■旅日誌
[2002/4] ひさびさの関西
(記:2002/5/9 改:2024/4/30)
(記:2002/5/9 改:2024/4/30)
例によって仕事が思いっきり忙しく、おまけにゴールデンウィーク直前の3、4日前に体調を崩して寝込んでしまったが、GWが終わってしまえばもっと忙しくなることが分かっていたのでちょっと無理して関西行きを強行しました。よく旅行に出ると体調が悪いことを忘れるといいますが(自分だけ?)やっぱり精神的なところが大きいはず?!というか、気分転換は大事だから…と単に遠出の言い訳を探してただけかもしれません。ところで、今回のテーマ(?)はなぜか「和歌山」です。これまでに大阪方面を目指してもなかなか和歌山までいくこともなく、それに廃止がささやかれてる噂もちらほらありましたのでとりあえず行ってみよう、というわけでした。
※下線部をクリックすると写真が表示されます
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1日目
前振りの通り体調は絶不調であった。が、最悪の状態は脱しているようだったのでとりあえず出発することにした。熱は下がってたし、寝込んだあと会社には行けてたので「まぁ、まっすぐ歩ければ大丈夫だろう?!」とそんな感じだった。寝込む前に宿ものぞみの指定も取ってあり、大体の行程はめぼしをつけておいてあった。まずは朝一ののぞみに新横浜から乗り込む。思えば始発の新幹線に乗るなんて仕事でも経験のないことだった。直前にみどりの窓口をのぞいてみたところ満席ではなかったようだが、座席は結構埋まっていた。早速朝食をとることにするが、こうやって新幹線で食事をするのも久しぶりかな?などとちょっとわくわくし始めている自分がいた。病み上がりだというのに我ながらげんきんな奴だと思う。のぞみは快調に西へ進む。だが、小田原、熱海を過ぎたあたりから斜め前で気になっていた一団がますます騒がしくなってきた。何かと車内販売を呼び止め、あれはないか、これはないか、といちゃもんをつけている。いかにもというおっさん1人と、これまたいかにもという派手目な女性2人は、こんなに早朝だというのにどうみてもシラフな感じではない。今度はお土産に買ってあったのか、このシュウマイを暖めろ!と注文をつけている。お皿も醤油もありませんけどレンジで暖めるだけなら…と販売員の方も精一杯気を遣っているのがありありと分かる。それでも、相変わらずああだ、こうだ、と文句をつけている。結局暖めてもらったようだが、出来上がったものに対してもまだごちゃごちゃと大声でもめている。旅の恥は掻き捨てというが、大の大人がこんなことをしてるようじゃ子供も叱れない。名古屋まで一眠りしようと決め込んでいたのだが、気にし出したらそれどころではなくなってしまった。天気もよく富士山の姿も拝めたのにこれじゃぁ旅の気分もあったもんじゃない。
500系のボディは飛行機のように筒状で、思いのほか小さなものだなと降りるときにあらためて感じた。ちょうど降りがけに車内販売のアルバイト同士の会話が聞こえてきたが、例の"シュウマイの一団"の話をしている。サービス業とはいえまったくいい迷惑だろうに。いうまでもなくノンストップでの名古屋はあっという間だ。思えばまだ8時ちょい過ぎで、これから紀勢本線に乗り継ぐ。東海の特急には"ワイドビュー"の冠がつけれたものが多いが、今度乗る南紀もひだのお下がりで"ワイドビュー"が頭についている。GWらしく自由席に並ぶ先客にも賑やかな集団が混じっている。自由席待ちの並び具合から、座席に座れないほどの混み様ではないことはなんとなく分かったが、先程ののぞみのこともあり品のない一団さんがいたらできるだけ距離をおきたい。少々神経過敏になってたかもしれない。ところで、前に紀勢本線を乗り通したのは本当に随分昔のことであり、おまけに半分は夜中だったのであまり記憶に残っていない。そんなわけで車窓の風景には見覚えのあるものはほとんどない。