■旅日誌
[2008/1] 銀河を流れるように
(記:2008/3/9 改:2016/10/10)
(記:2008/3/9 改:2016/10/10)
この春のダイヤ改正でまたもや夜行列車が縮小となることが分かりました。既に風前の灯といった状況にありながら、さらに大なたが振り下ろされ、本意ではありませんが銀河のお名残乗車することにしました。ちなみに関西発の九州夜行は全滅、北斗星と日本海はそれぞれ2往復から1往復に減便、更には1年後に東京発のブルートレインが全廃されるという少々ショッキングな内容になっていました。
※下線部をクリックすると写真が表示されます
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0日目
銀河号に乗るのは2度目のことになる。この列車に対する思いなどは以前も書いたのでここでは省略するが、廃止というのも時代の流れだろうか。そのXデーがやってくるのは3月、ひどく騒がしくなる前に一度乗っておくことにした。というわけで、今年最初のお出掛けは関西地方と決定する。週末適当な時期を狙って事前に指定を押さえておく。折角なのでA寝台を奮発する。プルマン型と呼ばれる開放式のA寝台は皮肉にも減便される日本海とこの銀河号だけになってしまい(余談:細かいこというときたぐににも同様の寝台がありますが、あちらは電車式、それも後に改造されたものなので厳密には区別されるそうで…。)恐らくこれが最初で最後の体験になりそうである。今回、思い切って金曜日の出発としたが、何とか無事に仕事を切り上げ一旦自宅に寄ってから東京駅へ向かうことにした。(後日談:銀河が廃止され、唯一残った客車の夜行列車はやぶさ・富士も翌年の3月に廃止となり、東京駅からブルートレインが姿を消すことになってしまいました。)
ここ1週間ほど全国的にも寒さが厳しく、特に2、3日前は大荒れの天気に見舞われたところも少なくなかった。この週末も低温が続くような予報がでている。夜の出発というものどこかワクワクするものがある。と同時に今回は異様に寒いなというのも正直な感想だった。いつしかパターン化してしまった夜行に乗る前に品川駅のエキナカで本場インド風のカレーを夕食にして東京駅へ向かう。それとなく期待して京浜東北線を待っていたところ、お目当ての最新の車両がやってきた。品川駅を出たあと見慣れたはずの車庫の風景もどことなく違って見える。東京駅に到着しサンライズを見送って10番線に入ってくる銀河を待つことにした。
ダイヤ通り品川側から銀河が入線してきた。牽引するカマはEF65 1112号機、どことなる見覚えのある番号である。待ち構えて写真を撮る人など、もっと物好きがいるかと思ったが、まぁこんなもんだろう…といった感じである。でも、傍から見れば一種異様かもしれない。どちらかというと地味な列車ではあるのだが、普通に記念写真を撮ってる人も少なくない。どこへ行ってもブルーの車体は人気者のようだ。寝台急行銀河を利用する人は、忙しいビジネスマンのような客層の比率が高くレジャー用途向きではない。ところが、どことなく物好き風の姿も目立つ。あまり人のことは言えないが、そんな話は置いといて牽引してきた機関車が機回しされ先頭に連結されるのを見届けてから指定された寝台へと向かうことにした。
車内に入ると何とも言えない独特の雰囲気が漂っていた。既にほとんどの寝台は埋まっており、昭和を思わせる空間にいると不思議と落ち着いた気分になってくる。食堂車も車内販売も飲み物の自動販売機もないことを繰り返しアナウンスしていたが、実用第一であっても構わない列車ではある。だからといって味も素っ気もないというのともちょっと違うような気がする。入線後、発車までそれなりに時間があったのだが、気がつけばもうすぐ出発するところだった。東京駅を後にするとハイケンスのセレナーデが流れ車掌のアナウンスが淡々と進められる。帰宅するサラリーマンを尻目に日常でありながら日常でない空間に居られる自分に少し優越感を覚えた。
品川、横浜、大船とこまめに停車を繰り返す。「急行」という肩書きはほとんど死語のようになってしまったが、そんなところもこの列車の特徴のひとつである。そういえばここまで、発車時のガクンという衝撃をまったく感じなかったが、かなり熟練の運転手かもしれない。検札を受け、車内も減光されるともうあとは寝るしかないのだが、このまま寝てしまうのが惜しく思えてきた。さすがにA寝台ともなればスペースも広く、線路と並行してベッドが配置されているせいもあって、とても居心地がいい。大きな窓を独り占めして流れる車窓のいつまでも眺めていたい気分だった。
