■旅日誌
[1991/4] 東北夢紀行
(記:2000/5/15 改:2015/11/1)
(記:2000/5/15 改:2015/11/1)

折角のGWなのでどこかお出掛けすることにしました。去年は続けざまに西日本へ行ったので、ちょっと方向を変えてみることにしてます。これまで北の方に出向いたことがありませんでしたので、じっくり回りたかったのですが、2泊3日はちょっと物足りなかったかもしれません。
1日目
ムーンライトという夜行の快速列車を今回のスタータとして選ぶことにした。全席指定なので前もって並ぶ必要もなく、だからといって快速列車なので特急料金をとられることもない。コストを抑えるにはもってこいだが、そこは他の人も同じことを考えるわけで注意深く気をつけないと指定を取り損ねてしまう。ましてやGW時期ともなればなおさらだ。今日は運よく確保できた指定席券を持って北の方角を目指すことにする。予想通り指定は売切れで満席とのことらしい。ところが、どうも隣の席に座った人がそわそわしてるなと思ったら、案の定指定を持ってないと申し出ていた。バッファか何かでなぜかこの席は空いていたようで、ひと段落したのだがそれ以上にラッキーだったのは車掌が穏やかな人だったことかもしれない。
新潟駅で多くの人が降りていった。と、同時に全車指定が解除になるので、残った人の間でそれなりのスペースづくりが始まる。夜が明けても人は減ってく一方なので車内は寂しくなるだけだった。終点の村上まではどれ程の人が乗り通しただろうか、ここから日本海沿いに酒田まで北上する。乗り継いだ普通列車は客車で、これがまたなかなか旅気分を演出してくれる。(後日談:そういえば、この頃の東北地方は客車全盛期でしたね…。)ここらは夕日が沈む景色が有名だが、朝の海の清々しさもまたそれで素晴らしかった。そうこうしているうちに、酒田までの2時間は意外にも早く過ぎていった。
ここらで日本海に別れを告げ、今度は内陸へ入り込んでいく。鈍足のキハでの峠越えはなかなか厳しいものがある。新庄で奥羽線と交差し、陸羽西線から陸羽東線へと乗り換えて再び東の方向を目指す。ローカル線の寂しいところかと思えば、意外と乗っている人はいるようで、程なく席は埋まっていた。(後日談:その後、陸羽西線に乗る機会がありました。そのときの旅日誌はこちらとこちらをご覧ください。)小牛田駅で東北線も越え、更に東へ進み太平洋岸を目指す。石巻線を経由して気仙沼へと向かう。気仙沼線はやがて太平洋沿いに沿って北上していく。リアス式海岸でも有名なところであり、入り組んだ地形は今朝方みてきた日本海の表情とはまったく違っている。気仙沼から再び内陸へ向きを変え、大船渡線で一関までやってきた。
ローカル線の乗り歩きも十分過ぎるくらいだったかもしれないが、最後は東北線の普通列車で盛岡へ移動する。GWらしくひどく混雑している。盛岡を起点に客車の普通列車を多く見ることができるのは、都会に住んでいる者にとっては珍しく思える。特に観光するでもなく、今日は盛岡で一泊することにした。(後日談:東北地方のローカル線をいくジョイフルトレインに乗る機会がありましたが、そのときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
新潟駅で多くの人が降りていった。と、同時に全車指定が解除になるので、残った人の間でそれなりのスペースづくりが始まる。夜が明けても人は減ってく一方なので車内は寂しくなるだけだった。終点の村上まではどれ程の人が乗り通しただろうか、ここから日本海沿いに酒田まで北上する。乗り継いだ普通列車は客車で、これがまたなかなか旅気分を演出してくれる。(後日談:そういえば、この頃の東北地方は客車全盛期でしたね…。)ここらは夕日が沈む景色が有名だが、朝の海の清々しさもまたそれで素晴らしかった。そうこうしているうちに、酒田までの2時間は意外にも早く過ぎていった。
ここらで日本海に別れを告げ、今度は内陸へ入り込んでいく。鈍足のキハでの峠越えはなかなか厳しいものがある。新庄で奥羽線と交差し、陸羽西線から陸羽東線へと乗り換えて再び東の方向を目指す。ローカル線の寂しいところかと思えば、意外と乗っている人はいるようで、程なく席は埋まっていた。(後日談:その後、陸羽西線に乗る機会がありました。そのときの旅日誌はこちらとこちらをご覧ください。)小牛田駅で東北線も越え、更に東へ進み太平洋岸を目指す。石巻線を経由して気仙沼へと向かう。気仙沼線はやがて太平洋沿いに沿って北上していく。リアス式海岸でも有名なところであり、入り組んだ地形は今朝方みてきた日本海の表情とはまったく違っている。気仙沼から再び内陸へ向きを変え、大船渡線で一関までやってきた。
ローカル線の乗り歩きも十分過ぎるくらいだったかもしれないが、最後は東北線の普通列車で盛岡へ移動する。GWらしくひどく混雑している。盛岡を起点に客車の普通列車を多く見ることができるのは、都会に住んでいる者にとっては珍しく思える。特に観光するでもなく、今日は盛岡で一泊することにした。(後日談:東北地方のローカル線をいくジョイフルトレインに乗る機会がありましたが、そのときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
2日目
昨日はややお疲れモードだったが、朝もやの中盛岡の街中をちょっと遠回りして盛岡駅まで歩いてきた。東北新幹線が開業してからというものの、はつかりという名前の特急はここ盛岡が始発で青森を結ぶ姿に変わってしまった。上野から一路青森を目指すあの勇壮な姿が妙に懐かしい。そんなことを言ってしまうのは歳をくってきた証拠かもしれないが、それでも「始発のはつかりに乗る」というのはちょっと感傷的な気分にさせてくれる。