一般的な話で面白くないが、名古屋近辺は明らかに近鉄さんが優勢であり、しばらく先へ行こうとすると電化されてないところに出てしまう。おまけに単線区間ばかりで上下入替えが必要となる。この列車も途中満員の普通列車を追いやりながら先へ進む。伊勢鉄道でショートカットする途中、鈴鹿サーキットが脇に見えたかどうか記憶が定かでなく、なぜか気に掛かっていたのだがそこにあることが分かった。しばらくすると山間でありながら緩やかな区間に差し掛かる。トンネルと高架で突き抜ける某公団が手掛けた区間だということがそれとなく分かる。山あり海ありの車窓は確かに"ワイドビュー"であったが、時間も経ち慣れてしまえばそんなものかと思ってしまう。
新宮で次の列車へ乗り継ぎとなるが、しばらく時間があるので駅の近辺を歩きまわる。何も目立ったものはなく、駅に戻り何か食べておくことにした。柿の葉寿司がここでも名物らしくそれを試してみるが、病み上がりのせいか美味しいのかそうでないのかいまいち味覚がはっきりしない。次のオーシャンアローはリゾート気分にさせるネーミングであるが、過度な期待はせずに乗り込む。GWだというのに客の姿はまばらで寂しい。快適な車内からゆったりとした気分で車窓に目をやると、悠然と広がる太平洋は実に青々としていた。紀伊半島の南端は初夏を思わせるこの上ない天気だった。波打ち際に差し掛かる区間では、遠い昔もうすぐ夜が明ける白々した時間帯にこのあたりを通ったときのことを思い出した。(後日談:その後、オーシャンアローに乗る機会がありましたが、旅日誌はこちらをご覧ください。また、新宮から南紀に乗る機会がありましたが、そのときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
停車駅でそれなりに客を拾いながらも、自分は和歌山でこの列車を後にした。まずは南海貴志川線を往復する。相変わらず歴史的な詳しい説明など自分ではしないが(笑)、今ではなぜか孤立した形になっている1路線を乗りつぶしておく。(後日談:廃止寸前まで話が進みましたが、地元の努力と救済会社が現れたおかげで、どうにか廃止は免れたようです。和歌山電鉄になってから再び訪問したときの旅日誌はこちらをご覧ください。)この後和歌山市に向かう予定だが、折角和歌山にきたのだから…ということで下調べしておいたラーメン屋を探す。さほど迷わずお店を見つけることができたが、予想通り行列である。ざっとみたところ20~30分はかかりそうだ。こってり系の逸品を食した後、そのまま和歌山市へ向かう。ここもおかしな形の運行形態だが、未乗区間だったので無事乗りつぶしを遂げる。予約しておいた宿へ直行し、今日は無理せずこのまま体を休めることにする。ラーメンに対しては、別にこれといってこだわりはないのだが、しっかりした味付けは病み上がりの鈍感な味覚にはちょうどよかったみたいだった。
2日目
ひょんなところでスルッとKANSAIエリアの3日間乗り放題版が出ていることを知り、それでは…ということでこれまで行ったことのないところを攻めに行くことに決めていた。なので必然的に盲腸線のようなところや、ついでの用事すらないような所ばかりに目が向いていた。とはいえ、ものには限度というものあるので「どこに行くか」と同時に「どこはやめておくか」も念頭におきながらルートを模索していた。大抵の場合は核となるなるクリティカルパスのようなものを想定し、あとはそれに付随して肉付けするような感じでルート設定をするのだが、極端に本数の少ないところというのもなく、でも乗り継ぎがうまくいかないと何十分も待たされると計算が狂う恐れもあったので、スケジュール作りは意外と難しかった。まぁ、あまり悩んでも仕方ないので結局のところざっとルート決めしてそれで駅すぱあとのようなもので大体の所要時間だけ下調べして、あとはその場で適当にということでよしとしていた。
