■旅日誌
[2007/8] 貴婦人を訪ねて
(記:2007/9/2 改:2021/7/18)
(記:2007/9/2 改:2021/7/18)
前週の隠岐の島は思いのほか充実したものになりましたが、期間的な物足りない感も手伝って、もう一度遠出することにしました。運よくSLやまぐちの指定が取れてしまったこともあって、今回は山口方面へ向かいます。あまり多くは見てまわれませんでしたが、一泊はさんでのトンボ返りでした。
※下線部をクリックすると写真が表示されます
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1日目
ちょっとした勢いで前日徹夜してしまい、今日はそのまま出発することになってしまった。とはいえ、半ば予想はしていたのでなぜか最低限の身の回りの準備だけは済ませてあった。そんなことで用意周到というのもちょっと考えものだが。。結果的には、自宅から始発に乗るよりも少し余裕ができたので、それはそれでよしと考える。ともかく、2、3駅先まで、朝の散歩をしたあと、とある駅で私鉄の始発電車に乗り込む。こんな時間だというのに降りる頃には普段と変わらないくらい混んでいた。ここの乗り換え駅は都区内の境界になるので、手持ちの切符でそのまま入場ができる。品川駅へ到着したのは5時半、ちょうど東海道新幹線の入り口が開放されるところだった。7月のダイヤ改正でN700系の営業運転が始まり、初物見たさも手伝い乗ってみるタイミングをみはからっていたが、何の因果か今日それを実行することになった。N700系は試運転を行ってるところを何度か目撃していたが、とりあえず実施に乗ってみようと思う。
新幹線の始発といえば6時ちょうどに東京駅を出発…と長い間当たり前のように考えていたが、今度のダイヤ改正でそのイメージが少し崩れた。先般のダイヤ改正で、その6時発の前を行く形で6時に品川を出発する先行便=のぞみ99号が設定され、N700系のお披露目を兼ねた出発式もここ品川でとり行われた。せっかくなので今日はそののぞみ99号を利用してみる。特に指定は取ってないが、この時間に並べばまぁ何とかなるだろう。
5時50分をまわりのぞみ99号がするりするりと入線したきた。乗り込んでみるとかすかに新車の匂いがする。そういえば、全席禁煙というのもありがたい。窓側の座席は全て埋まり、通路側の席も程よく埋まっている。後続ののぞみ1号の込み具合がどれ程か分からないが、自由席をみる限り、こちらは結構な乗車率である。定刻に品川を出発し、滑らかな走りであっという間に新横浜へ到着する。自由席は3人掛けの真ん中がいくつか空いてるくらいで、全般的に埋まっていた。特に東海道区間の走りが改善されたというが、確かに浜松駅のカーブを通過するときなど、速度を緩めずにこなしている気がする。N700系はキャッチコピーにもあるように"技術"をウリにしているが、東海道区間の最高時速270キロと制限のかかった255キロの間を行き来する回数が格段に減ったため、余計な消費電力が減ったという"副産物"は設計者もあとになって気付かされたという。机上のハード設計だけでは見えてこないものもあるという意味では、面白い逸話だと思う。
残念ながら今回は富士山の姿は拝めなかったが、名古屋に差し掛かるあたりからぱぁっと晴れ渡り、西に進めば進むほど、天気がよくなっていた。このまま博多へ出てしまうと行き過ぎてしまうので、途中どこかに寄ってみることにしている。とりあえず岡山で降りて、そこで待ち構えていたこだまに乗り換える。すぐ後を追ってくるのぞみ1号を待ってからの出発なので、わざわざ先行便に乗った意味がまったくなくなってしまうが、いつものようにそんな細かいことは考えないようにする。長いホームの中程に止まった4両編成というのも少し寂しいが、中に入ると2+2の4列シートはとてもゆったりして余裕を感じる。どうやら元グリーン車の座席のようだ。のぞみやひかりを何本か先にやって、今日は新尾道で途中下車することにした。
新尾道駅はいわゆる地元請願駅で、両どなりの駅との距離も短く、どこまで需要が見込まれたのか他人事ながら心配したくもなる。いま乗ってきたこだまも本当にこれだけしか乗ってなくていいの?と思えるくらい閑古鳥状態で、それでも十人くらいは降りただろうか。ちょうどトンネルが途切れたところに駅があり、駅名こそ尾道を名乗ってるものの、尾道の市街地からはかなり距離がある。来る前から移動手段は考えておかないといけないと分かっていたが、少しボヤボヤしていたら、尾道駅行きのバスが目の前を通り過ぎていってしまった。次のバスがすぐにやって来る気配がまったくしないので、やむなく歩いて南下していくことにした。
