■旅日誌
[2004/4] そうだ、京都行こう
(記:2004/4/29 改:2015/11/1)
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思えば去年の今頃から怒涛のごとく次から次へと仕事が押し寄せてきてましたが、この3月でとりあえず片が付いた感があります。ですが、細かな雑用のようなものも山ほどあり5月の連休はどうもまとめて休める気配がありません。カレンダーを見ると、前後に休暇をとって大胆な連休にすることも目論んでしまいますが、もちろんそんなことできるわけもありません。暖冬とはいえようやく暖かくなってきて、昼の長さも随分と延びてきたのでここらで一発遠出をすることにしました。ということで、表題の通りぷらりと京都へ遠征しています。
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 1日目
ルート概略
【寄ったところ、乗ったもの】※詳細はこちら
名古屋、加佐登、平田町、近鉄鈴鹿線、伊賀神戸、近鉄伊賀線、草津、比叡山坂本、浜大津
知っている人は「あぁ、あれか」と気がつくかもしれないが、あまり残業をし過ぎると長時間残業健康診断(通称)を受けなければならないと法律で定められている。会社で管理しているブラックリスト(?)の筆頭に自分も当然のように載ってるらしく、ここ4年程は毎月欠かさず総務部門から催促通知が届いてくる。そんな余裕があればこんなに残業なんてしないだろう!と強い矛盾を感じつつも年に1度くらいは検診を受けるようにしている。年度末ということか半ば強制的な指令があり無理にスケジュールを空けて受診するつもりだったが、当然のように引っ張りまわされて直前で受診をキャンセルしてしまった。替わりの日程を組もうにも施設の方で土曜しか空きがないという。そういえば去年も同じことをやらかして、今回もまったく同じで状況になっていた。おまけにその日は結局徹夜になったという"オチ"もそっくりそのままだった。そんな話に何がここで関係するのかというと、会社が指定した施設というのが新宿駅の西口の方角にあり、そこへ向かう途中でふと金券ショップを覗き込んだのがことの発端である。数多くのチケット屋が立ち並ぶ中、また悪いクセで衝動買いをしてしまった。
東海道新幹線・のぞみ
1枚は名古屋、1枚は京都というやや不規則な組み合わせだが、乗りつぶしの最後の方で"落穂拾い"するためのルートをそれとなく準備していたこともあって、この2種類の新幹線の回数券に相成ったわけである。買ってしまったからにはあとは「いつ決行するか」ということになってくる。もちろんGWやお盆の時期にこの切符は使えないことくらい衝動買いとはいえ理解はしていた。じゃぁ桜の季節にでも!と思ったがどうも今年の桜の開花はかなり早い時期にずれてしまい、あっという間にタイミングを逸してしまった。できれば世間に逆らって休暇を取ることも考えたが、そこまで都合がいいわけもなく適当な土日を選ぶことにした。
加佐登駅
東海道新幹線は品川駅の開業でのぞみ中心のダイヤにすっかり様変わりしてしまい、まだ馴染みがないせいかかなり違和感を感じる。新横浜から朝早めの便でまずは名古屋へひとっ飛びする。春先なので短い周期で天気が変わることも予想されたが、この土日は西も東も行楽にはもってこいだと天気予報は嬉しいことを言ってくれていた。7時半ののぞみに乗り、朝食を軽く済ませコーヒーでも飲んでしばらくまったりしていれば9時には名古屋へたどりつくことができる。そう思うとスピードアップしているのかな?と感じることもできた。名古屋で関西線の普通列車に乗り継ぎ、工業地帯沿いに南下する。臨時の特急や快速みえなどの優等列車に道を譲りながら加佐登駅までやってきた。2両編成のワンマン列車であったが、新造車両の走りは機敏で快適なものである。
関西本線
下調べしたところによると、ここから近鉄鈴鹿線終点までバスで抜けることができるので、多少待ち時間はあるがこのルートを選択することにした。何かのついでに時間をみつけて寄り道でもしない限り鈴鹿など足を延ばすことはないので、結局中途半端に残っていた路線である。今回はそういった路線をかき集めてまわるのが目的だったので"落穂拾い"という表現を使ったが、そこを効率よく自分なりにルート決めするのは乗りつぶしのひとつの楽しみでもある、、、と、ひとりで勝手に思い込んでいた。鈴鹿線はいかにもといった感じの盲腸線であったが、単に往復するだけではつまらない。
