ってる間にちょっとゴホゴホしてたら、CAさんがすっと飴の入った袋を差し出してくれた。4つの飴のうち2つがお茶飴だったが、機内誌によると20人強いるCAさんのうち経験者と未経験者はおよそ半々の割合だという。この辺はよく教育が行き届いているようだ。そうこうしながらひたすら待ちの時間を過ごし、ようやく出発の順番が回ってきた。離陸後、後方を振り返ると遠州灘に突き出た御前崎の様子が上空からもよく分った。それにしても、"富士山"と名乗るには方向はまったく違うし滑走路の周囲はほとんどお茶畑だし、これでは富士山静岡空港ではなくお茶畑牧之原空港だな。(苦笑)先ほどの沖縄便は満席の様子だったが、鹿児島便の搭乗率は15~20%ととても寂しい。折角の夏休みなのに閑古鳥というのは一体どういうことなのか、他人事ながら心配になってきた。旅行会社と手を組んでツアーを入れるなど、営業努力がまだ足りないのだろうか。サービス面でも悪くなさそうだし、センスよく新調された機内誌も肝心の見てくれるお客さんがいなければ何のアピールにもならない。ところどころ前線の影響を受けたため揺れはあったが、総じて飛行は順調だった。広島を過ぎたあと瀬戸内海上空を進むと、翼の先のウィングレットの先に周防灘の中に岩国の基地の滑走路がよく見えた。途中、同じ方向に飛んでる機影がいくつか確認できたが、ANAの青い機体とすれ違う場面もあったりして、結構混雑している場所を飛んでるようだった。
FDA133便の機内サービス フジドリームエアラインズ・FDA133便・鹿児島行き
九州上空を南下しながら徐々に高度を落とし、やがて桜島を左手に見ながら右に旋回、FDA機鹿児島空港へ向かってアプローチしていった。高台にある空港のためか、平地と違ってあっという間に滑走路が迫ってくる感じがする。出発時の遅れが響いて到着がかなり遅れたが、実はこのあとしばらく時間をもてあそばなければならなかったので、逆に都合がよかった。空港に着いたあと、遅めのお昼を済ませ、展望デッキへ出て行き交う飛行機を眺めたりして時間をつぶしておく。鹿児島空港に来たのはいつ以来になるのかよく覚えてないが、小型のプロップ機が多く飛び立っていった。
鹿児島空港
今日は人吉まで移動しておくことを考えているのだが、鹿児島空港から人吉へ向かうバスが大幅減便になってしまい、接続がめちゃくちゃ悪くなっていた。以前は人吉始発のバスがあって、空港へ出るのに便利だった記憶があるが、その路線は廃止されてしまい鹿児島と熊本を結ぶ都市間バス鹿児島空港にも寄り道して、その代役も兼ねることになったらしい。しかし、便数は決して多いとは言えず、また座席も完全予約制で数が限られてしまい、乗車機会は激減してしまった。利便性という面では相当サービスダウンだと思う。おまけに人吉の中心部への乗り入れは行わず、街外れにあるICの出口で降ろされてしまうため、徒歩客は切り捨てられた格好になっている。さらに追い討ちをかけるようにFDA便の到着時刻とぴったり同時刻に出発する便の次は3時間後と、まるでいじめのような状況になっていた。それでも今回は意地になってこいつに乗ってやろうと考え、3時間空港で時間をつぶし、人吉ICのバス停からも歩き通してやろうとしている。弱者切捨てというか地方受難とはこういうことを言うんだなとあらためて感じてしまった。ICを降りたあと、夏の夕ぐれどき近くまで歩き通してしまったが、一旦宿へ寄ってチェックインしたあとエネルギー補給に向かう。ここと決めてあったお店に行きうなぎを食べることにしている。そう思うと俄然元気がでてきた。(追記:口コミなどでもイチオシだったせいろ蒸しをいただきましたが、こいつは文句なく旨かったです!)