歩き出したはいいが強い日差しが容赦なく照りつけ、今日も尋常とは思えぬほど気温が上がっている。狭い道の両側には日陰もなく、もう後悔してもはじまらない状況にあった。後で知ったが、今日の東京地方は久しぶりの"涼しい日"だったようで、またも自分がこの陽気を連れてきてしまったのではないかと本気で考える。どれくらい歩いただろうか、手元に用意しておいた簡単な地図によると、もうそろそろ尾道らしい町並みになってもいい頃だ。ちょこっと脇に入ると、確かにそれっぽい風景がみられる。昔懐かしい映画でも使われた小学校の前に行ってみたりすると、確かにどこかでみたような光景に出会うことになった。続いて大山寺と御袖天満宮までやって来て、ひとしきり休憩しながらお参りを済ませ、階段を見下ろすと見覚えのある景色がそこにあった。
そうこうしながらようやく長江までやってきた。そのままロープウェイの乗り場に向かうものの、噴出す汗はしばらく収まりそうにない。蒸し暑いゴンドラの中で水分を補給しながらしばし出発を待つ。夏休みのピーク期ということもあって、満員になったらすぐに出発となる。上昇するにつれ箱庭のような様子がよく分かり、尾道水道の青がまたとても印象的である。千光寺の姿を上から見ながら、5分ほどすると千光寺公園の到着する。早速展望台に立ってみると尾道の町の様子が見渡せ、ここもまた素晴らしい景色である。尾道水道やその先の尾道大橋まで、まるで絵に描いたような眺めにしばし見入ってしまった。それこそ、この直射日光と暑ささえなければ、一日中いてもよかったが、肌はジリジリとしてくるし、目もクラクラしてきたのでここから退散することにした。
文学のこみちとかかれた看板を頼りに、千光寺を通りながら町の方へ下りていくことにした。ロープウェイで往復することにすればよかったか、多少後悔しながらもお寺の中を抜け、景色を楽しみながら狭い路地を進むことにした。このままお天道様の下にいるとそれこそ熱中症にもなりかねないので、ここらでお昼にすることを考える。定番中の定番、尾道ラーメンの有名店に行ってみたが、予想通り長蛇の行列ができている。こうなればもう勢いで並ぶしかない。
目的のひとつでもあったラーメンを平らげたあと、映画資料館と歴史資料館に立寄ることにした。正直なところ見学というより、涼しいところで休憩といった方が正しいかもしれない。続いて西国寺へ向かう。尾道の町を東西に貫くようにして国道2号と山陽線の線路が並行しており、この近くを列車で通り過ぎると、車窓を眺めてるだけで否が応にも町の雰囲気が伝わってくる。この場所は何回か通ったことがあるが、そんなわけで一度は町歩きをしたいと思ってたところだった。今日は逆に、沿線から列車を眺めているのだが、町並みをバックに通り過ぎる姿もなかなか絵になると思った。国道の信号を渡り山陽線の下を抜け、しばらく歩いていく。西国寺までは少し距離があるようだ。相変わらず日差しは強く、行き交う人の姿もあまり見かけない。セミの声だけが響き渡り、実に日本の夏を思わせる光景だった。
大きなわらぞうりの仁王門を抜け、西国寺、金剛院とまわったあと、最後に浄土寺へ足を延ばすことにした。尾道は歴史のある神社やお寺が多く、それらをみてまわるだけで心和むものである。線路伝いにゆっくりと歩いて来たあと、境内でひと息つく。最後に海の近くまで行ってみることにしよう。尾道水道を挟んだ向こう側は因島で、大きな造船工場が点在している。尾道と因島の間は渡し舟が行き来しており、生活の足として根付いている。その様子を見てから駅まで戻ろうと考えていたら、循環バスが目の前を通り過ぎて行ってしまった。ちょうど東の外れまで来たので帰りはバスに乗るつもりだったが、朝から同じことを繰り返している。まぁいい、時間はあるので歩いていくことにするか。
さらに炎天下のもとを歩くことになってしまったが、しばらくするとアーケード街になるので、少しは暑さが凌げる。あらためて飲み物を買い求め、ほとんど一気飲みに近い勢いで水分を補給する。尾道駅からは、普通列車に乗って三原へ出て、再び新幹線を利用する。今日の最終目的地は新山口、午前中と同じように短い編成のこだまに乗って、汗が引くのを待つ。ふと首のまわりを手で触れると、小さな白い結晶でザラザラしていた。それにしても、今日も強烈な暑さだったな、、、ひと風呂浴びて早くさっぱりしよう。
2日目