今日も乗りつぶしを予定しており、最初に南海加太線から始めることにする。昨日の貴志川線はスルッとのエリア外なので有効3日間の前か後の余った時間でやっつけることに決めてあった。それから和歌山港方面も最後の最後に水軒往復スケジュールを組んでいたので、ここも今日はやり過ごす。何気なく乗った加太線は、民家の軒下のような場所も通るかと思えば、終点の加太はしっとりした感じのするところでとても印象深かった。本線に戻り南海の1支線を往復し、次に水間鉄道を目指す。お気づきの方もいるかもしれないが、筆者は東急沿線出身なので気になる路線つまりOB車(?)が活躍しているところにはそれとなく行ってみたくなるものだ。「どれも似たような弁当箱の姿しててつまらない」という意見は多いし確かにそう思わなくもないが、一番身近であった存在として懐かしさを感じるのは正直なところだ。ここ水間鉄道もそんな路線のひとつで、記憶の奥底にある何かをくすぐられる感じがしていた。ばっさり面構えを改造されてしまった車は何とも言葉にならないが、日々自分に与えられた仕事をこなし第二の人生を送っている姿にしばし目を奪われていた。(後日談:その後、水間鉄道に乗る機会がありました。そのときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
もう少し南海を北上し1支線立ち寄った後、汐見橋を目指す。下町の工場街のような沿線は休日のせいか昼間だというのに閑散としている。本線からの乗り換えも決してスムースとはいえず、都会の中心に近いのにローカル線の様相だ。よくよく考えれば汐見橋から地下鉄の駅にでも抜けるのが常套手段のような気もしたが、あまり頭がまわらず往復してしまった。とりあえず方角をかえて引続き南海のもう一方を目指すことにする。
高野方面へ向かう途中で和泉中央を往復する。大阪に見られるニュータウンの典型であろうか、泉北高速鉄道は横を高速道路に挟まれて一直線な感じで郊外を走り抜けている。東京にはこのようなつくりがあったか簡単には思い出せない。でっかいつくりの駅を確認して、もと来た道のりを舞い戻りあらためて高野方面に進路を変える。みるみる地形は変わり通勤路線は結構な勾配を登っていく。丘陵地の高台にはいくつものマンションが建ってる。下調べしておけば少しはタイミングよく来れたかもしれないが、結局何本か後続の便に乗り継ぎ通勤型の車でえっちらおっちら極楽橋まで登ってきた。折角なので高野山ケーブルを往復してみることにしたが、あまり時間がないので何もせずにトンボ帰りとなった。(後日談:その後、高野山を再訪する機会がありました。そのときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
河内長野まで戻りちょっとだけ近鉄をまわって今日は終わりにするつもりだ。南大阪線の歴史的な背景を辿っていくといろいろ面白そうなことがあるようだがいつものように詳しい話はやめておくとして、大阪の中心とは反対方向にもひとつ支線があったのでそちらを往復する。そのため今日はここで日が暮れてしまった。視界はみるみる無くってくるが、もうしばらく続けて帰り際に道明寺線に乗り換えて柏原から歩いて堅下へ抜ける。何だか変な感じだが別の近鉄に鞍替えして都会の方へ向かう。途中どうすべきか迷ったが、信貴山口まで往復する。が、ケーブルカーへの深追いは止めておいた。(後日談:あらためてこのケーブルカーへ訪問したときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