うなぎ・上村さん 上村・うなぎのせいろ蒸し
 2日目
ルート概略
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青井阿蘇神社、永国寺、人吉城址公園、SL人吉、熊本、肥後大津
午前中は細かな段取りなど考えてなかったが、観光モードで近くをまわってみようと思っている。人吉には、前職で一度くらい仕事で来ることもあるかな?と思っていたが、結局そういうチャンスはなかった。その後ここを通ったのは2回ほどあり、最近では肥薩線をはやとの風といさぶろう・しんぺいで上って鹿児島空港へ抜けたのと、かなり昔に乗りつぶしでくま川鉄道まで足を延ばしたときで、いずれも乗り換えで立ち寄った程度だった。今日は徒歩で2、3箇所まわってみようと思う。朝一、まず最初に向かった青井阿蘇神社は、去年国宝に指定されたところで、なるほど藁葺の建物は見事だった。熊本県で神社が国宝として認められた事例はなく、説明なしでもその風格は十分伝わってきた。地元の方からは青井さんの呼び名で親しまれており、ボランティアの方だろうか、朝早くから境内や本殿で掃除をされる姿があった。神社仏閣など古い建物を見るのが好きな人にとっては、なかなかおすすめの場所だと思う。
青井阿蘇神社
10時になり駅前にあるからくりモニュメントの演奏を見物してみた。時間にして3分半なのですぐ終わってしまうのだが、それなりに人寄せにはなっていたようだ。その直後に出発していくいさぶろう号を見送り、再びを背にして先へと向かった。球磨川を渡り、少し行ったところに次の目的地である永国寺がある。ここは幽霊の掛け軸で有名な場所で、別名幽霊寺ともいわれている。その名の通りで、ちょっとした興味を覚えたところでもあって、2ヶ所目の訪問先と決めていた。このお寺も一般に開放されていて、実際に本堂に上がって例の掛け軸をみることができる。(追記:写真に収めるのはちょっと自粛しました。)あらためてこの掛け軸にまつわる話など聞いたりして、右裏手にある幽霊が出たといわれる蓮の池も見学していく。確かに古い建物だったが、お寺独特の落ち着いた雰囲気にはちょっとホッとする。お寺の正面からは、通りを挟んで東へ一直線に道が延びており、引続きその方向へ向かって歩いていくことにした。
人吉駅
しばらく行くと、西郷隆盛ゆかりの武家屋敷焼酎の蔵元などがあり、軽く見学してから、最後に人吉城址公園まで足を延ばしてみることにした。お城といっても、今ではわずかに石垣の名残城の基礎部分(?)が小高い丘のように残ってるくらいだった。手前の敷地には歴史資料館や市役所があり、緑の芝生やゲートボール場などもあって、時代とともにすっかり様子が変わってしまっている。それでも、ここに山城があったんだな…と思いを馳せながら本丸や二の丸があったあたりを登ってみると町の中心部が一望できた。気温と湿度は高かったものの、意外と紫外線を浴びてしまったようで、露出した腕の部分が後になってヒリヒリしてきた。そろそろ引き上げることにするか、、、再び球磨川を渡り、の方へと戻ることにする。
永国寺
午後のメインはSL人吉に乗ることで、まずお昼前に下りの列車が到着する様子を見るために、駅横の線路脇で待ち構えることにした。遠くでヒューっといったような甲高い汽笛を上げたかと思うと、小型の機関車3両の客車を引っ張って目の前を過ぎて行った。通称ハチロクこと国産の8620形蒸気機関車はいままで見たことのあるSLとはどことなく雰囲気が違っていた。さてと、、、その前に昼食を済ませておこう。先ほど気になった看板を頼りにあるお店に入りハチロクメニューなるものを頼んでみる。ハチロクにちなんで860円といい感じの値段設定だったが、お店の人の説明によると14種類の肉料理や魚料理からメインになるものを選択して、お刺身や地のものを使った郷土料理などなどの副菜がいくつかついて定食の形にしてくれるらしい。ちょっと迷ったが主菜には川魚を選択、しばらく待って出された料理はボリュームもあって、これまた大満足だった。旅先の何気ない食事で当たりを引いたときの嬉しさは何とも例えがたいものがある。
