■旅日誌
[1999/9] 自分へのささやかなご褒美
(記:2003/1/24 改:2022/1/2)
(記:2003/1/24 改:2022/1/2)

会社を移ってからいきなりやってきた仕事というのが、超短納期で相当無理して頑張らなければならないものだった。落ち着いて考えてみれば何事もなく無事乗り越えられたのは奇跡だったのではないかと思うくらい怒涛のような出来事だったが、自分へのご褒美ということで休暇を1日だけとって土日と合わせて3連休とすることにした。行先はどうでもよかったが、この間のぐるり九州の「落穂拾い」をすることにした。九州も納得がいくまではあと2、3回は行かないといけないと思っていたので、前回からまだあまり間が空いてなかったけどとりあえず行程が組みやすいコースということになりました。
1日目
とにかく一息つきたかった。まずは1日休暇をもらって3連休を確保する。続いて貴重な時間を大事に使うために、ここは基本に忠実に往復飛行機にして行きは朝早い便、帰りは夜遅い便をおさえることにした。更に空港も不便なところだと大変なので…などと考えていたら結局福岡になったというわけである。行程はその後で考えることにした。
羽田空港でいつものように身の回りと手荷物の検査を受けたが、金属反応がなかったにもかかわらず係員に引き止められた。何か自分悪いことした?などと思っていると、すかさず手にもった金属探知機で体中を調べられた。不幸な事件があったので警戒レベルが上がっているようだ。それにしても他に呼び止められる人はいないのに…ということは自分は不審人物の雰囲気をかもし出していることになる。正直あまりいい気はしなかった。教訓として、ポロシャツにGパンで飛行機に乗るのは止めた方がよさそうだ、ということが分かった。何もすることなく搭乗案内までロビーで待っていると、某有名コピーライターが目の前を通り過ぎていった。どこへ行くのか知らないが、付き人なしで単独行動するのであろうか?
早々とインターネットで座席の指定を取ると、非常口のところの席、そうCAの方とのお見合い席になってしまうことが多いようだが、今回も行きはその席が当たってしまった。別にCAさんをナンパしようとする気などさらさらないが、足が延ばせて楽な反面どうも落ち着かない。CAさんも飲み物を配り終えて少々余裕が出てきた頃に「広島上空ですね♪この辺は…」ってな感じでちょっと世間話をした。前回九州へ飛んだときは広島上空を通らなかったことを話してみたら、そのルートは珍しいかもしれないことを聞いた。役に立つ話ではないがちょっと勉強になった。
福岡空港からは素直に地下鉄を利用することにしている。ちょうど唐津まで直通するJR車両が来ていたのでそれで乗り通すことにした。だが、こいつの乗り心地はあまりよくない。地下鉄の発車ベル(ベルじゃないけど)の音を耳にすると、毎度ながら福岡に来たんだなと実感する。姪浜で地上に登った風景は、どこもそれっぽいというか、地下鉄から他社へ直通する駅の雰囲気がする。地下鉄開通とともに旧筑肥線の一部は廃止されたと聞くが、この先で複線化工事を行っていた。十分に博多の通勤圏内なため、ベットタウンらしい風景がしばらくは続く。乗客もかなり減り車窓は玄海灘のパノラマが広がる。つい数十分前まで大都市の地下鉄だったことが信じられない。(後日談:その後、しばらくして唐津へ再訪したときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
何となく見覚えのある風景だなと思ったら、気がつけば唐津の近くまで来ていた。ずっと高架になっているので、しばらく眺めのいい区間が続く。前回九州へ来たときに西唐津まで行っているので、今日は唐津の先の面倒な1区間に足を延ばす必要はない。ということで、初めて唐津駅で降りることになった。新しくこぎれいな駅は、近代的な高架の駅で下には店舗が入っていた。よく分からなかったが、唐津は城下町のようだった。あまりタイトなスケジュールでもないのでそこらをぐるっと歩いてみる。海にも近いため海産物を売る店が目を引いた。適当なところで昼食にする。更に筑肥線で西へ向かってもいいのだが、敢えてバスに変えてみた。結論的には単調な風景が続くだけなので、正直どうでもいいくらいに思った。バスはタイヤの時刻に忠実だった、というよりも、ところどころで時間調整して間をおきながらの運行だった。