ワールドカップのために着せ替えられたグリコ人形の看板を思い出し、お登りさん状態で見に行く。やはり記念写真を撮っている人が多くいたが、自分も頼まれて他人のシャッターを切る。(余談:なぜか声をかけられる、いつものパターンですね。)ひとしきり都会の喧騒で時間を過ごしたが、ここで地下鉄を攻めておくことにした。地下鉄なので別に風景が見えなくても文句はないと都合のいいように考えてのことだったが、段々意地になってきて未乗区間を潰しにかかる。が、これがよくなかった。鶴見緑地線など、物珍しさから1、2区間だけ過去に乗ったこともあったが、こうやって端から端まで乗なおしているのだから何とも無駄なことをやってるとしか言いようがない。風景も何もないので時間の感覚も鈍くなり、結局宿に戻ってきたのは10時半をゆうにまわっていた。病み上がりにしては無茶だったかも?と少し反省しつつ今日もまたおとなしく寝ることにした。(後日談:何年か後にグリコのネオンサインを見に来る機会がありました。そのときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
3日目
2日続けておとなしく寝たせいか、ぱっと目が覚めた。というか、基本的に旅に出ると早起きである。よく聞くとそういう人が多いようだ。今日は西寄りの方角を目指す。昨日と同様、基本的にスケジュールはラフに考えてあっただけなので、前倒しができればちょっと他にも足を伸ばすし、逆にやばいと思ったら途中で打ち切ればいい。地下鉄でやや寄り道しながら未乗区間をからめて梅田まで出てきた。まずは阪急から始めるが、これから朝のラッシュ時に差し掛かる時間帯で、未だ名物(?)の3本線同時発車のダイヤではない。まずは神戸方面に向かいふたつの支線を片付ける。山の手を感じさせる学校など脇に見ながらの往復となる。普段の日なので通勤通学の人でごったがえしている。何も用事のない無関係な人間のおかげで1人分余計に混雑させて迷惑をかけて申し訳ない気もするが、逆に妙な優越感も感じる。三宮につく頃にはラッシュもピークを越え、地下鉄で六甲山を突き抜ける。地下鉄1区間なのだが、その距離は長く正確には市営地下鉄のものではない。
トンネルを突き抜けた先は立派な駅だった。ここから神鉄に乗り換えるものの、過去の記憶を紐解いても神鉄に乗った経験はない。はっきりと勾配と感じる路線が続き神戸の奥座敷の有馬に寄り三田まで出た。JRでは通りかかったことがあるが、ここ最近でJRの大阪の運行地図もすっかり変わってしまい、行先を見てもそこれがどこなのかよくわからないものばかりだ。三田にはあまり長居せずに来た道を戻りつつウッディタウン方面も往復しておく。駅名から想像はできていたが、いきなりスケールのでかいニュータウンが広がっていて少々びっくりした。よそ者なのでよく分からないが、山の中としか思えないこの地に突然街が出現して、そんなに人が住むようにも思えなかったが、開発とはそういうものなのだろうか?山間の丘陵地をかっ飛ばすのは爽快には違いないが、途中単線区間も残っており何かアンバランスだ。
勾配を逆に下ってきて再び神戸の中心近くまで戻ってきた。続いて端から順番に神戸の地下鉄を行き来する。西神線の端の方もどでかいニュータウンだった。グリーンスタジアム(余談:この球場名も妙なものになっちゃいましたよね?)もこんなところにあったのかなどと納得しながら往復し、海岸線に乗り換え西から東に移動した。途中和田岬という駅を通ったが、地上のあの駅もまだしばらくは健在らしいくちょっと不思議にも思った。三宮から今度は阪神を経由して大阪の中心方向に向かい、ここでもひとつだけ未乗の支線があったので乗りつぶすことにする。武庫川駅はまさに橋の上にあり、ここも初めて降りたことになる。のんびり走る武庫川線は無人駅ばかりでのどかさのようなものを感じる。本線に戻りさらに東へ進み今日のラフな予定としてはほぼ終わっていたが、千日前線の端っこが未乗だったのでまずここを経由する。その先も時間が許す限り、思いつきでまわり続けることにした。