SL人吉
機関庫で控えているSLでも見てみようと思い、駅の向こう側にまわってみることにした。古くて立派な建物だったが旧人吉機関庫はどこか歴史を感じさせる風情が漂っている。煙を吐きながら折り返しを待つ機関車はまだ先を向いていたのでこれから方向転換が行われるみたいだ。この機関庫には転車台があり、ハチロクはそこで方向展開することになっている。JRの敷地っぽかったのでしばらく外から様子をうかがっていたが、たまたま車で通りかかった人と一緒に近くにやってきたボランティアっぽい方に中に入れないか聞いてみたところ、問題ないとのことなので入れてもらうことになった。もうしばらくすると目の前のターンテーブル機関車がやってくるとのことだったが、正面に立つ建物の2階からだともっとよく見えるとのことで、中へ案内していただいた。先ほどまで控えていたキハ単行が通り過ぎていったあと、SLターンテーブルに近づいてきた。おかげで特等席から方向転換する様子をみることができたが、配慮してくださった方々に感謝感謝である。建物の外に出てきたあとも、線路に近づいて入れ替えの様子を見ることができたが、中に入れたのはラッキーだったかもしれない。
SL人吉
SL人吉を引く58654号機は、引退して静態保存されていた機関車をSLあそBOYとして復活させ、長らく豊肥線で活躍していた。しかし、機関車にかかる負担は大きかったようで、思いのほか痛みが激しくリタイヤせざるを得なくなってしまった。結局、SLあそBOYには乗る機会もなく、それどころか実際に姿を見るチャンスすらないまま退いてしまったのでとても心残りだったが、この58654号機を再び復活させようという動きが持ち上がり、とても楽しみにしていた。実際には、台枠もボイラーも新造したというから、ほとんどつくり直しに近かったのではないだろうか?設計図も十分ではなかっただろうし、手間ヒマや費用を考えると、奇跡の復活のウラには相当なお金と苦労があったと想像できる。(後日談:4億円かかった、という数字をどこかで見かけました。)そこまで投資する理由のひとつには、新幹線の延長に伴いネットワークとして旅の演出を考えてのことだというだが、JR九州のそんな"思い"には、どこか共感できるものがある。ところで、このSL人吉だが、これまた指定を取るのが難しい列車のひとつで、当初は入手できるか不安に思っていたが、いつものように運にも助けられこの日のチケットをゲットしてあった。(後日談:ある日、何かに導かれるように照会をかけたところ、偶然にも空席が出てきました。本当に奇跡的なタイミングだったようです。)準備も終わり、先程目の前を通り過ぎていった列車は熊本寄りの方で折り返してホームへ入線していった。さぁ、急いでホームへ戻ろう、、、それこそ乗り遅れたりしたらたまらんし…。
SL人吉 SL人吉
ホームでも出発前の様子をみておくことにした。人吉駅では、今では珍しいお弁当の立ち売りの姿をみることができる。この日の売れ行きはいまひとつとのことだったが、手を振って車内のお客さんに応えたりと傍から見てても微笑ましく思える。列車は3両の客車SLが単独で引っ張る形をとっている。先頭と最後尾は展望スペースがあり自由に出入りできて、中ほどにはビュッフェと売店があった。客車はSLあそBOYで使っていた車両を改造したもので、ぱっと見のセンスのよさはJR九州らしい見事な仕上がりだった。SL人吉は定刻に出発、多くの人に見送られて人吉駅をあとにした。小振りの機関車にしては、意外と小気味いい走りをしている。街中を抜けると、車窓はやがて山間の景色と変わっていった。
