■旅日誌
[2000/8] 無計画にとりあえず名古屋方面へ
(記:2000/8/15 改:2022/1/1)
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折角の夏休みなので、どこでもいいから無計画に出掛けることにしました。去年も無計画に名古屋方面へ出掛けましたが今回も行き当たりばったり承知で行ったものだから、あまり効率よく回ることはできていません。それでも、珍しいもの気になるものをちょっとだけ盛り込めたのでそこそこ旅気分を味わえたように思えます。
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 0日目
ルート概略
【寄ったところ、乗ったもの】※詳細はこちら
東海道本線/救済臨
前回名古屋方面へ行ったときのことをちょっと思い出し、気がついたら東京発名古屋経由で東京近辺へ戻ってくる一筆書きの切符を買っていた。(笑) 本当に無計画に思い立ったのでムーンライトながらの指定なんて取れるはずもなく、久しぶりに大垣行き臨時夜行、通称:救済臨に並んでみることにした。(後日談:その救済臨も後に座席指定になりましたね。)基本的に体力勝負の貧乏旅行は避けたいが、とにかく手軽に距離を稼げる手段を考えてみたところ、思いついたのがこれだった。とはいえ、まさしくピーク期なのでどれだけ混雑するのかも想像つかず、2時間も前に並べば席に座るれるだろうと見込んで、ろくな準備もせずに品川駅へ直行。結果的には先客も随分並んでいたが、座席定員+α程度の混み様で大混乱とまではいかないくらいだった。ちなみにこの日あてがわれてたのは往年の大垣夜行を思わせる急行タイプの車両を寄せ集めた編成で、はがれた塗装を粗雑に応急処置した程度の車両も含まれていた。やっぱりあたりはずれは仕方ないか、、、
 1日目
ルート概略
【寄ったところ、乗ったもの】※詳細はこちら
名古屋、賢島、鳥羽、名松線、近鉄八王子線・内部線、近鉄湯の山線、名鉄津島線
座席にありつけただけでもありがたい…と言わんばかりにみな一様に窮屈な思いをしていたに違いない。自分も足を組替えることさえできず、うっつらうっつらしながら時折意識が薄れる程度の状態だった。豊橋で降りていく人もそれなりにいたが、それ以上に本家ムーンライトながらから乗り込んでくるのと始発替わりにこいつを利用する人がいて、結局混み様は変わらなかった。本家の影に隠れて様子をうかがっていた救済臨は、ここらからスパートをかけて前へ出る。それを狙ってのことだが、さすがにみなさんよくご存知のようだ。名古屋に着き改札を抜けようとして気がついた。おや、いけない、この駅は一筆書き上にないぞ…ということで金山から1駅乗り越す形にしてもらう。
鳥羽
3日間連続で居座ることはできそうにもなかったのだが、名鉄、近鉄、南海の3社共通3日間フリーチケットがあったのでとりあえずそいつを購入する。最初に近鉄特急の指定券を売る窓口へ並んでしまったら、フリーチケットは隣の窓口でないと買えない、と冷たくあしらわれた。ちょっとむっとした。こういうところでの気配りを見直すだけでも客側の受ける心象は随分と違うように思えるのだが、そんなことを考えるのは自分だけだろうか?気を取り直し朝飯を買込み、賢島行き特急に乗り込む。発車と同時に朝飯を済ませると、昨夜の疲れも手伝ってかなりまったりとしてきた。無理もない、あの窮屈さに比べればこっちは天国だ。早朝の特急は意外と空いているなと思ったら、停車駅ごとに混んできて四日市のあたりでほぼ座席は埋まった。お盆の時期とはいえ、この時間の特急は雰囲気からして仕事の移動や通勤に使う人も多いようだ。近鉄特急は快調に飛ばし、賢島に着く頃にはすっかり車内も空いていた。一旦改札の外に出て朝の空気を吸う。人もいないし何があるのかよく分からなかったのですぐ折り返すことにした。というより、上りの本数が少なかったのでいま出る便がそこにあったから飛び乗ったという方が近いかもしれない。