なので、ここから先はおまけのような気持ちであったが、明日の朝にスケジュールしてあった部分をちょっとだけ片付けてもいいかなと思い、箕面までを往復することにした。(後日談:その後、阪急箕面線に乗る機会がありました。そのときの旅日誌はこちらをご覧ください。)2度目の阪急梅田駅はこれから夕方のラッシュを迎える時間であったが、何となく天気がよくないことに気がつく。箕面はあたりを眺めて地形を確認する程度だったが、十三を経由して千里方面へ北上する。これで阪急で残っていた区間をすべて乗りつぶすことができた。あとは昨日の続きで地下鉄にでもと思い、モノレールを経由して谷町線を端から入ることにした。モノレールは何年か前に乗ったことがあるが、そのときは阪大病院前方面は工事中だったので未乗である。今日ここでこれを片付けてもいいのだが、その先は工事中で将来的に延長することが決まっている。見送るか迷ったが、やっぱり何となくそちらに足が向いてしまった。競技場でJリーグの試合があるため増便されている。万博公園の太陽の塔も取り壊しが決まってしまったとかで、これも見納めであろうか。気がつけば雨がしとしとと降ってきてたので、なんとなく遠くから拝んでおくことにした。(後日談:その後も改修・補強が行われ国の登録有形文化財に登録されることになりました。)
雨は降り続き徐々に元気もなくなってきたが、谷町線を一気に端まで行ってしまう。宿に戻る前にもうひとつだけ、御堂筋線の南の方の何区間かは行った記憶がないので天王寺から乗り換えてまわっておくことにした。そのまま来た道を引き返してもいいのだが、地上に上がってしまったので中百舌鳥から南海で難波へ戻ることにした。が、地上は雨が降ったままで、何か失敗したような気もする。頑張りが利いて(?)これで大阪の地下鉄をほぼ制覇したことになる。明日明らかに通る箇所があったのでちょっとだけ残してあったが、"制覇"したからって何の意味も持たないのはよく分かっている。まぁ、そういうことを言い出したら身も蓋もない。
4日目
昨晩はキタの真中にある円柱形の有名かもしれないホテルに泊まったのだが別に気張ったわけでもない。特にあてもなくインターネットで探していたらGWキャンペーンとやらで5千円ちょうどという破格値がついていたので即決した。実際行ってみるとどうしたものかツインの部屋にアップグレードということになり、随分と立派なお部屋がアサインされてしまった。予想外で嬉しい出来事と言えばそうなのだが、貧乏性の性格を見透かされたようなような気もして何となく落ち着かない。(苦笑)
昨日前倒しできた分を予定から差し引き、まずは能勢電鉄を目指す。どうみても阪急の1路線としか思えないのだが、歴史のいたずらか1会社として経営されているそうだ。(歴史の話はやっぱり省略)日生エクスプレスなどといった梅田直行便も設定されており、なおさらだ。で、日生中央からの折り返しはひと区間だけであったがこの電車に乗ることになった。観光モードで妙見口から先へ行ってもよかったのだが、今回は乗りつぶしに徹することからその先の訪問はやめておくことにする。他もそうだが、ケーブルカーやロープウェイの類はほとんど無視してきたのでいつか機会があれば寄ってみたい。でもそうすると、ここへはもう1度同じルートで来るに違いないが、あまり細かいことは考えないことにしておこう。そもそも乗りつぶしなんぞそれ自体意味のないことなので「行ったことのないところに行ってみるんだ!」と単純に割り切ることにする。(後日談:その後、吉野を再訪する機会がありました。そのときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
梅田まで戻り、少々アバウトな言い方だが今日はこの先南東の方角をぐるっとまわる予定でいる。淀屋橋からは、3日目で初の京阪に乗り、途中交野線に寄ってから京都方面へ抜ける道のりを考えている。昨日1ヶ所前倒ししたので今回どうするか迷っていた宇治線にも行ってみることにした。宇治線は以前から気になっていたので、行程に加えられたのはちょっと嬉しかった。東へ進むにつれなんとなく沿線風景の雰囲気も変わり、宇治に着いたときはすっかり京都らしくなっていた。(余談:筆者の思い込みだけだと思うので、京都らしい…って何?という質問をしてはいけない。)もう少し京阪で東へ向かい、予定では丹波橋から近鉄で南下するつもりだったが、更に横道へ逸れて地下鉄をちょっとだけ乗っておくことにした。いつ頃から近鉄と直通していたのかよく分からないが、烏丸線は京都以南が未乗区間なので片を付けておきたかった。だが、北側の何区間は未乗なので路線すべてが完乗となるわけではない。3日間という日程を考えて、京都近辺は別の機会にと割り切っていた。