球磨川
座席に座り続けているのも惜しい気がしたので、その後も車内をウロウロしてみたりした。座席数に比べて客室乗務員の多さもホスピタリティの高さを感じるが、皆さんテキパキと行動している。制服のセンスのよさも、車両のデザインに負けず劣らず文句の付けようがない。肥薩線の八代-人吉間は、そのほとんどが球磨川沿いに線路が敷かれており、全国でも屈指の車窓の美しい路線といっても言い過ぎではない。後方の展望スペースから後ろに流れていく景色もまたいいもので、ここにいると時間が経つのを忘れそうだ。下流に向かうにつれ、川の流れは緩やかになり緑の水面がとても穏やかで印象的だ。SL人吉のダイヤでは途中交換のため数分程度の停車する駅がいくつかあり、外に出てみる余裕もあった。いずれにせよ、乗ってても楽しい列車である。新幹線の高架をくぐると、もう間もなく八代へ到着、ここから鹿児島本線に入り列車は最後の区間へと進んでいった。この汽車旅も残り少なくなってくる頃には寄り添うように新幹線の高架が姿を現し、ブルートレインの車両はまだ留置されているのが一瞬見えたりと、時代の流れを感じずにはいられない。終着の熊本が近づき最後の最後にあそ1962と併走するという心憎い演出が待っていた。向こうからは乗客や客室乗務員が笑顔で手を振っているのがよく分かったが、同時刻に到着させるという小粋なダイヤが組まれていること…。熊本駅SL人吉を見送り、今日はここから肥後大津まで移動することにしている。それにしても、時刻はもう午後6時を回ってるというのに西日が強いなぁ~。早く、ひとっ風呂浴びたいところである。
SL人吉 SL人吉
 3日目
ルート概略
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立野、高森涌水公園、南阿蘇鉄道/ゆうすげ号、宮地、阿蘇神社、内牧
特にこだわりはなかったが、昨晩は熊本市内を避けて肥後大津に投宿していた。一応、熊本空港に近い土地らしいのだが、周囲には何もなくそんなにすぐには空港に出られるような場所ではなかった。翌朝、とりあえずへ向かって歩いてみたが、車ばかりが走っていて人の姿というものを見かけない。熊本から豊肥線に乗ると、電化されているのはここ肥後大津駅までで、この先の非電化区間になると本数はめっきり減ってしまう。なので、乗り換えが必要な"境"のだったが、その割りにはこじんまりとした田舎の小駅で、どことなくのんびりムードが漂っている。に着くと九州横断特急が数人のお客さんを降ろして、ちょうど阿蘇方面へ走り去っていくところだった。だが、今日はあまり慌てる必要もなく、この後、追っかけるようにしてやって来る普通列車を捕まえれば十分である。もうしばらくホームで待つことにしよう。
肥薩線・立野駅のスイッチバック
上空では熊本空港めがけて下りていく飛行機が低いところを飛んでいた。今日も朝から日差しが強く、夏の紫外線は容赦なく降り注いでいた。次の普通列車はキハ2両が熊本からやって来て、そのまま通しで宮地まで直通していくことになっている。日に何本かはそういう列車が設定されてるようだ。2、3駅移動して立野で下車し、これからスイッチバックに向かうところを見送る。何分かして、はるか上の方を列車が走っているのを確認したあと、一旦を離れる。今日はこれから南阿蘇鉄道に乗って高森へ行ってくることにしているのだが、ゆうすげ号がやって来るのを待ってから出発しても十分に余裕がある。というより、次の便の出発までそんなことをしながら時間をつぶすしておくのがよさそうだ、と言った方が正しいかもしれない。近くには見晴らしのいい場所があるのを知ってたので、そこで列車が通り過ぎるのを見てみようと思う。
南阿蘇鉄道・ゆうすげ号
