■旅日誌
[1998/11] 最後の全国行脚・九州編
(記:2003/2/4 改:2024/12/31)
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全国行脚もクライマックスに突入で、西の九州と四国を残すだけとなった。ひと月以上前から日程調整していたけどなかなか定まらず、直前で2週連続の週末出張が決まった。素直にただラッキーと喜んでおくことにする。(笑) そうと決まれば、早速飛行機の手配…と、なんと四国の方がちょうど3連休と重なっているじゃないですか。でも、連休となるともう空席なんて残ってるはずがない。旅行会社で確認してもらっても、やっぱり月曜日の最終便なんて空いてるわけがなかった。それどころか朝一以外は既に満席だという。こうなったらダメ元で一番難しいと思う最終便にキャンセル待ちの手配をかけたところ、3時間後くらいに朗報が入った。ついてる、ついてる。これで落ち着いて(?)九州へ向かうことができるようになりました。
 1日目
ルート概略
【寄ったところ、乗ったもの】※詳細はこちら
博多、篠栗線、折尾、門司港、北九州モノレール、小倉
飛行機での移動は久しぶりだった。当初、羽田を朝一で立って博多の拠点に9時入りという予定になりかけていたが、さすがにそれは辛いと判断し自腹を切って前泊することにした。と決まれば、もう1日余計に滞在してもいいだろうと多少無理のある論法で土曜日に出発してしまう。
土曜日の午前中の便はとても空いていた。旅行シーズンでもないし、ビジネス客も少ないのであろう。幹線用の大型機は窓際が埋まる程度の着席率だった。今日は天気がいいので眼下の世界がくっきりと見える。羽田を飛び立ちぐるっと旋回して西に進路をとると、まるで道路地図を見ているように街並みがはっきりと分かった。そうなると悲しいかな、自宅と会社の位置を自然と探していた。左右つづら折りの中央高速が分かると、この間近くを通ったリニア実験線が直線に近い形で敷設されている様子が見てとれた。中央アルプスのあたりに差し掛かると、頭の中にある地図の範疇ではないのでどの辺だか分からなくなった。その後、琵琶湖を思われる大きな湖の上空で右に旋回した。後方から日が差してくるので北上しているようだ。しばらくしてこんどは左に旋回すると海が広がっている。自信はないが天橋立と思われるところも見えた。先に陸地が見えないので瀬戸内海ではなく日本海に出たようだった。眼下に目をやるのも飽きてきた頃、飛行機は高度を下げ着陸態勢に入った。
別に避けているつもりはないがJR九州を利用したことはほとんどなかった。もちろん用事がなかったから乗ったことがないわけで、何かおかしなことを言ってるかもしれないが、そんなわけでもらった時間は2日間ではあるが博多、北九州近辺をちょっくらまわることにしていた。まずは博多へ出てきて、篠栗線方面へ入る。あまりお腹が空いてなかったのでパンのようなもので軽くお昼を済ませる。鹿児島本線からはやや外れたホームで列車を待つがあまり人はいない。やがて列車が入ってきて、学生であろうか降りてくる客でホームはごった返していた。しばらくこのキハのお世話になる。鹿児島本線から外れやがて郊外の風景になる。遠くに山々が見える。こちらに来て気がついたがアドバルーンが方々で上がっていた。何か見慣れないものが多いなと思ったらこいつだった。そういえば東京では最近見かけないような気がする。山中を抜け直方までやってきた。地名としては聞いたことがあったが、意外と奥深いところにあるような印象を受けた。そのまま北上し折尾で鹿児島本線と合流し黒崎で門司方面へ乗り換えることにした。特急を1、2本追いやってから普通列車が入ってきた。カラフルな優等列車からも九州へやってきたことを実感する。土曜の午後というせいか、車内は賑やかだった。だが、華やいだ雰囲気は小倉まででその先はがらんとしていた。門司で時間調整したあと終点の門司港駅までやって来た。
実は今回一番来たいと思っていたのは、ここ門司港駅だ。予想通り、いや予想以上に雰囲気のいい空間が広がっていた。まぁ無理にレトロ感覚を演出している趣もなくはないが、それはそれとして何とも落ち着いた空気が和ませてくれるようだった。一旦外へ出てみると、地域一帯がひとつのテーマパークのようだった。駅前の噴水を横目に通りを渡ると関門海峡が見渡せる。目の前が水際だったようで、遠く海峡大橋も望むことができる。しばらく散策するが。これは気持ちいい。意味もなくボーっとしているのにはちょうどいい場所であった。(後日談:門司港へ再訪したときの旅日誌はこちらこちらをご覧ください。)