予想外の行程のおかげで京都で地下鉄から近鉄に乗り換え、ここから南の方へ向かうことになる。運が悪いと30分くらいロスする恐れはあったのだが、まぁメシでも食えばちょうどいいか…などと余裕こいてたところ程なく適当な列車に間に合ってしまった。ということでお昼のあてがなくなった。行き当たりばったりとはこんなもんであろう。近鉄のこの区間は何度か乗ったことがあったが、未乗の区間ははるか先である。ようやく天理往復を果たし、橿原神宮で吉野方面へ乗り換えとなる。軽く食料調達をするが、ここで大体予定と考えていた時刻に近くなっていたことに気がつく。昨日の前倒しと今日の寄り道で差し引きゼロといったところか。橿原神宮から先の吉野まではスルッと…の範囲外なので乗り越し料金が必要となるが、こんな機会でもなければ乗りに来ることはまずなかろうと思い往復することに決めてあった。片道だけでも特急を利用してもよかったが、あまり時間的にどうなるわけでもなくそのまま素直にもどってきた。が、地元高校生の帰宅時間に当たってしまい、お行儀の悪い生徒さんたちには呆れるばかりだった。どこもそうだが、高校生って昔からこんなに柄が悪かったかい??
今日も行ったり来たりだが、田原本から王寺方面へ乗り換える。なぜかここの1路線もスルッと…の区間外なので現金払いで乗るが、両端の線路はどこにつながっているのだろうか?(誰か教えて)路盤はお世辞にもいい状態とは言えなかったが、車両の方は比較的新しく思えた。そんな感じでのんびりと飛鳥路を抜けて王寺まで出たが、何を勘違いしたが購入した切符は料金不足で精算を済ませて次へ乗り換える。生駒線から再びスルッと…の旅を再開し、生駒山の山間を感じさせる風景のなか、新しく造成された街がぽつりぽつりと続き近鉄奈良線と合流するところまで北上してきた。多分、あと1日あったらここで生駒山を目指していたに違いないが、今日はとりあえずここも通過する。
生駒のトンネルを抜けると、大阪の都市(まち)が見渡せる開けた区間がしばらく続く。こうして風景を見渡したことはあまりないような気がしていた。これまでは夕暮れ過ぎとか中途半端な時間に何気なく通過していたことがほとんどだったように思う。鶴橋まで戻りいよいよこの意味のない旅も終わりに近づいてきた。(自分でそんなことを言っちゃいけない?)昨日残してあった千日前線の残り区間を乗ってなんばへ出てこれで地下鉄が片付いたことになる。もちろん新線が開通すればそれまでなのだが、とりあえずはこれでよしとしておこう。3日間券の活用はこれでおしまいだが、明日はこの慌しさを忘れて再び和歌山まで戻ってのんびりしたコースを予定している。そのためにもスルッと…が有効で適当なところまで南下するつもりだ。で、関空近くに宿を選んでおいた。難波から南海に乗ればそのまま行くことができるが、最後に3日券の権利を行使してラピートに乗ってみることにした。もちろん指定券は必要だが、南海の有料特急は乗ったことがなかったのでいい機会だと思っていた。何も考えずただ直近の便の指定券を購入し、すぐに発車する列車に乗り込んだ。帰宅サラリーマンの利用もあってか、他の車両も含め座席は満席に近かった。綺麗な筋が引いてあるのか、通勤ラッシュにも関わらず"鉄火面"はスピードを落とすこともなくぐんぐんと先へ進む。なかなか気分がいい。こんな感じで関空にはあっという間についてしまうが、確かにもう少し乗っていたい気持ちにはなるわな、、、今度ははるかにも乗っておかないといけないか?調子こいて橋を渡って「島」まで来てしまったので1駅戻らなければならない。
5日目