案内版が出ていたので、特に迷うことなくビューポイントは見つかった。ただ、列車がやって来るまであと30分は待たなければならず、困ったことに、これといって日差しを遮るものもないため、じっとしてると倒れそうだ。少し離れてもいいから日陰になるところを探した方がよさそうである。ちなみに、いま目の前に見えてる高森第一鉄橋は、この先の白川第一鉄橋とともに歴史的価値のある建造物だという。単純に深い渓谷にかかる橋として眺めても、とても美しい姿をしていた。列車に乗ると徐行してくれる場所でもあるので、それはまた後ほどのお楽しみとする。ようやく列車がやって来ると、するりするりと橋を渡っていった。ゆうすげ号を見届けて、の方へと戻ることにした。
高森涌水トンネル公園
ゆうすげ号には復路に乗ってみることにしているので、往路は普通列車を利用する。ロングシートの小柄なレールバスはいつしか席が埋まり、高森へ向けて出発するまで冷房の効いた車内で待つことにした。ここらあたりおととしにも来たばかりなので何となく記憶に残っていたが、唯一行きそびれてた高森涌水トンネル公園へ寄るのが今回の目的でもある。ほどなくして終点の高森へ到着、まず最初に予約してあった帰りのゆうすげ号の乗車券を引き換えて、あとは涌水公園へ直行することにしよう。相変わらずジリジリと照りつける太陽のもと10分ほど歩いて行くことになった。
高森涌水トンネル公園
ここ高森涌水トンネル公園は国鉄時代に高森線と高千穂線を結ぶはずだった未成線のトンネルの跡地である。ただ、トンネルと言っても完成の日の目は見ていない。赤字のために工事が中断されたのも確かにそうだが、工事中に起きた大出水によるところも大きく、ここら一体の地下水が出なくなったというくらいだから、尋常ではなかったはずだ。不幸にも、やっかい物のトンネルだけが残ってしまったのだが、それを逆手にとって公園にしてしまったというのも面白い話である。新しい住宅が立ち並ぶ路地の先に突然トンネルが出現し、一段低いところは中から湧き出る水の流れを挟むようにしてちょっとした遊歩道になっていた。トンネルの入口から一歩足を踏み入れてると本当に天然のクーラーとなっいて、ひんやりして気持ちがいい。奥の方からは絶え間なく水が流れて出ているようで、左右壁伝いに歩けるようなっていた。ちょうどいま七夕まつりが催されていて、一般公募による派手な飾りつけずっと続いていた。歩いていても、暗いせいもあってか先が見通せないため意外と距離を感じる。奥の方まで来るとウォータパールという目の錯覚を利用した不思議なものがあり、特殊なストロボに映し出された水滴が奇妙な動きをしていた。そしてトンネル最後は壁になっていて、こんこんと水が湧き出ていた。
南阿蘇ご当地グルメ・ハヤシライス
高森駅へ戻ってくと、ちょうどゆうすげが到着するところだった。帰りの時間までまだもう少し間があり、それこそ暑さで倒れたりしたら困るので、適当なところで昼食を済ませておくことにした。最近流行りのご当地グルメらしきものがここ南阿蘇にもあり、赤いのぼりにハヤシライスとの文字が目につく。近くのお店に入ってみると、海外からのお客さんらしき一団が陣取っていたが、ハヤシライスならそれほど待たなくても出してくれるとのこと、これまたよく目にする地産地消という言葉の通り、トマトをはじめとする地元の野菜や良質の牛肉を使った手作りのハヤシライスらしい。サラダ以外にも飲み物とデザートが付いて1000円なら、まぁ納得のいく値付けだろう。行き当たりばったりにしてはちょうどうまい具合にいったと思う。
南阿蘇鉄道・白川第一鉄橋