大津駅の手前で"おはようございます"放送が入る。列車は順調に走り続け、京都、新大阪と停車したあと、淀川を渡り終点大阪へとやって来た。最後の放送も淡々と事務的に行われるものの、どことなく物悲しさを感じる。大阪駅には定刻で到着、土曜日の朝ということもあり、それ程多くの人の姿はない。が、この列車にファインダーを向けるギャラリーだけは妙に目立っていた。列車を降りて、向かいのホームから全景を眺めたりしていると、少し遅れて日本海2号が前面に雪を付着させて入ってきた。皮肉にもこの列車も3月のダイヤ改正で姿を消す。青い車体のベテラン連中は寒空のもと、何を思って自分の仕事をしているのだろう。相手は機械なのに逆にこちらが妙なことを考えてしまった。
1日目
一旦、大阪駅の改札を出て、阪急梅田駅へと向かう。やはり外は寒い。背を縮めながら足早に建物の中へ入り、空腹も手伝って暖かいうどんで朝ごはんにする。折り返しでやってきた京都方面へ向かう特急列車に乗り込むとやがて出発となり、柔らかな日差しが眠気を誘う。新幹線と並走する区間をぼんやりしながら過ごし、寝過ごさないようにあらためて気合を入れなおして桂駅で電車を降りる。するとどうだろう、日差しはまったくなく雪がちらちらと舞っているではないか。大阪よりも一段と冷え込んでおり、一気に目が覚めたようだった。嵐山線へ乗り換え、2、3駅して終点へ到着しても雪はまだ舞っていた。この路線で嵐山へやってくるのは確か二度目のことであり、そのときもわりと朝早かったように記憶している。傘を必要とするわけでもないので、冬の趣を楽しむことにでもしよう。
渡月橋を渡り、しばらくあたりを散策する。この時間でも天竜寺見物をする団体さんもいるんだなぁ、などと遠くから眺めていると早速シャッターお願いします攻撃に遭う。庭園見物をするか迷ったが寒々としていたのでとりあえずパスして、もう少し先へ行ってみることにした。特に目的もなくさまよってしまったが、すぐ近くに嵯峨野の竹林があることを思い出し行ってみることにした。ここも何となく見ておきたい場所のひとつであったが、朝ということもあり人の数もまばらでなかなかいい雰囲気だった。観光客相手の人力車もこれから始動といったところだろうか、何台かやって来た先頭のお兄さんから「おはようございます」と声を掛けられる。なんだかとてもすがすがしい気分だった。
今回のもうひとつの目的でもある場所へ向かうために、ここから嵐電を利用して移動する。時間があったので手前の太秦駅で降りてみて町中を歩いてみることにした。太秦といえば映画村で有名だが、高い入場料といまの自分の好奇心を天秤に掛けるとおのずと答えは決まる。というわけで、正面の門構えだけ見て引き返すことにした。交通量の多い道までもどり、さらに歩いていくことにするとやがて嵐電が道路を行く場所へと出てくる。すれ違い様に何本か見送っていると、工事現場で整理に当たってたおっちゃんの目の前で軽トラとバイクが接触する場面に遭遇してしまった。幸い大したことはなさそうだが、棒を振ってたおっちゃんがとろかったせいか、バイクの兄ちゃんが少しむっとした表情だった。バイクは傷ついてしまっているようだったが、体に怪我はなかったのだろうか?
今日の目的地である天神川へとやってきた。ほんの数日前のことだが、京都の地下鉄が2駅ほど伸張されたので乗りつぶしタイトル防衛を果たさなければならない。ついでにいうとことしは新線開業の当たり年らしく、少し頑張らなければならないようでもある。地下鉄の駅に接続する形で嵐電の駅も工事が進められており、地上の近くのビルや道路工事も急ピッチに進められている様子だった。早速、地下鉄の駅の入り口へ向かう。太秦天神川と記された真新しい建物はいかにも新線開業という雰囲気だった。さらに西に延びる計画もあるらしいのだが、とりあえずこれで東西線の工事はひと段落であり、京阪大津線とも乗り入れ範囲が広がったようである。折角なので記念のスルッとKANSAIカードを購入し駅へ入場する。日曜のこの時間だからかもしれないが、利用するは人少なくとてもまばらだった。それでも、次の駅では意外と人の数は増え、JRとの接続駅である二条駅では降りる人よりの乗ってくる人の方が多いようだった。わすか二区間だったがこれで今回のミッションは完了である。あっけなく目的を果たしてしまったが、もう一駅だけ足を伸ばし次の二条城前駅で降りて観光でもしておこうと思う。
