■旅日誌
[2024/6] あの日を思う
(記:2024/11/17)
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1日ポッカリ時間ができたので、無理せず行けそうなところを探して、仙台を往復することにしました。これまたほんの思いつきだったのですが、行きは常磐線を乗り通すことにします。
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 日帰り
ルート概略
【寄ったところ、乗ったもの】※詳細はこちら
常磐線/ひたち3、仙台、野蒜、東松島市震災復興伝承館
何年か前にも同じパターンがあったが、稼働日数の関係か、普通の平日が休日扱いになったので、急遽お出掛けすることにした。といっても何か目的があったわけではなく、準備なく行けそうなところということで、震災後、全線復旧した常磐線を乗り通してみようと思う。実のところ過去にも2回ほど仙台まで通しで乗ったことがあったが、あらためて機会があれば行ってみようと考えていた。というわけで、今回乗車するのはひたち3号、それほど早い時間帯でもなく、品川駅を8時前に出発して、仙台駅にはお昼過ぎに到着する。コロナ後、人出も戻って指定が取りづらくなった状況はいいことかもしれないが、品川駅出発時点で今日は満席とのアナウンスが入っていた。
ひたち3号・仙台行き
新幹線とは違って在来線の特急なので、車窓の風景を眺めながら、ゆったりとした時間が過ぎていく。とはいえ、震災の影響で付け替えた区間などを通ってみると、どことなく複雑な思いもよぎる。そんな感じでひたち3号は定刻で仙台に到着、まぁ、ただぼーっとしていただけと言えばそれまでなのだが、久しぶりの長時間の列車旅はこれで終了、スマートな白い列車に別れを告げる。
東北仙石ライン
このまま折り返してもよかったのだが、もう少し先の東北仙石ラインまで足を延ばしてみることにした。仙台出発後、去年の貨物線ツアーで通ったところをなぞるように進み、松島駅の手前の渡り線を通って仙石線へ進入、高城町に停車した後、震災後移設された区間に入り野蒜で下車する。乗ってきた車両越しに見る景観からも、新しい路線は高台に敷設されたことがよく分かった。駅舎の脇の地下道を抜け、あらためて遠くに目を向けると、あんなことがあったがウソのようにしか思えなほど穏やかな景色が広がっていた。
旧野蒜駅のプラットフォーム
続いて、少し歩いたところにある東松島市震災復興伝承館へ向かう。東松島市奥松島観光情報センターとして利用されていた建物の中に入り、展示物などを見学する。旧野蒜駅プラットホーム震災遺構として整備、保存されており、震災の記憶を今に留めている。心を無に辺りを見学していると、ふと上空をブルーインパルスのT4が通り過ぎていった。ここには1時間ほどいただろうか、再び駅に戻り、帰りは仙石線経由仙台駅へ戻ることにした。
東日本大震災の様子
仙石線の電車は帰路につく学生などを乗せ、超満員状態で仙台駅へ到着。帰りのことはあまり考えていなかったのだが、指定をとっておいたはやぶさで一気に東京まで戻ることにした。当初、仙台始発のやまびこ・自由席で帰ることも頭をよぎったが、隣のホームには200系カラーのE2系が既に出発を控えていて、う~ん、こっちだったか?と少し後悔する。そんなこともありぃので、はやぶさ32号は定刻で東京へ到着、ほんの思いつきで旅立った1日だったが、とても濃ぃー日だった。
東松島市震災復興伝承館