■旅日誌
[1998/1] ふたたび関西へ
(記:2003/3/25 改:2024/4/30)
(記:2003/3/25 改:2024/4/30)

雪中強行軍後の再び関西です。当初は日帰りのつもりだったのですが、月曜の朝一に移動するのがイヤだったのでぷらっと土曜日から出掛けてしまいました。なのでまったく無計画にぷらぷらしただけです。折角なのでもっと計画を立てておくべきだったかな?とあとでちょっとだけ感じてました。
1日目
以前からあたためていた企画をプロジェクトとして立上げるには味方が必要だった。みんな忙しいのは十分に分かっているし、社内とはいえ本音で付き合ってくれる人でないとうまくいかないに決まっている。そのためには、こちらも真剣であること、きっと役に立つに違いないことを分かってもらわなければならない。でまた一方では、何か斬新さがあるとか、遊び心がちょこっと垣間見えるとか、そういう部分があってこそ成功へ続くものだと信じていた。たまたま社内で立ち上がっていた"板"で大阪の営業スタッフをしている人と知り合い、この企画の話を出したら仕様決めからβテスターまで全面協力してくれることになった。正攻法でいくなら、東京の本社のから入っていくのが定石だと誰もが考えるだろうが、大阪から…というのが実は"ミソ"である。ひとつは、地理的に離れた部門とのコラボレーションでこんな大それた話が本当に進められるのか確かめたかったこと、そしてもうひとつは、関西圏の考え方として、すべてストレートなものの言い方をすること、このふたつが大きなポイントだった。特に後者は、腹の中で本音のことを思っていても表向きは愛想笑いでいる…というのが関東的な人付き合いというもので、逆に本音のところを大げさなくらい言ってくる…というのが関西に多いと言われるている。なので、大阪が手を上げてくれたのは、正直とても嬉しかった。プロジェクトの方も徐々にアウトプットが出てきたので、一旦直接会って最後の詰めに入りましょう、ということで今回は訪阪することになった。
大阪の販売拠点に出向くのは久しぶりである。出張といってもここ1、2年は工場相手が多かったので、販売拠点に行く機会自体が少なかった。単細胞なのでお出掛けするだけで嬉しいのだが、今回はプロジェクトの節目としてβテストを具体化するという目的があったのでそちらの方でもワクワクしていた。楽しい仕事というのにもなかなか出会えないが、こんな機会もこの先少ないだろう。ともかく、大雪の大津工場以来の出張なのだが、ぷらっと週末を大阪で過ごすことを企み土曜日に家を出ることにした。
本当に無計画だったので東京から新幹線に乗ったはいいが、わけもなく京都で降りたくなりそのまま降りてしまう。近鉄に乗り換え橿原神宮前を経由して大阪方面へ抜けることにした。奈良あたりまでは近鉄に乗った記憶があるが、その先は確かに行ったことはない。途中平端駅で乗り継ぎが必要となり、橿原神宮前行きの列車を待つ。周囲に遮るものがないせいか、乾燥した寒風が吹きつけてくる。たまらずホームで待つのをためらい、地下の連絡階段に身を伏せることにした。橿原神宮前駅は乗り換えターミナルのような役割もあり、多くの人が行き来している。同じ近鉄ではあるが、線路幅が違う2路線がここで顔を合わせる。この先吉野方面に向かってもいいのだが、どれくらいかかるのかよく分からなかったので今日は止めておくことにしよう。しばらく上り方面の列車を待ち、阿部野橋行きの急行に乗り込んだ。短い編成ということもあってか、先へ進むにつれ車内は混合ってきた。目の前にお年寄りの方が立っていたので席を譲る。混雑していたので外の風景を楽しむ余裕はなかった。よく分からないが、近鉄南大阪線が発着するのは阿部野橋と駅名がついているが、他はみな天王寺駅である。(余談:どうして梅田駅と大阪駅があるのかも、分かる人がいれば教えてほしい?