■旅日誌
[2007/4] その向こうの島~奥尻
(記:2007/6/1 改:2014/1/19)
(記:2007/6/1 改:2014/1/19)
今回の行程は、もともと去年の11月に予定していたものです。本格的な冬を目前に、どうにか大丈夫だろうとは思っていたのですが、直前になって急激に天候が悪くなり、そのときは中止の結論を出しました。どうにか飛行機は飛んだようですが、海、山は大荒れ、それこそ帰って来れなくなっても困るので思い切って決断をくだしました。今回は陽気もよくなり、あらためて同じルートをたどることにします。
※下線部をクリックすると写真が表示されます
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1日目
前振りの通り、今回は去年あきらめた旅のやり直しである。今までこのような形で中止という決断を下した記憶はないのだが、ときに勇気ある撤退も必要だ。あのときを振り返ると、寒波を背負って発達した低気圧が北海道に近づいており、海・山の天気は大荒れとの予報が出ていた。なのでフェリーが欠航するのは目に見えていたし、空路も危ういともなれば、近寄らないに越したことはない。あのまま奥尻へ渡って閉じ込められてもそれこそ洒落にならないので、泣く泣く直前になってお出掛けを取り止めたという経緯がある。とりあえず今回は、一度決めてしまったものを暖めておくのも嫌だったので、フェリーが夏ダイヤ(?)に戻ったタイミングで前へ進めることにした。ということで、今回の目的地は奥尻島である。
奥尻へ向かう前に、まずは今回も全国空港めぐり(?)の訪問箇所を増やしておくことを考える。東北地方には未だ訪れたことのないところがいくつか多く残っており、その中からひとつ選んで大館能代空港へ向かうことにする。別名、あきた北空港とも呼ばれてるようだが、ちょっと馴染みは薄い。そう遠くもない場所に秋田空港、青森空港とあるのだが、無駄な空港をつくりすぎてはいないか?という批判も多かったように記憶している。羽田の出発時刻は7:20と今日も相変わらず早い。指定された搭乗口は、つい先日できた第二ターミナルの南ピアだった。
搭乗機は地方ローカル線御用達のスーパードルフィン、早朝便だというのに乗ってみれば意外なほど空席の数は少ない。天気はよくないと言っていたが、着陸態勢に入っても外は真っ白で何も見えなかった。雨模様の中、着陸直前になったようやく外の様子が見えてきた。この機種でもこんなに静かに着陸できるのかと思うほど、スムーズなランディングとなる。これで訪問数をひとつカウントアップし、杉木立に囲まれた空港を後にする。連絡バスは鷹巣を経由して大館まで行くようだったが、とりあえず鷹巣駅前で降りる。雨も降ってるし特に見るものもないので、これから必要とする切符を買うことにする。窓口に向かうものの、どうも素っ気ない対応だなと思ったら、対話式の券売機があるのでそれを利用しろとのこと。職員二人の様子をみる限り、特に立て込んでる感じでもないので相手してくれてもいいように思うのだが…。インターホン越しにオペレータ相手に発券を頼むことになった。
朝のこの時間に鷹巣駅などと中途半端なところにいるのも不思議な感じだが、間もなくやって来た普通列車で北上する。それにしても、都心を行く通勤電車のようなロングシート車は味も素っ気もない。時刻表上の終点は大館で、その先は季節運転の別列車になっているのだが、実際は大館駅で長時間停車したあと、そのまま弘前を目指して出発する。おまけに、季節運転といっても毎日運行なので実質この列車は弘前行きということになる。沿線の丘陵地帯には霧のような雲のような霞がかかっている。場所によっては根雪も残っていた。スケジュールには余裕があったので次の普通列車を待ってもいいのだが、弘前からは日本海3号に乗り換えて青森へ向かう。弘前からひと区間だけ立席特急券を買ったのは理由があって、単純に青森から函館まで特急券を買うよりも乗り継ぎ扱いにした方が若干安くなる。まぁそれもそうなのだが、わずか40分ではあるが寝台列車に身をおけるのも何だか得した気分になれそうだった。
夜行列車の衰退についてはわざわざここで触れたくもない話題だが、日本海は今でも2往復存在し、愛称に○号と付されて呼ばれる貴重な存在だ。(余談:日本海はこの3号と2号が東日本の車両、1号と4号が西日本の車両と、細かいことをいうとそう大別されます。今日乗ったのは3号なのでJR東日本のもの、後日1号のシングルDXに乗る機会がありました。)しかし、新幹線の北陸延長や青函トンネル乗入れを果たしたあかつきには、その存在も危ぶまれることになるに違いない。そんな暗い話はほどほどにしておきたいが、寂しいくらいの乗車率である。すべての人が青森まで乗り通すわけではないとしても、立席特急券とは名ばかり、好きなところに勝手に座れる状態だった。建前上、昼間の特急列車を補完する意味もあるということだが、それも怪しいものである。