地下鉄の駅から地上へ出てくると、いきなり二条城の大きな城壁が目の前に飛び込んできた。毎度ながら、確かにここも修学旅行で来てるはずだが、ほとんど記憶がない。覚えていることといえば、面白がって鴬張りの廊下でキャッキャ言いながら通り過ぎたことくらいだった。そんなわけでしばし歴史の勉強を決め込む。さすがに有名な場所ともあって、外人さんの姿も多く、絶え間なく人が入っていくようだった。二の丸御殿には中にも入ることができるので、しばし中の様子を見学する。写真撮影はできなかったが、簡単な説明を頼りに広い建物のキョロキョロしながら見物することになった。二条城は江戸末期の趣を今に残していることで有名だが、同時に明治の世へと移り行く重要な時代を過ごしてきた場所でもある。やはりこの歳になってみないと歴史の面白さは感じられないのだなぁとつくづく思った。
昔の朱雀大路は都の中心の目抜き通りだったはずだが、現在の地図からは読み取ることができないと聞いたことがある。もしかしたらこの辺かな?などと思いを馳せながら、住宅街を歩いて南下していく。どれほど歩いたろうか、四条大宮を越えて昼食をとるために通り沿いの小さな定食屋へ入ってみることにした。タクシーも止まっていたので、大外れすることはないだろう。何気ない日替わりメニューだったが、お腹も気持ちも十分にホッとできるものだった。気をとりなおして…というほど大げさなものではないが、南の方角へ向かって再び歩き出す。
梅小路公園まで出てきたところで街頭案内など見ながら梅小路蒸気機関車館の位置を確かめる。少し歩いてから山陰線の高架をくぐると旧二条駅の駅舎だった入り口の建物はすぐに見つかった。なるほど、これだけ立派な建物なら保存する価値はあるなと思いながら、早速中に入ってみることにした。展示物などはあとでまた見学するとして、とりあえずターンテーブルの方に向かいここの保存されている蒸気機関車たちをみておくことにした。梅小路の機関区といえば、物心ついたガキの頃からある種憧れのようなものを抱いていたが、こうして間近にするとやはり壮観である。これまでは列車の中からチラッとしか見ることができなかったが、う~ん、これはかなりの感動ものだ。昨年来、なぜかSLを追いかけることが多かったが、ひとつの区切りとして今日来れたことを少し嬉しく思えた。
ここ梅小路蒸気機関車館では数多くのSLが保存されており、その中でも状態がいいものは動態保存されている。また、主に西日本で活躍しているSLたちの"寝床"としての役目も果たす現役の機関区でもある。去年SLやまぐちで見かけたポニーも整備されているような様子だった。更にここの特徴として、1日に何回か動態保存されている機関車に火が入れられSLスチーム号と銘打って敷地内の路線を往復する"デモンストレーション"があり、整理券を買うと連結された客車に乗って実際に体験乗車することができる。今日はC62-2号機がSLスチーム号の担当である。かつて東海道線-山陽線を行く優等列車を引いていたエース的存在であり、独特の風格をいまでも漂わせていた。その大きさもさることながら、誇らしげに貼られた「つばめマーク」は素人目にも格の違いが感じとれる。ものは試し、早速SLスチーム号の整理券を買い求めることにする。
寒い中も休日とあって客足はいいようである。SLスチーム号は定時の便でも2往復しており、さらに臨時便も出して多くの人に乗車してもらおうとフル稼働の様相だった。敷地内に設置された線路は700メートルほどで、山陰線の高架をくぐって10分ほどで往復してくる。時折汽笛を鳴らしたり、蒸気を発したりとギャラリーの目の前でその雄姿を見せていた。おかげで時間が経つのも忘れてすっかり楽しませてもらったようである。
今日はたっぷり時間があるので、展示されてるSLの見物にも十分時間を割くことができた。かつてどんな活躍をしてきたのか、それぞれにSLに詳しい説明が付き、運転台にも上ることができる。多くの機関車たちに触れてみると、それぞれの時代を駆け抜けてきた生き証人というか、非常に価値のあるものだと思った。これはもう単なる黒い鉄の塊ではない。展示されていたナンバープレートが光り輝いていたのがとても印象的だった。
日も傾き今日のSLスチーム号の運転はすべて終了した。C62-2号機は最後に手入れがされて眠りにつくことになる。トロッコ車両から切り離された機関車は慎重に転車台の上に載せられる。意外と速度が速いなと感じながら、ファンサービスと言わんばかりにグルグルと何回かまわされていた。石炭と水の補充のために一旦引き上げて、多くのギャラリーの前で作業が行われる。距離が近いので熱気がモロに伝わってくる。機関車の下に掃きだされた石炭の燃えカスは未だ赤々と燃えていた。最後にフォークリフトで石炭が補充されたあと、すべての整備が終わり再びターンテーブルへ向かう。またもグルグルとまわされたあと、最後に落ち着くべき寝床へ移動して、これで本当に今日のお仕事は終わりとなった。ここに何時間いただろうか、う~ん、何ともいえない充足感を感じていた。(後日談:梅小路蒸気機関車館は京都鉄道博物館としてリニューアルしました。後日訪問したときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