伊万里からは松浦鉄道を乗りつぶすことにしている。西九州線とひとくくりにされているが、実際には伊万里を挟んで別の路線のような扱いになっている。(余談:あれ?前回と同じこと言ってます?)ちょうど次は佐世保行きなのだが結構長丁場だ。土日は1日乗車券を売っていて、片道乗り通すだけでも元が取れてしまうと聞いていたので早速それを購入することにする。駅事務所のようなところはあるのだが職員の姿が見当たらない。と思ったら、トイレ掃除をしていたようだった。結局、切符も売ってもらったが列車の見送りやらちょっとした旅行の手配まで全部こなしてるように見えた。人件費を落とすためギリギリのところまで切り詰めている努力がうかがえる。1日券なので途中平戸あたりでひと呼吸おいてもよかったが、どうしようか考えてるうちに通過してしまった。松浦鉄道に転換してから設置された駅は多いと聞く。それだけ駅間の短いところもあったが、やはり地元を意識した努力というものを感じる。佐世保についたときは夕方になっていた。前回も来ていたが佐世保の商店街をうろうろして今日はおしまいということにする。(後日談:佐世保へ再訪したときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
羽田空港でいつものように身の回りと手荷物の検査を受けたが、金属反応がなかったにもかかわらず係員に引き止められた。何か自分悪いことした?などと思っていると、すかさず手にもった金属探知機で体中を調べられた。不幸な事件があったので警戒レベルが上がっているようだ。それにしても他に呼び止められる人はいないのに…ということは自分は不審人物の雰囲気をかもし出していることになる。正直あまりいい気はしなかった。教訓として、ポロシャツにGパンで飛行機に乗るのは止めた方がよさそうだ、ということが分かった。何もすることなく搭乗案内までロビーで待っていると、某有名コピーライターが目の前を通り過ぎていった。どこへ行くのか知らないが、付き人なしで単独行動するのであろうか?
早々とインターネットで座席の指定を取ると、非常口のところの席、そうCAの方とのお見合い席になってしまうことが多いようだが、今回も行きはその席が当たってしまった。別にCAさんをナンパしようとする気などさらさらないが、足が延ばせて楽な反面どうも落ち着かない。CAさんも飲み物を配り終えて少々余裕が出てきた頃に「広島上空ですね♪この辺は…」ってな感じでちょっと世間話をした。前回九州へ飛んだときは広島上空を通らなかったことを話してみたら、そのルートは珍しいかもしれないことを聞いた。役に立つ話ではないがちょっと勉強になった。
福岡空港からは素直に地下鉄を利用することにしている。ちょうど唐津まで直通するJR車両が来ていたのでそれで乗り通すことにした。だが、こいつの乗り心地はあまりよくない。地下鉄の発車ベル(ベルじゃないけど)の音を耳にすると、毎度ながら福岡に来たんだなと実感する。姪浜で地上に登った風景は、どこもそれっぽいというか、地下鉄から他社へ直通する駅の雰囲気がする。地下鉄開通とともに旧筑肥線の一部は廃止されたと聞くが、この先で複線化工事を行っていた。十分に博多の通勤圏内なため、ベットタウンらしい風景がしばらくは続く。乗客もかなり減り車窓は玄海灘のパノラマが広がる。つい数十分前まで大都市の地下鉄だったことが信じられない。(後日談:その後、しばらくして唐津へ再訪したときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