前にも書いたかもしれないが、新山口という呼び方にはどうも馴染めない。そう感じるのは年を喰った証拠だろうか?今回、運よくSLやまぐちの指定が取れたこともあって、今日はそれに乗ってみることが目的である。昭和の歴史を語る上でSLが果たした役割は今更ここでいうまでもないが、時代は移り変わり第一線から退いていったいったのも、もうはるか昔のことのように思われる。ところが、その昔を懐かしむかのように各地でSLの復活話が持ち上がり、今日ではイベントの目玉として扱われることも珍しくない。旧国鉄でも大々的にSLの復活話が計画されたとき、数多くの候補地から選ばれたのがここ山口線である。復活に際しては「貴婦人」の愛称で知られるC57形式の1号機が抜擢され、列車にはSLやまぐちという愛称が付けらた。その後何度か、存続も危ぶまれる危機が訪れたというが、多くの人の手によって乗り越え、いまもなおC571は元気に走り続けている。
堅苦しい話はそれくらいにして、ここ山口線では、冬季を除いて週末を中心に1往復、快速SLやまぐち号が運転されており、今でも絶大な人気を保っている。JR西日本の看板列車としてその存在感は大きく、そんな"貴婦人"も今年は復活20年ということで、新山口駅ではパネルの展示がされていた。前もって発表された運行スケジュールによると、夏休み期間中、8月の前半はほぼ毎日、C571はC56-160と重連を組んで運転され、一等展望車(マイテ)が増結される。当初、ダメもとで事前予約を試みたが結果はやっぱりNG、その後も何回か場所を変えて照会をかけてみたものの、空きが出ることはなかった。人気が高いことには違いはないが、もしかしたら旅行会社などが大きく押さえてしまい、個人単発ではヒットしないのではないかと邪推していた。そんなこんなで諦めかけてたある日、出先からの帰宅途中に少し遠回りして通りかかった乗換え駅で、窓口が午後10まで開いていることに気付き、閉まる直前の5分前に飛び込んでしばらく待ったあとマルスを叩いてもらったところ、あっさり予約が取れてしまった。午後8時には閉る駅が多いなか、この駅の窓口は午後10まで開いており、どうしてだか自分でも分からないけどたまたまこの日、変なルートで帰りたくなったお陰でチケットを入手することができてしまった。相変わらず我ながら妙な気分である。偶然キャンセルがかかったのか、タイミングよく予約が開放されたのか、実際のところ理由はよく分からないが、午後10時10分というある意味特殊な時間だったのも功を奏したかもしれない。いずれにせよ、いつもの運のよさを発揮する結果となった。(余談:もしチケットが取れなくても出掛けるつもりでいましたが、不思議といつかは取れるだろう…という気持ちでいました。)
前置きが長くなってしまったが、SLやまぐちの出発時刻は10時を少しまわったところなので、今日は少し遅い旅の朝となった。早速新山口駅へ向かうと残念なお知らせが。。専用のレトロ調客車の電源が不調で代替車両を連結しなければならないためマイテの連結が中止になったらしい。前にも似たような経験があるが、チケット手に入れるところで運を使い果たしたようだ。こうなってしまったからには、もうどうしようもないので、そこは諦める。ホームに出て遠くから入替え作業を見守りしばらくすると、まず最初にC56による推進運転で客車が入線してきた。入替えの際に発せられる汽笛の音が構内に響き渡り、なかなかいい雰囲気だ。ちなみに、C56・160機はC57の補機として使わているのだが、SL琵琶湖号として琵琶湖路を行くときは先頭にたって引っ張っている。続いて、今日の主役であるC571が入ってきた。連結作業を行ってる最中からホームは記念撮影会の会場となっていた。やはりこうしてみるととても華がある。
新山口の1番ホームはSLやまぐち号にあわせてレトロ調にアレンジされていた。駅票も「おごほり」と記されている。客車はリニューアルされており、車両ごとに内装は大きく違い変化を持たせてある。これでマイテが連結されていれば文句はなかったのだが。2台のSLは順番に警笛を高らかに響かせ、満員の乗客を乗せたSLやまぐちは"小郡駅"を出発した。駅を出るとすぐに留置線の脇を通るのだが、くしくも連結されるはずだったマイテが出番を全うできずに佇んでいた。
夏休み期間中だったこともあり、車内は家族連れが多くとても賑やかだった。SLは乗ってるよりも外から眺めた方がいいとも言われるが、のんびりとした速度で流れる車窓を眺めてるのも悪くはない。今日は重連運転の最終日ということもあり、沿線には多くのその筋の方がカメラを構えていた。アクシデントでマイテが連結されてなくてがっかりしたかもしれないが、撮影ポイントでは多くの人が群れをなしていた。町中を抜けると、あたりは田んぼが多くなり緑の稲穂が映えるようになる。やがて人里寂しくなり、さらに進むと山間へと差し掛かる。気がつけば上り勾配を進んでいるようで、みるみる速度が落ちていくのが分かった。それでもSLは前々へと進んでいく。
