■旅日誌
[2025/5] 鷹揚自若~桜散る弘前
(記:2025/5/31)
(記:2025/5/31)
急遽予定を突っ込んだため2日連続になりましたが、当初はこの日だけで日帰りする予定でした。それはそれとして目指す先は弘前、残念ながら弘南鉄道大鰐線が2028年3月で廃止されるとのアナウンスがあり、とりあえず訪問することにしました。
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日帰り
今年のゴールデンウィークの状況については、昨日も書いた通りで、連休運賃に跳ね上がってない朝一の青森便で、1席だけ窓際席が残っていたのがたまたまこの日だったので、とりあえず勢いだけで押さえていた。弘南鉄道の大鰐線には、何となくもう一度乗っておきたかな?などと漠然と考えていたところで、突然の廃止話が聞こえてきた。となれば変に騒がしくなる前に行っておきたい…という気持ちも手伝って、折角なので思い切って足を延ばしてみようと思う。行きの便を先に決めてしまったので、うまくつなげられるか確信が持てなかったが、青森空港から弘前まで直行するバスもあり、タイミングを見計らって大鰐から特急で新青森へ抜けて乗り継ぐ新幹線も予約が取れそうだったので、早速チケットを押さえる。結果オーライで予定を組み上げて、この日に臨むことになった。
6時台の羽田便に乗るのは時間的にもシビアなので、羽田近くで前泊することも考えたが、自宅出発は何度かやったこともあるし、前泊したとしても早朝出発には違いないので、家から出発することにした。ただ、昨日も早起きしていたので、体力勝負には違いないのだが…。そこは気持ちを切り替えて、どうにか無事に羽田6時到着、東北方面なのでT1北ウィングを目指すと、南ウィングの8番搭乗口が案内されている。若干、違和感を覚えつつ急いで保安検査場に向かうと、エラーではじかれしまう。ゲートにいた方の話では機材繰りで搭乗手続きが一時停止しているとのこと。5分くらいするとアナウンスが入ると思うので待っていて欲しい…と告げられると、何人か周囲にも同じ便に乗る人が不安な様子で待っていた。その後アナウンスされることはなく、しれっと搭乗案内が開始され、急いで保安検査を抜ける。たまたまラウンジ近くの搭乗口だったので、コーヒー一杯だけいただいて気持ちを落ち着ける。
使われる機材はJA623J、国内線向けに改修されたB767-300ERは亜幹線から主要幹線まで淡々とこなす働き者。機材繰りによる遅延とのことだったが、何が問題だったかはっきり分からない。一時はどうなるかと思ったが、座席に着いてしばらくすると右手にA350を見ながらオンタイムで出発。この時間なので滑走路の混雑はなく、あっけなく離陸し一路北を目指す。搭乗率は6~7割といったところだろうか、朝日を受けて順調に飛行を続け青森までほぼ一直線のルートに飛び、ほぼ定刻に到着。この便にタイミングを合わせるように接続するバスで弘前へ向かう。青森駅発着のバスは何度か利用したことがあるが、今回はこちらを利用するのは初めて。そこそこ利用者もいて、浪岡を経由する頃には岩木山が見えてくる。1時間ほどして弘前バスターミナルに到着、時間もあることだし歩いて弘前公園へ向かうことにした。
桜の時期としては終盤だったのでソメイヨシノなどは散りかけていたが、しだれ桜などの一部の品種はまだ見頃だった。弘前公園はかつて津軽家の居城だった弘前城の跡地であり、桜の名所としても有名で国指定史跡に指定されている。弘前には何度か立ち寄ったことがあったがここには来たことがなく、折角の機会なので時間をとって一通り見てまわることにした。桜のじゅうたんのような外堀を横目に三の丸東門から敷地に入り、桜の咲き具合など確認しながら先へ進む。中堀の観光船はいかにもといった感じだったが、二の丸東門を抜けると咲き誇る桜の向こうの石垣の先に弘前城の天守が見えてきた。遠くその向こうには岩木山がきれいに見えている。インバウンドの方の姿も多くいて、なるほどこれは日本らしい名所と言っていいだろう。実は石垣修理工事のため本丸中央へ移動した状態にあり、記念に天守に上っておくことにした。この位置で桜越しに見上げる天守というのも珍しい光景であり、晴れ渡った空に映える岩木山もまた何とも印象的だった。
思いのほかそれなりに桜も堪能できたので、三の丸南門・追手門を通って弘前公園を後にして、もうひとつの目的地へ向かう。地方にお金を落とすなどとおこがましいことを言う気はないが、自分にできるのはこの程度というか、道すがら少し贅沢なランチを済ませる。そんなわけでやって来たのは弘南鉄道・大鰐線の弘前中央駅、朝早かったおかげで時間はまだ正午、こちらにも少し時間がさけそうだ。思い起こせば前回、乗り潰し目的で弘南鉄道に来たのはかれこれもう25年も前のこと、、、そうか、もうそんなに経つのか…。何となくもう一度くらい乗りたいもんだなぁなどと考えていたところ、大鰐線の廃止が表明され、今回の遠征のきっかけになったとも言えなくはない。駅の面構えは記憶にあるのだが、駅周辺の様子やホームの雰囲気など、ぼんやりとしか覚えていない。日中の運転間隔は60分なのだが、一本見送っても帰りの列車には十分間に合いそうだったので、駅の外から列車の様子を見ておくことにした。
7033-7034編成を見送り、次の便で大鰐へ向かう。やって来たのは7039-7040編成・春のりんごねぷた列車、無塗装のオリジナルに近い姿はどことなく晴れやかで美しかった。車内の雰囲気はというと、リンゴのデザインをあしらったつり革とピンクの小さな提灯以外は往年の姿を色濃く残している。さらには走行時のモーター音、ゆっさゆっさと揺れる乗り心地、ドアの開閉音、ガキの頃、東急沿線で過ごした身にとっては、何とも郷愁をかきたてる懐かしい世界がまだそこにはあった。津軽大沢駅では6000系の姿もちらっと見えたが、これから夏を迎える津軽平野の中、7000系はマイペースで進んで行いく。
石川陸橋で奥羽線を跨ぎ、列車は30分ちょいで終点の大鰐へ到着した。何というかこの駅も昭和な香りを程よく残しており、今回ここへ来れて本当によかったなぁ~と、あらためて悦に入る。弘前の方で時間を使ったせいでもあるが、帰りの列車の時間が近づいてきたので、名残惜しいところではあるがこれで大鰐線を後にする。まるでタイムスリップしたかのような、あの印象的な跨線橋を渡り、隣接する大鰐温泉駅へ向かう。遠くのホームで折り返し弘前方面へ走り去る列車を見送り、秋田からやって来た特急スーパーつがる1号に乗車する。自由席はガラガラ、先客も2、3人しか乗っておらずどこか心配になってしまったが、弘前で一気に人が押し寄せあっという間に満席となる。そう来るか?と不思議な感じだったが、これで今回の青森訪問は終了。新青森ではやぶさ30号に乗り継ぐ。昨日は後付けで急遽計画したので、仙台から東京まで丸被りになってしまったが、こんなことなら一泊挟んでおけばよかったかな…。ぼんやりしながら外を眺めていたところ、無理すればもう1日くらい遠征できないだろうか、変なことを考え始めていた。