近鉄鈴鹿線
加佐登駅は何の変哲もないローカルな駅で、駅前のスペースもほとんどなく道路もひどく狭い。そんなところを路線バスが通るわけだが、地元系のいわゆるコミュニティバスが先にやってくるようで、こいつでも平田町駅へ行けることが分かった。現れたバスは100円玉ワンコインで利用できるマイクロバスで、郊外の大型店舗などに立ち寄り平田町駅へとやってきた。時刻表を見ると乗り継ぎよく近鉄鈴鹿線へ乗り換えできそうだ。ここからまたぐるっとまわって今度は同じ近鉄の伊賀線を目指すことにしている。次の目的地までの切符を買うには千円札だけでは全然足りない。関東の大手私鉄ではあまり考えられないことだが、さすがに近鉄のスケールは違うものだ。何年もの間ずっと到達困難だったはずの鈴鹿線もわずか数分で完乗となり、伊勢若松で名古屋本線に乗り換える。それなりに混雑している急行列車で中川まで南下しそこから大阪線で進行方向を逆向きに変える。細かい話だが、中川近くにあるいわゆるデルタ線のうち賢島方面と大阪方面の「1辺」は通過した記憶がなく、車窓を眺めながらそんなことを思い起こしていた。次は名張方面への普通列車がここでもタイミングよく乗り換ることが可能で、更に先を目指すことにする。鈴鹿山脈にぶつかりやや急なアップダウンや長いトンネルを抜けて快調に西へ進んでいく。近鉄ご自慢の特急たちに途中道を譲りながら伊賀神戸へとようやく到達した。
近鉄伊賀線
ここで乗り換える伊賀線もまた自分にとっては乗りつぶし泣かせの場所にあり、これまで足を踏み入れる機会がまったくなかった。今回晴れて行程に組み入れることができた路線である。無人駅が多いのだろうか構内改札を通って、狭軌のひとまわり小さめのローカル線に乗り換える。伊賀神戸を出て左にカーブし殺風景なところを右に左にと路線は続いていた。忍者の絵柄が描かれた車両と行違いを行い上野市駅に近づくと街の活気が感じ取れるようになった。最後は軒先をかすめるように徐行しながら上野市駅へと到着した。上野市は観光で有名なところでもあり、途中下車して街歩きをしてもよかったが今日は通過することにしていた。なぜかここで運用が切れているため、伊賀上野行きの区間便へと乗り換えなければならない。しばらく徐行区間は続き、また田舎の風景に戻った頃にはJR関西線の乗換駅でもある伊賀上野駅へと到着する。(後日談:その後伊賀線は近鉄から経営分離され、伊賀鉄道として再スタートすることになりました。)JRの路線図をみると加佐登から関西線ですぐに着けそうで近鉄なんぞ利用するのはとても遠回りにも見える。ところが、途中にある亀山駅はJR東海とJR西日本の境界駅で電化されているのは東海だけ、西日本は非電化と目に見えない壁が存在している。おまけに西日本の便となるとめっきり本数が減ってしまう。ということで通しで乗るのも意外と難しいところだったりするわけだ。
草津線
繰返すが伊賀上野駅は西日本の駅なので、ここで明日乗る予定のトロッコ列車の切符を買っておくことにした。嵯峨野のトロッコ列車はJR西日本の子会社ということか西日本の駅でJRと同じように指定が取れるので、明日の座席を押さえておこう。あまり深く予定を考えていなかったが、なんと朝1便と2便は既に満席だという。GWでもなく桜の時期も過ぎていたので、これほど人気があるとは意外だった。当日券もなくはないようだが、明日の日程は多少余裕があるのでお昼の便の指定を購入した。
京阪石山線
路線によって塗装の色はまちまちだが、最近よく見かけるようになったキハ2両の編成に揺られ柘植駅までやってきた。駅貼りのポスターをみると毎月第4土曜はリフレッシュ工事のため昼間の数便が間引かれるとある。何も知らずにここへやって来るのが1週間後だったら危うく足止めを喰らうところだった。柘植駅で草津線に乗り換える。湘南色の車両で発車を待っていると大きく警笛が鳴らされた。見るからに(?)賢そうでない少年が突然線路を横切って行ったらしい。そういえば、この間もそんなことがあったっけ、、、あまり変化のない風景の中を北上し草津駅へとやってきた。今日は石山に投宿するつもりだったが、まだ多少時間があるので琵琶湖のほとりへ行ってみることにした。