普通列車で鳥羽まで戻ってきた。沿線には集客目的のレジャー施設のようなものが目立ったが、もっと人がいてもいいんじゃないかな?と思うほどだった。今回は基本的に無計画ではあったが、ふたつのJRの未乗路線を片付けることだけは前もって頭に入れてある。そのひとつが参宮線であり、そのために鳥羽で降りたったわけだ。駅から程近いところまでが迫ってきており、とても気持ちがいいのでしばらく眺めていた。お土産屋さんなどを一通り見学して、JRの駅へ抜ける。予想通り近鉄に比べとても寂しい。オレンジカードの消化も考えたが、有人の窓口しかなくオレカは使えないとご丁寧に張り紙までしてある。まずはひとつめの参宮線からになるが、快速みえに投入された例の車両がすでに入線していた。近鉄に対抗すべく名古屋からの直通快速ということで登場してから久しいが、勝負になっているのだろうか?どう見ても横で頻繁に出て行く近鉄特急に分があるように思うが。まぁ、そんな評論家みたいな理屈はどうでもよくて、これに乗ればひとつ完乗の路線が増えるというわけだ。
名松線
快速みえは絶対評価としては悪くはないが、近鉄との相対評価として考えてしまうと辛いものがある。松阪までやってきて次の未乗路線を目指す。名松線という名称はここ松阪から名張を目指していたことに由来するそうだが、残念ながら名張へ到達することなく盲腸線となって宙ぶらりん状態である。やがて廃止されてしまうのだろうか?評判通り車窓の風景などはそこそこのレベルで、終点の伊勢奥津はなかなか雰囲気のある駅だった。ここから名張に向けバスが出ているそうだが、そんな気配はまったく感じられない。時間も読めないし、ここにいても仕方がないのでそのままとんぼ返りをする。
近鉄八王子線
松阪から再び近鉄に乗り換え四日市まで戻ってきた。普通のとはひとまわり小さいナローゲージサイズの車両が走っている路線に乗るためだ。前々から廃止の噂は絶えないが、実のところどうなのだろうか?近鉄四日市駅は高架の立派な駅だったが、八王子線、内部線方面のプラットフォームは少し離れたところにポツンと存在していた。車両にあわせてこじんまりしている。目的の列車は行ったばかりだったようでしばらく待たされたが、やがて内部行きのかわいい列車がやってきた。車内もとても狭く感じる。西日野まで往復して一旦途中まで戻り、内部方面も往復してみたが、のんびりとした走りだった。今日はここれで引き上げてもよかったのだが、四日市から湯の山線も往復してみることにした。かつて湯ノ山は名古屋の奥座敷的な存在だったという話も聞いたことがあるが、時期が悪かったのかとても寂しくひっそりしていた。結局、四日市に戻る途中で日は暮れてしまった。(後日談:その後、湯の山線に乗る機会がありました。そのときの旅日誌はこちらをご覧ください。)
今回はどうなるかまったく読めなかったのでとりあえず金山に2泊分の予約をしてあった。四日市から名古屋に戻ったときはすっかり暗くなりどうやら夕立が来そうな気配だったが、ただなんとなく名鉄の路線図をみて津島線を往復しておくことにした。津島についたときにはあたりでピカピカ・ゴロゴロやってきて寄り道したのを後悔していた。
 2日目
ルート概略
【寄ったところ、乗ったもの】※詳細はこちら
名鉄三河線、名鉄尾西線、弥富、三岐鉄道、近鉄北勢線、名鉄常滑線
今日もどこに行くかは決めてなかったが、名鉄の中でも気動車が走っている区間があったのを思い出してそれを見に行くことにした。金山から地下鉄を乗り継ぎ東の方へ向かってみる。地上に出ると、緩やかなアップダウンが繰返す地形の中を突きつける感じで列車は快調に飛ばしていた。時折工業団地のようなところがぽつりぽつりとあったようだが、某社のロゴを見つけあの施設はこんなところにあったのか、などと1人納得する。お付き合いのある会社でも実際地理的にはどこにあるのか知らないことも多いので、このように地方をまわったときに思わぬ発見をすることもよくある話だ。