南海とJRの列車が行ったり来たりしている。りんくうタウンで降りたのは初めてだったが、目立った建物はほとんどない。今日の切符はまったく用意してなかったのでりんくうタウン駅で購入することにする。いつものクセでクレジットカードを差し出すとこの駅では使えないと断られた。1区間乗って分岐駅である日根野で次の列車を待つ。快速がここで分割される運用になったのは最近のことのようだ。メインは関空を目指しとっとと先に行ってしまうが、後ろに残された短い編成はとても混雑していた。途中ある駅で学生らしき人口層のほとんどが降りていき、若干余裕もでたところで席につく。そうこうしてるうちに和歌山へ到達し、数日前に通ったルートでもう1度和歌山市へ向かう。
メインイベントと言うわけではないが、和歌山で廃止が近くなった水軒へ向かうために南海に乗り換える。和歌山港線は確かに本数は少ないが、それでも1時間に何本かは出ている。ところが1駅先の水軒までは1日に2往復しかない。そのためそこへ到達するのはとても難しく、そこにどういう需要があるのかよく分からなかったがついに廃止が決まった。廃止間近となるとその筋の方が大挙してくるのが常で、今日も既に人が集まりかけていた。程なくして目的の列車は何事もなかったように入ってきた。乗り場に設置されたひとつ余計な中間改札を通り抜け乗り込む。途中いくつか駅はあるが降りていく人の姿はまばらだ。和歌山港駅で一息ついてから、いろんな意味で敷居の高い(?)残り1区間を進む。思ったより距離はあったが、海沿いのその1区間を何事もなかったかのように乗り通してしまった。着いたところは駅と言うか、だだっ広い何もないところだった。人っ気のがないところだが、1日2回だけ不思議な集団が集まる時間帯がある。それがまさにいまというわけだ。で、何もするというわけでもなく折り返すことにする。当たり前だが、1日2便なのでこれを逃したら偉いこっちゃ状態になるので来た道をそのまま戻る。途中何となく気になった柿寿司を仕入れ、ふたたび紀勢本線を南下する。
次に目指す有田鉄道も廃止が近いと噂されている。(後日談:そう、ここも残念ながら廃止されてしまいました。)もうすっかり減便されてしまって、とどめを刺されたかのように土日は運休を決め込んでいる。なので乗りつぶしの難易度はとても高い。今日はGWの谷間にあたりカレンダー上は平日で、実は白状すると体調不良を押してでも来たかったのは、このタイミングを逃したくなかったという理由もあった。藤並から一旦バスで金屋口へ先回りして戻ってくることもできたが、藤並駅近くで昼食をとることにした。なぜそこにSLがあるのかよく分からないが、ひと気はなく先程購入しておいた柿寿司をの~んびりと平らげる。それにしても昨日までの慌しい時間の過ごし方とはまったく違っているためか、最後にこうするスケジュールにしておいてよかったと1人納得していた。そうはいっても時間も持て余し気味になってきてたところへ、目的のレールバスはやって来た。
見るところ、金屋口先回り組みを多く乗せていたため、車内は結構混んでいる。そのまま折り返す人も少なくなく、自分もそそくさと乗り込む。折り返しも同じような混み具合で出発した。路盤の具合はあまりよろしくなく妙な揺れが続く。途中の駅も荒れ気味で線路に目をやると雑草が茂っているところも多い。既に廃線です、と言ってもいいくらいだ。並行してバスも定期的に走っているので地元の足の転換も見通しが立たないわけではないと聞いた。しかしあまり立派な道ではなくマイクロバスしか通ることができないので、通学のために列車を走らしているとどこかで見たような気がするが、真意はよく分かっていない。終点の金屋口に着くと、今日の列車のお役目はこれでおしまい。写真で見たプレート群がディスプレイされていた。それにしても、あの"おっさんの顔"は妙に印象的だ。しばらく駅をうろうろしていたが、記念切符などを買い求める人の波はなかなか引かず窓口は混雑している。先へ進むために藤並まで戻る必要があるが、ここでも余裕があるのでバスを1本見送る。その辺をぐるっとひとまわりふたまわりしてみたが、もちろん何もないのでベンチに座ってまったりと時間を過ごすことにする。やがてやってきたバスで藤並まで戻るものの、鉄道がなくなっても仕方ないのかなと正直思った。