京阪石山線
東海道線の新快速は相変わらず抜群の走りをみせ、山科で湖西線に乗り換える。トンネルをいくつか抜けて今日は比叡山坂本で降りることにした。高架の立派な駅を後にして緩やかな坂道を西へ500メートほどいったところに京阪石山線坂本駅はある。今日は天気がいいといっていたが、まるで夏のようである。早々に上着を1枚脱いでいたがそれでも汗をかくほどだった。琵琶湖のほとりの歴史を感じさせる街並みの中に老舗のお蕎麦屋さんをみつけ一休みすることにした。ほどよいコシのある蕎麦ののど越しはこの上なく心地よく「あぁ、来てよかったなぁ」と心の中でつぶやき思わずにやけてしまった。「おおきに…」という京ことばのイントネーションに送り出され、再び坂本駅にもどり琵琶湖を遠くに見ながら浜大津まで戻ってきた。この路線は恐らく高校の修学旅行以来だと思うが、ここらの雰囲気も日本の原風景といっていいのかもしれない。
京阪石山線
浜大津駅でしばらく行き交う京阪電車を眺めていたら、日は西に傾きかけてきていた。浜大津駅に隣接する形で大津港があり、ここから琵琶湖の各方面への観光船が出ている。人出はさほどでもなく、どこか閑散としていた。(後日談:この近所のショッピングセンターも閉店になったそうですね。)
浜大津駅
ここから再び京阪で石山まで行ってもいいのだが、何となくJRの大津駅へまわってみることにした。実は前々から気になっていたのだが、列車からも見える大津の駅ビル(?)が妙に怪しく感じられ、一度どんなものか実際に確かめたかったという気持ちからわざわざ遠回りしたわけである。いざやって来てみたところで、ただ観光案内所のようなものがあるだけで何の変哲もないところだった。とはいうものの、何かひとつ引っ掛かってたものがすっと取れたような不思議な気分になった。
大津港
 2日目
ルート概略
【寄ったところ、乗ったもの】※詳細はこちら
石山寺、嵯峨野観光鉄道、嵯峨嵐山、京福北野線、金閣寺、竜安寺
できれば朝一番のトロッコ列車に乗るつもりだったのだが、その思いとは2時間ほどずれてしまった。なので、いつもと違って珍しく"遅い旅の朝"となった。かわりにどこか観光でもと思ったが、あまりいいアイデアは出てこない。とりあえずゆっくりと朝食を済ませ、石山寺駅へ向かうことにした。石山へはかつて仕事の関係で何度も降りたことがあったが、なぜか石山駅近辺に宿泊したことはなかった。駅前の大きな工場のあの青いロゴを外からこうやって眺めていると、前職で張り切ってプロジェクトに励んでいたことなど想い出し、懐かしさを覚えずにはいられなかった。あの頃にお付き合いさせていただいた方たちは、いま頃一体どうしてるのだろう??
京都・金閣寺
いつものようにあまり深いことを考えずに歩き始めたはいいが、どれ程の距離があるのかははっきり分かっていない。多分2キロはないだろうくらいにしか考えてなかったが、京阪石山駅の隣の駅へたどり着いたところでその先の終点がまだまだはるか先にあることに気がついた。後で地図を見るとどうしようもないほどの距離ではなかったが、実際歩いてみると結構あるように感じた。京阪電車と並行している瀬田川沿いの直線道路をただただ歩いて行き、新幹線と高速道路の橋梁の下を通過したところで目的の石山寺駅の位置がはっきり確認できた。石山寺までは更にここから1キロくらい先にあると聞いていたが、到底このまま向かおうという気も湧いてはこなかったので、今日はここで引き返させていただくことにした。
嵯峨野観光鉄道
さて、ここからは今回の乗りつぶしの目的地の3ヶ所目である。いつのことだったか、例の大津工場へ仕事で来たときの帰りに京阪石山駅から京津線に一度だけ乗ったことがあったのだが、逆方向の京阪石山駅石山寺駅の区間だけがずっと長い間未乗のままだった。そのときは未だ地下鉄は通ってなくて、地上を路面電車として三条まで行った覚えがある。地下鉄の方はその後ひとつふたつの区間を乗り継ぎで利用したことはあったが、昨日と今日で石山線京津線それから地下鉄東西線を気持ちよく(?)完乗にしておくことができたわけだ。最近では去年の夏休みに九州からの帰り道で京都に寄って少し乗りつぶしを行っていたが、今回の"落穂拾い"ですべてさらったことになる。とはいえ地下鉄の両端で伸張工事が行われており、醍醐から先の六地蔵までは開通のメドが立ってきているという。厳しい防衛戦が待ってるといってもいいだろう。(笑)
