■旅日誌
[2002/5] 目指せ北関東・茨城制覇編
(記:2003/1/4 改:2021/8/7)
(記:2003/1/4 改:2021/8/7)
仕事が忙しかったのですが、じっとしていられなくなり手近で手がつけられなかった場所を訪れることにしました。もちろん日帰りでしか体をあけることができませんので、地図と睨めっこして茨城の未乗路線を1日で片付けることにしました。なんとなくのんびりできる1日でした。
※下線部をクリックすると写真が表示されます
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日帰り
体調絶不調のわりに気合一発で早起きしていた。体調が悪いというか簡単に言えば寝不足である。まぁここ3年鍛えられたおかげで寝不足くらいではぶっ倒れない体質になっていた。何事も気合である。(意味不明)常磐線に乗るためにまず上野に出てきた。気がつけば何も考えずに普通列車に乗っていたが、そういえば特急を利用すればもっと時間に余裕がつくれたはずだ。ちょっと後悔。それでも中電の長大編成は空いていたので、遠慮なくワンボックス占有し朝メシを軽く済ませた。交直切替えのデッドセクションを越えて程なく石岡に到着。ここで鹿島鉄道に乗り換える。(後日談:石岡駅には茨城空港開港時に再訪する機会がありました。そのときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
鹿島鉄道には新旧役者が揃っていると聞いていたが、石岡駅で次の発車を待っていたのは最古参の車両だった。早速乗り込むと、なんともいえない油の匂いがほのかにする。製造年月を見ると昭和36年とあった。ロングシートの端にとりあえず座る。運転席が見えるが手入れが行き届いているのか意外と古さは感じさせない。後続の特急からの乗り継ぎ客を拾い石岡駅を出発する。すれ違う石岡方面の列車はどれも混雑していたが、こちらの混み具合は程々といったところか。まさにガタガタゴトゴトといった感じの乗り心地である。この揺れも雰囲気も、もの珍しさだけでやってきたよそ者にはいいかもしれないが、地元客にとってはどうだろう?途中、ちらっと霞ヶ浦も見えたが、強い日差しは初夏を思わせる陽気だ。(後日談:残念ながら鹿島鉄道は2007年3月廃止されました。)
1時間弱で鉾田駅へ到着した。1日乗車券を買い求めている人もいたが、往復することを考えるとこちらがお得のようだ。平日なら駅前の立喰いソバが穴場という情報を聞いていたが、残念ながら今日は日曜でお休み。ここから鹿島臨海鉄道の新鉾田駅まで徒歩で向かう。地図なしで向かうのはさすがに無理そうだったので、事前に下調べをしておいた。実際歩いてみて新鉾田駅へは15分くらいで行けたが、やはり何もなしでは難しいかもしれない。DIYのお店のようなもの以外は駅といっても何もない。乗り継ぎにはまだ時間があったので近くを歩きまわってみた。コンビニのようなパン屋のようなお店があったので昼食を調達し、新鉾田駅まで戻って軽く済ませた。鹿島臨海鉄道は高架と切通しの連続で、ここ新鉾田駅のプラットフォームも高架に位置しており遠く霞ヶ浦がかすかに見えている。なぜか地元客と思われる若者に次の水戸方面の時刻を質問されたが、時刻表をみて大洗で乗り継ぎであることを伝えた。鹿島神宮方面の列車を見送りしばらくして水戸方面の列車がやってきた。大洗で運行形態が切れるようで水戸までは行かないようだった。
大洗駅は観光地の窓口でもあるこぎれいな駅だったが、駅周辺には何もない。当初は水戸まで出て1駅だけ常磐線を利用して勝田から茨城交通に乗り継ぐルートを考えたが、大洗から那珂湊までバスでショートカットできそうなのでこちらのルートにする。が、時刻も所要時間も分かってないのでちょっと心配ではある。那珂湊方面へのバスは駅前を通らない。バス停のある国道まで行って時刻表を見ると、20分おきに那珂湊まで行く便と途中までのが交互にやってくるダイヤになっている。ところが、休日に限って順番が逆になっており、おまけに運悪くさっき行ったばっかりだった。ようやく目的のバスがやってきたが、定刻より10分ほど遅れている。バス路線もストレートに那珂湊へ向かうわけではなく、ポイントポイントにバス停があるためいろいろ回り込んで進んでいく。さらに渋滞箇所も迂回することができないため、何回も足止めをくらった。地元のおばちゃんたちが車内で会話しているのが聞こえてきたが、夏場の海水浴シーズンには普段なら15分で行けるところが2時間もかかったと話している。ちょっと甘く見ていたかもしれないが、那珂湊で乗り継ぎを予定していた便に間に合うか怪しくなってきた。
那珂湊駅にバスが到着し大慌てで降りてみると、勝田方面も阿字ヶ浦方面もちょうど列車が発車するところだった。すいませんとひとこと断って、切符も買わずに飛び乗った。すれすれセーフである。那珂湊駅はとても雰囲気のある駅だったのでワンショット撮っておきたかったが仕方がない。できれば何もない大洗駅で何十分も過ごすより那珂湊近辺を歩き回りたかった。阿字ヶ浦駅到着後、特に何をするでもなく折り返しの列車で勝田まで戻った。ここからもう一足延ばして日立電鉄の未乗区間を目指す。(後日談:その後、ひたちなか海浜鉄道湊線として再訪する機会がありました。そのときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
常磐線で大甕までやってきた。日立電鉄にはかなり昔に乗りに来たことがあったが、そのときは大甕から常北太田までで鮎川方面が未乗区間で残っていた。すぐに来た便で鮎川まで乗り通したが、大甕でわずかに乗せた客も1人2人と降りていき最後は結局自分ひとりになってしまった。折り返しまでしばらく時間があったので鮎川駅近辺を見てまわる。旧丸の内線を改造した車両が何両か停留されていた。ここから日立方面へ抜けられないか、あるいは桜川あたりまで戻って常陸多賀まで抜けられないか考えたが、結局来たまま大甕まで引き返すことにする。
まだ今日は時間に余裕があったので、ここ大甕でも特急は見送り上野行きの普通列車にすることにした。途中土浦のあたりで真夏を思わせるほどの夕立に遭った。ひどい土砂降りの大雨である。まだ先のことになるかもしれないが、常磐新線が開通したら茨城方面にはまた来ることになるのだろうか。そう思うと、新線の開通が待ち遠しくもなってきた。(後日談:残念ながら日立電鉄は2005年3月廃止されました。)