引続き紀勢本線で今回の最後の目的地である御坊へ向かう。自称日本一のミニ私鉄という紀州鉄道に乗るためだ。後で知ったことだが、新旧2種類の車両で交互に運用されており、どうやらこの日は古くない方に当たったみたいだった。ミニ鉄道はのんびりごとごと走り、それでもすぐに終点に到達してしまった。やっぱり時間に余裕があったので1本落として次の便で戻ることにして、西御坊から先の廃線跡をなんとなく見てまわる。程なくして同じ車両でそのまま御坊まで戻る。ちなみに古くない方の車両と言ってもどこかの払い下げだったことを後でついでに知った。(後日談:その後、紀州鉄道に乗る機会がありましたが、その古い車両=キハ603が現役を退くことになりましたが、そのときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
うまく計画を組んでおいたおかげで最終日も段取りよくまわれ、あとは東京へ帰るのみである。が、スケジュール計画段階でどうやって東京に戻るかちょっと迷っていた。もちろんもう1泊してもよかったのだが、あまり詰込み過ぎずこの辺で切り上げるのがちょうどよかろうと考えていた。大阪まで戻って新幹線というのも時間がかかりそうだし、名古屋へ出るのも行きのことを思えば大変そうだ。関空なら飛行機を利用するのが都合いいようにも思えたが、ひと工夫入れて南紀白浜空港を利用するルートをひねり出してあった。紀勢本線に沿って順々に進んでいけば白浜まで出るのは容易だし、地方の空港も滅多にお目にかかれないのでこれはいい案だろうというわけである。紀伊田辺で一息おいて白浜を目指すものの、この先本数がぐぐっと減る。アイデアはよかったのだが、白浜駅から空港までどれくらいの間隔でバスが出てるか分からず、とりあえず白浜駅まで来てしまった。が、現地へ来て夕方まで直行バスはないことが分かる。かと言ってさすがに徒歩は遠慮したいし(多分、無謀)もちろんタクシーを使ってもいいのだが、結局乗る飛行機は一緒なのでぷらぷらしながら軽く食事でもとってバスを待つことにした。早々に窓口で乗車券を買って時刻も聞いておいたのだが、なかなかバスはやってこない。これかな?と思っても他の路線だったりする。待ち客の中にはいらいらしてる人もいたようだが、普段と違ってその辺は鈍感になっていた。ようやくバスがやって来たが予想外なことが2点ほど。ひとつは、え、これ?と思うほど小さいこと、もうひとつはこのバスの起点が紀伊田辺だったこと…。最初から分かっていれば紀伊田辺で待っていたのに、勝手が分からないというのはこんなもんだろうか。まぁ大したことではないのだが。
すっかり日も傾き夕闇に覆われ始める時間になっていた。飛行機の出発時間が近づくが、もちろんこのバスはその便のために設定されているようなものだ。こんな時間、こんなところにいながらビュンと東京へ出られてしまうのだから、ありきたりな言い方だが飛行機は便利な乗り物だ。1年に1度しか利用しなくても、地元の人が「おらが村にも空港を」という気持ちもよく分かる。白浜駅ではあれほど待たされたのにここへ来て時間的余裕はまったくなく、空港に着くなり搭乗手続きを済ませた。こじんまりとしているが、南国を思わせるデザインはその斬新さからして比較的新しい空港のように思えた。これから乗り込む機は既に目の前で搭乗客を待っている。地方路線用のひとまわりもふたまわりも小ぶりな飛行機ではあるが、一応ジェット機なので羽田までは小1時間で着いてしまう。乗り込んで見れば新幹線とそう変わりようなサイズで、思わず行きののぞみを思い出していた。まわりを見まわすとレジャー客が多いようだったが、迷惑一座が周囲にいないか思わずここでも確かめてしまった。(後日談:その後、南紀白浜空港を利用する機会がありました。そのときの旅日誌はこちらをご覧ください。)