何となく見覚えのある風景だなと思ったら、気がつけば唐津の近くまで来ていた。ずっと高架になっているので、しばらく眺めのいい区間が続く。前回九州へ来たときに西唐津まで行っているので、今日は唐津の先の面倒な1区間に足を延ばす必要はない。ということで、初めて唐津駅で降りることになった。新しくこぎれいな駅は、近代的な高架の駅で下には店舗が入っていた。よく分からなかったが、唐津は城下町のようだった。あまりタイトなスケジュールでもないのでそこらをぐるっと歩いてみる。海にも近いため海産物を売る店が目を引いた。適当なところで昼食にする。更に筑肥線で西へ向かってもいいのだが、敢えてバスに変えてみた。結論的には単調な風景が続くだけなので、正直どうでもいいくらいに思った。バスはタイヤの時刻に忠実だった、というよりも、ところどころで時間調整して間をおきながらの運行だった。
伊万里からは松浦鉄道を乗りつぶすことにしている。西九州線とひとくくりにされているが、実際には伊万里を挟んで別の路線のような扱いになっている。(余談:あれ?前回と同じこと言ってます?)ちょうど次は佐世保行きなのだが結構長丁場だ。土日は1日乗車券を売っていて、片道乗り通すだけでも元が取れてしまうと聞いていたので早速それを購入することにする。駅事務所のようなところはあるのだが職員の姿が見当たらない。と思ったら、トイレ掃除をしていたようだった。結局、切符も売ってもらったが列車の見送りやらちょっとした旅行の手配まで全部こなしてるように見えた。人件費を落とすためギリギリのところまで切り詰めている努力がうかがえる。1日券なので途中平戸あたりでひと呼吸おいてもよかったが、どうしようか考えてるうちに通過してしまった。松浦鉄道に転換してから設置された駅は多いと聞く。それだけ駅間の短いところもあったが、やはり地元を意識した努力というものを感じる。佐世保についたときは夕方になっていた。前回も来ていたが佐世保の商店街をうろうろして今日はおしまいということにする。(後日談:佐世保へ再訪したときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
2日目
今日の目標は島原一周なのだが、どうも天気予報はあまりよくないようなことを言っている。佐世保あたりはピーカンだったので本当に天気は崩れるの?などと思いながら大村線で諫早へ向かう。手持ちのオレンジカードの残高がどんぴしゃでうまく消化できた。とりあえず快速列車の海側に席を陣取り朝飯にする。早岐やハウステンボスあたりで列車の交換が頻繁にあったため、なかなか先へ進めない。やっぱり列車密度は高いようだ。前に1度通ったが、大村湾の眺めは強く印象に残っていた。まだ天気が悪くなるとは思えないほど見晴らしはよかった。
諫早で島原鉄道に乗り換える。通しの切符をあらかじめ購入しようとするが千円札を2枚出さないと買うことができない。終点まで乗り通す人など滅多にいないだろう。この先どうなるか分からなかったので昼メシも買っておいた。食事のことばかり考えているようだが、後悔するくらいなら先手を打っておくのは鉄則である。レールバスに揺られ南下するにつれ、残念ながら予報通り天気が悪くなってきた。島原の中心近くに来たときにはすっかり雨模様だった。言うまでもないが、普賢岳の噴火で壊滅的なダメージを受けたことは記憶に新しい。車窓からも復興の跡が感じ取れるが、すっぽり雲を被って普賢岳の姿を望むことはできなかった。終点の加津佐に着く頃には雨は止んでいた。
実はこちらへ来て初めて知ったのだが、長崎県というのは公共交通インフラに占める県営バスの比重が高いという。単純に考えると、海沿いに半島をぐるっとまわるか、来た道をそのまま引返すか程度の選択肢があるが、折角なのでバスを乗り継いで雲仙の横断してみることにした。島原鉄道の終点は加津佐だが、ひとつ手前の口之津が町の中心のようで、天草方面へ船もそちらから出ている。路線バスの始発も口之津からなので、加津佐は単なる一停留所だった。実際、駅の周囲には何もなく寂しいばかりだった。そんな感じでバスを待ってて心細くなってきたが、だいたい時刻通りにバスはやってきた。