京阪石山線
などと考えているうちに、あっという間にスタート地点の石山までもどって来てしまった。もちろんこのまま浜大津まで向かうことにする。石山駅の駅前は派手に工事が行われていて、京阪もJRの駅に直結するように既に路盤が整えられていた。JRの線路を跨ぎ、より生活感の漂うところを進んでいく。関東ではこういう雰囲気の路線はほとんどないが、強いて言えば江ノ電あたりが近いかもしれない。膳所駅で多くの人が降りていき、右手に琵琶湖が見えてくると間もなく浜大津駅へと到着する。昨日うろうろしたばかりだが、ここで地下鉄へ直通する車両へ乗り換えとなる。交差点を大きく左にカーブすると大きな通りの真ん中を悠然と進んでいくことになる。だがそれもわずかな距離で専用軌道へと戻され、ここから山間の地形に沿ってくねくねとしたカーブが続く。
石山寺駅
山科駅を出たところで地下に潜り、あとはただの地下鉄となってしまう。直角に配置された座席からも景色が眺められるわけでもなく、旅人にはちょっと寂しく感じる。浜大津からの直通電車は京都市役所前で折り返しとなるためここで乗り換えなければならない。後からやってきた二条行きの電車で終点まで出れば、東西線で乗り残していた区間もすべてきれいに完乗となる。この手前で地上に上がって京都御所や二条城がなど観光モードでの散策もよいのだが、今日はここに用があるわけではないのでそのまま先へ進むことにした。(後日談:二条城に立ち寄ったときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
嵯峨野線
JR二条駅へは何かのついでで一度だけ来たことがあったが、立派になった駅の周囲はまだまだ空き地が目立っていた。ここでは山陰線も嵯峨野線などと愛称が付けられているが、10分から15分ほど遅れているらしい。さほど遅れずにやってきた下りの普通列車は既に満員で、いかにもこれから行楽に向かう人ばかりといったところである。自分もそれに混じり、窓から遠くの山々を眺めていた。それでも嵯峨嵐山でかなりの人が降りていってしまい、座席に付くことができた。関東はそこ自体が広大な平野なので、都会の中心から一気に山間に出てくるといった感覚があまりない。山陰線の新しい区間は渓谷などの地形を無視して直線に近い形で突き抜けてしまい、次の目的地である嵯峨野のトロッコ列車乗換駅である馬堀へとやってきた。田舎の風景の中にも背の高いマンションがあったりと、この路線のおかげで通勤できる地域がここまで広がったと言えるのだろう。
嵯峨野観光鉄道
トロッコ列車亀岡駅馬堀から歩いて10分弱のところにある。案内板も出ているが、ここへ来る手前で見えたところまで線路沿いに戻ればいいので何も迷うことはない。それもそのはず、旧線との分岐点になっているので当り前なのだが。もともと保津川下りは嵯峨野の観光名所として有名だったが、山陰線の旧線を引継いだこのトロッコ列車もまた人気が高いという。現に今日もこうやって大型観光バスなども引っ切りなしに通っていて、多くの人が行ったり来たりしている。トロッコ列車嵯峨から上ってきてここから保津川下りをするのが普通の流れかな?と思って少しは人も少ないと期待していたが、そんなことはまったない。次の便も立席券を売って人をさばいていた。嵯峨野のトロッコ列車は路線だけでなく車両もJRから払い下げられたものを使っているらしいが、客車については無蓋車を改造したものだ。乗り心地はごつごつとしたもので端の1両は壁も床も完全オープン仕様(?)である。雨に濡れようが風に吹かれようが知りません…みたいな注意書きも結構有名だ。引っ張る機関車は片側固定であるため亀岡へ上ってくるときは末尾の車両が運転席となる。ここだけでもないが、京都の街はやたら「」とかかれたのぼりが立っていた。そう、ここのところの新撰組ブームにあやかったものらしいが、乗務員も大声ではっぴを着ながら張り切っていた。黒部のときと同じように、インスタントカメラを使って迷惑なスナップ写真(?)の商売もあったが、意外と買い求める人もいるようだった。