再びに戻ると普通列車の後ろにゆうすげ号を連結する作業を行っていた。このゆうすげ号は、かわいいトロッコ車両を両端から小さなディーゼル機関車ではさみプッシュプルの形で運転されている。先日開業した門司港のレトロ列車のルーツはこのゆうすげ号にあり、門司港に行った機関車は初代ゆうすげ号を牽引していた。空席があれば予約なしでも乗れるということだったが、満席になることが多く、この日も当日売りは残っていなかったようである。トロッコ列車は、通常のダイヤの倍近い時間をかけて運行され、ゴロゴロゴロといった乗り心地とトロッコ特有の開放感がまた楽しい。この路線が走る南阿蘇はその眺望も抜群で、今日のように天気がいいと遠く阿蘇の外輪山を眺めてるだけで気持ちが和んでくる。水が湧き出ているところや少し離れたところにある施設など、言われないと気がつかないようなところにも案内が入るのがうれしい。そんな観光列車らしい演出が続いていた。そろそろ終点が近づいてくると、唯一外輪山が"欠けた"場所"が立野だという案内が入り、最後のクライマックスとなる白川第一大橋高森第一鉄橋を渡る。橋の上では徐行運転をしてくれるので、峡谷を覗き込むこともできた。南阿蘇鉄道は、何だかんだで三度目の乗車だったが、それでも十分楽しむことができた。
南阿蘇鉄道・ゆうすげ号
立野ゆうすげ号を降りると、待ってたかのようにちょうどうまい具合に豊肥線に乗り換えることができる。ここから最大の見せ場(?)でもあるスイッチバックに挑むことになる。いうまでもなくここのスイッチバックは、他でも類をみないスケールのでかさがある。そのスイッチバックを登りきると、阿蘇の内輪山がよりくっきりと姿をみせてくれる。今日はゆうすげ号に時間を合わせたうえに、さらにローカルなバス路線を利用しようとしていたので、乗り継ぎには苦労すると覚悟していたが、都合のいい筋が運よく見つかり拍子抜けするくらいだった。今日の最終目的地と決めていた内牧温泉までは、内牧駅から出るバスに乗るのが最短のルートなのだが、順調に来れたおかげでもう少し先へ向かってみることができる。というわけで、昨日、人吉で買った切符の終着駅は宮地駅にしてある。宮地駅といえばSLあそBOYが折り返していたところでもあり転車台も残されている。偶然にも、昨日に引続き、折り返し待ちしていたあそ1962に再会する。一瞬だったが、ここ宮地駅にもかつての要所の名残りを垣間見たような気がした。
阿蘇神社
今日はここから阿蘇神社へ向かうことにしていた。門前町と言うのが正しいかどうか分からないが、地元の商店街は縁日っぽい感じで何やら準備に忙しいようである。メインストリート(?)の向こうにちょうどは阿蘇山の大きな姿を望むことができる。なかなかいい眺めだ。町中にはいたるところで水が湧き出ており神社のまわりにも多くの水源があった。「トマト、100円」とだけ書かれた木のたらいには、湧き水が流しっぱなしのところに、無造作にトマトが浮いていた。いやぁ、夏だな…。見つかるか心配だったバス停を神社から少し離れたところに見つけ、ここでしばらく待つ。道の反対側にもバス停の目印があってもいいように思うのだが、一見したところ何もない。田舎のバスって、そんなのもありなのだろうか?本当にやってくるのか少々不安に思えたが、ほぼ時間通りにバスがやってきた。念のため手をあげてこれからも利用することをアピールしておく。いつもならこんなところから乗り込むお客などいないだろうに…。バスに乗ってみると、先客はわずか2名、ひとりはすぐに降りてしまい、残ったもうひとりの高校生もやがて降りていってしまった。取り残されたのは先程来の珍客だけ、運転手さんも物珍しさを覚えたのか、さかんに話しかけてくる。のどかでどこか景色が大きいところを走っていたが、結局、タクシーに乗ってるような感じでずっと談笑しっぱなしだった。かつてはここらも賑わっていたこと、結構な有名人も泊まりに来てたことなど、話は尽きることがなかった。そろそろ終点も近づいた頃、宿泊先を聞いてきたので一番近そうなところで降ろしてもらうことにした。こんなローカルな旅も悪くないな…。ところで、今夜のお宿はおととしにも一度泊まったことがあり、どこか昭和の匂いがしてお世辞にも外観は褒められたものではなかったが、自慢のかけ流しの温泉と、いい意味で期待を裏切ってくれた食事が強く印象に残っていたので、今回もここを選んでいた。やっぱりな、何も変わってない、、、この薄暗さもどこか田舎チックでいいかな。