バスで半島の西側を海沿いに北上し、小浜温泉というところまでやってきた。ここであらためて雲仙方面のバスに乗り継ぐ。海沿いの国道はただ車がバンバン走っているだけで、いわゆる温泉地のような賑わいは感じられなかった。街並みが立派なだけにひと気がないと寂しさも増して思えてくる。何となく海の方にも行ってみたが、雨が降り出してきたのでバス停まで引き返してきた。先程は小さなバスだったが、ここから雲仙方面へいくバスはいわゆる観光バスタイプの立派なやつだ。おかげで乗り心地は断然違う。つづら坂を登って行くにつれ海がどんどん遠くになっていく。天気がよければきっと素晴らしい眺めに違いない。山中に入ってもカーブは続き乗物に弱い人にとっては相当辛いかもしれないが、その辺自分は大雑把にできているのでまったく問題ない。何となく登り切った感じがしてしばらくすると、雲仙温泉の中心地にようなところに出てきた。終点で降りて次に乗るバスの時刻と乗り場を確認して、ボコボコ温泉が湧き出ているところを見に行った。ここまで来て温泉に入らないでもいいのか?とも思ったが、逆に居着いて2、3泊したくなってもそれは困るのでここは思い切って長居しないことにしていた。
バス乗り場はちょっとした建物になっていて、長崎のバスの歴史などが紹介されてるコーナーがあった。もっと普賢岳に近いところにも行ってみたかったが、とりあえず今回はここらで切り上げることにする。途中なだらかに下る箇所に差し掛かったときに、雲の合間から少しだけではあったが普賢岳の姿を見ることができた。バスの車内放送であの噴火のことを紹介していた。風化させてはいけないと素直に感じた。さらに次に乗るバスは島原港での島原大手でも乗り換え可能のようだったが、大手までいくことにした。
結局この日は行く先々で雨が降ったり止んだりを繰返していた。地図を見ると分かるが、有明湾を横断すれば熊本方面へは意外と距離が近いことが分かる。うまいことショートカットするフェリーがあったのでそれを利用しようと思い、多比良というところまで移動してきた。バス停はフェリー発着場所の真ん前にあったので迷うことはなかったが、ちょうど出港するタイミングだったため、乗船料を投捨てるような感じで払い慌てて乗り込んだ。船は意外と大きくそれっぽい旅気分にさせてくれる。所要時間は短いが騒々しくはしゃいでる団体さんもいた。時折小雨がぱらついていたが、海風は心地よかった。
残念なことにその心地よさは長続きせず、長洲港についた頃は思いのほか雨脚が強くなっていた。フェリーの中の張り紙には、港から長洲駅までは一直線で徒歩7、8分程度と書いてあり、軽く考えてそのまま歩き出してしまった。ところが、道はいまいち分かり辛いし全然近い距離でもなかった。雨は一層強くなるし、フェリー乗り場で待機していたタクシーに乗っておけばよかった。後悔してももう遅い。
今日は久留米に宿をおさえてあったので、あとは長洲駅からは鹿児島本線をちょっと北上するだけである。が、列車の本数が少なく、特急を何本も見送ってようやく普通列車がやってきた。それも途中で乗り換えなければならない。よくあるパターンで、JRの久留米駅はとんでもない郊外にあり街の中心ははるか先にある。かなり昔に1度来たことがあるが、それを懐かしみながらまた歩いてみることにした。場違いにとてつもない大きな建物があるなと思ったら、久留米市役所だった。本当にこれでいいのだろうか??まぁ、そんなことはどうでもいい。あとやり残したことはひとつ、久留米のラーメンというものを食べることだ。
諫早で島原鉄道に乗り換える。通しの切符をあらかじめ購入しようとするが千円札を2枚出さないと買うことができない。終点まで乗り通す人など滅多にいないだろう。この先どうなるか分からなかったので昼メシも買っておいた。食事のことばかり考えているようだが、後悔するくらいなら先手を打っておくのは鉄則である。レールバスに揺られ南下するにつれ、残念ながら予報通り天気が悪くなってきた。島原の中心近くに来たときにはすっかり雨模様だった。言うまでもないが、普賢岳の噴火で壊滅的なダメージを受けたことは記憶に新しい。車窓からも復興の跡が感じ取れるが、すっぽり雲を被って普賢岳の姿を望むことはできなかった。終点の加津佐に着く頃には雨は止んでいた。