途中行き違いや、時間調整のために長時間停車することもあり、そのたびごとに撮影会となる。この暑さでは機関士さんたちも相当な苦労だろう。それでも嫌な顔ひとつせずに丁寧にお客さんの相手をしている。ちらっと見えた石炭を放り込む役の人の表情は、かなりの重労働だということを物語っていた。あらためてこの黒い鉄の塊に近づいてみると体温をもった生き物のようで、それを操る面々からも一体感のようなものを感じる。乗車記念にピンバッジをいただき、記念にオレンジカードも購入する。やはり汽車旅には駅弁は欠かせないということで、SL弁当というのを買ってみた。地のものを中心につくられた幕の内風お弁当はなかなか上品にできていて、集客があるからといって手を抜いてあるようなことは全く感じられない。そうこうしてるだけで津和野までの2時間はあっという間に過ぎてしまった。
帰りもSLやまぐちを利用できればよかったのだが、そのあとのこともあるので適当な時間に折り返さなければならない。津和野では折り返しのための作業が行われるので、時間が許す限りその様子をみておくことにした。客車を引っ張ってホーム入替え作業を終え、しばらく待った後、留置線の端にある転車台へSLが回送されてきた。ここまで手を携えてやってきた2台のSLは一旦重連が解き放たれ、順番に方向転換と簡単な整備が行われる。多くの人がこの作業を見守っていたが、隣の人がこんな会話をしていた。「午前中は楽だったのに、この時間になって日も差してきて、とたんに暑くなってきましたね。」どうも、ここにも晴れを連れて来てしまったようである。
津和野は方々を山に囲まれた町であり、山陰の小京都と呼ばれることもある。まずC56から作業を行うようだ。先程の車掌も転車機の操作に加わる。時折合図代わりに鳴らされる汽笛の音が山々にこだまし、とてもいい雰囲気である。小ぶりなC56が転換台に載せられ、大人しく扱われてる姿が何ともかわいらしい。水と石炭を補給しながら、散らかった石炭のカスなどが掃われるところも、どうも人間臭さに近いものを感じる。再び転換台に戻されC56が戻って行った後、続いてC57の番となる。先程に比べると身の丈も全く違い貫禄すら感じる。サイズがギリギリなこともあり、足回りを気にしながら慎重に慎重に転車台に載せられる。入念にチェックしたあと、転車台で方向をかえ、同じように水と石炭の補給が行われた。未だしばらくC57の整備には時間がかかりそうだったが、時間が押してきていたのでこの場をあとにすることにした。
津和野の町歩きも悪くはないと思ったが、結果的にはSLの転回作業を見守ってるだけで時間が過ぎてしまった。急いで津和野駅へ戻り、帰りの切符を購入する。普段は2両しかない特急も、今日は4両に増結されており、お陰で席に座ることができた。今日も汗まみれになってしまったが、火照った体をクールダウンする。行きは時間をかけてやってきた感じがしたが、あっという間に山口へ到着、とりあえずここで一旦降りることにした。今まで通過したことはあったが一度も降りたことはなく、別に用があるというわけでもないが、何となく気になったので寄ってみることにした。
県庁所在地でありながら新幹線の経路からも外れてしまい駅も随分と街外れにあるため、失礼ながら相当な田舎の駅にしか見えない。次の列車を待つ間に、街の中心近くまで行ってみることにした。何百メートルか歩いてアーケード街にぶつかったが、それほど大きな街でもなさそうだ。暑い中また歩いてしまったので、水分を補給することにしよう。きょろきょろしながら駅まで戻り、次の普通列車を待つ。新山口からやって来た列車は益田方面へ向かう列車に接続した後、折り返しの便となり再び新山口へ戻っていく。空いた車内で1ボックス占有し景色を眺めているのは、ローカル線の旅そのものだった。
新山口で宇部線に乗換える。東京へは山口宇部空港から、飛行機を利用して戻ることにしている。先程山口駅で降りたので、そこから直行バスでも利用すればいいのだが、今日もひとひねり入れてみる。草江駅は一応空港最寄り駅ということになっているが、とても小さな無人駅で、丁寧な案内がされてるわけでもない。事前に調べて知ってはいたが、とても空港最寄り駅だなんていえるものではなかった。まぁ、それだけに興味を覚えたのだが。それでも降りてみると、すぐ裏手にある国道を挟んだ向こうには山口宇部空港の立派な建物が見えており、確かに迷いようはない。実はこの空港に来たのは今日が初めてではない。なので全国空港めぐりが目的ではないのだが、白状すると初めて飛行機に乗ったのは社会人になってからで、そのときの目的地がここ山口宇部空港だった。しかし今日の建物とは違っていて、先代はこじんまりしていた。そんなことを思い出しながら、JALの新しいB737-800で帰京の途につくことにしよう。(後日談:その後、すっかりJAL主力機種となってしまいましたが、この日は国際線の機材が就いていました。実際に海外に行ったときの旅日誌はこちらとこちらをご覧ください。)