そんなこんなで初めてやって来た青森もまた時代の流れを感じさせてくれる。こちらも青函トンネルが開業したあと人の流れがすっかり変わってしまったが、その後も昔のたたずまいを残したままで今に至っている。港に向かって延びる長大なホームが立派なだけに何か物悲しい。ここからも客車の普通列車に乗り換え奥羽線へと入っていく。とりあえず弘前へ出て、五能線の列車を待つ。ほとんどの列車は弘前始発で川部まで奥羽線の上を行き、進行方向を変えて五能線へと入っていく。街中を抜けるとリンゴ畑が目立つようになる。足元は菜の花の黄色と緑がくっきりと浮かび上がり、ほのかに白いリンゴの花が咲いている。その先に目をやると岩木山のきれいな稜線が視界に入る。これほど絵になる風景は見たことがない。
五所川原を通り過ぎ気がつけば車窓には日本海の風景がぱぁっと広がる。一旦鯵ヶ沢で乗り換えて、あらためて東能代を目指す。五能線は海岸際を行くので有名だが、奇岩や不思議な光景も時折目にすることができる。冬場の厳しさが容易に想像される。海側とは逆の車窓に目をやると、白神山地を遠くに見ることができる。海に山に自然に囲まれた地域を五能線は走り抜けて行く。よくもこれほど困難な場所に鉄道を引いたものと関心するばかりだった。(後日談:五能線を訪れるリピータは少なくないといわれてますが、再訪したときの旅日誌はこちらとこちらをご覧ください。)
そんなこんなで初めてやって来た青森もまた時代の流れを感じさせてくれる。こちらも青函トンネルが開業したあと人の流れがすっかり変わってしまったが、その後も昔のたたずまいを残したままで今に至っている。港に向かって延びる長大なホームが立派なだけに何か物悲しい。ここからも客車の普通列車に乗り換え奥羽線へと入っていく。とりあえず弘前へ出て、五能線の列車を待つ。ほとんどの列車は弘前始発で川部まで奥羽線の上を行き、進行方向を変えて五能線へと入っていく。街中を抜けるとリンゴ畑が目立つようになる。足元は菜の花の黄色と緑がくっきりと浮かび上がり、ほのかに白いリンゴの花が咲いている。その先に目をやると岩木山のきれいな稜線が視界に入る。これほど絵になる風景は見たことがない。
五所川原を通り過ぎ気がつけば車窓には日本海の風景がぱぁっと広がる。一旦鯵ヶ沢で乗り換えて、あらためて東能代を目指す。五能線は海岸際を行くので有名だが、奇岩や不思議な光景も時折目にすることができる。冬場の厳しさが容易に想像される。海側とは逆の車窓に目をやると、白神山地を遠くに見ることができる。海に山に自然に囲まれた地域を五能線は走り抜けて行く。よくもこれほど困難な場所に鉄道を引いたものと関心するばかりだった。(後日談:五能線を訪れるリピータは少なくないといわれてますが、再訪したときの旅日誌はこちらとこちらをご覧ください。)
3日目
折角の連休ではあるのだが、今回はここまでで帰ることにしていた。秋田からは奥羽線で東北地方を縦断する。福島と秋田の間は東北新幹線が開通したあともつばさの名前で残った特急で結ばれている。もちろん、この区間を行くのは今日が初めてだ。長丁場なだけに車窓の移り変わりは変化がある。最初の山場は秋田県と山形県の県境のサミット越えである。人口密度も極端に低い。先へ進むにつれ乗り込む人の数は増え、山形に着く前で既に立っている人がいるくらいだった。この辺は開けた土地が多く、生活感が感じられる。混雑しながらも回ってきた車内販売で弁当を買いお昼にする。
やがて再び車窓は山間の景色となり、列車は右に左にカーブを切りながら進んでいく。本当に難所といえる場所で、かつてはスイッチバックを繰り返して通りぬけていたところでもある。こんなところで遭難したら大変だろうなぁ…などと余計なことを考えながら、小雨の向こうの木立をぼーっと見ていた。気がつけば、新幹線のための改軌の工事を行っているところを走っており、この区間も運休して大掛かりな工事が行われることになっている。
長い距離を乗ってきて福島へ到着した。ここも新幹線が通るようになれば、随分と様子が変わるはずだ。さて、今日は鈍行を乗り継いで東京まで戻るつもりでいる。風薫る五月とはよく言ったもので、非常に心地いい季節である。何だか未だちょっと物足りなさも感じるが、またじっくりと時間を掛けて行かなければならない。(後日談:その後何度か、山形新幹線を利用する機会がありましたが、初代つばさの引退前の様子はこちらの旅日誌はこちらをご覧ください。)
やがて再び車窓は山間の景色となり、列車は右に左にカーブを切りながら進んでいく。本当に難所といえる場所で、かつてはスイッチバックを繰り返して通りぬけていたところでもある。こんなところで遭難したら大変だろうなぁ…などと余計なことを考えながら、小雨の向こうの木立をぼーっと見ていた。気がつけば、新幹線のための改軌の工事を行っているところを走っており、この区間も運休して大掛かりな工事が行われることになっている。
長い距離を乗ってきて福島へ到着した。ここも新幹線が通るようになれば、随分と様子が変わるはずだ。さて、今日は鈍行を乗り継いで東京まで戻るつもりでいる。風薫る五月とはよく言ったもので、非常に心地いい季節である。何だか未だちょっと物足りなさも感じるが、またじっくりと時間を掛けて行かなければならない。(後日談:その後何度か、山形新幹線を利用する機会がありましたが、初代つばさの引退前の様子はこちらの旅日誌はこちらをご覧ください。)