実はこちらへ来て初めて知ったのだが、長崎県というのは公共交通インフラに占める県営バスの比重が高いという。単純に考えると、海沿いに半島をぐるっとまわるか、来た道をそのまま引返すか程度の選択肢があるが、折角なのでバスを乗り継いで雲仙の横断してみることにした。島原鉄道の終点は加津佐だが、ひとつ手前の口之津が町の中心のようで、天草方面へ船もそちらから出ている。路線バスの始発も口之津からなので、加津佐は単なる一停留所だった。実際、駅の周囲には何もなく寂しいばかりだった。そんな感じでバスを待ってて心細くなってきたが、だいたい時刻通りにバスはやってきた。
バスで半島の西側を海沿いに北上し、小浜温泉というところまでやってきた。ここであらためて雲仙方面のバスに乗り継ぐ。海沿いの国道はただ車がバンバン走っているだけで、いわゆる温泉地のような賑わいは感じられなかった。街並みが立派なだけにひと気がないと寂しさも増して思えてくる。何となく海の方にも行ってみたが、雨が降り出してきたのでバス停まで引き返してきた。先程は小さなバスだったが、ここから雲仙方面へいくバスはいわゆる観光バスタイプの立派なやつだ。おかげで乗り心地は断然違う。つづら坂を登って行くにつれ海がどんどん遠くになっていく。天気がよければきっと素晴らしい眺めに違いない。山中に入ってもカーブは続き乗物に弱い人にとっては相当辛いかもしれないが、その辺自分は大雑把にできているのでまったく問題ない。何となく登り切った感じがしてしばらくすると、雲仙温泉の中心地にようなところに出てきた。終点で降りて次に乗るバスの時刻と乗り場を確認して、ボコボコ温泉が湧き出ているところを見に行った。ここまで来て温泉に入らないでもいいのか?とも思ったが、逆に居着いて2、3泊したくなってもそれは困るのでここは思い切って長居しないことにしていた。
バス乗り場はちょっとした建物になっていて、長崎のバスの歴史などが紹介されてるコーナーがあった。もっと普賢岳に近いところにも行ってみたかったが、とりあえず今回はここらで切り上げることにする。途中なだらかに下る箇所に差し掛かったときに、雲の合間から少しだけではあったが普賢岳の姿を見ることができた。バスの車内放送であの噴火のことを紹介していた。風化させてはいけないと素直に感じた。さらに次に乗るバスは島原港での島原大手でも乗り換え可能のようだったが、大手までいくことにした。
結局この日は行く先々で雨が降ったり止んだりを繰返していた。地図を見ると分かるが、有明湾を横断すれば熊本方面へは意外と距離が近いことが分かる。うまいことショートカットするフェリーがあったのでそれを利用しようと思い、多比良というところまで移動してきた。バス停はフェリー発着場所の真ん前にあったので迷うことはなかったが、ちょうど出港するタイミングだったため、乗船料を投捨てるような感じで払い慌てて乗り込んだ。船は意外と大きくそれっぽい旅気分にさせてくれる。所要時間は短いが騒々しくはしゃいでる団体さんもいた。時折小雨がぱらついていたが、海風は心地よかった。
残念なことにその心地よさは長続きせず、長洲港についた頃は思いのほか雨脚が強くなっていた。フェリーの中の張り紙には、港から長洲駅までは一直線で徒歩7、8分程度と書いてあり、軽く考えてそのまま歩き出してしまった。ところが、道はいまいち分かり辛いし全然近い距離でもなかった。雨は一層強くなるし、フェリー乗り場で待機していたタクシーに乗っておけばよかった。後悔してももう遅い。
今日は久留米に宿をおさえてあったので、あとは長洲駅からは鹿児島本線をちょっと北上するだけである。が、列車の本数が少なく、特急を何本も見送ってようやく普通列車がやってきた。それも途中で乗り換えなければならない。よくあるパターンで、JRの久留米駅はとんでもない郊外にあり街の中心ははるか先にある。かなり昔に1度来たことがあるが、それを懐かしみながらまた歩いてみることにした。場違いにとてつもない大きな建物があるなと思ったら、久留米市役所だった。本当にこれでいいのだろうか??まぁ、そんなことはどうでもいい。あとやり残したことはひとつ、久留米のラーメンというものを食べることだ。
3日目
外に出たらこの日も朝から荒天だった。雨だけならともかく風も非常に強く、雲の流れはまるで台風のようだ。決して九州だからというわけではないだろう。昨日何気なく食べたラーメンは、魚のダシが強いスープが特徴のようだったがあまり自分の好みとは合わなかった。今日も落穂拾い的な感じでちょこちょこっとまわって帰ることにしている。