阿蘇神社近くの様子 阿蘇山
 4日目
ルート概略
【寄ったところ、乗ったもの】※詳細はこちら
肥後小国、豊後森、由布院、TORO-Q列車、大分空港
今日も朝から強い日差しが照りつけていた。遠くの外輪山がくっきりと姿を見せている。今日もまた、しばらくローカルなバスを乗り継いでいくことにする。内牧のバス停は、一応ターミナルの役割も果たしているようで、何台か折り返しのバスが停まっていた。ただ、正面にあるスーパーらしき建物は店をたたんでしまったようで、どこか不気味な雰囲気がしている。そろそろ目的のバスがやってきてもいい頃なのだが、先に阿蘇山行きのバスが、バックパッカーの外人さんひとりを乗せて出発して行ってしまった。すると間もなく、その後を追うように小型のバスがやって来て少しだけホッとする。日に数えるくらいしかない走ってない路線ならなおさら、普段こんなところから乗る客などいないだろうから、多少大げさにでも"乗ります"と意思表示しておかないと置いてかれかねないかも…。バスは内牧の町を抜け、北への方角へ向かう。カルデラの地形の中にいることを考えると、ここからはほぼどの方角へ向かっても外輪山越えていかなければならない。やがて道路は狭くなり、いわゆる1.5車線のくねくね坂道を登っていくことになった。ふと振り返るとカルデラの眺望が素晴らしい。いまここで1本落として途中下車したいところだが、後が続かなくなってしまうので、それを叶えるのは無理な注文に近い。
阿蘇・大観峰
この手の路線バスありがちなのが、バイパスの国道を避けて時折脇道を経由していくことで、何度もわざわざ狭いところへと入っていく。もともと旧道の方がメインストリートだったため、集落はそちらの方に集中していることが多く、ときに狭い山道を通り抜けていくこともある。運転手さんも神経使うだろうなぁ…。そうこうしてるうちに、次の乗り継ぎのための場所に到着、ここバスを下車する。このバス停の名称はゆうステーションといい、道の駅が併設されている。というより、道の駅バス停がある、と言った方が正しい。もっというと、ここは旧宮原線の終着肥後小国駅があった場所である。当時の駅票や、わずかばかりに線路の跡腕木式の信号機が残されていた。そういえば、つい最近もTVの旅番組で宮原線の廃線跡のことをやっていたが、今日はこれから豊後森の方に移動していくことにしている。
旧宮原線・肥後小国跡
折角なので、ここでお土産品など選んでおこう、、、それとついでに手作り感のあるお弁当前があったので、ついでに買っておく。前出通り、かつてはこまで鉄路が存在していたが、これから乗るバス廃止後の転換路線のように思う。先ほど降りたのと同じ場所にあるのに、こちらの会社のバス停は小国とわざわざ別の名前が付いているところからも想像できる。玖珠観光バスという名前が付いていたが、大分交通の子会社で、車内の装備品にはところどころにその名残があった。このバスも1日3本しか設定されておらず、先ほどのバスとわずか20分ほどで乗り継ぎができるのはかなり貴重な"筋"のようだった。
道の駅・ゆうステーション