今日は小倉に宿をとってあったが、近くをもうひとまわりしてみる。小倉まで戻り日田彦山線に乗り換え、2つ、3つ行った先でモノレールの終点の駅へ乗り継ぐことができる。志井公園駅は無人駅のような寂しい感じのするところだったが、モノレールの車庫があるのでここでの乗り換えで間違えないはずだ。降りてみるとマンションなどが立ち並び、郊外の住宅街だった。北九州高速鉄道と名前はついているが、ごく普通のモノレールである。しかしモノレールの特性を生かして道路の真上の空間をうまく利用し、きついカーブも直角に切ってみたり道路上のマイカーやバスなどにくらべれば高速な乗り物なのかもしれない。競馬場あり、高速道路ありの変化のあるところが続き、小倉駅の駅ビルの中腹をくり抜いたホームに到着した。
 2日目
ルート概略
【寄ったところ、乗ったもの】※詳細はこちら
行橋、平成筑豊鉄道、直方、筑豊電鉄、黒崎、香椎線、西鉄宮地岳線、津屋崎、天神、大宰府
今日はいきなり出ばなをくじかれた。小倉から乗った日豊線の普通列車は、最初は順調に飛ばしていたのだが遠くの景色がかすんできたなと思ったらだんだん霧は濃くなり、そのうちスピードも抑え気味になってしまった。霧は晴れるどころはますますひどくなり、最後は徐行のようなスピードまで落とされてしまった。行橋へ着いたときには霧は多少よくなっていたものの結構遅れが出ており、この列車が到着するのとほぼ同時に乗り継ぐはずの平成筑豊鉄道の列車が出て行ってしまった。これですっかり予定が狂うのではないかと心配になった。幸いにも朝のたまたま本数が出いていた時間帯だったので30~40分後には次の直方行きが設定されていた。当初見込んでいたあたりにどれくらいまで近づけるかわからなかったが悩んでも仕方ないので、先へ進むことにする。次の折返し直方行きもキハ単行で運行されていた。大きな工場を右に見ながらカーブして高架の駅を下りていく。ここも九州拠点の大事なお客様なので名前はよく知っていた。今更説明するまでもないが、筑豊地区は石炭で栄えていた頃炭鉱関連路線が縦横無尽に走っていた。しかし大部分は廃止され、ここも三セク展開でようやく残った路線があった。小振りのキハ単行はエンジン音をうならせながら疾走していた。座っていると加速時には背中に響いていた。広い構内、給水設備の跡、長い複線区間など在りし日の賑わいを思わせるものがところどころ見られた。昨日通った直方が終点になる。今日はここから筑豊電鉄にまわってみることにしていた。映画のセットのような古い商店街を横目に徒歩で移動する。正確な位置が分からなかったのが不安ではあったが、とりあえず行ってみる。途中、駅伝の通り道になっているようで交通規制の案内が出ていた。
筑豊直方駅は一段高いところにホームがあった。2階に上るような感じのところで待っていると、入ってきたのは路面電車のような車両だった。中には大きなディスプレイがあり、停車駅の案内や宣伝を流していた。駅名を告げるたびにお姉さんが出てきてお辞儀していたが、何か妙なものを感じた。車掌が乗っていたが両替しか仕事をしてないようだ。これじゃ両替機と一緒じゃないのかな?一旦黒崎駅前まで乗り通し、ここから戻る形で折尾へ向う。(後日談:その後、この区間は廃止されてしまったようですね。)
折尾へからJRに乗り換え、これから香椎線をまわる予定だ。この時点での遅れは見込み時間から20分程度だったろうか。最初博多まで行って昼食をどうするか決めて香椎へ戻ってくる予定だったが、吉塚で折返すことにしてオンスケジュールに復帰することができた。一応、吉塚まで行ったので博多-門司港間は完乗となった。(ん、細かい?)これで昼飯の時間がなくなったように思えたが、香椎駅の乗り換え時間を利用して立食いに入ることにした。どこへ行っても99%の確率(?)で自分は天ぷらうどんを頼むのだが、ここでも反射的に天ぷらうどんを頼んでいた。すると丸あげが入ってるではないか、、、そうか、九州で天ぷらうどんを頼むとこうなることを身をもって体験することができた。香椎線で宇美駅まで行き、そのまま戻って香椎を通り過ぎて西戸崎まで乗り通し香椎線を完乗にする。西戸崎付近からは海を挟んで博多市街を望む感じになる。夏場は渋滞しそうな1本道としばらく並走していた。
和白まで移動し、西鉄宮地岳線で津屋崎を往復する。宮路岳線は見慣れぬ顔をしていたが、あれ?2、3日前にどこかのテレビドラマに出てなかったっけ?帰り道は和白を通過して貝塚間で行き、地下鉄に乗り換え2路線完乗にした。朝のアクシデントが挽回できたことに気をよくして…というわけではないが、ちょっと欲張って天神から西鉄に乗り大宰府へ行ってみることにした。西鉄の本線から大宰府線に乗り継ぎ大宰府駅へ到着したときはすっかり日が暮れていた。駅を降りてみるとすぐに参道となっていたが、お店などはバタバタ閉めているところでこれから夜をむかえるところであった。仕方ないのでそのまま来た道を引返すことにする。それこそ明日の朝になって寝過ごしても洒落にならないので、今日はおとなしくしておくことにした。(後日談:大宰府へ再訪したときの旅日誌はこちらこちらをご覧ください。)
