■旅日誌
[2010/4] 初代つばさ、400系ラストラン
(記:2010/6/27)
(記:2010/6/27)
山形新幹線の初代つばさ=400系車両が引退することになりました。新幹線と在来線を直通するいわゆるミニ新幹線として登場してから18年、まだ早い気もしますが後継車種への移行が進み、この4月で第一線から退くことになりました。かつて仕事で山形へ出向くときはいつもお世話になってた馴染みの車両でもあり、最後の乗車の機会ととしてあらためてお見送りすることにしました。
※下線部をクリックすると写真が表示されます
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日帰り
前置きの通り、山形新幹線の初代つばさが引退することになった。翌日には、つばさ18号としてのラストランを控えてる400系車両だが、前日の送り込みを利用してびゅうの団体臨時扱いの下り列車として山形・新庄まで運転される。最終日の18日には、いろいろと企画物があったようだが、気がつけばほとんどが完売、ここ1ヶ月仕事漬けの日々だったこともあり、遠くひっそり引退していくんだな~くらいにしか考えていなかった。しかしながら、最後に一度くらい乗車できないか、心のどこかに引っ掛かっていたのも事実で、そんな折、今日の企画の追加募集を知り、早々にチケット入手に走ってしまった。片道だけの乗車でしかも日帰りという慌ただしさではあったが、気忙しい日々を過ごしてただけに、ちょうどいいオフにもなったように思う。
その400系つばさだが、この4月で18年の歴史に終止符を打つ。山形新幹線が開業した後、ちょうど時期的にも仕事で山形へ行くことが幾度かあり、そのたびにお世話になった思い入れのある列車である。当時も、フル規格でないいわゆるミニ新幹線といったような言われ方をされていたのはよく覚えている。いま考えてみても新幹線と在来線を直通させて、いいとこどりしようというコンセプトは、技術的にも商売的にも画期的なものだと思う。従来の新幹線と併結して高速運転する能力を持ち合わせることはもちろん、難所である板谷峠は越えなければならないし、平坦なところはキビキビと反応よく小回りを利かせなければならない、、、車でいえば、高速道路では最高級車のような安定感、山岳コースではRV車のような力強さ、そして街中はコンパクトカーのような俊敏性をひとつのパッケージにまとめるようなものだ。素人目にもそう簡単でないことは容易に想像がつく。この車両はそれを実現したわけで、当時のことを思うと世界でも類を見ない、といっても過言ではない。この車両で培われた技術は、その後の高速車両である、こまちやあさま、はやてに継承され、再び新しいつばさとして置き換えが進み、そしてとうとう初代つばさが引退、、、そう考えると感慨深いものがある。
話が少し逸れるが、山形新幹線をよく利用してた頃は、世の中も華々しく仕事もかなり活気のある時期だった。その後、思うところがあってその職から離れることになったのだが、バブル崩壊後のことは言うに及ばず、山形にあった各工場も統廃合が進み、今でも悪戦苦闘してると聞く。当時ご一緒させていただいた方々は、会う人会う人、みんな素晴らしい方ばかりで、今にしてみれば本当にいい思い出である。あのシルバーボディーを初めて目にしたときの印象はかなり強烈で、坂道を駆け上がるとき足元から響き渡るサイリスタ音は今でも忘れることができない。とまぁ、最後の400系つばさの中で、しばし感傷に浸ってしまったが、明日のラストランも、無事、役目を果たしてもらいたい。
多くのギャラリーが見守る中、団臨の400系つばさが東京駅20番ホームに入ってきた。特別な列車なので東北新幹線とは併結せずに単独での運転となる。早速列車に乗り込むと席はほとんど埋まり、大半は明日の最終上りつばさ18号も利用するツアー客だと想像できる。列車は静かに東京駅を出発、上野駅を後にしたあたりで本日の予定時刻表が配られた。やはり通常のスジではないので、たっぷり時間をかけて新庄まで向かうようだ。予報によると今日の天気はぐずつき模様とのことだったが、上野のトンネルを出たあたりでぱぁーっと日が差してきた。やはりこのシルバーの車体には日の光がよく似合う。お天道様もお見送りしてくれたんだな…と勝手に解釈しておこう。途中大宮駅でまとまった停車時間があったので、ホームへ出て外から400系つばさの姿を見ておくことにした。10分ほどの停車の後、列車は大宮駅を後にして、ようやく新幹線らしい走りとなった。
列車の中では車内販売によるグッズの販売が行われていたが、購入する人も多くなかなかはかどらない様子でいる。ツアーには特製弁当が付いているにもかかわらず、車内では400系の引退にあわせて、オリジナル絵柄を施したお弁当も売られていた。(余談:お隣の席の方は、2個、3個と召し上がってました。)列車は順調に飛ばしてきて、間もなく福島へと差し掛かる。東京を出た直後に一瞬晴れ間が見えたが、その後はどうもぱっとしない空模様が続いていた。4月だというのに今年は季節はずれの寒波が何度もやって来て、今日も少々怪しい様子である。ここまで北上してくると、さらに気温は上がってない様子で、桜の開花宣言があったというのに雪をかぶってる木もちらほら見えた。いやぁ、今年の春はどうなってしまったのだろうか?季節外れの雪模様のせいで、桜と雪が同時に見れるという珍しい光景を目にすることになった。
在来線区間に入ったあとも、きれいなスジに乗り切れないまま列車は歩みを進めていた。途中、上下交換で長時間待たされたりと、相変わらずマイペースである。まぁ、そのおかげで400系と過ごす時間が増えたようなわけで、もちろんそこにケチをつける気はない。列車は開発当時の終着駅である山形駅に立ち寄り、さらに郊外ののんびりとしたところを進んでいく。終着の新庄を目前に最後の上下交換、さらには後ろからやってきた定期列車に道を譲る。あらためて、いろいろなことがあったなぁ~などと考えてるうちに、列車は新庄駅へ到着した。最後の勇姿をしばらくながめ、車庫へと引き上げていく400系つばさの後姿を見送った。
折角ここまで来ておきながらトンボ返りするのは惜しいところだが、予定を変更するわけにもいかないので、泣く泣く帰ることする。回送列車として引き上げる400系を見送ろうと、時間を使ってしまったこともあり、結局新庄駅での余裕はほとんどなくなってしまった。帰りは定期列車のつばさに乗っていく。確かにE3系はより快適になってはいたが、もう400系に乗ることはないかと思うと少々寂しい気にもなる。またひとつ時代が過ぎていったな…と思いつつ、先程見てきた車窓に目をやり、徐々に日が傾きかけてきた風景をただぼんやりと眺めているだけだった。
新庄を出たあと、列車はこまめに停車を繰り返していく。乗り込んでくる人で車内は賑やかになり、山形新幹線のニーズが高いことをあらためて認識する。特に今日はJリーグの試合があったようで、天童駅でどかっと人が乗り込んできた。この様子なら、恐らく自由席は身動きがとれないくらい混雑しているだろう。やがて列車は山形駅へ到着、指定を取ってなければ大変なことになりそうだ。米沢駅を出発したところで予約してあった弁当を受け取り、さて、晩ご飯としよう、、、今日最後の贅沢のために、暖めるタイプのお弁当を選択。やっぱり、山形はいいとこだ!そう心の中でつぶやき、甘いタレのほのかな匂いが食欲をそそる。適度に温まったご飯をほおばり、あらためて非日常を実感する瞬間だった。