2日目
昨晩はおいしいものをいただき、大きなお風呂に入ってゆっくりとした時間を過ごすことができた。昨日、おとといでほぼ目的は果たせたので今日は適当にまわって帰ることにする。朝食を済ませ、京都駅へ向かい奈良線の快速電車に乗り込む。ついこの間まで東海道線で走ってた車両は快適な走りをみせる。どことなく見覚えのある風景が過ぎていき、15分ほどして宇治へ到着した。今日は10円玉の模様にもなっている平等院を訪れてみようと思う。
宇治駅を降りて宇治川へ向かってしばらく戻る感じで歩いていく。まだ商店は開き切ってないようで人の姿はまばらだった。平等院へ向かう参道に入ると、こちらはお茶さんなどの土産屋は開いていて、ぱらぱらと観光客の姿があった。ここ平等院は京都の南、宇治市にある藤原氏ゆかりのもので、もとは別荘だったのが極楽浄土をあらわす寺院として創建され今に伝わっている。気温は低いが気持ちのいい朝の空気に包まれ、早速その極楽浄土とやらを見物に行くことにする。
平等院は建物そのものが鳳凰の姿を現してるとも言われているが、庭園や周囲の池を含めてここら一体がひとつの世界観をかもし出している。去年の秋に大改修が終わり立派な姿を拝めるチャンスをうかがっていたこともあり、今回このタイミングで訪問してみることにしていた。入り口からはいるとすぐに建物の姿が目に飛び込んでくる。何とも例えようのない雰囲気に、思わずわぁっと声を上げたくなるくらい、その美しさは見惚れてしまった。早速正面に向かい、記念撮影を…と思うと背後にマンションの姿が。。これが、いま話題になってる景観問題なんだなとあらためて実感することになった。現代の日本人ってこんなにもデリカシーが欠けてしまったのだろうか、少々がっかりだった。
ゆっくり歩きながら周囲を一周し、博物館などもみてまわる。国宝級の美術品に思わず目を奪われ、時間が経つのも忘れてしまった。裏手をまわってきてきたところで鳳凰堂中堂に入るための入場券を購入し再び正面にまわって、指定された入場時間を待つことにした。やがて自分の番がやってきて、渡り廊下を渡って中堂に近づく。案内役の方に導かれ、正面から中に入ると阿弥陀如来像の姿を拝むことができる。そのお姿は見る者の心をとらえ、これから天に導かれるという気持ちが分かるような気がしてきた。一通りを説明を受け、最後に礼拝を済ませて鳳凰堂を後にすることにした。いやぁ、何かとても満たされた気分になった。
宇治川のほとりまででて、橋をつたって対岸へ渡る。宇治神社の前を通り過ぎて、今度は京阪の宇治駅へとやってきた。こうして朝からのんびり過ごす休日も悪くないなぁ~などと考えながら、とりあえず帰路に着くことにした。ちょっと昔の自分だったらあまり考えられなかったが、今日も空路東京へもどることにしている。宇治駅から京阪電車を乗り継いで大阪方面へ向かう。伊丹へはモノレールで向かおうとしていたが、心変わりして京橋まで足を延ばすことにした。今年の秋には中之島線が開通するので近々また来なければならないな…などと相変わらず妙な義務感に苛まれる。正午をまわったあたり、日曜お昼どきの駅前は多くの人でにぎわっていた。
京橋でJRに乗り換え東西線を経由して伊丹へ向かうことにした。尼崎を出て東海道線に別れを告げ大きくカーブを切ると、そうあの事故があった現場を通り過ぎることになる。例のマンションには今でも痛々しい傷跡が残っていた。スピードは落としていたとはいえ一瞬にして通り過ぎてしまったが、それだけははっきりと分かった。ありきたりな感想になってしまうが、もう二度とあのような事故は起こして欲しくないと心底思った。
JR伊丹駅で降りて少し時間があったので、阪急伊丹駅まで歩いてみることにした。しばらくぶりにやってきた駅の風景を確かめたあと、歩き出してみたはいいものの思ったより距離があった。とりあえず、沿道の様子などみながら町歩きを楽しむことにした。阪急の駅まで出てくるとバスが発着するところが意外と多く、空港まで行くバスがどこからでるのかよく分からない。バス停の案内をみてもいまひとつ分かりづらく、少し迷っていたところ空港行きの行き先を表示したバスがやってきたので思わず走って追いかけてしまった。