 3日目
ルート概略
【寄ったところ、乗ったもの】※詳細はこちら
博多、博多南線、博多南
朝一で拠点に入り、セッティングしていただいた時間を目一杯有効に使うべくいつものようにプレゼンやQ&Aそれに要望などの意見交換を行わさせていただいた。拠点の方々は午前中通しで会議を行っているようで、自分が外れてからも会議を続けていた。事務的なことなど場所をお借りしてしばらくやっつけることにしていた。グループのメンバー全員が会議に出ているので、電話がかかってきても誰も出られるはずがない。気がついたら率先して電話番をしていた。相手はお客さんの可能性もあるので、呼出し音が続くくらいなら失礼のない程度に取次いでおいた方がいいに決まっている。貴重な時間を割いていただいたので、これくらいのことはしておいてもいいだろう。戻ってきて「あれ、まだいたのですか?」の問いかけに対して「電話での伝言がいくつかりますよ」と答えたら、案の定みな笑っていた。お昼になっていたので近くの飯屋までお付き合いさせていただくことにした。あ、もちろんここは自腹ね♪(後日談:その後、25年ぶりにこの近くを訪れる機会がありました。そのときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
そんなこんなで結構居座ってしまったが、敢えて帰社する時間は告げてなかったのでどんなに早く終わろうが今日は直帰すると誰にも言わず心に決めていた。この辺は言うまでもなく吹っ切れていた。もちろん、拠点にも「はい、さようなら!」としてしまえばもっと早くフリーになれたが、さすがにそう言えるわけもなかった。仮に10時頃解放されていても、それはそれでバチがあたりそうで恐かった。(笑) ということで中途半端に時間が残っている。地下鉄から筑肥線に乗って唐津あたりへ行ってもいいが、ちょっと勇気がいりそうだ。そこで一計を案じ、時間に余裕があるところで博多南線を往復してみることにした。(余談:何となくこのひと区間が未乗で残ってしまうというのも、ノドの奥に引っ掛かった小骨のように感じていたからかもしれません。)まずは博多駅へ出て、往復する時刻を調べてみた。予想通り1時間に何本も出てるわけではなかったが、往復に何時間もかかる程のものでもなかった。風貌は新幹線だが、扱いは在来線でおしるし程度の特急料金を必要とする。東にも季節運転でスキー場へ行くやつがあるが、あちらは臨時駅扱いなので正式な路線とは認めたくはない。(自分がただそう思っているだけですが…)ちなみに、新幹線は西の所有物なので博多南駅もJR西日本の駅である。往復にオレンジカードを消化した。在来線の切符を買って新幹線の改札を通るのも妙な感じがしたが、平日の昼間にも関わらず結構利用する人はいたようだ。晴れて九州新幹線として開業したら、ここは正式に新幹線となるのだろうか?ただ「博多南」と素っ気ない方向幕を出した列車は、博多駅を出発し新幹線としては存在しないレールを西に進んでいく。スピードはあまり出ていないようだが、新幹線の車両に乗っているとスピード感覚が普通と違うので実際どれくらい出ていたかは分からなかった。所要時間10分の不思議な旅の終点は巨大な新幹線の車両基地の端に設けられたちっぽけな平たいホームだった。出口は後方1ヶ所なので皆そちらの方向へ向かって歩いていた。一旦外に出てみたが雨がパラパラと降ってきたので屋根があるところへすぐに舞い戻る。駅舎自体もお世辞にも立派とは言えないが、売店もありWINSもあった。駅名も青地で書かれており紛れもないJR西日本の駅だ。しばらく待った後、戻りの切符を買い改札を通る。博多へは同じ車両で戻ることになるが、博多からは先も新幹線に直通するという言い方が正しいのかどうかよくわからない。(後日談:奇しくも0系新幹線のさよなら乗車をする機会がありました。そのときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
地下鉄に乗り継ぎ福岡空港へ戻ってきた。マイルを貯める程飛行機には乗らないので特にどの航空会社がごひいきということはないのでどうでもいいが、JASの777には一度乗りたいと思っていたので今回はそれに合わせて帰ることにしていた。新しく導入された機だけあって中も綺麗だった。全席に液晶モニターがあり、飛行位置や速度、高度などが分かるのは楽しい。全般的にちょっと派手めな内装はJAS的とでもいうべきか個人の好みは分かれるかもしれないが、+1000円のレインボーシートはリーズナブルだと思ったのでもし次の機会があれば利用してみたい。今日は暗くなる前に羽田に着きそうだ。(後日談:何の因果か、JALのファーストクラスに乗りに来る機会がありました。そのときの旅日誌はこちらをご覧ください。)