日本海3号は定刻通りに青森に到着、回送されていくのを見送る。この列車に接続する形で函館行きの特急列車があるのだが、何だかんだでお昼も近くなっていたので、1本落として近くで軽く食事を済ませる。東京は春を通り越して初夏の思わせる陽気だったが、青森はかなり肌寒く感じる。余裕をみて次のスーパー白鳥を待つことにする。
朝早かったこともあり、まったりしながら青函トンネルを抜ける。4月になったとはいえ、灰色がかった津軽海峡の景色は冬を思わせる。函館に到着するとより一層気温が低いように思えた。ところで、とりあえずの今日の目的地は江差と決めてあったのだが、それなら木古内で乗り換えるのが普通で、わざわざ函館まで来る理由はない。列車乗りつぶしも関係ないので、今回はバスに乗っていくことにした。何となく心配になったので、今晩の食料を買い込んでバスを待つと、予想に反してその辺を走ってるような小さな路線バスがやってきた。30分、40分ではないので、これで2時間も行くのはちょっと辛いかもしれない。市街を抜けると、広い国道も対面2車線の普通の道路になり、気がつけば山間の寂しいところを走っていた。相変わらず雨は降り続いていたが、標高が上がるにつれいつしか白いものが混じり始める。それどころか、最後の峠越えではすっかり雪景色になってしまった。バス停もあるのかないのか分からないようなところを、わずか3人程の乗客を運ぶためにバスはひたすら走り続ける。冬場の悪天候を理由にいちど断念してるだけに、明日の奥尻行きも少々心配になってきた。
峠を越えると、さすがに一面雪ということはなかったが、相変わらず雨は降っていた。日本海が見えるところまでやってくると、そこは瀬棚方面へ乗り換える場所でもあり、ひとり乗客が減る。ここまで来ると江差はもう遠くはない。港が見えてきたところで一旦内陸へ入り、多少生活感のある市街地をバスは進んでいく。途中で降りるかどうか考えてるうちに、どうせならと思い始め終点まで行ってみることにした。ところが終着のバスターミナルまでは意外と距離があり、途中で江差駅に寄りながらとぼとぼと市街の中心部まで歩いて戻ってくることになってしまった。幸い雨は止んでいたが、まだ6時過ぎだというのに、もう町はひっそりとしている。夕食を調達しておいて正解だったようだ。明日はいい天気になることを祈るばかりだった。(後日談:その後、江差線が廃止されることになり再訪する機会がありました。そのときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
2日目
江差-奥尻間は大型フェリーが1日2往復している。ただし、12月から3月までは朝の1便が間引かれており、この間に今回の行程をそのままなぞろうとすると無理が生じる。厳冬期は人の移動も少なくなるだろうから、ある意味自然なのだが。そんなわけで4月に入って早々に来てしまったが、気が早すぎたか今朝もかなり冷え込んでいる。とはいえ、天気は安定してきており、どうにか今日は目的地訪問を果たせそうである
早朝の奥尻行きは7:10に江差港を出帆する。町の中心部はやや高台にあり、坂を下ってフェリーターミナルへと向かう。近くのコンビニで朝食を調達し、出発に備える。確かに人は少ないが、もっと閑散としているかと思ったが意外と人の数は多い。出発時刻が迫り、この立派な船に乗り込む。一般的な船室はカーペット敷きの広々とした部屋で、皆思い思いの姿勢を取りながらゆっくりとくつろいでいる。長距離フェリーならではの光景かもしれない。気がつくと既に船は岸を離れおり、鴎島が徐々に離れていくところだった。いつ動き出したのか分からないくらい静かな出港となった。
奥尻港までの所要時間はおよそ2時間、TVの衛星放送を見たり、持ち込んだPCをいじったりしてるうちにあっという間に着いてしまった感じだ。途中揺れるようなこともなく、今日の船旅は快適そのものだった。これだけ大きな船ともなれば着岸作業も迫力がある。下船前に甲板から作業を見守り上陸に備える。もう少し時間に余裕があればレンタカーを利用してもよかったのだが、最後は空港にたどり着いてなければならないので今回はパスして、かわりに路線バスで少しだけ観光気分を味わうことにした。そのバスの発車まであまり時間はないのだが、多少慌てながら鍋釣岩を見に行く。奥尻のシンボル的な存在なのであらためて説明する必要もないが、数ある奇岩のうちのひとつである。フェリーターミナルまで戻るとすぐにバスは発車することになった。