小国を出発すると、すぐに山深いところにさしかかり、先ほど同様、頻繁に国道から逸れて脇に入っていった。注意してみていると、廃線跡の橋げたなど、車窓からもそんなものを目にすることができた。多少無責任な言い方になってしまうが、本当に山の中ばかりで、これは廃止になっても仕方ないのかな…と正直思う。一気にただ乗り通すだけではなく、途中寄り道などしながら訪問してみるべきかもしれない。雰囲気のいい温泉地などもあり、時間をかけてじっくりまわるといろんな発見があるに違いない。これはまた、別の機会へのお楽しみかな?山の中を抜け、恵良の地名が出てくるともう間もなく終点は近い。バスは遅れることもなく終着の豊後森へ到着、こんな路線を乗り通す客などそう滅多にいるとは思えないが、運転手さんにひとこと声をかけてバスを降りた。う~ん、かなり中身の濃いバス旅だったな…。
旧宮原線、廃止後の転換路線
豊後森の駅構えは思ったより小さかった。初めてゆふいんの森に乗ったときにも確かにここは通っているはずだが、こんなもんだっただろうか?次の乗り換えまでおおよそ1時間あるので、先ほど道の駅で買っておいたお弁当を開いてお昼にする。がらんとしたの中でぼんやりしながら食事をするのも悪くはない。素朴な感じのするのり巻きは、酸っぱさと甘みが少し効いていて、より一層食欲をそそる。その後ゆふいんの森がやってくるのでそいつを見送り、もうしばらく由布院行きの普通列車を待つことにした。
豊後森駅
その普通列車豊後森から由布院まで移動し、今回最後の目的だったTORO-Q列車を捕まえることにする。TORO-Q列車は大分-由布院間を座席指定で結ぶ便のほかに、お隣の南由布の間を日に往復かしており、そちらは全車自由席で気軽に利用できるらしい。今日はうまくタイミングが合わせられそうだったので、南由布まで行ってそのまま帰ってくることにしている。すると間もなくTORO-Q列車が、やって来た。
TORO-Q列車
次の出発まで時間があったので外観を眺めたりしていたが、一本前の普通列車に乗ると南由布TORO-Q列車を待ち受けることができるような気がしたので、思い切って先回りすることにした。どうやら、先ほど乗ってきた普通列車が運行番号を変えてそのまま大分方面へ向かうようである。南由布で下車すると、既にTORO-Q列車を待ってる人がいた。ほら、思ったとおりだ…。由布岳をバックにやって来るTORO-Q列車はなかなか絵になっている。ここは機転を利かせて正解だった。そうして、由布院までの帰りでTORO-Q列車に乗っておくことにする。わずかひと駅だけだったが、遠く由布岳の稜線美を眺めながら観光列車の旅を楽しむことができた。
TORO-Q列車
由布院駅前は相変わらず多くの観光客で賑わっていた。以前来たときのことはよく覚えていないが、街中に馬車なんていただろうか?とりあえず今日はもう帰るだけになってしまったので、ひたすら空港行きのリムジンバスを待つことに、、、と思ったが、小一時間ほど余裕があったので、それとなくそこらをほっつき歩くことにした。とはいうものの、近くに何か面白いものがあるわけでもないが、の上で先ほどの馬車に鉢合わせなり、由布岳をバックに記念撮影しておいた。
TORO-Q列車
妙にバスの待合室が賑やかだと思ったら、ちょうどこれから博多や別府に向かう便が出るところだった。ここもまた圧倒的に日本人よりも海外の方の数の方が多い。ほとんどが中国や台湾それと韓国から…と見受けられたが、中にはバングラディッシュなんていう人もいて、スタンバイの運転手さんだろうか、すっかり話に花が咲いていた。確かに、よその国の地方の観光地でこんなにアグレッシブに行動できたら、さぞ楽しいだろうな、、、ふと自分のことを考えてみてしまった。都市間バスがひと通り出発していき、少し静かになると大分空港へ向かうリムジンバスの順番となる。早速バスに乗り込み、これが最後の移動となる。思い起こせば桜の時期以来なので、途中見覚えのあるところを経由していく。最終日の今日は特にローカルなところを乗り継いできたので、ここへきて少しだけホッとする。東京行きの便もオンタイムで出発、暮れゆく上空からは偶然にも静岡空港を眼下に眺めることができた。
由布岳