今朝のスタートは比較的遅くラッシュの峠は越えていた。久留米から西鉄甘木線でまずは甘木まで行ってみることにする。甘木線への列車は短編成でひとつ手前の花畑駅が始発だ。甘木線に入ったとたんにローカル色が強くなる。ちっらと見えた単線の路盤には雑草が生えているところも目立っていた。終点の甘木が近くなる頃には甘木鉄道が寄り添ってきた。
甘木鉄道の駅は綺麗に整った感じのする駅だった。奥まったところにあるトイレをお借りたが、ちょっとした会社のような雰囲気だった。甘木からレールバスで基山に抜ける。そこそこの利用客はあり、小郡では西鉄へ乗り換える客の姿が目立った。併走する高速道路が妙に立派に見えたが、嵐はまだおさまる気配はない。(後日談:その後、甘木鉄道に乗ったときの旅日誌はこちらをご覧ください。)ふたたび久留米に向かうため基山で鹿児島本線に乗り換えることにする。昨日の長洲と同じように、普通列車しか止まらないため特急列車を何本か見送った。天気のせいだろうか、ダイヤは遅れ気味だった。ようやく来た列車はガラガラでほんの数人の客と空気を運んでいた。
久留米の手前で筑後川を渡るとき遠くの方まで見渡せたが、結構な速さで雲が流されていたようなのでこれなら天気は回復してくるかもしれない。ここから日田方面に向かうのだが、以前久大線に乗ったこともありバスで行ってみることにした。ただ後で思ったのが、もしかしたらゆふいんの森に乗れてたかもしれない。久留米のバス乗り場は独特の雰囲気がしたが、どうも公営ギャンブル関係の貸切バスが大挙していたせいのようだった。否定するつもりはないが、何も知らないでいると最初は驚くかもしれない。
日田行きのバスは久大線とほぼ並行する形で運行されている。実際、途中で踏み切りを2、3回渡っていた。気がつくと雨は小降りになっていたが、バスの窓枠は吹き込んできた雨で濡れていた。相当降ったようだ。JR久留米駅始発で途中西鉄久留米駅にも立ち寄り、乗客は団体さんを含め10人程いた。平日にしてはまずまずだろうか。ただ、途中から自分ひとりの貸切になってしまった。運転手さんからも「どこまで行くんね?」などと声を掛けられてしまったが、どうも路線バスでひとり切りというのは落ち着かない。ひとりになってしまった頃から山間の国道をひたすら東に進み、やがて左に曲がったと思ったら日田に到着した。
前回の九州のときには日田彦山線の一部がどうもスケジュールに組み入れられず、割り切って残したおいたところだった。途中で本数が極端に減ってしまうからだ。今回は逆から上り方面に乗ってみて、ついでに平成筑豊鉄道の支線の方もあわせてやっつけてしまうことにしてあった。日田から2駅間は日田彦山線ではなく久大線なのだが、実際は日田駅が始発になっている。ただ、目的の列車は少し手前の天ヶ瀬からの直通列車であった。昼飯はまだだったが、どれほど混むか分からなかったので日田で適当な弁当を調達することにした。ざっと見回してみて鮎寿司が目に止まったので迷わずこいつにした。こういうところでないとなかなか口にできないもののような気がした。天ヶ瀬からの列車はある程度客を乗せてきたが、かなりの数が日田で入替えになった。背負ってる赤ん坊まで入れて6人の子連れという母親がいたが、列車での移動はしんどそうであった。別に悪気はないが賑やかなところからは遠ざかって座席を確保した。夜明という素敵なネーミングの駅を経由して日田彦山線に入っていく。山間の風景が続きやがて長いトンネルに入る。ちょうど彦山あたりで、地理的にも文化的にも地域を分けているのであろう。彦山駅で時間調整のため少々停車をして上下交換も行われた。車内はどんよりとした空気が満ちており、ほとんどの人が眠りについている。気がつくと天気は急速に回復していた。