名鉄三河線
ちょっと開けた感じのする豊田市で三河線に乗り換え猿投方面を目指す。その先の末端の2、3区間だけが取り残された感じで非電化になっていた。もっと先まで路線は延ばされる予定があったのだと聞いたこともあるが、完全に盲腸線になってしまい本数も少ない。ここも廃止の対象になっても不思議でないと思った。(後日談:この非電化区間は名鉄の合理化の中で廃止されてしまいました。)鈍足のキハに揺られ山深いところにある終点を往復してみる。とても大手私鉄の風景とは似つかわないところだった。三河線から戻ってきて西尾線をまわって吉良吉田まで進み、逆に方向で三河線を乗ることにした。ここも非電化区間が残っているが、先程の区間といいキハが細々と運用されている。電化されるのか廃止されるのかよく分からない。(後日談:こちらの区間も同様に廃止されてしまいました。)再び知立に戻ってきたがとても暑い。思わず水分を補給することにする。
名鉄三河線
効率のよいまわり方ではないが、本線を新岐阜まで行ってみる。名古屋から先、過去に乗ったことがあったかどうかはっきりとは覚えていないが、これで本線は完乗のはずだ。新岐阜から少し戻り、新一宮から尾西線に乗り換えることにした。どうして竹鼻線の大須方面に行かなかったのか後になれば不思議に思うのだが、あまり深く考えずに弥富方面に乗り込んでいた。(後日談:気がつけばもう一方は廃止…ということになってしまいました。)昨晩通ったところと一部ダブるが弥富まで来て近鉄に乗り換えまた南下することに決める。
三岐鉄道
富田まで来て三岐鉄道という耳慣れない路線を往復することにする。貨物を主に扱っているそうだが、確かに山間のなかをのんびりといく感じのする路線だった。終点の西藤原でも水分の補給をし、折返しまでの時間を過ごした。本当に予習も何もしてなかったのでそのまま引返し近鉄で桑名まで戻る。昨日乗ったナローとは別の路線を乗ってみることにした。北勢線は桑名駅とは少し離れた場所から出ており、駅名も西桑名と違った名前になっている。車両は昨日乗ったものとどう違うのかよく分からないが、冷房もないミニチュアの可愛い列車はレールの音をきしませ先へ進んでいく。終点の阿下喜につく頃は夕闇が迫っていた。あとで気がつくが、三岐鉄道の伊勢八田から阿下喜へ出るルートもありだったようで、うまくショートカットすればもっと効率よくまわれたに違いない。(後日談:軒並みやってくる合理化の中で北勢線も切り捨てられてしまうかと思いましたが、三岐鉄道が運行を引き受ける形で運行は継続することになりました。)すっかり暗くなったので今日は終わりにしようと名古屋まで戻ってきたものの、昨日と同様に単なる思い付きで常滑まで往復することした。
新藤原駅
 3日目
ルート概略
【寄ったところ、乗ったもの】※詳細はこちら
恵那、明知鉄道、塩尻、辰野、岡谷
冒頭にも書いた通り、欲を言えばあと1日という気もしていたが、今回はこれで引き上げることにしてある。ただ、1ヶ所だけ寄り道することを考えていた。金山から中央線に乗り込むときには、名古屋方面へ向かう列車のラッシュが始まっていた。とりあえず恵那まで乗って明知鉄道を目指す。
明智駅