(^^;)ここからも何もあてはないが、天王寺から地下鉄で南下して住之江公園まで行き、新交通システムがあったのでそいつに乗ってみることにした。確か、記憶が正しければオーバーラン事故を起こした奴じゃなかったけ??南港地区の倉庫街を見下ろしながら、大阪湾に随分近いところを通る。そのうち会社名が変わるが、だからといって何もかわるわけではない。単に台所事情が苦しいだけだろう。新交通としての終点と思しき駅で地下鉄に乗り換えるが、そちらも1区間だけこの三セク会社となっている。複雑な事情についてはいいとして、今日はここらで切り上げることにしよう。(後日談:このOTSも大阪市へ運営母体が移ることになりました。当然と言えば、当然でしょう。)
大阪の販売拠点に出向くのは久しぶりである。出張といってもここ1、2年は工場相手が多かったので、販売拠点に行く機会自体が少なかった。単細胞なのでお出掛けするだけで嬉しいのだが、今回はプロジェクトの節目としてβテストを具体化するという目的があったのでそちらの方でもワクワクしていた。楽しい仕事というのにもなかなか出会えないが、こんな機会もこの先少ないだろう。ともかく、大雪の大津工場以来の出張なのだが、ぷらっと週末を大阪で過ごすことを企み土曜日に家を出ることにした。
本当に無計画だったので東京から新幹線に乗ったはいいが、わけもなく京都で降りたくなりそのまま降りてしまう。近鉄に乗り換え橿原神宮前を経由して大阪方面へ抜けることにした。奈良あたりまでは近鉄に乗った記憶があるが、その先は確かに行ったことはない。途中平端駅で乗り継ぎが必要となり、橿原神宮前行きの列車を待つ。周囲に遮るものがないせいか、乾燥した寒風が吹きつけてくる。たまらずホームで待つのをためらい、地下の連絡階段に身を伏せることにした。橿原神宮前駅は乗り換えターミナルのような役割もあり、多くの人が行き来している。同じ近鉄ではあるが、線路幅が違う2路線がここで顔を合わせる。この先吉野方面に向かってもいいのだが、どれくらいかかるのかよく分からなかったので今日は止めておくことにしよう。しばらく上り方面の列車を待ち、阿部野橋行きの急行に乗り込んだ。短い編成ということもあってか、先へ進むにつれ車内は混合ってきた。目の前にお年寄りの方が立っていたので席を譲る。混雑していたので外の風景を楽しむ余裕はなかった。よく分からないが、近鉄南大阪線が発着するのは阿部野橋と駅名がついているが、他はみな天王寺駅である。(余談:どうして梅田駅と大阪駅があるのかも、分かる人がいれば教えてほしい?(^^;)ここからも何もあてはないが、天王寺から地下鉄で南下して住之江公園まで行き、新交通システムがあったのでそいつに乗ってみることにした。確か、記憶が正しければオーバーラン事故を起こした奴じゃなかったけ??南港地区の倉庫街を見下ろしながら、大阪湾に随分近いところを通る。そのうち会社名が変わるが、だからといって何もかわるわけではない。単に台所事情が苦しいだけだろう。新交通としての終点と思しき駅で地下鉄に乗り換えるが、そちらも1区間だけこの三セク会社となっている。複雑な事情についてはいいとして、今日はここらで切り上げることにしよう。(後日談:このOTSも大阪市へ運営母体が移ることになりました。当然と言えば、当然でしょう。)
2日目
旅先では不思議と早起きをしてしまうが、今朝も早い時間から活動開始となった。もちろん今日も予定はないのだが、とりあえずモノレールでも見に行くことにしよう。御堂筋線も新大阪から先には行ったことがなかったので、そのままストレートに北上する。地下鉄の発車時の警笛を聞くと、条件反射的に大阪にいる実感がわいてくる。淀川を渡り地上に出た先は高速道路と並走していく。(後日談:その後、北大阪急行延伸に伴い再訪する機会がありました。そのときの旅日誌はこちらをご覧ください。)終点の千里中央駅はモノレールとの接続でもあり、千里ニュータウンの玄関駅としても十分立派な駅だった。