保津川下り 保津川下り
遊園地の乗り物ではないが、正確なダイヤなどあまり気にしないようで、出札も何もなく早く乗れ!と乗客の入替えだけあおるだけあおって列車はトロッコ亀岡駅を後にした。客車独特のガクンという衝撃とともにするするっと動き出し、すぐに保津川沿いへと路線は近づいてきた。川下りの船からこちらに向かって手を振っている人が見える。こちらからも笑顔で手を振って返す人がいる。今日の天気のように、みな穏やかな笑顔で平和そのものだ。ここの渓谷美はとても有名だが、新線の開通とともに車窓から葬ってしまうのはとてももったいない、、、ということで観光列車の名のもとでトロッコ列車を走らせたのは、まったくの正解だろう。時折あがる甲高い警笛音が渓谷に響きわたり、カタコト、カタコト、、、とトロッコ列車はリズムを刻む。いやぁ、何とも実に爽快である。やっぱり来てよかった。その自然の演出もわずか20分ちょっとで終わってしまい、名残惜しいところで列車はトロッコ嵐山駅へと到着した。後ろの車両はトンネルの中のままで、手前でホームが切れている。嵯峨野の散策に向かうにはここで降りてもいいが、乗り遂げるためにもその先の終点まで行くことにする。ここから山陰線の本線に乗っかり終点のトロッコ嵯峨駅へと向かう。わずか数百メートルだと思うが、下りの線路を借りているので右側を逆走する珍しい区間でもある。再びポイントを右に逸れトロッコ列車の発着ホームへと入ってきた。駅自体が観光施設のようになっており、ここでも降りる人と乗る人が入り乱れて混沌としていた。四季によって見せる表情も違ってくるだろうし、また来たいなと思わせる路線であった。人気がある理由は、地理的に気軽に来れるというだけではないと思った。
保津川渓谷 嵐電
さて、まだまだ"落穂拾い"の旅は続くが、次でいよいよ最後となる。最初の思惑通り早い時間にここへ来ていたら嵯峨野散策でも楽しんでみることを考えていたが、2時間ほど計算が違ってしまったので渡月橋をひと目みるだけにして嵐山をあとにした。ちょうどお昼時ということもあり、観光客でごった返していた。昨日にも増して気温はぐんぐん上がっているようだ。人の波のなか、嵐電嵐山駅へ歩いてやってきて次の目的地へ向かうことにする。乗りつぶしと称して全国各地を転々と乗り続けてきたが、目ぼしいところという意味ではここが最後と言ってもいい。嵐電には一度だけ乗ったことがあったが、北野線には足を延ばすことができずに、今回の遠征に組み入れていた。落ち着いた街並みを抜け帷子ノ辻で乗り換えをする。休日は嵐山から北野白梅町まで直通する便が出ており、気がつかないでいたら次がちょうどそれだった。茶色い塗装のされた電車がホームに入ってきて早速乗り込む。今回最後の未乗路線へと歩みを進める。しばらく時間調整で止まっている時間があったが、なぜかとても待ち遠しく感じていた。北山方面への路線は緩やかな上り坂が続き、ひとつひとつ停車しながら進んでいく。やがて終点の北野白梅町駅へ到着した。行き止まりに構えたの駅舎は終着駅であることを感じさせる。もう片方の本線の終着駅である四条大宮とはまた違った面持ちでもある。
嵐電 北野天満宮
本来の目的である乗りつぶしはひと段落したが、京都まで来てこれだけで帰るのも少々もったいない。少し時間があるのでちょっと観光でもしておくことにする。まずは、北野天満宮へお参りすることにした。学問の神様で有名な天神様でもあり、修学旅行コースとしても定番と言っていい。別に自分自身頭がよくなろうと願っても手遅れには違いがないが、旅の無事でもお祈りしておこう。広い敷地を抜け裏手から出て北へと向かう。大きな通りを避け、1本入った住宅街を進むことにする。静かな日曜の午後の昼下がりである。あまりキョロキョロしてても怪しまれそうだが、遠くに見える「大文字」の方向に向かって歩みを進める。
竜安寺石庭