田川後藤寺駅での糸田線への乗り換え時間はほんのわずかだった。だだっ広い構内が在りし日の繁栄を無言のうちに物語っているようだった。昔の路線図を引っくり返してみると、これでもかというくらい路線が入り乱れていたが今となっては見る影もない。金田まではほんのわずかであっという間に乗り通してしまった。ここでの乗り換え時間も僅かであるが直方までの通しの料金を前払いする仕組みがよく分からず、それ以前に田川後藤寺で乗車証明書を取ってくることも忘れてしまっていた。運転手さんにもちょっと嫌な顔をされ悪いことをしてしまったようにも思えるが、こんなおっちょこちょいさんのために車内にも乗車証明票が用意されていた。この区間は1度乗ったことがあるが、複線の立派な路線やボタ山と思われる地形も何かもの哀しげに思えた。
直方駅は乗り換え客で賑やかな感じがしていた。天気はもうすっかり晴れ上がり、今朝の嵐はウソのようだった。ここからどの方向へ乗り換えるにしても時間に余裕があるため街歩きをしてみることにした。昭和という時代を感じさせる商店街は映画セットのような雰囲気だった。何が楽しいというわけでもないが、時折こうして街の表情を観察していることが多い。ここから先の予定はノーアイデアであとは空港へ行くだけだった。電化工事も着実に進んでいるようだったが、無難に篠栗まわりの快速で博多へ出ることにした。九州カラーの赤色の気動車で発車を待っていると開いたドアからハトが車内に乗り込んできた。追っ払うのも面倒だが、外に出ようともしない。後ろに何両か増結されたのでそちらに移動することにした。1度乗ったところではあったが、こんなに山深いところあったっけ?などと思い出してみたが、人間の記憶なんていい加減なものだ。しばらくはのんびりした空気が続いたが、徐々に客の数も増えてきて博多に着く頃には満員になっていた。気がつけば夕方のラッシュアワーに差し掛かっていた。
このまま飛行機に乗ってしまうとしばらく食事にありつけなくなるので博多の駅で何か食べておくことにした。便指定で飛行機も予約してあり空港までは地下鉄ですぐ行けると分かっているので、こうしてギリギリまでメシを食いながらでも粘るいることができる。福岡空港は本当に便利な空港だ。変化に富んでいたか?と思い返すと、決して今回は特に印象深いところはなかったが、慌しい日常から解き放たれたということで非常に有意義だった。3日間というのは長いようで短く、本当にささやかなご褒美であった。
今朝のスタートは比較的遅くラッシュの峠は越えていた。久留米から西鉄甘木線でまずは甘木まで行ってみることにする。甘木線への列車は短編成でひとつ手前の花畑駅が始発だ。甘木線に入ったとたんにローカル色が強くなる。ちっらと見えた単線の路盤には雑草が生えているところも目立っていた。終点の甘木が近くなる頃には甘木鉄道が寄り添ってきた。
甘木鉄道の駅は綺麗に整った感じのする駅だった。奥まったところにあるトイレをお借りたが、ちょっとした会社のような雰囲気だった。甘木からレールバスで基山に抜ける。そこそこの利用客はあり、小郡では西鉄へ乗り換える客の姿が目立った。併走する高速道路が妙に立派に見えたが、嵐はまだおさまる気配はない。(後日談:その後、甘木鉄道に乗ったときの旅日誌はこちらをご覧ください。)ふたたび久留米に向かうため基山で鹿児島本線に乗り換えることにする。昨日の長洲と同じように、普通列車しか止まらないため特急列車を何本か見送った。天気のせいだろうか、ダイヤは遅れ気味だった。ようやく来た列車はガラガラでほんの数人の客と空気を運んでいた。
久留米の手前で筑後川を渡るとき遠くの方まで見渡せたが、結構な速さで雲が流されていたようなのでこれなら天気は回復してくるかもしれない。ここから日田方面に向かうのだが、以前久大線に乗ったこともありバスで行ってみることにした。ただ後で思ったのが、もしかしたらゆふいんの森に乗れてたかもしれない。久留米のバス乗り場は独特の雰囲気がしたが、どうも公営ギャンブル関係の貸切バスが大挙していたせいのようだった。否定するつもりはないが、何も知らないでいると最初は驚くかもしれない。
日田行きのバスは久大線とほぼ並行する形で運行されている。実際、途中で踏み切りを2、3回渡っていた。気がつくと雨は小降りになっていたが、バスの窓枠は吹き込んできた雨で濡れていた。相当降ったようだ。JR久留米駅始発で途中西鉄久留米駅にも立ち寄り、乗客は団体さんを含め10人程いた。平日にしてはまずまずだろうか。ただ、途中から自分ひとりの貸切になってしまった。運転手さんからも「どこまで行くんね?」などと声を掛けられてしまったが、どうも路線バスでひとり切りというのは落ち着かない。ひとりになってしまった頃から山間の国道をひたすら東に進み、やがて左に曲がったと思ったら日田に到着した。