町有バスは大きいものと小さいもの、それぞれ北と南に向かうバスで、途中まで一緒にまわっていく。しばらくして、先程見てきた鍋釣岩の脇を通り、その先もしばらく海岸沿いの狭い道を進んでいく。やがて灯台が見えてくると、青苗地区へ差し掛かる。数年前、大津波に見舞われたという出来事が本当にここで起きたのだろうかと思うほど静かな様子である。できれば時間をかけてじっくりまわってみたいものではあるが、今日はバスの中から町の様子を確かめるだけとなってしまった。空港を経由して、トンネルを抜けるとやがてバスは島の西岸へと差し掛かる。もし、去年の11月にここに来ていれば、飛行機の時間がもっと早かったため、島の西側までくる余裕はまったくなかった。天気もよくなってきたせいか海の青さもよりいっそう増してきて、先程とはまたガラッと雰囲気が変わる。この先は東側より変化に富んだ景色が続くこともあり、少しだけ得した気分になる。モッ立岩やホヤ岩など、方々で紹介されている景色を実際にこの目で確かめるのもまたいい。ダイナミックな自然の造形美を目の当たりにすると、普段慌しくしてるのがまるでウソのようにも思えてくる。
バスは終着の神威脇温泉に到着し、一旦ここで降りることになる。離島の海岸沿いに本格的な天然温泉があるというのもちょっと珍しいというらしいが、小さな港にただポツンと温泉施設があるだけで、遠くに公園のモニュメントがかすかに見える他は何もない。折り返しのバスが来るまでの間、ちょっとそこらを見てまわるものの、やはりもっと時間をかけるべきかな…と惜しい気にもなってくる。海岸沿いの岩々や山の方に目をやりながらそんなことを考える。そうか、ここで温泉に浸かればどんなに気持ちがいいことだろう。そうこうしてるうちに、折り返しのバスはやって来てしまった。後ろ髪を引かれる思いで、来た道と同じルートで空港まで戻っていく。「建物の真ん前でええんかいねぇ?」終始、地元のお客さんと会話していた運転手さんから、最後になって声を掛けられる。
そのままバスに乗って青苗まで行って、それこそ走ってでもすれば戻って来れそうだったが、さすがにそこまで冒険する気もなく、さっそく搭乗手続きを済ませる。奥尻空港はまだ移転したばかりでとてもきれいで、失礼ながら離島にいるという雰囲気はあまりしない。去年の3月まではADKのツインオターが就航していたが、諸事情でHACのSAAB機に置き換えられ、便数も1往復までに減便されてしまった。それでも30分で函館まで行けるのだから、その利便性は計り知れない。現に今日も車椅子を利用して飛行機に乗り込む姿が二組もある。今日のような天気ならまだいいが、高齢の方や体調が芳しくない方にとって船旅+陸路の移動は負担が大きくのしかかるのは明白である。このきれいな建物とは裏腹に、離島という特殊な環境の厳しさをあらためて感じる。
函館行きのSAAB機は定員は30人くらいなので、着席率が半分にも満たない場合にはバランスを考え後ろ寄りに座らされることになる。特に何もなく準備が整えば、定刻を待たずして離陸へと向かう。島の東側には雲がかかっていたので、しばらくはその中を通っていく。ふと窓の外に目をやると、この飛行機の影が雲に映し出され、周囲には虹が掛かったような感じになっている。確かブロッケン現象っていうんだったっけ?慌ててデジカメを向けてみたが、うまく写ったかどうかはよく分からない。雲が切れて陸地の上までくると、昨日通った中山峠は上から見てもすっかり雪景色なのが分かった。最後に五稜郭を見ながら函館空港へ着陸する。
あっけなく函館まで戻ってきてしまったが、いつものようにこんな時間に東京へ帰るのももったいないので、もう少し寄り道していくことを考えていた。ということで、空港訪問数を増やしたいという理由だけで旭川空港へ寄ってみることにしている。あまりタイミングはよくないが、HACの旭川便を捕まえることができるのでそいつを利用する。それまでの間、中途半端に時間ができてしまい、安易だが五稜郭にでも行ってみることにした。前回来たときは新しい五稜郭タワーを建ててる途中だったので次の機会にでもしようと見送ったこともあり、今日あらためて登ってみようと思う。路線バスで簡単に往復できそうなので、タワーからの眺めを楽しむことにしよう。
五稜郭を往復したあと、もう一度SAAB機に乗って旭川へと向かう。噴火湾を越え札幌の近くをかすめて石狩川の河口付近の上空で方向を変えるのはいつものルートのようだった。内陸に入ってくるほど天気はよくなってきており、北海道らしい景色を眼下にみることができた。空港を右手に見ながら一旦南側へ出て180度回り込むような感じで降りてきた。さて、今度も少々間が空いてしまうのだが、どこも見てまわるような場所も思いつかないので、空港近くの公園で飛行機の離着陸などを見ながら時間を過ごすことにした。ところで、帰りの便はADO機を予約している。ANAとのコードシェアの形をとっているのだが、ADO便を利用するのは初めてである。空港訪問数の方も確実に積み上がってきているので、そう遠くもない時期に達成できるのかもしれない。次のGWもまた、どこかへ行かないといけないかな??