しばらくして金閣寺へとやってきた。いまさら説明を加えるまでもないが、多くの人が集まってきている。鹿苑寺というのが正式な名称で山門をくぐり正面の受付を抜けて人の流れの沿って先へと進む。やがて金色に輝くあの光景が見えてきた。あまりにも有名なところであり、多くの外国人の姿も目立っていた。はるか昔にやっぱり修学旅行で来たことはあったが、こんなところだったかどうかはあまり記憶にない。そういえば、そのときは改修工事をしていたかもしれない。学生のときに遠足気分できたところを、ある程度歳がいったところであらためて訪れてみたくなるもんだ…という話はよく聞くが、まさにそんな気持ちがしていた。池に沿ってに散策を続けるというより、ただ人の流れに逆らわないように移動しているというだけだった。それでもきれいに手の行き届いた敷地の中をこうやって歩いていくのは何となく落ち着く感じがする。時期が時期なのか、やたらうるさい修学旅行の団体さんなどの姿はあまり見かけないのは幸いだったかもしれない。
竜安寺石庭
適当なところで切り上げて、もう1ヶ所行ってみることにしよう。通り沿いに西へ15分ほど歩いていくと竜安寺へと行き着くことができる。交通量の多い道の途中、立命館大学の前を通過する。ここは歩いて移動する人などあまりいないだろうとは思ったが、そうでもないようだ。更に進み、竜安寺石庭を案内する看板を頼りに先へ向かう。確かここも修学旅行で来たはずだが、記憶を辿ると高校のときではなく中学のときだったことを思い出した。どうりで記憶が薄れてるわけだ。(笑) そんなことはどうでもいいが、早速中へ進むことにする。こちらもあまりにも有名な場所なので人の波が途切れることはなかったが、やはり修学旅行生と思われる姿は少ない。池のまわりをぐるっと進み、石庭へとやってきた。多くの人が石庭を前に腰を下ろして静かに見入っている。自分も歩きっぱなしということもあって、しばし物思いにふけることにした。2、3回場所をかえてそのオブジェ(?)を観賞していたが、どれくらいの時間そこにいただろうか?別に何か答えを求めてここに来たわけではないけれども、心身ともにとてもリラックスできたような気がした。裏手もひと通り観てまわり、少々名残惜しいが竜安寺を後にした。
竜安寺石庭 竜安寺石庭
帰りの新幹線の指定を取ってあったので残りの時間を計算しながらの移動にならざるを得なかったが、ここからは竜安寺道を南下して花園駅か円町駅まで抜けることにする。再び閑静な住宅街を歩いて嵐電北野線竜安寺道駅まで行く。先ほどは電車での通過であったが、今度は外からその電車を眺めることになる。何本か見送って再び歩き始める。しばらくすると妙心寺へ出ることになり、失礼して敷地の中を通らさせていただくことにした。多くの立派な建物や奥まったお寺さんがひっそりとあったり、ここも古都らしい趣のある場所である。気がつけばやっぱりキョロキョロしながら歩いていたが、そうこうして北側の門から入り南側へと抜けた。
竜安寺
妙心寺道りを横切るとそこはもう花園駅だ。何度も言うように山陰線は立派な高架になっているので遠目にもよくわかる。わすか2時間半ばかりではあったが、ひと通りの観光に満足しながら次の電車を待つことにした。それにしても今日もとても暑い。4月だというのに気温も30℃近くまではね上がり、ただただ夏を思わせる陽気だった。おかげで駅の中はひんやりとして気持ちがいい。外人さんが若い女性駅員に何やら訪ねている。切符の買い方に迷っていたようだが、やがて無事に自動改札も通り抜けられた。駅員は普段通り窓口から軽く会釈をし、外人さんの方も笑顔で軽く手を上げている。国際観光地の何気ない光景だが、こういうところで日本の印象も違ってくるのだろうか。午前中遅れていた山陰線のダイヤも元に戻っていたが、やはり混雑した普通列車に乗り込みここを後にした。
妙心寺
京都駅に到着するとちょうど横から関空特急はるかが出発するところだった。最後はまるで修学旅行のような京都観光になってしまったが、敢えて京都近辺に残しておいた未乗路線が全て片付いたことになる。少々慌しい1泊2日の旅も新幹線に乗って東へ帰るだけとなった。人によって乗りつぶしの定義はまちまちだろうし、別にそれをどうこう言うでもないが、自分として決めた範囲で現時点での未乗路線は、JR日高本線、東北新幹線(盛岡-八戸)、沖縄ゆいレール、それと最近新しく開業した九州新幹線、名古屋市営地下鉄となった。もちろん次々と新線開業の予定もあるので何ともいえないが、いよいよ残りも指折り数えられるところへやってきたわけだ。さて、次はどこへ出掛けようか…。(後日談:乗りつぶしの旅はその後も続きます。こちらもご覧ください。)
妙心寺