大阪高速鉄道という会社名も少し違和感を覚えるがモノレールに乗り換えまずは伊丹空港方面を目指す。アップダウンの起伏はモノレール独特のものを感じさせる。もちろん空港にも用はないのでそのまま折り返す。万博公園で、太陽の塔の"本物"を初めて間近で目にした。モノレールはほぼ全線が高架区間なので見晴らしがとてもよい。途中、新幹線の車両基地など眼下にみながら門真へ出て京阪電車に乗り継ぐことにした。京阪電車の始発駅が三条ではなく出町柳になったのはいつ頃のことからなのか実は知らなかったりするが、終点の出町柳までやって来た。何を思ったか、ここからしばらく歩いて南下してみることにする。京都の街には違いないが、観光地的な様子はあまりなく淡々とした街並みが続く。何十分ほど歩いたかさっぱり分からないが、少々疲れてきたので昼メシのことを考え始めた。行き当たりばったり的にそこらのお店に入ってみることにする。エレベーターで7Fまで上がり、中途半端に高級そうなお店だったが、まぁ失敗してもいいやと思い入ってみる。もちろん、ランチメニューの値段を確認してからのことではあるが、、、(笑) 結果は期待通りというか、いい意味で期待を裏切って豪華な内容だった。逆に、これで本当にこの値段でいいの?と心配してしまうくらい立派な(?)のものだった。溜まりかけた疲労は一気に解消され、気がつけばもうそこは新京極のすぐ近くにいる。もしかしてすごい歩いちゃった??(苦笑)
何となく京都はもういいと感じてたので、少し西へ行くことにした。阪急に乗って大阪を通り越えて一気に三宮まで来てみる。全然"少し"じゃないが、その昔ポートライナーに乗ったことを思い出したので、とりあえず一周してみることにした。(後日談:そのときは、神戸空港のことなど微塵も思いつきませんでした。神戸空港を利用したときの旅日誌はこちらとこちらをご覧ください。)しばらく三宮を街歩きでうろうろして、最後の締めくくりというわけでもないが、阪神で大阪まで戻る。さらに意味もなく梅田近辺の地下街を見てまわり、宿を予約してある新大阪へ向かい今日は終わりにした。
何となく京都はもういいと感じてたので、少し西へ行くことにした。阪急に乗って大阪を通り越えて一気に三宮まで来てみる。全然"少し"じゃないが、その昔ポートライナーに乗ったことを思い出したので、とりあえず一周してみることにした。(後日談:そのときは、神戸空港のことなど微塵も思いつきませんでした。神戸空港を利用したときの旅日誌はこちらとこちらをご覧ください。)しばらく三宮を街歩きでうろうろして、最後の締めくくりというわけでもないが、阪神で大阪まで戻る。さらに意味もなく梅田近辺の地下街を見てまわり、宿を予約してある新大阪へ向かい今日は終わりにした。
3日目
昨日までのいい加減な状態からギアを入れなおして、今日はお仕事モードに徹する。いよいよ大阪にお披露目かと思うと、ここまでプロジェクトが進捗してきて本当によかったと思う。(余談:楽しかったことを思い出すと逆にいま辛く感じるので、ここでは仕事の話は省略しま~す)
事前に考えていたことは全て済ませ、今日は無事に帰れることになった。もちろん宿題は宿題としてあるが、目の前で確実にゴールを目指してことが動いていると実感できて今回はとても有意義だった。時間の許す限り…ということで食事のお誘いを受け、拠点の近くで晩メシを一緒にすることにした。8時くらいまでいただろうか、最後はそそくさと引き上げ、あとは新幹線でひと眠りすればいいだけだった。
事前に考えていたことは全て済ませ、今日は無事に帰れることになった。もちろん宿題は宿題としてあるが、目の前で確実にゴールを目指してことが動いていると実感できて今回はとても有意義だった。時間の許す限り…ということで食事のお誘いを受け、拠点の近くで晩メシを一緒にすることにした。8時くらいまでいただろうか、最後はそそくさと引き上げ、あとは新幹線でひと眠りすればいいだけだった。