明知鉄道は、旧恵那線から転換された三セクの路線になる。終点明智までそんなに距離があるわけでもなく、典型的なローカルな盲腸線である。しかし。途中急な勾配があったりと変化がある路線だと聞いたことがあるので、ちょっとだけ楽しみにしていた。恵那から乗り込んだレールバスはさほど混雑してるわけでもなく、JRからの乗り換え客を乗せて明智へ向けて出発した。噂どおり勾配のきつい箇所があったり、森の中を抜けるところがあったりと車窓の風景は目を楽しませてくれた。上下交換も1回だけで程なく終点に着いてしまい、多少物足りない感じはした。明智からはすぐに戻ることにするが、帰りは違う車両に交換されての折返しになった。明智を出るときはそんなでもなかったが、途中途中で乗客を拾うたびに車内は混雑し、地元の足としての役割があるのだなと感じる。
恵那からの人の流れはほとんどが名古屋方面へ向かうばかりだったが、自分は逆に向かっている。特急など使ってもいいのだが、久しぶりに東西の中央線を鈍行でゆっくり帰ることにした。名古屋近くで粘って新幹線という手もあったが、たまにはのんびりとするのもいいだろう。が、実際にはそうもうまくいかないのだが。とりあえず次に乗り継ぐのは比較的新しい顔である。セントラルライナーと名付けられた列車は座席指定で単なる普通列車よりは気持ち優等車である。ここ恵那からは座席指定が解除されるので、そのまま乗り込むことにする。だが、乗ってられるのは僅かな区間だけで、運用終点の中津川からは更に次の列車に乗り換えなければならない。
明知鉄道
嫌な予感は的中した。時期がよすぎたのか、ホームが妙に混雑している。最近、中央西線の普通列車が更新かかって新しい車両が運用にあたっていると聞いていたが、向こうの引込み線でスタンバってるのはどう見ても2両編成にしか見えない。なのにホームはますます人で溢れ返ってきている。そうえば、この区間の普通列車の混雑度は全国的にも悪名高きところである。乗車口の案内などそのような気の効いたものは一切ない。弁当売りのおじさんは群集の中で揉みくちゃにされながら近くで忙しそうにしている。線路脇の列車の停止目標などをちらっと確認し、あとは勘をはたらかせて乗車位置になりそうな場所にめぼしをつけ、人を掻き分けなんとなく立って待つことにした。既に整列乗車どこではない。引込み線の車両が入替えのために動き出した。入線してきて思わず悲鳴が上がる。なんじゃ~ぁ?と叫んだところで何も状況は変わらない。扉が開き一気に人が雪崩込んできた。幸い席にありつけることができたが、あっという間に大混雑になった。こんな状態で何時間も揺られるのはたまったもんじゃない。シーズンオフは2両でももてあそんでいるのかもしれないが、こういった時期くらいどうにかならいものか??
セントラルライナー
木曽福島あたりで多少降りていったものの、塩尻に着いてもまだ相当混雑していた。これ以上乗ってる必要もないので自分はここで降りることにする。ここでも思いつきで塩尻から先を辰野まわりで行ってみることにした。かなり昔になるが一度だけ乗ったことがある。「迂回路」についての歴史的な話はいつものように識者に任せるとして、1両のみょうちくりんなやつに乗る。元荷電と聞いたことがあるが、足回りがいいのか悪いのか、それとも路盤が悪いのか乗り心地は決していいものとはいえない。揺られてみてかなり昔のときの記憶が戻ってきた。辰野でもうひと列車乗り継いで岡谷まで出る。ここで今回の最後の列車を待つことにする。高速道路のジャンクションを見上げる風景は何回か見ているが、初めて見たときは恐ろしいスケールだなと感じた記憶がある。
中央本線
やがて横須賀色の普通列車がやってきた。飲み物を買って一番後ろの車両に乗り込む。前の方は1ボックスに1人といった感じで埋まる程度だったが一番後ろまで来たところ、すぐに空きボックスが見つかった。途中何回も特急に抜かれるものの、別に急ぐわけではないのでまったく気にはならない。それよりも、車掌が新米の女性だったようで、たどたどしい車内放送の方が気になった。甲府の手前で雲行きが怪しくなり、東上するにつれポツポツきた雨は激しくなってきた。列車に遅れも出ているようだ。繰り返すが、今回は急がないのでまったく問題はない。