前回の九州のときには日田彦山線の一部がどうもスケジュールに組み入れられず、割り切って残したおいたところだった。途中で本数が極端に減ってしまうからだ。今回は逆から上り方面に乗ってみて、ついでに平成筑豊鉄道の支線の方もあわせてやっつけてしまうことにしてあった。日田から2駅間は日田彦山線ではなく久大線なのだが、実際は日田駅が始発になっている。ただ、目的の列車は少し手前の天ヶ瀬からの直通列車であった。昼飯はまだだったが、どれほど混むか分からなかったので日田で適当な弁当を調達することにした。ざっと見回してみて鮎寿司が目に止まったので迷わずこいつにした。こういうところでないとなかなか口にできないもののような気がした。天ヶ瀬からの列車はある程度客を乗せてきたが、かなりの数が日田で入替えになった。背負ってる赤ん坊まで入れて6人の子連れという母親がいたが、列車での移動はしんどそうであった。別に悪気はないが賑やかなところからは遠ざかって座席を確保した。夜明という素敵なネーミングの駅を経由して日田彦山線に入っていく。山間の風景が続きやがて長いトンネルに入る。ちょうど彦山あたりで、地理的にも文化的にも地域を分けているのであろう。彦山駅で時間調整のため少々停車をして上下交換も行われた。車内はどんよりとした空気が満ちており、ほとんどの人が眠りについている。気がつくと天気は急速に回復していた。
田川後藤寺駅での糸田線への乗り換え時間はほんのわずかだった。だだっ広い構内が在りし日の繁栄を無言のうちに物語っているようだった。昔の路線図を引っくり返してみると、これでもかというくらい路線が入り乱れていたが今となっては見る影もない。金田まではほんのわずかであっという間に乗り通してしまった。ここでの乗り換え時間も僅かであるが直方までの通しの料金を前払いする仕組みがよく分からず、それ以前に田川後藤寺で乗車証明書を取ってくることも忘れてしまっていた。運転手さんにもちょっと嫌な顔をされ悪いことをしてしまったようにも思えるが、こんなおっちょこちょいさんのために車内にも乗車証明票が用意されていた。この区間は1度乗ったことがあるが、複線の立派な路線やボタ山と思われる地形も何かもの哀しげに思えた。
直方駅は乗り換え客で賑やかな感じがしていた。天気はもうすっかり晴れ上がり、今朝の嵐はウソのようだった。ここからどの方向へ乗り換えるにしても時間に余裕があるため街歩きをしてみることにした。昭和という時代を感じさせる商店街は映画セットのような雰囲気だった。何が楽しいというわけでもないが、時折こうして街の表情を観察していることが多い。ここから先の予定はノーアイデアであとは空港へ行くだけだった。電化工事も着実に進んでいるようだったが、無難に篠栗まわりの快速で博多へ出ることにした。九州カラーの赤色の気動車で発車を待っていると開いたドアからハトが車内に乗り込んできた。追っ払うのも面倒だが、外に出ようともしない。後ろに何両か増結されたのでそちらに移動することにした。1度乗ったところではあったが、こんなに山深いところあったっけ?などと思い出してみたが、人間の記憶なんていい加減なものだ。しばらくはのんびりした空気が続いたが、徐々に客の数も増えてきて博多に着く頃には満員になっていた。気がつけば夕方のラッシュアワーに差し掛かっていた。
このまま飛行機に乗ってしまうとしばらく食事にありつけなくなるので博多の駅で何か食べておくことにした。便指定で飛行機も予約してあり空港までは地下鉄ですぐ行けると分かっているので、こうしてギリギリまでメシを食いながらでも粘るいることができる。福岡空港は本当に便利な空港だ。変化に富んでいたか?と思い返すと、決して今回は特に印象深いところはなかったが、慌しい日常から解き放たれたということで非常に有意義だった。3日間というのは長いようで短く、本当にささやかなご褒美であった。